第七話 御剣充希 2
土砂降りの雨に打たれながら歩くこと二時間。雨は上がり一つの村が見えてきたころにはすっかり日は落ちていた。
とても栄えているとは言い難い村の状態だったが、大きな荷馬車が五台ほど止まっていた。
誰かいないものかと左右を見渡せば、丁度家の陰から一人の男が歩いてくるのが見えた。茶髪で無精ひげが生えており、体格としては中肉中背の中年だろうか? 全体的にだぼっとした服を着ている。
「すみません。道に迷ってしまいまして、ここがどこなのか教えてもらえませんか?」
男は怪訝そうな顔で充希を頭の先から足の先まで視線をめぐらした。コイツがどういった人間なのか、どれほどの身分なのか、どういう対応が正しいのかを男は瞬時に色々な可能性を立て始めた。
(どこかの軍服か? いや、貴族という線もあるか。このなりで盗賊は――ないな)
小太りの男はびしょ濡れだが、着ている服は上質な布をふんだんに使っているのがわかる。このクラスの布地を仕入れるのなら金貨十枚は下らない。それを仕立てる職人の費用などを考えてもこの服の形を作り上げるまでに金貨五十枚はするだろう。
(この装飾に使っているボタン。もしこれが金を加工して作られたボタンなのならこの服の価値は大金貨一枚以上はするだろう。さて、ここは穏便に話を聞きだしていくか)
「ここは、ナリウ村ですよ。先程の雨に打たれましたか。」
「はい。おかげでずぶ濡れになってしまいました」
「災難でしたね、よかったら私が借りている宿で風呂を借りれるか交渉してみましょうか?」
「え、よろしいのですか! いやーありがたい。こっちのお金を持ち合わせていなくて正直どうしようか迷っていたんですよ」
充希は心底嬉しかった。誰も知らない世界に来て初めての第一村人に興奮しながらも、全身ずぶ濡れで体の芯から凍えている状態な上に腹まで空いていたからだ。
「そうですか。ああ、自己紹介が遅れましたね。私は商人をしておりますテドロと申します」
「商人のテドロさんね。僕の名前は御剣充希といいます。よろしくお願いします」
充希はテドロの前に手を差し出したが、テドロはその手を見ることなく充希をまじまじと見ていた。
「御剣様ですか」
充希は察した。これは勘違いされていると。
(聞いた感じだと、この国は絶対王政だ。ということは、貴族という階級も依然存在するはず。そこに苗字を名乗る人が居たらどうだ? 貴族と思われるのではないか? 変な勘違いを起こされる前に訂正しないと!)
「あ、いや、充希でいいです! ただの充希です!!」
「……わかりました。では充希さん。宿屋に案内しますので私の跡についてきてください」
充希はテドロに案内される形で歩き出した。
「この辺りは食糧不足で大変なのです。何度も何度も種を負けじと植えていたのですが芽が出ることなく大地は荒れ果て砂漠化している所も出ているとか」
(飢饉か。戦国時代も小氷河期と重なってひどい食糧難で領地の切り取り合戦が一世紀も続いたらしいからな。今いるこの場所も戦火に焼かれることになる可能性がないとは言い切れないか……)
充希は戦国時代を舞台にしたゲーム・戦国〇双が好きでよく兄弟で全国統一した経験がある。それが発端となり日本史や世界史が好きだ。ただし、日本史は豊臣秀吉が北条氏を滅ぼし、日本統一を終えたころまでである。
「この国は大丈夫なんですか?」
「大陸の東にある帝国は常に侵略戦を繰り返していると聞きますが、このアルベン王国ではききませんね」
「そうなんですか。きっとこの国の王様はとても聡明でやさしい方なのでしょうね」
「ええ、とてもやさしい方です。だからこそ私はこの国で古くから商売をさせていただいております。付きました。ここが宿泊している宿です。少し聞いてきますのでお待ちを」
古びた木板の外壁に丸みを帯びた瓦が乗っている宿屋・一休み亭と書かれた建物のドアを開け中へと消えていった。
残された充希は村の様子を冷静に分析し始める。
家に使われている素材は木の板か土を塗り付けた壁。屋根は木の皮を使っていたり、窓は木で出来ているし、道路は舗装されていない。
「なんというか。本当に何でもかんでも古い感じだな。文化レベル的には中世といったところかな? ん?」
テンポのいい足音が宿屋の裏手から聞こえてくる。充希はその音が気になり宿の裏手に回る。そこには茶髪でポニーテールの少女が短剣を片手に舞っている。
太陽が沈み代わりに満点の星と月の光だけが、彼女を照らしていた。
(うん。綺麗な舞だけどまだまだ改良の余地があるな)
しばらくの間、彼女の舞を見ていたら、動きを止め深呼吸して、
「アンタ誰。勝手に練習風景覗き見ないでくれる?」
ポニテ少女は充希に気が付くとキッと睨みつけて威嚇した。
「あ、それはその、すみませんでした」
「じゃあ、もうあっち行って、気が散る」
「わかったよ。でも一つだけいい?」
「なに?」
「今の舞だけど、キミは舞い慣れてないのかな?」
それが充希の感想だった。彼女の舞を見て綺麗かな? とは思いはしたが美しいとは思わなかった。だからこそ、踊りなれていない。または、始めたばかりかと思ったからだ。
