第8話 木の家 3
「あのっ、聞いてますか?」
すこしムッとした顔でそう聞いてくる。
「聞いてる聞いてる」
会話に意識を戻す。
ルルの言っていたことを思い出すと、この小屋はどの国よりも一定以上離れた位置にあるとのことだった。
ではなぜ彼女は、俗に言う「人里離れた」このような森の中に住んでいるのだろう。そうせざるを得ない理由でもあるのだろうか。
言えないような事情なのかもしれないが、この世界のことを全く知らないのと同じくらい、俺は彼女のことを知らない。
この暮らしぶりからして、長いこと一人で生き抜いてきたんじゃないかと思う。その知識の一端でも知ることができれば、この世界を生きる術が身につくかもしれない。
「質問なんだけど。ルルはなんでこんな山奥にすんでるの?色々と不便じゃない?」
ぴくっ、とすこし反応した後、明らかに動揺した様子で視線を逸らす。
「えっ・・・あ…それは、ですね…」
手首をさすり、俯いてしまう。
「えと…えと…」
言おうとするけれど、言えない。そのことに考えを及ばすことすら嫌悪感を抱いているような、そんな感じだった。
頑張って、努力して…忘れようとしているものを、無理矢理掘り返してしまったような…
沈黙が続く。
「あ、、言いたくなかったらいいよ!全然、ほんと」
あまり、というかかなり、聞かれたくないことのようだ。深入りしてしまった。
「いえいえ。ほんとに
すごく単純な理由でして…あの、その…
……怖くて...あはは」
次第に彼女の雰囲気が暗くなっていき、沈み込んでいく。
目に見えるように空気が暗くなっていき、口元は微笑んでいるが、目元は前髪に隠れてよく表情が読み取れない。
何が?なんて聞けない。
後悔する。あぁ、やってしまった。
「そっ、か…」
その表情が、俺がよく知る人と重なる。
大切で、かけがえのない人と。
携帯の待ち受け画面を思い出す。いまもどこかにいる、あの明るい、笑顔を。
その人も一人では持てないような、大きなものを抱え込んでいたとき、同じような表情をしていた。
その時の光景が目に浮かび、照らし合わせ、後悔を消し去るように、あの時黙り込んでしまったことをなかったことにしたくて。
なにか声をかけようとする。
いや、それじゃあまるでルルを利用しているみたいではないか。少しでも楽になりたくて、過去から逃げ出したくて...
--俺はほんとうに、なんて、どうしようもない…
それでもがむしゃらに、精一杯に、言葉を手繰り寄せようとする。
「あっ……」
自らへの苛立ちや不甲斐なさで、言葉が詰まる。なにか言いかけようして開いた口は、力なく閉じてしまう。
--それでも
ちゃんと、しないと。
相手のことだけを、考える。
目の前の、沈み込んでしまった女の子のことだけを。
なにが、こんなに…さっきまで明るかった彼女をここまでにするなにか。
いったいどんな---
それを見て、息がつまる。
室内の温度が低いわけではないが、内からくる身震いのせいだろうか、彼女が肩をさする。
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なんてことない。ほんとうに、ただの気まぐれで、肩をさすった方の彼女の右手首に、目がいった。肩に触れる直後、長い袖が僅かに下がり、手首が見える。
ほんの少しだが
青紫色に染まっていた。
長い間そこになにかがはめられていたような一本の跡になっている。硬く冷たい、"なにか"が。
俺の視線に気づいたルルは、慌ててもう片方の手で袖をひっぱって隠し、手首を握りこむ。そしてゆっくりと膝に置く。
「わ、私…私……」
憶測が飛び交って、頭の中をめちゃくちゃにする。
仮に、なにかがあったとして、同情なんてすることはできないし、する資格もない。
俺には到底、想像もできないことが、ずっと起こっていた、起こり続けていたんだろう。俺は何も知らない、分かってやれない。
だけど、想ってしまう。
もう、出逢ってしまったから。
何もわからないこの世界で、こんな俺を、君は…
「ごめん…ごめん…」
結局、考えに考え、捻り出した挙句に出た言葉は、これだった。なにを謝っているのか。なんで、かける言葉がこれなのか。自分でも、分からない。言うと同時に、目頭が熱くなってくる。留まることなく溢れ出してきて、感情を強く、揺さぶってくる。
俺の嗚咽に気づいたのか、顔を上げた彼女はとても驚いた表情で、そんな不甲斐ない、だらしのない俺の姿を見る。
そして優しく微笑んで、口を開く
「あなたは、優しい人…とても」
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「声をかけてくれる人はいました。心配して、励ましてくれました。でもほんとは、哀れんでいたり。同情だったりがほとんどで…可哀想っ、て…」
「たぶん、あなたは…森で倒れていたときも、私の家にいるいまでも、心の中ではずっと葛藤しているんだと思います。手当をしていたときに、そんな、黒くて、苦しくて、もやもやしたものが、見えました。」
「そんなときでも…誰かを想って涙を流せるあなたは、たくみは…素敵な人です。」
ゆっくりとした話し方で、言葉の一つ一つに優しが込められている気がした。
それら全てを余すことなく心に染み込ませ、ごしごしと涙を拭う。
彼女はそれ以上言葉を続けることはなく、一旦目を閉じて、気持ちの整理をつけたのか「それじゃあ!」と切りだす。
「少し遅いですけど、食事にしましょうか。」
ぱんっ!と手を合わせ、明るい笑顔でルルがそう言うと、ここにきてからまだなにも口にしていないことに気づき、お腹が空腹の合図を鳴らした。