天気予報、雑巾、マジックバッグ
旅支度を終えた翌日、出立の朝。
本日の王都は晴れ、空気が乾燥しているので火の元には十分ご注意ください。
という、とても有益な気象情報を、通りに面した軒先から酷く迷惑な大音量で垂れ流している魔道具は、大気中の魔素を解析して過去数十年のデータと照合し、その日の天気を予測するという優れた発明であったが、解析精度を上げるほど音量調整ができなくなるという致命的な欠点を持った代物であり、近所の住人から憎悪をもって破壊されるを繰り返しているという、研究地区の名物である。
メリルたちは早朝、出立の報告と今後についての打ち合わせをするため、スカンビット城内にあるレイド将軍の執務室を訪れたあと、キーンとソフィアに挨拶するために、王都魔術学院にほど近い研究地区の通りを歩いていた。
しばらくは、あのありがた迷惑な天気予報も聞けないと思うと、メリルは少し寂しい気持ちになって、行く先に見える、例の大音量の魔道具を歩を進めながら眺めていた。
メリルの少し先をビッケが小さな歩幅でテクテクと進み、隣にはフロール、付き従うようにプエブロとロメオが続いていた。
だんだんと天気予報の音量が大きく耳障りに感じてきた頃、魔道具が吊るしてある軒先の向かいの家の玄関が突然バンっ乱暴に開き、大きな戦斧を持った中年の男が出てきて、憎々しげに騒音の出処を睨みつけた。
男はおもむろに戦斧を振り上げ、幾度も繰り返してきたであろう、非常に無駄のない流れるようなスムーズな動きで、天気予報魔道具を叩き壊す。
ガシャンという音と共に、件の魔道具は息を引き取り、辺りは静寂を取り戻した。
男はフンッと鼻息を鳴らして玄関に踵を返し、家に入ると叩きつけるように音を立ててドアを締めた。
ビッケはその様子を好奇心旺盛な大きな瞳で「お~」と言いながら眺めている。
「ご主人様…今のは一体…」
フロールは常識的に考えて、ここがスラム街同様、それなりに治安の悪い地域だと認識したようで、突発的に目の前で繰り広げられた非常識な光景に不安げな声を上げた。
「ああ、大丈夫よ。これはこの辺りの毎朝のルーチンみたいなもんだから」
あっけらかんとしてメリルが応えると、フロールは「そうなんですね︙」と一応納得してみたものの、釈然とはしない表情だった。
その様子を見ていたロメオは、研究地区はモルゾフと最初に出会った場所であって、一定数の変態が棲息している場所であると知っていたため苦笑いを浮かべ、プエブロは何を理解したか不明だが「なるほど」と言ってメガネの位置を直した。
ビッケは粉砕して地に落ちた天気予報魔道具をしゃがみこんで食い入るように見て、指先で突いたりしている。
「ビッケ、材料に何が含まれているか分からないから、触るはやめなさい」
メリルはやんわりとビッケをたしなめる。実際に破壊された魔道具からは、触ったらダダでは済まない色合いの液体が漏れ出している。
「触っても大丈夫じゃよ」
出し抜けに真上から声がした。
メリルは声の主を見上げる。
そこには見知った顔を窓から覗かせる老人がいた。
「オルスボさん、おはようございます!」
メリルは老人を見上げて笑顔で挨拶した。
「ワシの発明は自然環境に配慮して無害な素材を使用しとるでな、触っても舐めても人体に害はないのじゃよ」
オルスボと呼ばれた老人は、手入れされていない伸び放題の白いヒゲをさすって得意げに言った。
「へぇー、自然環境にですかぁ。次はもっと近隣の生活環境にも配慮できるといいですね!」
メリルはニコやかに、しかし包み隠さず、この騒音主に嫌味を炸裂させてみるが、オルスボには全く効いてはいないようだった。
「今回は壊されんように、ワシが考案した特別なカーボンナノチューブ構造の合金を使ったんじゃが、向かいの家の奴、強化魔法を掛けた斧を持ってきよったわ」
オルスボはチッと舌打ちすると、向かいの家の玄関を悔しそうに睨んだ。
「そうなんですかぁ大変ですねぇ、そろそろ見上げ過ぎて首が痛いので、もう行きますね!」
この界隈を行動範囲にして久しいメリルは、変人への対応には慣れきった様子で、この場を後にしようする。
「まあ待ちなさい、ちょっと頼みがあるんじゃ。降りるから待っておれ」
オルスボが立ち去ろうとするメリル達を引き止める。
階段を駆け下りるドタドタとした足音が聞こえて、しばらくして玄関のドアが開いた。メリルは何となく嫌な予感がして、ハァとため息をついた。
「で、頼みってなんですか?」
「いやぁ実はな、ちょっと金を…」
「無理です」
カネ、というワードに瞬時に反応したメリルは、オルスボが言い終わらない内に、その頼みを断った。
「まあまあ、最後まで聞きなさい」
「どうせ最後まで聞いても借金の申込みですよね?お断りします」
メリルはピシャリとに言って捨てた。
「そう言わずに、このオルスボ、まさかタダで金を貸せとは言わんよ」
どのオルスボだよ、と内心で苦虫を噛み潰すメリルを他所に、老人は続ける。
「旅に出るそうじゃな、モルゾフから聞いたぞ」
「おのれ…モルゾフさんめ…」
メリルは密かに拳を握る。
今回の旅は王国が公式には認められない勇者捜索ミッションである。
相応に箝口令の敷かれている機密事項であるはずが、鳥肉を売ることで頭がいっぱいのモルゾフが研究仲間相手に浮かれて口を滑らせたであろうことは、容易に想像できた。
