食事、家族、呻き泣く鳥肉
「ところで誰が馬車を走らせるんですか?」
王都ビットハイムの大正門近く、荷馬車の係留所でロメオは無邪気にメリルを見上げる。
長いマツ毛と潤んだつぶらな瞳、流れるような光沢のあるタテガミと強靭でしなやかな筋肉を毛皮の下に閉じ込めた、胴体から長く伸びる四肢。メリルはこの美しい獣の首筋を、微笑みながら優しく撫でているが、額には現実逃避しきれない汗が流れている。
ウマ目ウマ科、人はその動物を馬と呼ぶ。
メリルは一呼吸置いて、晴れ渡る空をゆっくりとした動作で見上げた後、
「しまったぁああああ!馬車を走らせる人がいないんだったぁああああ!」
と研究棟を壊した時でも見せなかった大袈裟な後悔を吐き出しながら、膝を付いて崩れ落ちた。
「ロメオ……できない?」
「僕ですか!?」
「だってロメオなんでも出来そうじゃん!」
「この間までネズミだったネズミ人間に何を期待してるんですか?」
「ですよねぇ……」
メリルはバッと立ち上がると、プエブロ、フロール、ビッケの方を振り返った。
ビッケ以外、目を合わせないように顔をそむけた。
「……ですよねぇ」
転生した勇者の場所を探知できる4人が口を揃えるのは、勇者は現在、東のかなりの遠方にいるという事で、長距離移動には馬車が欠かせないという結論から、ビットハイム市街地にあるコーヒープリン商会にて、馬一頭と中型の四輪荷馬車を斡旋してもらい、即金で金貨12枚を渡して契約が成立したのは、二時間ほど前の出来事である。
「とりあえず……手綱を取る事ができる者を雇うか、誰かに操作を教わらない事には出発できませんね」
プエブロがクイっ眼鏡の位置を整える。
「でも魔族がうようよしてる東の果てまで、好んで着いてくる人なんているんでしょうか?馬車の操り方を教えてもらうのも時間がかかりそうですし……」
フロールは頬に手の平を当てて困ったような仕草を取る。メイド服のエプロンがひらりと風に揺れている。
「うーん……困った……」
「ねえねえ、お姉ちゃん!」
難しい顔で考え込むメリルの服の裾をビッケが引っ張る。
「ん?どうしたの?」
「あのね、ビッケお腹空いた!」
そう言えば、先ほど正午の鐘が聞こえていた。
「そうね……ここで考えてても仕方ないし、お昼ご飯にしましょ」
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街中の大衆食堂は昼時とあって多くの人や亜人で賑わっていた。
「こういう所で食事をするのは初めてです!」
フロールはナプキンを膝に置いて興奮気味に辺りを見渡す。初めての場所に対する好奇心に顔がほころんでいた。
「みんな、僕が前に教えた通りするんだぞ。テーブルマナーは大事だからな」
ロメオが誇らしげに兄弟達に言った。
城から戻ったメリル達を待っていたのは人の姿に成長したネズミ達だった。皆一様に人間並みの知性を備えてはいたが、社会で暮らし行く為の常識には欠ける部分があり、それを補ったのが、城で短期集中型の人間教育を受けたロメオだった。
ロメオであれば多少の文字が読めるが、他の文字が読めない者に代わり、メリルがメニューから適当に料理を注文する。
「お料理楽しみ!」
ビッケがナイフとフォークを握ってテーブルを叩いてリズムを打っている。
「ビッケ、やめなさい」
プエブロが鋭い視線を向ける。
「人間の子供であれば、そういった行儀の悪い事はしません」
叱られたビッケは神妙な顔で素直にナイフとフォークを置き、両手を膝に揃え背筋を伸ばして座り直した。
人間の子供もするけどなぁ、と思いながらメリルはそれぞれ楽しそうに浮かれている4人を見渡した。ついこの間まで彼らはただのネズミだったのだ。主従であり、それ以上に親友である関係性に今も変わりは無いが、メリルはこれまでと少し違う感情を覚えていた。
(家族か……)
メリルの生まれ故郷には、メリルの下に10人の弟や妹がいる。みんな元気にしてるだろうか。いつか王都で出来た新しい弟や妹を、故郷の家族にも会わせたいなとメリルはぼんやり考えていた。
「ご主人様?どうかなさいました?」
丸テーブルの隣に座るフロールが、考え耽る主人の様子を気にして覗き込んできた。
「いやちょっとね、なんか家族みたいでいいなって思って」
その言葉にフロールの顔色がカッと赤くなる。
「か、家族というのはつまり……ご主人様が旦那様で私が……嫁でしょうか!?」
「あはは……私もどちらか言えば嫁がいいかな」
程なくしてテーブルに料理が運ばれてくる。
牛テールを柔らかく煮込んだシチューに厚切りのベーコンとジャガイモの炒めもの、ひよこ豆のトマトスープとパンが並んだ。
「おお~」
