アホ旦那、若き番頭、ツンからのデレ
「大旦那様ーーーー!」
プエブロに説き伏せられたモルゾフが落ち着きを取り戻し、大通りの騒ぎが一段落して、往来の野次馬たちが、再び散り散りに歩き出した頃、息を切らせて走り寄ってくる若者の姿が、遠くに見えた。
「大旦那様!ご無事ですか!?」
小奇麗な平民の衣服を纏った、メリルより幾つか年上の茶色い髪の青年がモルゾフに駆け寄る。
「ああ、ラジャ君。見ての通り私は無事だが、どうしたの?そんなに慌てて?」
ラジャと呼ばれた青年はモルゾフの無事な様子に安堵して胸を撫で下ろして息を就くと、スッと顔を上げてモルゾフを睨みつける。
「うちの従業員が道の真ん中で泣き叫んでる大旦那様を見たって言うから、こうして飛んできたんでしょうが!」
ラジャ青年は心から憤慨した様子でモルゾフを怒鳴りつける。メリル達は突然始まった状況が飲み込めないまま様子見守っていた。
「あははは、ラジャくんは心配症だな。確かに私は今しがたまで、この往来の真ん中で、独り天才の苦悩に打ちひしがれていたが、この人達のおかげで自分の進むべき道を見出したのだ!」
「ど、どうも……」
メリルはおずおずと一歩前に出て会釈し、改めてラジャの見た。
「あれ、あなたは……」
「おや、これは奇遇ですね。大旦那様のお知り合いでしたか」
メリルがラジャの顔を初めて見たのは数時間前、馬と馬車という人生初の大きな買い物に浮かれて、馬車の御者という肝心な部分を忘却している最中、初めての買い物で勝手が分からないメリルに、何くれとなく親切に接客をしてくれた店員こそがラジャだった。
「あなたはコーヒープリン商会の店員さん!?」
「はい、番頭のラジャ・カスタードと申します。先程はお買い上げありがとうございました」
ラジャは瞬時に顧客への接客スマイルになる。
「と、という事はモルゾフさんは……」
「はい、大旦那様の名はコーヒープリン・モルゾフ。我がコーヒープリン商会の会長です」
「えええええええ!」
コーヒープリン商会は王都でも指折りの優良企業である。その会長とはすなわち、王都でも指折りの大富豪という事になる。メリルは驚愕すると同時に、誰からも相手にされない研究を長年続けられる資金の出どころにも合点がいった。
「おのれ……コーヒープリンなどと名前まで不審者ではないですか……」
ロメオが口惜しげに言う。
先ほど、渾身の拳を軽くいなされた上、さらに優しく着地までさせられるなど手加減さえされてしまったロメオは、もはや金持ちという属性まで加わったモルゾフに太刀打ちする手段もなく、握った拳を震わせるしかなかった。
「私てっきり、モルゾフさんは研究職の魔術師だとばかり……モルゾフさん、すごい人だったんですね!」
一転、周囲から尊敬の眼差しを集めるモルゾフは首を横に振る。
「私は一介の求道者。メリルちゃんと同じ魔術師だよ」
「いや、大旦那様は商人ですから。経営者ですから。ビジネスマンですから。いい加減アホな研究はやめて仕事してください」
ラジャはじっとりとした非難の視線をモルゾフに送る。
「あはははは!我が商会には君という番頭がいるじゃないか。ラジャ君がいる限り、コーヒープリン商会は私が仕事しなくても大丈夫!……っていうか今アホって言った?ねぇアホって言わなかった?」
「言ってませんよアホ旦那様。ところで皆さん、こんな所ではなんですから、うちの店にいらしてください。ご案内します」
ラジャはモルゾフに背を向けると、打って変わって爽やかな笑顔をメリル達に向け、モルゾフを無視して先導してコーヒープリン商会へ歩き出した。
「ねぇ、今アホ旦那って言わなかった?ねぇ?……ちょっとラジャ君!?」
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「お話は分かりました。反対です」
ラジャは眉間に掛かった茶色の前髪を微動だにさせずにモルゾフを見据えた。