メリルは改めて溜め息を吐く。
「そうですけど…それが何か?」
「ふふん、王国からバッチリ支度金をもらっとるじゃろ」
オルスボは大金を目の前にしている人間特有のニタニタとした嫌な笑い方をした。
この辺りの住人は、高潔で人々の尊敬を集める魔術師から、奇異と侮蔑の視線を向けられる変人まで、様々な研究者が暮らしているが、全員に共通して言えるのは、ベクトルの多様性はありつつ、その情熱だけは本物であるということだ。
オルスボも大気中の魔素を解析して、そこから得られた情報から今現在、この世界に起こっている現象を予測するという、それはそれは素晴らしい研究と成果を残す立派な研究者である。
しかし情熱が高じるあまり、常識や倫理、半世紀以上は年の差がありそうな少女から金を借りることへのプライドなどは、当然のようにどこかに置き忘れてしまっている。
「オルスボさん、これは私のお金じゃなくて、お国から預かっている物です。当然ですがお貸しできません」
「でもでもだってじゃな、近頃はこの天候を予測する魔道具が壊されんようにするための外枠の金属に金がかかっててのぉ…」
「いやいや、壊されない努力より音量下げる努力しましょうよ…」
メリルは肩を落として頭に手を当てて呆れて見せる。
フロール達は主人と老人のやりとりを心配げに見守っている。
「だからタダとは言わん、金を貸してくれたらコレをやろう」
オルスボは何やら雑巾で作ったようなズタ袋をどこからか取り出して、メリル達の前に差し出した。
「どうじゃ、すごいじゃろ」
ボロ雑巾にしか見えない袋を手にした老人がフフンと鼻を鳴らす。
メリル達は彼が手にした物をマジマジと見つめ、しかしどれだけも観察しても、馬小屋の掃除をした後の雑巾で作った袋にしか見えないので、困惑して顔を見合わせた。
「あの…これは何ですか…?」
「これはな、マジックバッグじゃ」
「マジックバッグって、あの何でも沢山入るマジックバッグですか?」
裕福な商人や旅人に大人気。マジックバッグは所持すること自体が一種のステータスとも言える、庶民の憧れのアイテムである。生き物を入れることはできないが、大抵の物質は大きさ問わず収納できるという優れ物だ。
当然ながら富裕層向けに洗練されたデザインの物が多く、また大容量なほど価格も跳ね上がる代物であり、決してこんな馬小屋用に洗練されたようなボロ雑巾ではない。
「いやでもこれ…雑巾ですよね?」
メリルは訝しげにオルスボの顔を覗き込むが、老人は自信が満ち溢れた表情を崩さない。
「そうじゃな、雑巾で作ったから、雑巾とも言えるな」
「えぇ~…」
「まあ待て、見た目が雑巾とは言え、こいつの性能は段違いじゃぞ」
「…何が違うんですか?」
「まず袋自体に時空間に作用する結界を施すことで理論上、内容量が無限になっとる」
「え、すごっ!」
「さらにこいつは何と、生き物を入れることができるんじゃ!」
「そ、それが本当なら世紀の大発明ですよ…!」
メリル達は素直に感嘆の声を上げる。
モルゾフもそうだが、やはり天才的な人間というのは、頭のネジが1、2本飛んで無くなっているものなのだなと、目の前の老人を見てメリルは心底納得したような心持ちになっていた。
「しかしなぁ、一つだけ難点があってのぅ…」
「難点?」
「うむ、結界を安定させる素材として、どういう訳か馬小屋を掃除した後の雑巾が最適でな…」
オルスボは少し俯き加減に声を落とした。
「あ、やっぱり馬小屋の雑巾だったんだ」
フロールがポツリと呟いた。
「いやいや、でも馬小屋の雑巾であることを差し引いても、すごいお釣りがくる大発明じゃないですか!」
メリルがオルスボを励ますように言った。そしてビジュアル面はどうあれ、このマジックバッグの性能であれば借金の申込みを受け入れることも、あるいはやぶさかでないと考え始めていた。
「しかしなぁ…」
「ご老人、他に何か問題でもあるのですか?」
ここまで黙って成り行きを見守っていたプエブロが、オルスボの意味有りげな態度に割って入る。
「実はなぁ、このマジックバッグ、時空を歪めちゃってるじゃろ?おそらく世の理としては存在してはならない物と言うかのぅ…」
「つまり…何ですか?」
メリルの問いにオルスボは申し訳無さそうに頭を掻く。
「なぜか副作用として、直接触ると生体エネルギーをごっそり持ってかれてしまってのぅ、普通の人間だと30秒も触れば死ぬ作りになっとるんじゃ。まあ、肌に触れなければ一応問題は無いんじゃが…」
良く見るとオルスボは浮遊魔法を使って、直接マジックバッグを触らないように手の上に浮かしている。
一同、無言でマジックバッグを見つめる。
けたたましい天気予報魔道具が破壊された研究地区の通りは、いつもより静寂が染み渡っているようだった。
本日の王都は晴れ、空気が乾燥していて澄み渡っている。
メリルは眩しそうに目を細めて空を見上げ、すーっと細く息を吐く。
何羽か鳥が青空を背景に視界を横切っていき、嗚呼、とても静かで良い天気だなとメリルは心の中で呟いたあと、空に視線を保ったまま言った。
「で、いくら欲しいんですか?」
オルスボを含め、メリル以外の全員が「えっ!?」と驚愕する声だけが、静まり返った研究地区の一角に響いた。