決して大それたご馳走という訳ではでないが、普段の食生活からすれば富豪の食卓にも等しい品々である。
「じゃあ、食べましょう!」
食事の前に「いただきます」言って神と生産者に感謝を述べるのは、文明的な種族の常識であって知性の象徴であり、これが言えない者は人格を侮られてしまい、目立たぬよう日陰を歩いていても衆人から石を投げられてしまう、ともすれば自宅に火などを放たれかねないと、大幅な拡大解釈でロメオから教わっている3人は、メリルの合図で胸の前で両手を組む。
「では、いただきます」
「いただきまーーーす!」
ビッケが獲物に襲いかかる猛獣の勢いで牛肉にフォークを突き立てて、口の中に運んだ次の瞬間、あんなにも騒々しかった動きがピタリと止まる。
「お、おいひぃ……」
とろけたような瞳から一筋の涙を流すと、ワナワナと震えたあと、再び怒涛のように食事を再開した。
「お姉ちゃん!パンが固くない!まだ途中のやつかな!?」
どうやらビッケの中では、いつもの石のように硬いパンが完成形で、柔らかいパンはその製造過程だと理解されているようだった。
「ビッケ、それがパンの真の姿なのよ」
「おぉ~」
ビッケはフニフニとしたパンの感触を確かめると、小さな口を大きく開いてパクっとかぶりつき「おいしい!」とニッコリ笑った。
「良かったね」
とメリルも笑顔で返す。
みんな嬉しそうに食事をする様子をメリルは満足そうに眺めた。惜しむらくは、支払いがレイド将軍からいただいた他人の金である事で、いつか必ず立派になって自分の財布から賄いたいと、ひっそり心に誓うメリルだった。
食べ始めてしばらく経った頃、少し離れたカウンターテーブルの辺りから、こちらまで届くような大声が聞こえた。
「この食べても無くならない鳥肉を使えば食材費の大幅なコストカットができるのです!」
「なるほど、帰ってくれ」
「この肉は私が数十年の心血を注いだ最高傑作なのです!」
「へぇそうなんだ、帰ってくれ」
「そう言わずに一度試してみていただけないだろうか!?」
「無理だ、帰ってくれ」
「百聞は一見にしかずと申しま……」
「百聞どころか一聞もしたくねぇよ、帰ってくれ」
聞き覚えのある声にスープを口に運びつつ、メリルはそちらに目を向ける。白い修道服を着た初老の男性の姿が見えた。ロメオもメリルの視線に気がついてそちらの方を振り返った。
「メリル様、あれはいつぞやの不審者では?」
「不審者って……モルゾフさん、鳥肉の飛び込み営業もしてるのね……」
人の心の奥底にある本能的な嫌悪感を刺激して止まない、ピクピク痙攣するピンク色の肉塊は、パセリに続いて世間から不評を買っているようだった。
「しかしですね……」
なかなか諦めの悪いモルゾフに、冷たくあしらうだけだった食堂の店主も徐々に苛立ちを隠しきれなくなっていた。
「俺の話聞こえてる?無理って言ってるよね?」
「いや、そこをなんとかお願いできないでしょうか?」
プツンと店主の血管が切れる音がメリル達の元まで届いた気がした。
「しつこい!そんな気味の悪い肉を客に出せるか!帰れって言ってるだろう!」
店主はまな板の上にあった肉切り包丁を手に取ると、モルゾフから少し距離のある位置で振り下ろした。もちろん当てるつもりなどなく、誰が見ても分かり易い脅しである。
「ひゃあ!」
しかしただの脅しもモルゾフには効果てきめんだった。刃を防ごうと、思わず手にした肉塊を前に突き出し、良く手入れされた料理人の包丁は肉塊にスッと数センチの切れ目を作った。
その瞬間、
ヒィィィィイイイイイイイ……!
肉の切れ目から地獄の底で嘆き悲しむ亡者の呻きのような不気味な音が漏れ出した。
店主を始め、様子を見守っていたウエイトレスや客、その場の全員が凍りつく。
「……こいつ、切ったら泣くの?」
「あ、言ってませんでしたっけ?切ったら泣きますし焼くと叫びます」
「帰れぇえええええええええ!」
そしてモルゾフは抵抗しつつ、店主と屈強な男性客数名に抱えられ、店の外に投げ捨てられるように追い出されたのだった。
席が離れていたのが幸いし、また普段ではありつけない豪勢な料理に集中していたため、メリル達はその騒ぎを一切関知せずに食事を終えた。
「メリル様、あの不審者追い出されましたね」
ロメオはすこぶる興味が無さそうに食後のお茶を飲んでいる。
「そうなの?見てなかった。それよりビッケ、お腹いっぱい食べた?」
「うん!ビッケもうお腹いっぱい!」
「そうかそうか、よしよし。じゃあ、そろそろ出ましょうか。馬車を買ったコーヒープリン商会に行って、御者が雇えないか相談してみましょう」
支払いを終え、食事に満足したメリル達は幸せな余韻を噛み締めつつ食堂を後にした。