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天降る光の渦に  作者: 紫子
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 起き上がると、わずかに風が吹いて、さぁと全身に霧のような飛沫がかかった。天から降り注ぐ雫は、先ほどよりもずいぶん細く見えなくなって、もうしばらくすると、晴れ間が訪れるのだろうという気配だ。ヘルメットはどこかでなくしており、調整機能を失ったスペーススーツは、所在なさげにぐったりしている。タユタはふと、この場所に生存に必要なものがそろっているのか不安を覚えたが、すぐに余計な考えは捨てることにした。木々や草花が生い茂り、雨の降り注ぐ星であるには間違いない。それに、見知らぬ星にたった一人、この先生き延びることは不可能に近いのだから、何を心配しようが変わらないはずだ。

(おれは、こんな楽観的な人間だったっけな)

 両腕を高く差し伸べて、深く息を吸う。甘やかな大気が肺の奥まで満たされて、身体が軽くなる心地がした。マスクやヘルメットを脱ぎ捨てるだけで、こんなに自由になれるとは、驚異的だった。刻一刻と死に向かいつつある故郷の星や、目指していたコロニーでは考えも至らないことが、ここではどうして、普通にやってのけられるのだろう。なぜ、誰もこの場所に辿り着けなかったのだろう……。

 空には、雲の切れ間から、うっすらと日の影が浮かんで覗いている。それは、タユタの星で太陽と呼んでいたものと同じなのかは分からないが、世界を昼に変える源であることはたしかだった。

 日と土と水があり、植物がそこかしこに育っている。ここは、生きた星だ。どこかに何らかの生命が……もしかすると、知能を持った者が存在するのかもしれない。タユタは、ゆっくりと歩を進めながら思案した。実際、二〇〇年ほど前からは、他の星系や、星間を漂泊するエイリアンの存在が確認されているが、互いに干渉するには至っていない。人類はコンタクトを試みたが、彼らはワープ技術に優れ、出会うことも難しければ、相手にもされないのが関の山だと聞く。人類が宇宙に新たな住処を求めたとて、そこがエイリアンたちの縄張り意識に触れなければ、さして影響はないということだろう。連邦政府も、彼らを無駄に刺激して、未知の危険を冒すつもりなどさらさらない。だから、もしここに何者かが存在していれば、タユタは人類で初めて、たった一人でエイリアンと対峙せねばならないことになる。それは、恐ろしいと思う反面、少しの好奇心が、胸の奥をざわざわと逆撫でするようだった。

 タユタは、耳を澄まして、川の流れや鳥の鳴き声を捉えることに成功した。ここには、生命が宿っている。そのような発見は思いのほか嬉しく、正体の分からない期待となって、タユタの足取りを早めさせた。

 木々がまばらになり、空が開ける方へと、緩やかな斜面をどんどん下っていく。人里とはそういう所に築かれるものだと、故郷の古い壁画を思い出しながら判断したのだ。オゾン層の脆い地帯ではドーム型の都市も多く、タユタの生まれ育った土地も、郊外とはいえ、シールドにしっかりと囲われていた。地表の大部分を占める砂漠や荒地は殺伐としており、そんな場所に、大昔の文化の名残が息を潜めている。幼い頃のタユタは、よく叔父のスクーターに載せられ、広大な静寂の中を冒険したものだった。砂煙の中に突如として現れる壁は、半ば埋もれ、浅い地下へと続く歩道がぽっかりと口を開けている。

「これは数百年も前の人々が、木や花を植えてこの星を守ろうとした証さ。『美しい緑の私たちの街』とでも読むのかな。この文章は」

 叔父は、脱いだヘルメットを小脇に抱えながら、目を細めて壁画を眺めた。それが、彼のいつもの癖だった。

「見てごらん。この時代はまだ、山脈が緑だった。そして、高いところから低地にかけて水が流れている。人里はこういう豊かな場所にあったのだ。だが、豊かなものほど、その源を失えば、消滅は一瞬だ」

 節くれだった叔父の指が壁画をなぞり、その部分だけ砂埃が払われて、色が鮮やかさをいくぶん取り戻した。タユタはただ、淡々と語る叔父の横顔を見ていた。

「綺麗な水や緑は、どこへ行ってしまったんだろう」

「科学的なことはあれはこれやと、何でも言えるさ。けれど、そんなものも、全ては大きな目に見えない理の中で起こっていることに過ぎない。それは、本当は我々の尊大な空想なのかもしれない」

 二人の佇む地下道には、一片の光が差し込んでいた。細かな塵が舞い、瞬きの間にどこかへ消えていく。タユタには、その様子が、宇宙の片隅に生きる、この星の住人たちの姿のように思えた。

 なおも、叔父は壁伝いに歩を進めた。タユタは、ひどくなる砂嵐に怯え、スクーターに戻れなくなると訴えたが、彼には、そんなことはどこ吹く風だった。

「この壁画にある時代のものは、何もかも、すっかり消えたのかもしれないし、見えなくなったのかもしれない。それで良いのだ。禁断をこじ開けた代償は大きい。何事にも絶対はないのだから」

 悲鳴にも似た、細く高い風の音が、地下の重苦しい空気を劈く。タユタは壁画から顔を背けるようにしながら、足早に叔父を追いかけた。この場所は恐ろしい……。世界の終末を突きつけてくるような気がするのだ。そして、叔父は全て見通している。誰もが予感を回避しようと必死に道を探す中、諦観の眼差しで明日を見据えていた。

(おじさんがはみ出し者なのは、だからだ)

 テロリストの末裔と呼ばれることを恐れ、世間に迎合する一族にあって、彼は颯爽としていた。それは少年の目には魅力的にも映ったが、空恐ろしい何かを纏っていることも、同時に感じられた。

(あの時代はまだ、山脈が緑だった。高いところから低地にかけて水が流れていた。人里はそういう豊かな場所にあった。しかし、豊かなものほど、その源を失えば消滅は一瞬である……)

 かき分けてもかき分けても、生い茂る草花は途切れない。岩の割れ目から、こんこんと湧き出て滴る清らかな水が、この星を充して命を育てているのだ。失うことなど、絶対にありやしないとでもいうように、全てをしっとりと包み込んで。降り注ぐ大小不揃いな雨粒は、視界を覆う霧の帷を払い落とし、タユタを先へ先へと導いた。

 突然、鬱蒼と茂った木々のアーチが途切れ、色とりどりの光を湛えた、乳白色の空が広がった。その下には、向かいの山の裾野から平地にかけて、盛土のようなものが点在している。それは、とても不思議な光景だった。タユタの育ったドームよりも、もっずっと小さい構造物。何千、何万分の一ほどに小さいもの。

(あれが、この星の住人の居住区なのだろうか……)

 恐れのような感覚が、ぞくぞくと背中を駆けた。未知との遭遇が、すぐそこに迫っている。

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