メガネ、メリケンサック、砂色のローブ
数時間後、コーヒープリン商会を引き上げたメリル達は、ネズミ横丁の住人らしからぬ身なりに生まれ変わり、意気揚々とした足取りで大通りを歩いていた。
「孫にも衣装というところでしょうか」
プエブロは指でクイッとメガネを位置調整をしながら言った。
視線の先にはショートソードとバックラーを装備したロメオがいた。
「プエブロは後でメガネのサイズ調整もしようね」
「それには及びません」
「どうして?」
「知的にメガネを上げる仕草には、相手を萎縮させる効果があるのです」
「……さようですか」
それにしても……とメリルはプエブロの姿を見て思う。
(執事服ってどうなんだろう……)
少年の体躯とは言え、見事に執事服を着こなすプエブロは、威厳すら感じるほど似合ってはいるのだが、どの角度からも長旅に出る冒険者には見えなかった。
(そして……)
真新しいメイド服を纏ったフロールが、浮かれた様子を隠そうと笑みを噛み殺す表情を眺めた。フロールはそもそもメイド服だったが、本人の強い希望で引き続きメイド服になり、せっかくなので仕立ての良い物と替えてもらっていた。
しかし問題はそこではない。
フロールの両手には服装に似つかわしくない、重々しい金属が装着されていた。ちょうど拳の前面になるように位置し、先が鋭利な4つの突起が付いている。
(メリケンサック、初めて見た……)
フロールがメリルの視線に気がついて、スカートをヒラリとひるがえしてメリルを振り返る。
「ご主人様、似合いますか?」
一瞬、メイド服とメリケンサック、どちらの事を聞かれているのか判断できなかったが、通常、似合うと言う表現は服装に対しての言葉なので、メリルは少し戸惑いつつも返事をする。
「うん、このメイド服も良く似合ってるよ」
「もうご主人様ったら、メイド服じゃなくてこっちですよ」
フロールは両手をグーにして口元を隠すような可愛らしい仕草を取るが、その手にはめられている金属のせいで、ファイティングポーズを取る裏街の喧嘩屋のようである。
「そっちかい!ていうかアクセサリー感覚なの!?……まあ、でも、うん似合ってるよ」
あまりにもメリケンサックを気に入っているメイドの様子に、メリルは否定的な見解を述べる事ができなかった。旅の道中、致し方ない理由で何かを殴らざるを得ない場面もあるだろう。きっとメリケンサックも大いに役に立つはずだ。たぶん。
メリルは自分に言い聞かせた。
「ありがとうございます!……あの、ご主人様も新しいお召し物、かっこいいです!」
フロールは憧れの先輩がイメチェンした時に、その変化にいち早く気がついて必ず称賛しなければと使命感に燃える、片思い中の女学生のように目をギラつかせながら、大袈裟にメリルを褒める。
「あんまりこういう格好は慣れないけど、長旅になりそうだしね」
メリルも年季の入った魔術師の黒いローブを脱ぎ、長旅に備えた様相になっていた。丈夫な帆布のシャツにズボン、水牛の革を使ったベストとロングブーツ、黒い外套を肩に掛けていた。
「カッコイイのかな?ここ何年かローブしか来てないから、服装については良く分かんないや」
「いいえ!森羅万象の群を抜いてぶっちぎりでカッコイイです!」
フロールがふしゅーっと鼻息を荒くしながら親指を立てる。しかしその手にはメリケンサックである。
「あはは、ありがとう。それにしてもビッケはあれでいいのかしら?」
「本人が気に入ってるなら、いいのではないでしょうか」
これから始まる旅の中で、幼いビッケに求める役割は少ない。
ロメオのように得物を手に戦って欲しいとは断じて思わないし、プエブロのように知略や交渉事を期待するはずもない。フロールのように皆の身の回りの世話をして欲しいわけでもない。
強いて言えば、簡単な手伝いをしてくれる、可愛い妹的ポジションであってくれれば良いのだが、しかしビッケもメリルに忠誠を誓う者の一人である。
「お姉ちゃん、ビッケ強くなった?」
ビッケは重騎士が身につけるような、フルフェイスの鉄製の兜を、面の部分を上に開けてかぶっていた。頭部に防御力を全振りした状態である。
