思い出、崩壊、ネズミの子
あの若き日に、己の限界を試したいと言い出したソフィアが、全力の召喚術を行い、溢れ出したスケルトンやゾンビ、グールー、ファントム、デュラハン、なぜか使役できそうにも無い最上位の不死であるヴァンパイアまで呼び出し、ありとあらゆるアンデットで特別研究棟は満員となった。
それこそ階段から踊り場まで、所狭しとアンデッドである。外から見ると窮屈そうに階段の窓から顔を出す、顔のないデュラハンの姿が見えたりもした。
そして、己の限界を試したかったキーンは、煉獄を司る魔神スールーの加護による極大の火炎魔法を特別研究棟の入り口から放ち、中にいたアンデッドを下から上まで綺麗に灰塵に帰したのだった。
その「何をしても壊れない」が売りの特別研究棟が、今まさに崩れようとしている。
「い、いったい何が起こったというんじゃ!」
状況が把握できないキーンは、そのまま高弟達に抱えられて部屋から脱出した。
そして上の階の状態からすれば当然の話しであるが、下の階ではメリルが生死の瀬戸際にいた。
絶対に壊れないから何をしても安心よ、とソフィアから聞かされていた特別研究棟が崩壊しようとしているのだ。
「うわああああ!聞いてたのと違うううううう!」
相変わらず魔王ガンドゥンは怒りの咆哮を上げている。
「お願いだから落ち着いてぇええええ!」
その声は轟音にかき消される。
メリルは必死の思いで入り口付近の壁際まで移動し、腕で風圧を遮りながら荒れ狂う魔王の姿を薄目を開けて見ていた。
「危ない!」
ほぼ世界最強であろう魔王の心配をするのも変な話であるが、自分が呼び出した責任もあってか、魔法陣の真上の天井が崩れて、四角形の巨大な石がガンドゥンに降りかかる瞬間、思わず声を張り上げた。
同時に赤黒く照らされていた室内に、眩いばかりの光が侵入してくる。
上の階の魔法陣が、勇者の魂と共に落下してきた。
そして勇者と魔王の魂が接触した瞬間。
全てが静止した。
眼の前が真っ白になって、音もなく、いつしか風も止んでいた。
「これは…」
メリルは先程の修羅場とは打って変わった、この静かな空間に頭の整理が付いていかず、呆けたように辺りを見回す。すると視線の先に青白く光る、拳ほど大きさの光の玉がふよふょと浮いて漂うのが見えた。その光の玉は徐々にメリルの方に近づいてきていた。
そしてメリルも何故か、そうしなければならないと思い、青白い光に向かって歩きだした。目前まで接近すると、彼女は丁寧な動作でゆっくりと、両手で光の玉を包み込む。
何故かふと、懐かしいような切ないような、不思議な感情が内側から溢れ出して、愛おしむように光を胸に抱きしめる。
その刹那、光は一気に膨張して破裂すると同時に、目を開けていられない程の光を発して、メリルの全身を覆ってしまった。眩しく白けていく意識の中で、メリルはわずかに声を聞いた。
―――テメェふざけんなよ…!―――
「…え?」
神秘的な白い光の中で思いがけず聞こえた罵詈雑言に多少戸惑いつつ、声に向かって手を伸ばすが、何も掴めず空を切る。メリルは状況も事情も不明だが、ふざけんなよ立腹している謎の声に向かって、ワケも分からず上ずった声を上げた。
「と、とりあえずゴメン…!?」
ふと気がつくと轟音の中にいた。特別研究棟の崩壊は留まる事無く続いていた。
ただし目の前には、さっきまで怒り狂っていた魔王の姿はなく、ただ岩が崩れ落ちる様だけが見えた。
メリルは一瞬呆気に取られてポカンとした後、すぐに身に迫る危険について理解した。
「あわわわわ!どうしよう!どうしよう!」
「こっちです!」
突然、慌てふためくメリルの手を誰かが強く握った。
そのまま腕を引かれて入り口まで走る。
「あなたは…」
などと考えて問いかけている場合ではない。すぐ後ろに崩落する天井が迫ってきているのだ。見ればメリルの手を引くのは、自分の背丈の半分ほどの子供のようだった。メリルは腕の力を振り絞って、その子供を自分の方に引き寄せると、そのまま小脇に抱えて、数段ずつ飛ばしながら、全速力で特別研究棟の出口に通じる階段を駆け下りた。
「メリル様!後ろ!階段が!」
小脇に抱えた見知らぬ子供が必死の形相で急かしてきた。
すぐ後ろの階段も崩れ始めているのだ。
メリルもそれに気がついて、一気に血の気が引いていった。
涙と鼻水で汗で顔をグシャグシャにしながら、必死に足だけを動かす。もはや呼吸がちゃんと出来ているのかすら自信がない。
永遠かとも思える出口までの距離だったが、やっと屋外らしき明かりが見えてきた。
「うわああああああああ!」
声帯の全てを出し尽くすように大声で叫び、転がるように外に飛び出した。直後、出口は音を立てて崩落し、大量の砂煙がメリル達を追うように襲いかかってきた。
メリルと謎の少年は互いに身を寄せ合って、砂煙の中でしばらく呆然としていた。
徐々に煙が晴れてきて、辺りの様子が伺えるようになると、さらに呆然として、阿呆のように口を開けたまま、特別研究棟を見上げていた。
さきほどまで自分たちがいた5階から先が、崩れて去って無くなっていたのである。
「ね、ねぇ…」
メリルは傍らの子供を強く抱き寄せた。
「…なんでしょう?」
子供の側もメリルにしっかり寄り添った。
「これ、私のせいかなぁ…」
惨状を目の当たりにして、メリルはこれからの自分の事を思うと、石に埋まってた方がマシだったのではないかと本気で考えた。
「ところで、あなたは…」
メリルは改めて一緒に逃げ出した謎の少年の顔をしげしげと見つめた。
「イヤだなぁ、メリル様。僕ですよ、僕」
何となくそんな気はしていたが、メリルは肩に乗っているはずのロメオが、いつの間にかいなくっている事を確認した。
「まさか…」
「僕も何でこうなったのかはよく分かりません」
少年のサラサラの銀髪、もといネズミ色の髪から、丸い大きな耳がピョコンと飛び出してきた。いつの間にか背後には長い尻尾がヒラヒラと揺れている。
「おっと、どうも気を抜くと耳がと尻尾が出てしまうみたいです」
思いのほか現実をすんなり受け入れて、自分の変化を楽しんでいる少年を見て、戸惑うメリルはやっとの思いで、会話らしいセリフを口にする。
「とりあえずロメオ…後で耳を触らせてね…」
それは見た目にもモフモフで、最高に触り心地が良さそう毛並みだった。
そして数時間後、メリルは王の前で正座をさせられていた。
王は無言のまま、小さくなっている二人を見据えている。
キーンとソフィアは若い時分、特別研究棟では散々無茶をしてきた事もあり、あまりメリル達を責められないといった様子だった。
レイド将軍だけが鼻息を荒くして二人に詰め寄っている。
「あの特別研究棟を!我が国の宝を!ぶっ壊すなんて!いくらなんでも前代未聞過ぎるだろうがぁあああ!」
「うわああああん!ごめんなさぃいいい!」
これが数時間前、メリル・スタンレーの召喚実験が発端となり、起こったことの全てである。