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『不可思議な美』

『不可思議な美』


陰湿な空気が漂っているように思う自分の部屋に僕一人いて、窓は全て閉ざしている。閉ざしてはいるが、部屋は明るい。それは電灯が部屋を照らしているからだ。電灯の色が薄く青いので、部屋全体が、白を基調とした壁で囲まれていて薄く青い。部屋の中には、本や、CDや、机やベッドや、色んなものが乱雑に所狭しと置かれていて、僕は僕の部屋にあるこれらの物品を、僕のものだと自覚するのに、時々時間を要する。無意識に虚空を彷徨う視線の位置が不確かになる。買ったのか、買い与えられたのか、今の僕に必要なものか、不必要なものか、その理解に物品を見ては苦しむ。しかし、理解に苦しむとはいっても、こんなことに、苦しむ必要はなくて、どうでもいいことで、しかし、僕は何故か、この理解に苦しむことが、必要なことであると思い込んでいる。この理解に苦しむことがなくなれば、僕は一生、何かを理解することが出来ないのではないかという不安や恐怖が募る。しかし一方では、どうでもいいことを苦しもうとしているのは、一体誰の為かわからず、自分のためになるかもわからず、この苦しみを放棄したら、どれだけ心が楽になるのだろうと思う。けれど、その、言わば不易の苦悩の原因の一端は、社会にあり、また他の原因は自分にあり、家族にあり、友人にあり、学問にあり、道徳にあり、法律にあり、教育者にあり、そんな、僅かな、僅かずつではある塵のような原因は積もり積もると、正体を真っ黒な闇に変化させて、いつのまにか僕の体内に蓄積され、あれやこれやと、疑問を投げかけては、心の世界の湖のようなものを、やがて沼のように変化させた。枯葉、虫の屍骸、花火の残り屑、煙草、嘘の記憶。僕は、その湖の景色にに佇む一人の人間のように、その等身大の生命を桜の木から落ちる花びらのように成就させる理由と価値観を持ち得ない。持ち得ないことは、辛いことであり、仮に持ちえるならば、その方法と能力はある。けれど、それも、理由なき風の一端が理由なく花弁を木の枝から奪うように、結果、実るものとならなかった。僕は、ただ、その風景から花が枯れ、風に舞い、湖へと足を伸ばし、そっと水面に安堵して眠る様子を見ているだけの人間で、どこかで、その花びらが、奇蹟によって、宙に舞い戻るのではないか、という理解しがたい空想の下に佇む一人の空想家であると、いつも、水面の花が姿を消すころに、気づくのである。いつからか泥の沈殿した沼に変化した風景に、僕は四方八方様々な角度から、沼を真剣に考察する。得てして、変化の、理由、水の行為、科学的分析、公正な判断、顕微鏡による観察、どれもこれも、皆、過去に引きずられただけの、ただ悲しい行為である。その自覚が、一種の自己陶酔となっては、アルコールのように脳をベッドの奥底へと突き落とし、体は宙に舞い、脳はさらに世界の奥底へと沈み、体は月に届かんばかりに、星屑の中宙を舞う。しかし、真っ暗な部屋を、一筋の日光の光が通り抜けると、とたんに意識は現実に目覚め、無意識に、自分は水中のまるで価値のなくしかし確かに生命を持つバクテリヤかなにかの一種に変貌した錯覚を根底に、人間としてベッドの上に意識を巡らす。巡らしているのは、自分が、絶対的にはバクテリアか何かであるのに、相対的には人間である、という不明の逡巡世界での、流動的な意識である。この逡巡世界は現実を生きる人間の僕には苦痛であるが、確かに、誰にも、解決できない、僕の体内の最大の課題、難問、アイデンティティと、苦笑いする口元から、僕に降りかかるほとんどの社会的問題を放棄させてしまった。この透明な現象は寄生虫であり、僕自身であり、他者に見えない、もう一人の僕として、僕の中で位置付けられている。しかし、この寄生虫は、僕から見れば、彼、と呼ぶべき他者として理解されており、確かに存在はするものの、桜の花びらに生命を吹き込む美しい風景に溶け込みはするが、決して僕自身には成りえない。成りえないことは、僕を、つまり現実の僕を、ただただ地獄的に、追い詰めるだけの、取るに足らない無価値な存在でもある。僕は或る夜、本能的な寂寞の念から、思い詰めたように湖へと足を伸ばした。湖は、泥に支配されており、空を闇に支配されており、僕は湖へと脚を伸ばしたつもりが、予測道理、沼としての本来の実態を何ら変化させること無く無神経に佇ませている。