「ハァ? アンタに何がわかるのよ。これは私が一番得意な舞よ! 適当なこといわないでよね!?」
「え、あれで?」
「アンタ喧嘩売ってるの?」
「いや、あの程度の舞なら僕でもできるよ」
平然と躊躇することなくそう答えた充希にポニテ少女は頭に血が上った。
それはもう瞬間湯沸かし器並みにだ。
「アンタ、その言葉――本気で言っているのなら、今すぐその口を閉じな。でなけきゃ、痛い目をみるわよ」
「そんなに怒らないでよ?! ちょっとまって!」
座った目で短剣を構える少女に慌てた充希はちょうど足元に転がっていた木の枝を拾い上げた。
「じゃあ、見学していたとこだけだけど、舞ってみるよ」
「アンタには――」
充希の舞が始まった。さっきまで彼女が舞っていた舞を――
「……」
ひとしきり舞った充希は呼吸を整え彼女に向き直った。
「と、まあこんな感じなんだけど。このモーションの時、顔の表情は男を魅了する感じで妖艶に、手の角度も少し上気味に、それから次のモーションで足を上げるでしょ、その時にもっとしっかりと足を延ばすように気おつける――とまあ、こんな感じかな」
充希が指摘した部分を聞いて彼女はプルプルと小刻みに震えていた。彼女の頭の中では三つの感情がせめぎ合っていた。一つ目は怒り、二つ目は嫉妬、三つめは尊敬だ。まだ精神的に幼い彼女では自分がかけてきた時間を見ず知らずの小太りの男に少し舞を見ただけで覚えられ実践され指導までされてしまい。彼女の頭の中は受け入れたくない現実で一杯だった。
「な、なんで、アンタみたいな豚に指導されないといけないのよ!」
そして、耐え切れなくなった彼女はそのまま走って宿の裏手からいなくなってしまった。その背を物悲しく見送る小太りの男。
「あらら、うーん。またやってしまった」
充希は高校で演劇部に所属していた時のことを思い出していた。
幼少の頃、カックィーレンジャーという戦隊ヒーローに憧れ、大人になったらカックィーレッドになる! そう志した。小さい頃の夢である。それを俳優の父親に言うと
「そうか。よーし、じゃあ明日から練習だ!」
父親となぜか戦うことではなく演技力を鍛えられ始めた。
色々な人を演じてきた父親。もちろんスーツアクターも経験していた。戦隊ヒーローではなくライダーの方だが。
学校が休みの日は演技をしている稽古場にもたびたび遊びに行けるようになり、その度に彼の見る目は肥えていった。常に一流と呼ばれる俳優や女優の演技をまじかで感じていることが、逆にあだとなってしまう。
充希はわざわざ演劇部がある高校を選んだ。この頃はまだ、演じることが楽しいと思えていたから。
そして、入部して初めて演劇部の演技をまじかで見て絶望した。
演技力のなさ、先生のやる気のなさ、真剣みのなさ、それらに驚きを通り越して呆れてしまったが、一年ながらも頑張ってバックアップし、上級生への演技指導も関係なく行った。
偏に最高の劇を作り上げたいという強い情熱しかなかった。
だが、その情熱についていけないと充希を除く十八名の部員が全員退部してしまい、演劇部は廃部となってしまう。
充希しかいなくなった演劇部の教室で一人彼はさみしく泣いた。
それから彼は情熱を捨てた。人に期待することをやめた。人を指導することをやめた。
「探しましたよ、充希さん」
目の前にはいつの間にかテドロがいた。
充希はナイーブな表情を浮かべながらもにこやかに笑った。
「あ、テドロさん。もしかして見てました?」
「ええ、あの踊り子はターニャ。歳は十四になったばかりですが負けん気が強く、努力家ですがいささかへそ曲がりでして」
「ああ、気にしないでください。うちの妹もあんな感じですから、慣れていますよ」
「それにしても、女性の舞を男性が踊れるとは、いいものを見せていただきました」
しみじみとテドロが口にした。
本来、舞は女性が躍るものであり、男性は奏者に回るのが一般的であった。
「いや、お恥ずかしい」
「充希さんは舞の指導をなされていたのですか?」
「いえ、違いますよ。僕は一度見たものは瞬時に覚えてしまうクセがあるので、それを活用して再現しただけです」
なんてことない事だと彼は言うが、普通の一般人からしたら冗談のようなはなしである。それはテドロも同じであったらしく。やや興奮気味に口を開く。
「再現って、あれはどう見てもターニャ以上の舞でしたよ」
「そうでしょうね。彼女が気づいていない部分を補って僕なりにアレンジを加えて表現しましたから」
「・・・・・」
見て覚えた上にそこにアレンジまで加えて舞って見せたという充希にテドロは末恐ろしさを覚えた。
「ターニャちゃんはこれからもっと表現力を磨いてさらに研ぎ澄ますことが彼女にとっての大きな成功の鍵ではないかと僕は思いますね」
「それほどですか?」
テドロは聞かずにおれなかった。もし、ターニャがそれほどの才を持っているのなら今のうちにスポンサーになっておこうという腹積もりだ。
「まあ、どうでしょうね。この国一の踊り子程度ならなれるのでは? ところでテドロさん」
「なんでしょう?」
「お風呂借りれる感じですか?」
「ああ、そうでした。はい、借りれますよ!」
「じゃあ。お借りします!」
「わかりました。では、案内しますね」