第二話 ボルトール家の決断
夜の帳が王都におり始めた頃、ウェダは所有している屋敷の自室で短い手紙といくつかの書類仕事を終えて時間を見た。
そろそろ、夕食の時間である事に気付いたウェダは、机の上を片付け始める。
三回のノックにウェダは「どうぞ」と声をかける。直ぐに扉が開き老執事が頭を下げる。
「旦那様、夕食の準備がととのいましてございます」
低音の低い声が部屋にいるウェダに声をかける。
「わかった。ガゼル、もう全員そろっているか?」
「はい」
「では行こうか」
ウェダは立ち上がり食堂へとガゼルを引き連れて向かった。
食堂にはすでに彼の五人の男女がが席に着きウェダが来るのを待っていた。
食堂の中央に置かれた長テーブルには扉側を下座に年少者、上座に年長者が座わっている。
ウェダはその上座、全員を見渡す位置に座る。いつもの様に左側の席に男が二人、右側に女性が三人ウェダを見ていた。彼らはウェダの養子達である。
「では食事にしよう」
メイドや執事が給仕を始める。全員の前に料理が置かれていく。
その光景を見ながらウェダは思った。五十年前ならあり得なかった事だ。
まさか自分が多くの使用人を抱え責任ある立場になるなんて思ってもいなかった。
ウェダ・ボルトールには将軍職の他に貴族としての階級も国から貰っている。
騎士爵から始まった彼は今、西側にある国との国境を守る辺境伯爵にまでなり上がっていた。
将軍職との兼用は難しいため、領地の経営は信頼できる家令にまかせ近衛将軍としての任を難なくこなしている。
「どうかなされましたか父上?」
右側の上座に座る初老の金髪の髪を撫でつけた男が食事の手を止めてウェダを気遣う。
名はアムス・ボルトール
性格は真面目で実直。ウェダに憧れ騎士に成ろうとしたが、足を負傷し文官となった。今ではこの国の財務大臣となっている。
「ああ、少し考え事をな」
「オヤジが考え事とは……明日はきっと雨だな」
アルスの隣に座る赤い髪を短く刈り上げた男が真顔でそんな事を呟く。
彼の名はガムド・ボルトール
物怖じしない性格で本能で生きている様な男。思った事をはっきり言うため上司に嫌われ、出世が遅れたが兄貴肌の為、部下には厚い信頼がある。先の大戦で昇進し、アルベン国第五師団団長となった。
「ガムド! 貴方、お父様になんて口を叩くの!」
ガムドの物言いにウェダの左側に座る栗毛でセミロングの女性が声を上げた。
彼女はマチルダ・ボルトール
正義感と責任感が強く、ウェダに強い憧れを持つ女性。ウェダをかげながら支えるために文官になり、目論み通りウェダの秘書官になる。
「もう、ガムド兄さん。お父さんにそんなこと言っちゃいけません」
ガムドの向かって左側に座る亜麻色の髪を肩辺りで切りそろえた。まだあどけなさの残る少女。
ライラ・ボルトール
幼い頃から利に聡く、時に残酷な判断であろうと断行する。決断力にウェダが目をつけ、とある商会に奉公に行かせた。三か月後、その商会はこの国から無くなった。ウェダが行わせたのは賄賂や横流し加え脱税の調査だった。その後さらにあくどい商売をしていた商会をもう何十店舗か潰し、三年目に彼女は商会を開く。そして現在、この国有数の大商会【ライラのお店】の会頭となっている。
「うるせぇ。腹黒ライラ」
「聞き捨て成りません! わたくしライラはガムド兄さんに先程の言葉の撤回を求めます!!」
「いやだね」
「もうもうもうもう! クレアお姉様、ガムド兄さんがわたくしを虐めます!」
「それより父上。今日はどういった用向なのでしょう?」
「それよりって! そんなことよりって!? あんまりです!!」
女性陣の真ん中に座る赤い髪を頭の後ろで纏めた女性が口を拭きながら、ウェダを見つめる。
「よもや家族で食事がしたかったから。と言う理由ではありますまい?」
少し口調がキツイ彼女は、クレア・ボルトール
幼い頃は、おとなしい性格であまり我儘を言わなかったクレアだが、剣と魔術の腕はそれなりにあった。なのでアムスとガムド、ライラと共に訓練しこの国の兵士になった。ウェダと共に小競り合いの戦争に何度も駆り出され始めた頃から彼女の性格がガラリと変わり始め……今のキツイ性格になった。
三つの大戦にも参戦しており、その異常な功績により彼女はこの国始まって以来の女将軍となる。
「そうだな。それだと気が楽だったんだけど……今日集まって貰ったのは俺がそろそろ家督をアムスに譲ろうと思ったからだ」
緊張感の欠片もなく放たれた言葉に、アムスはウェダの顔を見て固まり、隣に座るガムドは我関せずを決め込み食事を継続して、マチルダは今にも泣きそう、クレアは目を瞑り腕を組みコクコク頷き、ライラはガムドを見習ってか食事を続けていた。
暫しの沈黙が食堂を支配する。
「ちょ、ちょっと待ってください。父上! 私にボルトール家を継げと言うのですか?!」
沈黙を破ったのはアムスだった。ようやく化石化が溶けたようだ。
「ん? なにか問題でも?」
