奇跡のパセリ、奇跡の鳥肉
翌朝、メリルは大きな肩掛けのカバンに荷物を詰めて、ネズミ横丁の最深部、人外の住処と揶揄される自宅を出た。昨夜の嵐とは打って変わり、空は碧々と澄み渡っている。
「ロメオ、あなたも着いてくるの?」
メリルの肩にロメオが乗って「チゥ」と短く返事をした。
「学院に着いたら、カバンの中に入っててね」
彼女は小さく甘えたがりなお供に向かって微笑み掛けて歩き出した。
メリルが出かける際には、必ず4匹のうち誰か1匹がお供をする習慣になっていた。メリルはそれを、好奇心旺盛な可愛らしいネズミが、珍しい街の風景を見たいが為に、勝手に着いてきていると解釈していたが、事実は大いに異なっていた。
例えば一国の王が、護衛も付けず一人きりで街中を散策する事などありえない。
ネズミ達もまた、君主たるメリルに危険が及ばぬように、彼女の護衛の任にあたっているのである。昨夜、いつもより大きなパンを褒美に頂いた後、4匹のネズミは人知れず会議を行い、翌日の護衛をロメオに決めていた。
ロメオはリーダー格ネズミの中でも智将として知られ、かの第7次薬草補給作戦では、これまで主流だったが危険も大きかった城門ルートに代わる、東門下水道の輸送ルートを発見し、薬草の輸送効率と安全性を飛躍的に向上させ、将来的に多くの仲間の命を救ったとされる英雄である。
さらにネズミ界ではメスと見紛うほどの、東西きっての美貌の持ち主であり、婦女子からの人気も高い。
そんな凄腕ネズミのロメオだが、メリルから見れば他と同様の小さなお友達である。
ロメオは鼻をヒクヒクさせながら、つぶらな瞳でメリルの横顔を見上げている。その瞳が、主の為に命を捨てる覚悟を持った戦士の眼光を孕んでいる事を、メリルは知る由も無い。
街を守る城塞の正門からまっすぐ伸びた大通りは、そのまま王の居城であるスカンビット城まで続いている。
朝から往来は激しく、これから仕事に向かう者や、荷物を満載してバザールに向かう馬車、通り沿いの商店は開店準備に忙しく、多くの人で賑わっていた。
いつもと変わらぬ、王都ビットハイムの朝の風景である。
メリルは大通りを抜けて、街の東側にある、石造りの高い建物が並ぶ地区に向かっていた。そこは王立魔術学院を中心に、様々な研究施設が放射状に並ぶ一角で、初歩的な魔法から、精霊術と言った高等魔術の研究と鍛錬、さらに治療薬から毒薬までに至る薬品の調合、人工の生命を創造する事を最終目標とする錬金術などの研究が一手に行われていた。
しかし一方で、5羽のスズメを1羽のハトに転生させる事に情熱を燃やす者、乾くと鉄のように硬くなるイチゴ味のガムで一攫千金を狙う者、胃液に反応して転移と復元をする事で、食べても食べても無くならない魔法のパセリを作った者もいた。
森羅万象の学問と言えば聞こえは良く、確かに高潔で人々の尊敬を集める大魔術師もいるが、中には有象無象を好き勝手に研究している、世捨て人のような魔術師も沢山いるのである。
「メリルちゃーん」
学院に向かう道の途中で不意に呼ばれてメリルは立ち止まった。
「ああ、モルゾフさん。おはようございます」
モルゾフと呼ばれた初老の男は、にこやかに手を振りながら駆け足でメリルに近づいてきた。
「ついに新作ができたんだよ、ぜひメリルちゃんに見てもうおうと思ってね」
「えええ!つ、ついにアレが!?」
「そうとも!苦節数十年、やっと完成したんだ!」
モルゾフは懐から艶々したピンク色の、ピクピクと動く何かを取り出した。
「へぇー、これが…」
メリルはモルゾフの手の中でピクピク痙攣する得体の知れない物体を眺めた後、自慢げな顔のモルゾフを見上げて、引きつった笑顔で聞いた。
「…何でしたっけ?これ?」
「ちょっと、そりゃ無いよメリルちゃん。前に魔法のパセリを見せた時に話をしたじゃない」