コーヒープリン商会の上客用の応接間。
各国の値段だけは張る調度品が統一感なく置かれているが、ここを訪れるであろう富裕層にとって部屋のセンスなどどうでも良く、高級品に囲まれ、それに相応しい自分という自尊心を満足させ、円滑に商談を進める事に特化した部屋である。
ここのソファはすごく座り心地がいいけど、ソフィア先生の執務室のように居心地が良いわけではないな、とメリルは思った。
無表情で対話自体を拒否するかのような態度を示すラジャの前に、グレートオーク材の立派な一枚板のテーブルを挟んでモルゾフが座っている。メリル達はモルゾフの横に連なって座る。
「東の危険地帯まで行ってゾンビ相手に商売してくるって正気ですか?」
「ゾンビ相手じゃなくて、ゾンビに困ってる人間相手ね!私の長年の研究がついに日の目を見るチャンスなんだよ!」
「商会はどうするんですか?大旦那様は経営者なんですよ?もしもの事があったら従業員はどうするんです?」
ラジャは商会の心配をしているようで、モルゾフの身を案じている事が、彼の言葉の端から伝わってきた。
話し合いはプエブロの提案から始まった。
こちらは馬車の手綱を取れるに、腕の立つ元冒険者が旅に同行してくれれば、これ以上の良策はなく、またモルゾフは食べても無くならない鳥肉で東の辺境のゾンビ対策に、自分の生涯を捧げた研究を役立てる事ができる。
メリル達とモルゾフの利害は、真っ二つに割れた皿をくっつけたように寸分違わず一致しているわけだが、商会の若き敏腕番頭であるラジャはそうはいかなった。
「商会はラジャ君がいれば大丈夫じゃない?」
ラジャの頑なな雰囲気に気づいていないのか、あるいは気にしていないのか、モルゾフは飄々として無邪気に商会の経営を部下に丸投げしようとしている。いや、今までも丸投げはしていたが、ラジャとしては「同じ王都にいるだけマシ」と考えていたので、危険な東の地へモルゾフが出向くというのには難色を示していた。
「大丈夫って……この際だからハッキリ言いますよ、魔術師なんて道楽はやめてください。荒唐無稽な夢を追いかけて、これ以上従業員を不安にさせないでください!会長の自覚を持ってください!」
10歳からコーヒープリン商会で小間使いとして働き、その頃はまだ多少、商会の仕事をやっていたモルゾフを近くで見てきたラジャには一つの確信があった。
一代で商会をここまで大きくしたモルゾフは商売において天才だ。これからさらに事業を拡大して雇用を増やし利益を産めば、世の中にもっと金を回せる。人々は幸せになり、国も発展していく。モルゾフはそれができる稀代の商人であるとラジャは確信している。
東の果てなどに行って、万が一の事があれば、しかもそれが妙な鳥肉を売りに行くなどと言う理由であれば尚の事、悔やんでも悔やみきれない事態になり得るのである。
「とにかく、行かせるわけには参りません」
ラジャは最後に念を押すように言った。
重苦しい空気が応接間に充満する。今回の件の提案側であるメリル達も、居心地が悪そうに二人を見守っている。確かにラジャの言う事には一理も二理もある。王都でも指折りの商会の会長を、御者に雇うなど非常識な話でしかない。
「ラジャ君は私の心配をしてくれているんだね、ありがとう。でもね……」
モルゾフは一呼吸置いて、商会をまとめる番頭として立派に育ってくれた、かつての小間使いの青年に柔らかな眼差しを向けた。
「私は一度たりとも、金の為に働いた事は無いのだよ。輸送の仕事を始めたのは、物資が途切れがちな辺境に困ってる知り合いがいたからだし、土地や建物の売買も、先祖からの土地を荒野にしたくないと近所の年寄りから頼まれたのが最初だし、建築だって昔の冒険者仲間に仕事を作ってやったのが始まりだ」
「それってつまり……」
「そう、私は困っている人の役に立ち……」
「ただの頼まれたら断れないタイプの人ですよね!?」
ラジャは食い気味にモルゾフを遮る。