空の闇は、ときどき月を後ろに姿を雲によって変化させ、大地を薄闇に彩色する。闇夜にとっては、この変化こそ存在意義であり、我々との価値を転倒するばかりか、絶対的にその存在を毎日保有している。この無作為な変化に、地上は羨望と恐怖と憎悪を繰り返す。その変化を恐れるものは、地下へと避難し、安住と定則と不自由を操る。この三層において、全てに共通する互換性は、水と光であった。僕は泥の沼に、夢の中であるという意識を持って、何かその水と光と呼ばれるものの実像を探るべく足を踏み入れた。足に絡みつくのは、何やら見たままの沼の様子からは判断できない物質で、意識では僕の足はすでに一歩を踏み出しているのに、踏み出すはずの足のテンポは緩やかに僕の想像を拒絶する。拒絶の様は、心臓を鷲掴みにされたように僕の心に感覚を伝達し、視覚が理解する世界は、随分と感覚と異なり、その差異ごとに一つの理想が見事に裁断される。繰り返しその現象は僕が沼へと足を踏み入れて行く度に、左右の足の周りから伝達された。前を向くと、見えていた風景が段々と地平線に腰を下ろし始め、やがて立体を失い始める。闇夜は常に月を隠しては、時たま見せる月明かりを、微笑させる。沼が僕の腰の辺りまでやってきたら、途端に不安が体を貫いた。不安は、夢であるという安堵で、かき消させることの無いほどに、増大するばかりだった。つまり、視覚の捉える風景と体の感覚が虚構であれ現実であれ、僕が自己意思で、心と定義して今は湖が変化したこの沼へと足を踏み入れた事実に、なんら否定材料がなかったからだった。この奥底に、この現実で絶えず降り注ぐ原因不明の捨てざるる苦悩を、水と光の実像を理解することで、確認しうることかできる何かが潜んでいるという見えない確信を満たすだけの何かがあるかどうか、僕にはわからないのだった。けれど、状況を改めて理解しようと努め、今さっき閉じた瞼を開くと、ともかく僕は腰から下を沼に浸し、動きが取れそうもない。ここで、ややもすれば放棄してしまうこの命と引き換えに、僕は勇気という言葉を思い出し、頭から体全体を考えるが早いか沼へと身を任せた。現実の命という不可思議な現象を探るべく踏み入れたこの心象世界の沼の中へと、観念の上で命を投げ入れるという、価値観の転倒の有様と、それを意思決定した僕自身の決意が、沼に沈んでいく僕の意識の中で疑問符を打つ。沈み行く深度に比例し、その疑問符は瞼に暗闇を打ち消すほどに充満した。僕はだんだんと、息が苦しくなり、閉ざしていた口をあけ、必死に酸素を求めたが、口には、泥液が流れ込むばかりで、つまりこの現象が、死と直結する現象なのだと、自覚し、後悔に似た何かを感じた。泥は、水は混じったものの、決して液体ではなく、粘土であり塊であり、そこには、僕の探す水や光などというものは感じられず、解明も何も、あったものではなかった。この錯覚は、観念の破綻であり、数多くの疑問符は、瞼を開けたが最後、泥という泥を目や口から体内へと流し込んだ。しかしまた、感じることはなかったが、現実は、瞼に閉ざされた闇よりは例え泥であったとしても、地上から差し込む僅かな月明かりを微細に反射させ、粘土のような物質の隙間に、水はどこか僕を潤すかのように流れ込んでいる。そして、すべてはあまりに現実的であった。けれども、全ては夢であって、僕は、死体である僕を彼として俯瞰したまま、いつの間にか月の側に全ての有様を傍観していたのであり、先程までの焦燥は全て今ある僕の意識に収斂されていた。全てが夢であるということが、今の僕には恐ろしいまでに現実的であり、その意識が今なければ、僕の意識は死を迎えていたことが疑いない。僕は安堵して、周囲を見渡した。側にあると感じていた月は、やはり程遠い、そして、僕は闇夜を作る雲を越えた上空から世界を見下ろしていた。全ては味気ない、そして、温度も何もない世界だった。本能的な寂寞の念から、足を沼へと踏み入れたのに、そこで味わった恐怖は死の観念の破綻と同時に極限の苦痛を越えて拭い去られ、帰着した僕が感じえるのは、再び本能的な寂寞の念であった。そしてその寂寞は、水や光とは次元を事にし、しかし二律背反するかたちで、水や光に諭され、享受された。この循環が、終わり無い生命の営為であるかと、僕はこの夢の中に感受したのである。


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