第2話 ストレンジテイル (水沢ながる)
勤め先の喫茶店は、霧音の住むアパートからは電車と徒歩で30分程度の場所だ。夢見が悪かったせいか、霧音は今日は少しだけ遅刻気味に家を出ていた。
(急がなきゃ)
駅までの道が、自然と早足になる。
ギリキリで滑り込んだ電車の中で、霧音はいつものようにネットニュースをチェックした。S市の山中で行方不明になった人の捜索は、まだ続いているようだ。正月返上で捜索するのも大変だが、そろそろ捜索も打ち切りになるそうだ。
……平穏な新年が迎えられる人ばかりではない。そう思いながら、霧音はスマホをカバンにしまった。
新年になったばかりとは言え、新宿の街には人が溢れていた。初売りのセールに行く人とか、年始の休みを利用して観光に来た人とか、霧音のように仕事に行く人とか。
霧音は都会が好きだ。こういう色んな人々が雑多に入り混じった光景が。様々な人が行き交う場所は、自分のような他の者とは少し違った個性を持っている人間でさえ、静かに受け入れてくれている気がする。
違う人格を内に秘めているとか、女性の姿をしているとか、そういうことを気にせずに存在していていいのだと、この雑多な人混みは示しているように思うのだ。
だけど。
(またいる)
人混みの中にいるのは、人ばかりではない。
人の波に混ざるように、黒い「何か」がするりと通り過ぎて行った。あるものはするすると人の間を抜けて行き、あるものは人に覆いかぶさるようにしがみついている。
(見ないふり、見ないふり)
「それ」が見えていたのは小さな子供の頃からだったが、女性の格好をするようになった時期から一層はっきりと見えるようになったように思う。
何なのかはわからない。だが、「それ」が良くないものだということだけは直感的に理解していた。見えてはいるが手出しすることは出来ない霧音は、見て見ぬふりをするしかない。
早足でその場を立ち去ろうとした霧音の視界の隅に、異様なものが写った。
(……何あれ)
それは、漆黒の衣を纏った僧に見えた。他の者より頭一つ抜き出る程に大柄だ。丸い笠を目深にかぶり、人々の行き交う真ん中に仁王立ちしている。屈強な雲水と言った雰囲気だ。
だが、そんな目立つ出で立ちでいるのに、誰もその雲水に目もくれようとしない。そこにそんな人物がいることすら気づいていないようだ。ちょっと珍しいものがあればすぐにスマホのカメラを向けるような者もいそうなものだが、そんな者も一人もいない。
さらに。
その雲水は、何とも言えない禍々しい雰囲気を全身から放っていた。黒い「何か」と同質の、だがそれを何倍にも濃縮したような、気配。
(見えてない、見えてない!)
関わったら絶対ヤバい。霧音は急いで雲水から視線をそらし、逃げるようにそこを立ち去った。
霧音は知らない。
その雲水が、霧音の方をじっと見ていたことを。
笠の下で、片方の唇をキュッと上げるようにわずかに笑ったことを。
「おはようございまーす」
霧音は職場である喫茶店のドアを開けた。
「おはよう。少し遅かったね、霧音」
「ちょっと夢見が悪くて。……で、伯父さん、いいネタはありました?」
ロマンスグレーを絵に描いたようなダンディな伯父の手には、一冊のノートがある。
「いやあ、なかなかだね。ネットでよく見る怪談や都市伝説の焼き直しのような話も多い」
──新宿の繁華街から少し離れた場所にひっそりと建っている、洋館風の造りの喫茶店。その名を「ストレンジテイル」という。
一見普通の昔ながらの喫茶店に見えるが、店の中には怪談、怪奇小説、SF、幻想小説、ミステリといったジャンルの本が並び、さながらブックカフェといった趣だ。だが、この店が変わっているのはそれだけではない。
この店では、奇妙な話、不思議な話、怖い話を料金として支払うことが出来るのだ。
もともとこの店の店主である霧音の伯父・志乃河創一郎は作家であった。彼は自分の作品の参考として、多くの人から変わった話を聞くのを常としていた。
だが、身の回りの人から話を聞くだけでは、すぐに話は尽きてしまう。それで創一郎はこの店を開き、不特定多数の人から奇妙な話を聞き取ろうと計画したのだった。以前からコーヒーを淹れたり料理をしたりするのを趣味としていたし、いい雰囲気の店を居抜きで譲ってもらえる伝手もあった
こういう動機でやっている店なので、当然経営はどんぶり勘定だ。霧音がいなければ、とてもじゃないがやって行けないだろう。
ちなみに、ノート1ページ分の奇妙な話を一つすればコーヒーのサービス券を1枚、3ページまでならケーキの券、5ページ以上の長い話になると軽食の券がもらえる。
「まあねえ、そうそうおかしな話なんて転がってないですよねえ」
軽薄そうな声が、カウンター席の方からした。
「あら、いらしてたんですか、鷹野橋さん」
鷹野橋と呼ばれた青年は、にかっと笑って霧音に手を振った。霧音はそれをごく自然にスルーする。
この鷹野橋智也という男はこの店の常連で、オカルト雑誌の編集者をしている。ネタ元としてこの店に集まる怪談・奇談の類を目当てに通っている……と本人は言っているが、同時に霧音目当てでやって来ているのは誰の目にも明らかだった。無論、霧音はまともに相手にはしていない。
「鷹野橋さん、こちらのネタを漁るばかりじゃなくて、たまにはこちらに話を落としてくれてもいいんじゃないですか?」
霧音の言葉に、鷹野橋はにやりと笑った。
「その言葉を待っていましたよ、霧音さん! 実は、取っておきのネタがあるんですよ。現在絶賛取材中の奴がね」
「それ、うちで話しちゃっていいの?」
創一郎のツッコミも何のその、鷹野橋は自分のスマホを取り出した。画像を表示させる。
「知り合いに、アマチュアの考古学者がいるんですけどね。そいつがこれをメールで送って来たんです。……それっきり、そいつとは連絡が取れなくなったんですけど」
スマホを覗き込んだ霧音は、凍りついたようにその画像から目が離せなくなった。
「不気味でしょう? 僕はこれを『日本版カタコンベ』と呼んでるんですけど」
鷹野橋の声をどこか遠く聞きながら、霧音は画像を凝視していた。
石室のような部屋。
光に浮かび上がる無数の髑髏。
散乱する骨、骨、骨。
それはまさしく、霧音が夢で見た光景だった。
「これは……どこなんですか?」
霧音の問いに、鷹野橋は頭をかいて答えた。
「それが、よくわからないんです。これを送って来た知り合いは、さっきも言った通り音信不通で。S市在住なんですが、あちこち飛び回って発掘とかしてた奴で」
「そうですか……」
画像を見た時。
霧音の脳裏に、はっきりと運命的な予感が閃いたのだった。
──私は、ここに行かなければならない。




