人間の村、月明かり、本格派のゾンビ
「まあ、何となく分かってはいたんだけどな…」
満面に得意げな表情をたたえたビーボの頭の花弁を、緊張して引きつったような顔でフラドが撫でる。
鬱蒼とした森を抜けて、墓所から繋がっていると思われる轍が残る道に出て、しばらく歩くと曲がり角の先に出し抜けに人工建造物と分かる囲いの柵、その先に屋根が見えた瞬間、フラドとシルビーはビーボを抱えて、道の脇の茂みに飛び込んだ。
さらに土手を這い上がって、少し小高くなった場所に身を低くして陣取る。
周囲を警戒して見るが幸い人の姿はなく、100mほど先に見える人家と思われる集落は静けさに包まれていた。
「誰もいないのかしら?」
シルビーが不思議そうに声を落としてフラドに話しかける。
「何か…変じゃないか?」
「村人みんな出かけてるとか?」
「うーん、この規模の村でそれはないんじゃないか?」
ここから見える範囲でも建屋の数は4~50戸は確認できる。
おそらく数百人規模が暮らす村であることが予測できた。
しかし静まり返った村には人影はおろか、当然いるはずの家畜の鳴き声も気配もない。村の周辺に開かれた畑も、長い間手入れをされた形跡がなく、作物は立ち枯れ雑草が幅を利かせている。
よく見ると家々の窓ガラスは割れ、壁には亀裂が入り、屋根も所々剥がれ、一部は崩れている家もある。
「もう長い間人が住んでないみたい」
シルビーの言葉にフラドが腕を組んで考え込む。
現在は廃墟の様相であるが、立ち並ぶ家々と石が敷かれて舗装された通路、村全体が計画立てて開発され、繁栄してきたことは想像に難くない。
こんな大きな村をそのまま放棄しなければならない理由とは何だ?
人が住まなくなって、まだ数年と言ったところだろう。元々古そうな家は崩れている箇所もあり、風化による多少の家の傷みはあるようだが、手入れをすればまだ住めそうな家がほとんどだ。
つまり村を破壊するような荒事、要するに戦争や盗賊の仕業で人がいなくなった訳ではなく、であれば流行り病などで村を維持できなくなるほど死人が出たか。
フラドは自分がゾンビとして初めに意識を取り戻した墓所を思い出す。
以前、墓穴に下半身を埋めながら計算したときは、400~500基ほどの墓石があった。そして村からほど近い所にある墓所が、この村で管理されていたであろうことは明白だ。
「…もしかして、みんな死んだのか…?」
ポツリと口をついて出たフラドの言葉にシルビーが表情を硬くして振り返る。
いやいや、とフラドは自分の考えが冷静さを欠いていると頭を振る。
これだけの規模の村である、長い歴史があるだろうし、その分だけ埋葬されてきた死者も多いはず。あの墓石の分だけ、村が滅ぶほど短い期間で大勢の人が死んだなどと考えるのは安直すぎる。
「まあ、ひとまず差し迫った危険はなさそうだな」
「でもまだ人が残っているかも」
「そうだな、一旦森に隠れて夜まで待って、もう一度様子を見に来よう。もしかしたら明かりが点くかもしれない」
フラドとシルビーは周囲を警戒しつつ、丘陵に続く森に向かった。
しばらく進むと藪に覆われて、ちょうど目隠しされた木の周辺に小さなスペースを見つけ、三人は腰を落ち着けた。
「ねぇ、フラド…」
ビーボを膝に乗せたシルビーが視線を地面に落としたまま、暗い口調でフラドに語り掛ける。
「あの村ってさ、やっぱり…私達の住んでた村なのかな?」
「…ああ、たぶんな」
「何か思い出したこととかある?私は全然なんだけど…」
「いや、俺もまったく何も思い出せないな」
「もし人がいたらどうする?」
「どうするもこうするも、見つかるわけにはいかないし、すぐここを離れるしかないだろ」
「そうだよね…うん、分かってる…」
シルビーはキュっと鳴いて心配げに見上げるビーボを抱きしめて、甘い香りのする花弁に顔を埋める。
フラドもシルビーの言わんとすることが理解できて下を向いた。
俺たちは人を喰う化け物なんかじゃないし、人を襲うかもしれない自分自身を恐れている、頭は普通の人間だ。
しかし一方で、確かに鼓動も呼吸もない動く屍である。
きっと言葉も通じないだろう。
どんなに無抵抗に敵対しない素振りを見せても、おいそれと人間に受け入れてもらえるはずがない。
二体のアンデットと一体の植物系モンスターは、それから無言のまま夜の訪れを待った。
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太陽が沈んで夜のとばりが落ち、月明かりだけが辺りを薄く照らしている。
フラドとシルビー、そしてビーボは森を出て再び村が見渡せる丘の上にきていた。
「明かりは…見えないな」
「うん、本当に廃墟みたいね…」
人間に出会わずに済むという安堵と、人間として故郷に戻ることはできないという落胆が合わさった複雑な想いのまま、二人は明かりの灯らない村を丘の上から観察した。