ラジャによれば、ビッケに合うサイズの兜を探すのに相当な苦労をし、鎧の方はコーヒープリン商会をもってしても、とうとう見つける事ができなかったらしい。
「うんうん、強い強い」
足にまとわり付きながら見上げるビッケの頭にメリルは手を添える。そして鉄製の兜ごしなので遠慮なく、いつもより強めにガシガシと撫で回した。もっと何か別の役立つ装備があるのだろうが、下手に武器を持たれるよりは、防具の方がずっと安心して見ていられるので、メリルはそのままにしておく事にした。
一方、真新しい武器や防具を装備して浮足立っているかと思われたロメオは、意外にも神妙な面持ちであった。体つきに合った最適な武器をモルゾフに見立ててもらい剣と盾を受け取った直後は、確かに浮かれて武器を構えたりして遊んでいたが、その様子を見ていたモルゾフから次のように言われて、すぐに大人しくなった。
「これは、自分や仲間を守る道具であると同時に、相手を殺す道具です。これを手にする時は、その意味を良く考えるように」
それ以降、どこか武器を持つ表情は緊張しているような、少し凛とした風情に変わった。
「とりあえず、これで準備は整いましたね」
フロールが横を歩くメリルを少し見上げる。
「そうね、新しい馬車の用意に明日までかかるって言ってたから、今日はもう帰って、明日はお城に行ってレイド様にご報告しましょう。その後はキーン学院長とソフィア先生にも出発のご挨拶しなきゃ」
本当は食料や生活用品も入手しなければならなかったが、これらもコーヒープリン商会の好意で用意してもらえる事になった。重ね重ね世話になり通しになり、もうラジャに足を向けて寝ることが不可能になったとメリルは感じた。
このご恩はいつか必ずお返しします!と何度頭を下げても「大旦那様が死なない程度に帰ってくれば、それでいいですよ」と飄々とかわされてしまうのだ。
「じゃあみんなー!うちに帰ろー!」
1人の死霊使いと、4人のネズミの亜人の影が、そろそろ日の傾いてきた夕方の大通りに長く伸びていた。
不安では無いと言えば嘘になる。
遠く東の地は現在の魔王が封じられた土地で、その影響で人の脅威となる魔物が多く住む場所でもある。ある一定の地域までは、対魔族の前線として軍が駐留しているが、そこを超えて深い場所には、もはや人が住むことはできないとされている。
もしそんな場所で勇者が転生していたら。
そして、勇者転生の際に間者を紛れ込ませていた、リオーネル公国の事も気になる。
(考えても仕方ないか)
メリルは賑やかに前を歩く少年少女の後ろ姿を見て、脳裏にこびり付く不安を無理やり振り払った。無事に帰れる保証は無いが、無事に帰れないという根拠もない。
自分には4人の従者と、元冒険者のモルゾフ、そしてスカンビット王国&コーヒープリン商会という巨大スポンサーもいる。今は暗く考えるのはやめよう。
メリルは不安な気持ちを追い払うように意識して胸を張り、背筋を伸ばす。気合いを入れ直すように、力強く視線を前に向ける。
「ん?」
往来の激しい大通りの先に違和感があった。
人波に見え隠れしながら、旅人が好んで着る、乾いた砂のような色のローブをまとい、フードを目深にかぶった人物が立ち尽くしている。誰もが往来を行き来し、川の流れのように常に動きがある風景の中にあってそれは、一人だけ時を止めてしまっているように微動だにせず、こちらを向いてる。
「メリル様、どうかしました?」
ロメオが一人だけ遠くに視線をやるメリルに気づいて声を掛ける。
「いやなんか、あの人」
メリルがロメオを一瞥して、先の方を指差すが、再び視線を戻した時には、まるで人波に溶けて消えてしまったように、すでにいなくなっていた。一瞬の事にメリルは怪訝な表情になる。
「あれ?いない」
「どなたかお知り合いですか?」
「いや、知らない人だと思うけど……」
メリルは釈然としないながらも、大通りを横切り、ネズミ横丁に進んでいく一行の後ろに着いて歩いた。
その背中をフードの奥から鋭く見つめる眼光があった。
メリル達が遠ざかり路地の先に見えなくなると、砂色のローブは再び人波に溶けて、いつの間にか姿が見えなくなった。