何を隠そうこの男は、食べると胃液に反応し、体外に転移すると同時に復元して元の姿に戻るという奇跡のパセリを開発した、転移魔法研究の第一人者、魔術師モルゾフその人である。
物体を別の場所に移動させる転移魔法は、移動対象物の組成が複雑であるほど難しくなり、人間を移動させる転移魔法は、修得までそれなりの鍛錬が必要なる。しかし決して珍しい種類の魔法ではない。見習いの魔術師でも、教本片手に魔法陣を敷き、単純な構造の無機物であれば、よほどの事が無い限り失敗はしない。手練れの者ならば、術式を省略し、詠唱だけで自らを遠い場所に転移させる事も可能である。
しかしモルゾフが行う、胃液の反応をトリガーにして、転移と復元の魔法を同時に、しかもパセリのような有機物に対して発動させるという術式は、通常の転移魔法とは比較にならないほど難易度が上がる。
この魔法が完成した時、モルゾフの研究は一気に脚光を浴びた。
例えば人体にとって有害な物を摂取したとしても、この魔法があれば瞬時に体外に転移させ、しかも復元してしまう事で、それがどういう有害物質であるかも簡単に判明してしまうのだ。
もっと具体的に用途を考えるならば、毒物による要人の暗殺を未然に防ぎ、さらに毒物を特定して証拠とし、下手人を逮捕する大きな手がかりとしても期待ができる。
しかしパセリ転移魔法には大きな欠点があった。
それはその魔法がパセリに対して施した術式であり、食べた人間に対する物では無いという事である。
つまりモルゾフの魔法は、パセリ専門の転移魔法だった。
それから彼の評価は一転「なんか物凄く高い技術力で不死身のパセリを作った人」となった。
期待された街の料理屋でも、人間の体内から現れたパセリなど気味が悪くて使えないなどの理由で断られ、食糧難に喘ぐスラムの住人からは、食べても消化する前に転移して栄養にならない上に、しかもパンや肉では無く、よりによってパセリなんてと門前払いされ、晴れてモルゾフは奇人のパセリ愛好家として名を馳せるに至ったのであった。
そんな彼がついに完成させたのだ。
「刮目して見よ!これこそ我が研究の集大成、食べても食べても無くならない魔法の鳥肉!」
「あー…これが…」
ふふんっと鼻息を鳴らして自慢げな様子のモルゾフに、メリルはなんと言っていいか分からずに言葉を濁す。
パセリに比べて肉ならば、食欲を満たしながらカロリーを制限するダイエット食品として販売する事も可能かもしれないが、いかんせん常に痙攣して動いているのだ、鳥肉が。気色悪い事この上ないし、そもそも食べても大丈夫なのだろうか、これは。
メリルは肩に乗ったロメオに助けを求めるように目線を送るが、何かを察したロメオは慌ててカバンの中に隠れた。
「あのー、これ…すごいと思います!」
心優しいメリルは、心は優しいが劣等感に苛まれる日陰者である。同じく日陰者であろうモルゾフに本音を言う事ができなかった。
しかし確かに凄いのだ。
高難易度の複合転移魔法を、パセリより組成が複雑な肉片に対して行うなど、並の魔術師にできないし、それ以前にやろうとは思わない。いろいろな意味でモルゾフはやはり天才であり奇人である。魔術師として、研究者としては尊敬できるが、動く肉片を片手に興奮してる様子は、人としては尊敬しにくい。もし見も知らない他人だったなら、ぜひ話し掛けないで欲しいレベルだ。
「これで…えーっと、食糧難は全然解決してないけど、美味しい物がずっと食べられますね!…そんな感じですかね!」
メリルが言葉を選びながらやっと捻り出した答えにモルゾフは満足そうに頷いた。
「これは前回のパセリより優秀でね、血中グルコースにも魔術連鎖作用を起こす事で満腹感を持続させ…」
「ああああ、あの、ちょっと今日は時間が無いので、また今度!」
このままでは夕刻まで奇跡の鳥肉についての講義が続きそうだったので、メリルは慌てて話を遮り、まだ何か言いたげモルゾフを残し、踵を返して小走りに学院に向かった。