村には人間が住んでいない可能性が高い、そしてここから取れる選択肢はシンプルだ。
人間はいない、つまり脅威が存在しないという確認ができた事を一定の成果として洞窟に引き返すか、村に入って墓から着の身着のままである自分たちの役に立ちそうな道具を探す、あるいは確実に安全だと分かれば村の中に住める可能性もある。
村に入るか、このまま帰るか。
「当然だけど、行くよね?」
人がいないと見るや、早々に油断して大胆にも丘の上で仁王立ちしながら、シルビーは未だ地面に這って周囲を警戒するフラドを見下ろした。
慎重に行動している自分がバカバカしくなったフラドも立ち上がる。
「そうだな、とりあえず服が欲しい」
「激しく同感だわ」
恐らく埋葬された時のままである二人の着衣は墓の下にいる間に劣化し、さらにここ数日森を彷徨っていたせいで、ギリギリ服の体を保つボロ布と化していた。
「あと顔色を隠すおしろいと、臭いも気になるから香水があるといいな」
「いやもっと先に探すものあるだろ」
「ゾンビになってもオシャレは大事だと思うの」
「そうか、そんなに臭わないけどな」
フラドが不意にシルビーに顔を近づけて鼻を鳴らす。
「ちょっ!やめてよ!」
「むしろちょっと良い匂いがする」
フラドの言葉にシルビーの灰色がった死相が一瞬にして紅潮し、少し生者の顔色に近づいた。
「はぁ!?良い匂いってあれよ!ゾンビだから!きっとたぶん鼻が腐ってるんでしょ!?…バカ」
シルビーは恥ずかしさで拗ねたようにうつむく。
「あはは、ごめんごめん。でもホントに変な臭いはしないよ」
「お墓にデリカシーってものを置いてきたんだったら、今すぐ取りに戻りなさい!」
からかわれたと分かったシルビーがむくれて横を姿を見て、フラドは自分の心がどんどん和らいでいくのを感じた。
自分たちがゾンビでも人間でも、あるいはその両方でも、二人なら何とかやっていける気がする。
そんな風に気が楽になっていくのは、きっと相手がシルビーだからだ。
フラドは何の気なくごく自然に、未だに顔を赤らめてブツブツと自分への恨み言を呟くシルビーの頭に手を置いて、ポンポンと撫でる。
「ありがとう」
「な、何がありがとうよ!謝るのが先でしょ!」
そう言いながら、なぜか頭に置かれた手に安心感と、そして懐かしさを感じて振り払う事はせずに大人しく撫でられている。
(なんか、前にもこんな事があったような…)
記憶はないが、この行動には覚えがある。
きっと誰かに撫でられた事があって、私はその人が大好きだったに違いない。
なるほど、生前の自分には幸せな経験があったのだろう、そう考えてシルビーの口元から少し笑みがこぼれた。
フラドの手は相変わらず無遠慮に頭の上に置かれている。
「ちょっと、いい加減に手を…」
シルビーがフラドの腕を掴んでどかしながら顔を見上げる。
「……」
フラドが口と目を開いて、何か信じられない物を見ているような表情で、まっすぐ一点に視線を向けていた。
「…なに?どうしたの…?」
フラドのただならぬ様子に、シルビーも視線の先に目を向ける。
「なに…あれ?」
昼間、村まで歩いてきた道の向こう。
月明かりの中、墓所の方からゆらゆらと蠢くように村に向かってくる一団が見えた。
近づくにつれて、その姿は徐々に視認できるようになってきた。
数にして4~50体と言ったところか、風に流されてきた腐臭が鼻先まで届く。
「ゾンビ…だよな?」
フラドはやっと口を開いて、目の前に現れた光景について答えを求めるようにシルビーに問いかける。
「ええ、見間違いじゃければ…」
丘の上と村へ続く道は少し離れた場所にあるため、ゾンビの集団がこちらに気づいている素振りは無いが、しかし彼らはまっすぐに、これからフラド達が入ろうとしていた村に向かってゆっくりと呻き声を上げながら進んでいる。
この状況をどう捉えるべきかフラドとシルビーは顔を見合わせた。
ビーボも物珍しそうにゾンビの集団を見ている。
そしてゾンビ達は村の入口に到着すると、そのまま導かれるように歩みを止めずに次々と中に入っていく。
ついに数十体のゾンビは全て村の中に収まって、それぞれ好きに徘徊したり家屋に侵入して、目的なく彷徨いはじめた。
「これ、どうする?」
シルビーが掴みっぱなしのフラドの腕を引っ張る。
「どうするって…どうしよう?」
自分たちもゾンビであるが、あのゾンビ達はゾンビ然とした本格派のゾンビのように見えた。
意思疎通できるか相当怪しく思える。
そして人間の脅威が取り払われた途端に浮上した次の問題に、フラド達は頭を悩ませる事になった。
果たして、あのゾンビ達は自分達を襲わないだろうか?
自我を持つゾンビを人間とみなすか、はたまた同胞と認識するのか。
昼間とは打って変わり、死者で活気が溢れる村の夜は更けていった。