世界の存亡、会談、友人として
「…と言うわけで、事態は急を要するのです。」
言葉とは正反対に、老人はのんびりとした動作で白い顎髭を右手で撫で付けた。
王都魔術学院、特別研究棟。
その最上階。ここは王都魔術学院長であるキーン・ロウの執務室である。
ここは通常の研究棟とは異なり、より実践的かつ危険度の高い魔術の演習等に使用される特別な施設である。学院に古くから伝わる古文書によれば、この特別研究棟が建てれたのは12代前の王の時代とされ、現在築600年ほどであり、人の手によって建てられた現存する最古の建造物でもある。
建物内の壁は全て最高位の防護魔法が施され、仮にこの中で隕石が降ろうが、津波が起ころうが、竜巻が吹き荒れようが、中にいる人間が全滅するだけで、建物自体はビクともしない堅牢さを現代でも誇っている。
執務室に三人の男達がテーブルを囲んで座っている。
上座の一番大きな椅子に腰を据えるのは、この部屋の主であるキーンではなく、スカンビット家代々の王冠を被った、荘厳なまでの威厳を示すもう一人の老人であった。
キーンの向かいに座るもう一人の男が口を開いた。
「学院長殿、お話は理解しました。しかし私は何分、魔法の類は素人なもので、実際にどのようにされるおつもりか、今少し説明願えませんでしょうか?」
詰め襟の白い軍服の男は、慇懃な態度ではあるが、挑戦的な口調でテーブルの向かいに座る老人に言った。腰に下げたロングソードの鞘には、戦闘には無用の装飾が施されており、男が高い身分の出自である事が分かる。
男はキーン学院長の返事を待たずに、さらに続けた。
「魔を討ち払う者の魂を異界から呼び寄せる、という事でしたな」
「左様、ここ数年、魔物が勢力を増してきている。これが伝承の通りであれば、魔を統べる者の復活の兆しに他ならん」
魔を統べる者、すなわち魔王と呼ばれる存在。
「その対処に、我が国の軍では役に立たないと仰せか?」
男は苛立ちを隠そうとしなかった。
「レイド、口を慎め」
王は静かにスカンビット王国軍最高指揮官、レイド・ガウル将軍を嗜めた。レイドは素早く王に向き直り頭を垂れた。
「申し訳ございません、陛下。学院長殿、ご無礼をお許しください」
レイドはキーンの方にも頭を下げる。ついカッとなってしまう向きはあるが、すぐさま過ちを認めて謝罪ができるのも、この将軍がいかに優れた人材で、信頼に足る人物であるかを表していた。
「キーン殿、しかし余もいささか疑問ではある」
王はスカンビット王国で最高峰の魔術師であり、この国の魔術研究最大の功労者でもあるキーンに敬意を払い、決して人前で呼び捨てにはしない。
「そなたを筆頭に、世界最高の魔術師団を有する我が国が、そうそう外敵に引けを取るものであろうか?そんなにも魔王とやら強大なのか?」
レイドはその言葉にウンウンと何度も深く頷く、王の言葉の後に続けた。
「陛下の仰せの通り、我がスカンビットは強力な騎兵団に加え、50万の歩兵ならば3日以内に編成が可能です。さらにこの世に類を見ない魔法師団と、そして何より大魔術師キーン殿が居られる。これでも勝てない相手とは…」
「ふむ…そうさのぉ、例えば…」
キーンはレイドの話を落ち着いた口調で、しかし力強く遮った。
「人類が用いる事のできる最上位魔法が、この炎だとしましょう」
テーブルの上には青銅のロウソク立てがあり、小さな火が揺れている。
「魔王の用いる力は、あれです」
キーンは窓の外を指差す。その先には南中に達しようとしている太陽がギラギラと輝いていた。
王とレイドは息を飲んだ。目を見れば分かる。この老人の言っている事は、世迷い言などではない。ロウソクの火と太陽、人と魔王にはそれほど絶望的な差があると言っているのだ。
「ま、まさか…伝承には確かに、魔王は7日間で大陸の半分を燃やし尽くしたとあるが…あれは絵本のおとぎ話でしょう…!」
レイドはそれでもまだ、キーンの話を受け入れがたい様子だった。当然の事である、容易に受け入れてしまえば、それは人類の滅亡も同時に承知しなければならない。
王は眩しそうに顔をしかめて、天の果てで燦々と輝く、窓ごしの太陽を見上げた。この特別研究棟は、この国で最も高い建造物だが、手を伸ばしても太陽に届きそうにはない。
そして王はキーンに問いかける。
「魔を討ち払う者であれば…燃え盛る太陽に勝てるだろうか?」
「分かりません。しかし我々はこのまま手をこまねいて、滅びを待つわけには参りません」
そしてドンッとテーブルを叩きつけ、椅子を跳ね上げてキーンは立ち上り、続けた。
「魔王の復活は明日か、はたまた100年後かも分かりませぬが、この国、この世界の今と未来の為に、魔を討つ勇者の血脈をこの地に招き、聖なる力として育むことこそ必要不可欠なのです!」
その後、全員が押し黙って幾ばくか静寂が執務室に流れた。
「…よかろう」
沈黙を破ったのは王だった。
「スカンビット・ウル・ハイムの名において、魔術師キーン・ロウに命ずる。この地に勇者の魂を召喚せよ」
王の勅命である。キーンは姿勢を正して一礼をして「仰せのままに」と返答した。
「そしてレイドよ」
「はっ!」
「勇者の魂がこの地に召喚されたのち、全軍を持ってその魂を宿す者を探し出し、余の前に連れて参れ」
「我軍の威信にかけ、必ずや王の御前に!では早急に準備を整えて参ります!」
レイドはそう言うと、勢い良く王に一礼し、慌ただしく部屋を後にした。
「ところでキーン殿…いやロウちゃん」
執務室の扉が閉まるのを見届けて、王は気が抜けたように、楽な姿勢で椅子に座り直した。
「なんでしょう、陛下…いや、ハイムちゃん」
このスカンビット王国で産まれ育った幼馴染である老人達は、それぞれの身分が定まって以来、人前で使うことのない名前でお互いを呼んだ。
こう呼び合う時、2人は立場のしがらみを超えて、本音を語り合える古い友人となる。
「魔王がなんだとか言ってるけど、本当はその召喚魔法を、国のお墨付きで使ってみたいだけって事はないよね?」
「いやいや、まさかそんな、うはははは!」
キーン、いやロウちゃんは含みを持たせたように笑った。
「ハイムちゃん、我輩はこの世界の行く末を本気で憂いておるよ」
「それは余も同じだ」
スカンビット王、いやハイムちゃんは呆れたような、それでいて安心したような顔で、古くからの友人の、その期待に胸を膨らます少年のようなキラキラとした目を見ていた。これからロウちゃんが言いそうなセリフも、だいたい見当が付く。
「異界からの勇者召喚実験、ついでに魔王討伐!この歳になって、こんなに楽しそうな事ができるとは思わなんだよ!わはははは!」
「ロウちゃん今、魔王討伐をついでって言わなかった?」
「わははは!言ってない言ってない!ふひゃはははは!」
「まったくロウちゃんは、子供の頃から変わらないな」
釣られて王も笑いだした。