「問題大ありです父上」
「なんだ。あれか、実子じゃないから継げませんとか言うのか?」
「ーーーーっ」
反論に使おうとしていた言葉を先にウェダに言われてしまい、言葉を飲み込んだアムス。
「アムス兄上。父上の考えを先に聞きませんか? それから決めても遅くは無いでしょう。それに、アムス兄上が継がないのであれば私がボルトール家を継いでも良いですよ」
更なる爆弾をクレアが叩き込む。それに意をとなえたのはガムドであった。
「どうしてお前になるんだよ。普通オレだろ!」
眩しい笑顔に白い歯を輝かせ、親指を立ててドヤ顔のガムド。
「「お前にボルトール家を任せられるか! 引っ込んでろ!!」」
アムスとクレアに一括され小さくなるガムド。
バンと机を叩く音と共にマチルダが声を上げる。その顔には不安の色が出ていた。
「失礼を承知で申し上げます! お父様。なぜ家督を譲る決断をなさったのです?」
「ははは、クレアそんなに怒ってやるな。マチルダ今からそれを話そうと思っていた所だ。皆聞いてくれ。別に俺が一代で立ち上げた家名だその後潰そうが落ちぶれようがかまわないさ。ただ、俺が死んだ後跡目争いに成ったりしたら領民に迷惑がかかるだろ? だから早めに跡目を決めておこうと思ったわけだ」
「……オヤジが死ぬとか、冗談やめてくれよ。殺しても死なないだろアンタ」
「ほお、お前と意見があるとは珍しい事もあるものだなガムド」
「それには同意だな。父上が死ぬなどありえん」
「話の腰を折らないでガムド。まあでも殺しても死なないには同意するけど」
「お父さんは無敵なのです! きっと心臓が十個くらいあります」
「おいおい。なんだその評価は、俺だって人間だぞお前達と同じ心臓一個、頭一個の人間だ。毒を盛られりゃ死ぬし、心臓を抉られりゃ死ぬし、頭を吹き飛ばされりゃ死ぬ。脆く儚い人間だ。なぜ俺が跡目の事を気にしているかだが、俺が今月末に死ぬからだ。正確には殺されるだろう。だから今決めておこうと思ったのさ」
ウェダの腹を決めた一言が只ならない事だと、肌で感じた五人の顔が強張る。再び黙ってしまった五人をウェダは眺めた。彼らの眼に不安の色が見て取れた。
「……父上、一体誰がそんな事をしでかそうとしているですか?」
厳しい顔つきになったアムスが意を決したように口を開く。
「ガウゼンだ」
「なぜ、ガウゼン王が大恩ある父上を殺すのです!?」
ガウゼンとは長い付き合いのウェダ。命を助けた事もあり、負け戦では殿を務めあげ、更に劣勢の状態を覆し勝利した事もある。今の王国が領土を広げ西の大国とまでに呼ばれるまでになった背景には必ずウェダの存在があった。
周辺諸国ではこの国の王はガウゼン・アルベン・ハルンベランではなくウェダ・ボルトールであると言う者もいる。
「あー、アニキ。オレは思い当たる節が一つある」
「私もよ」
「今日もガウゼン王と口論になっていましたものね」
「精霊の剣ですか」
「そうだ。ガウゼンは精霊の剣を泉に返す事を渋っているんだ。説得はしてみたがあれは良からぬ事を考えている時の顔だった。アイツは自分が切れ者だと思っている節がある。まあ、毎回のこだが……アイツは要らぬ手を打って窮地に陥る愚か者だ。その一歩として俺を殺すのさ。正直に生きていればアイツも征服王として名は残っただろうに」
「何と愚かな……」
「ガウゼンのおっさん詰んだな。今までオヤジをのけ者にしようとしてすっ転んだ事が何度あったか」
「少なくとも私は、五回以上はあると記憶しているな」
「その度にお父様が機転を利かして立ち回っていなければこの国も今の生活は無かったでしょうね」
「お兄様方もお姉様方もおじちゃんの悪口話ダメだよ。お父さんの国を一時預かってくれてるんだから。ねえ、お父さん。いつおじちゃん追い落とすの?」
その言葉に全員が固まる。そして全員が思った。やっぱりライラは腹黒だ。
この空気を変えたくてウェダは咳払いをして、言葉を続ける。
「まあ、俺も死ぬ気はない。まだ孫も抱いてないしな。お前達も知っているだろう? この国は八つの国を併合、五つの国に割譲させている……そして最もこの国に恨みを持っている国を……そう、かの国は俺が死んだと成れば、直ぐに本性を現し削いだ牙で、接している我が家の土地に食らいつくだろう――いや、確実に食らいついてくる。更に他の国もそれに習い、国境に面している領はことごとく攻め落とされ王都へと進軍してくる。そうなれば今の国軍では、対処しきれぬ。故に出鼻を挫く! ガムドお前は三日以内に領に戻り軍備の手配、その二日後にクレアとライラ、ガムドはクレアが到着し次第、指揮権を渡しその補佐に着け、ライラは商人の伝手を使い食料の用意と武器の調達を開始しろ。最後にアムスとマチルダが領に戻り戦に備えよ……約定を反故にし、我の逆鱗に触れた愚か者に情け容赦は無用! 攻め入ることごとくを殲滅、蹂躙し我が家名、ボルトールの名を国中に轟かせよ!!」
「「「「「はっ!!」」」」」