「で、今度は馬車を頼まれて東の果てですか?どこまでお人好しなんですか!?」
「いやあ、まいったな」
モルゾフは困ったように眉を下げると、人の良さそうな顔で苦笑いをした。
ラジャは深く溜め息をつくと、ソファに深くもたれ掛かって天井を見る。この人はいつもそうだ。この顔で笑う時は、後は何を言っても暖簾に腕を押すように、こちらの説得などまるで要を得ないまま、のらりくらりとして、いつの間にか自分の意見を押し通してしまう。
少しの間沈黙が流れた。
「あー、もういいですよ……もう好きにしてくださいよ」
「ありがとう!ラジャ君!大好き!」
「気持ち悪いですね。ただし!メリルさん!」
不意に名前を呼ばれたメリルはビクッと身を固くしてソファから少し浮いた。
「は、はい!」
「商会としましては、失礼ですが中型の馬車と馬一頭で、我がコーヒープリン商会の会長を見送るなど、メンツに関わる事です」
「な、なるほど……たしかに」
「本日手配した馬車と馬を、最新の大型の馬車と選りすぐりの馬2頭に交換させていただきます」
「え……ええ!?いいんですか?」
「元の馬車でも旅は可能ですが、安全面で万全を期すための配慮でもあります。大旦那様には死なれては困りますので」
主の説得を諦めたラジャの切り替えは早かった。
ピンチをチャンスにできるのは、運と才能に恵まれた者だけだ。しかしラジャにとってピンチはピンチでしかないし、チャンスはチャンスだ。もし危機が訪れた時、それを逆転するのでは無く、どうやってイーブンな状態に戻すか、彼にとって一番重要なのはそこである。
商会の長であるモルゾフが、危険な東の地に赴くと言って止められないのであれば、商会の総力を以ってモルゾフの身の安全を確保する、これが最善であると考えた。
「それからコーヒープリン商会の持つ各地の輸送中継拠点に、あなた方の補給を全面的に支援するよう伝令を出しましょう」
「あああありがとうございます!」
メリルは、この若く聡明な番頭が神や仏のように見えた。五体投地で土下座したい気分であったが、自分の服より床に敷かれた、最高級品であろう織物の方が清潔そうに見えたので、深々と礼をするに留めておいた。
「ラジャ君、すまない。留守を頼むよ」
モルゾフはそう言って微笑むと「番頭が君でなければ、私は旅になんか出たりしないよ」と続けた。
「……またそんなこと言って……まあ、そこまでおっしゃるなら仕方がないですね。頼りない大旦那様の為に、私が万事切り盛りしてみせましょう。本当に仕方のない人です、大旦那様は」
ラジャは少し照れた様子でモルゾフから目を逸らした。
「ご主人様、これがあのツンからのデレというものでしょうか?」
フロールがメリルにそっと耳打ちをする。
「ええ、私も初めて見たわ……」
ヒソヒソと小声で話すメリル達の方を、照れ隠しの勢いでラジャが振り向く。
「ところでメリルさん、他にご入用の物はございませんか?」
「え!?……えーと、そ、そうですね。この子達の旅の装備を整えようかと思っています」
「なるほど、旅の支度と言えば武器や防具も必要ですね。当方で全て無償で、最高の物をご用意しましょう」
「いえ、さすがにそこまでしていただくのは……」
破格で大型の馬車と2頭の馬を提供してもらった上に、身支度まで整えてもらうのは、魅力的な提案だが、さすがに気が引ける。
「いや、メリルちゃん、私からも頼むよ。道中はどんな危険があるか分からない。最善の装備をさせてあげるべきだ。それに……」
モルゾフはロメオに視線を送り、語りかける。
「彼はしっかり学べば並の冒険者では歯が立たないほどに強くなる」
ロメオの瞳が強い意志を投影するように、わずかに揺らめき、モルゾフをまっすぐ見つめ、力強く頷いた。
その様子を見て、メリルは意を決したようにラジャの方を向き直る。
「それでは……お言葉に甘えさせていただきます。ありがとうございます!」
メリルは再び、深々と頭を下げた。