第4話 前哨 3
ボキッ
バキッ
「結構硬いな、この木」
もうどれくらいの時間歩いただろうか。30分か1時間か、あまり日が暮れてないところをみるとそんなに時間は経っていない気もする。
時間の確認にはスマホを逐一チェックすればいいだけのはなしなのだが、その確認作業に用いられるバッテリーすらも、無駄にはできない。
少し歩いているうちに気がついたことがいくつかある。まずこのいたるところにある"木"だ。俺は歩いている最中に一度通ったという証に手近な木の枝を折りながら進んでいる。
はたから見れば普通の木に見えるのだが、折った木の断面は真っ黒だったのだ。
-普通は茶色だったり赤みがかっていたりするのだろうが。
そしてなにより、かなり硬い。枝の伸びきった少し手前を追っているのだが、その細いところを折るのにも少し力がいる。
外国の森の奥地にはこんな種類の木もあるのか。かなり頑丈だし、研いだらそれなりに利便性があるかもしれない。
あとで数本持って帰ろう。いや誰かの私有地だったら窃盗とかになるかもしれない。考えすぎか。
気づいたことのもう一つは、どこまで行ってもひたすらに森が続いている、ということだけ。いまも歩き続けている最中だ。
あまり焦って事を進めたくないのだが、夜になれば野宿することも考えねばならない。
森の中での野営経験などないし、少しでも歩みを進めたいという気持ちが先行してしまう。
早歩きで進んでいるなか空を見上げると、陽が落ち始めてきているのがわかり、着実に夜が近づいてきていた。
逸る気持ちが焦りへと繋がり、小走りで先へ進む。
ちゃんとまっすぐに進めているのか、すぐ不安になる。ほんとに弱い。
こんなときだからこそ悪い方に考えを向かわせてしまわないように---
「--っ……」
足を止める。
すぐに止める。
急停止する。
折りかけていた枝を折らず握ったまま止まり、もう片方の手で口を塞ぎ鼻で呼吸をして呼吸音を最小限にとどめようとする。
衝撃。驚愕。
俺の目線の先。距離にして50mはあるだろうか。鬱蒼とした森の中で一際目立つものがそこにはあった。
それは静かに佇んでいるだけだが背丈は自分よりもかなり高く、視界があまり良くない森の中で幸いにもすぐに見つけることができた。
濃い紺色で、大まかな部分は人間に少し似ているが細部は全く違う。頭部に至ってはわけがわからない。ぐにゃぐにゃと少しづつ形状が変化し続けている。
異形の"ナニカ"。
どこが正面なのか、向いている方向がいまいちわからないが、俺がいる方向に大きな穴が2つ空いている。耳と似たような器官なのだろうか。
気持ち悪いし、不気味だ。
少しかがんだ姿勢で頭部の形状以外は一切微動だにしていない。
-なんだよ、あれ
着ぐるみ、痩せ細った熊、未発見の生物、とか。どれもピンとこない。
それに、話の通じるような相手じゃないって気はしている。
なにか、危ないような気も。
奴を中心として半径50m程は間隔が開いているためつっきるよりも迂回して、存在を感知されないように進んで行こう。
無意識に強く握りしめていた木の枝から手を離しもう片方の手は口を押さえたまま少しづつ歩いて行く。
ゆっくり、ゆっくりと。
額が汗で滲んでいる。緊張で指先が震え、やたらと喉が乾いている。
少し移動したところで違和感に気づく。奴の頭部にある2つの穴が未だにこちら側と対面する位置にあるのだ。
頭部の向きも少し変わっている気がする。
また数本歩くとぎこちなく頭部が動き出す。
まるで俺を追従しているように。
いや、確実に追っている。
それは吸い込まれそうなくらい真っ黒な黒い穴で、異常なまでに大きな存在感を醸し出していた。
その存在感は瞬く間に膨らんでいき、まるで"ナニカ"がすぐ目の前にいるんじゃないかと錯覚させるほどだった。
この現象は俺の感情を揺さぶるには充分過ぎて、気がつけば俺は走り出していた。
森の中をただひたすらに走り続ける。時折枝が頬を擦り顔や手に擦り傷を作っていた。
木の根に足を取られ転倒しそうになるが必死に持ち直す。
走る走る走る走る。
-くそっ、くそっ
一心不乱に走り続けていると木々の隙間から光が漏れ、開けた場所に出るのがわかった。
-あそこまで行けば…!
助かる。なにかある。
そんな確証はどこにもないが、いまはただ視界が良く、明るい場所に出たいという気持ちが強くあった。
ただがむしゃらに走って、ようやく森を抜ける。
-やった
安堵しかけた、その刹那。
数十mは先の背後から轟音が鳴り響く。
ブブブブブブブブブブブブブブブブッ
あまりの音の大きさに森全体が小刻みに揺れているようで、まるでなにかが高速で振動しているような音だった。
「なんっ、だ…この音っ…」
頭を下げ、両手で耳を塞ぐ。
脳みそまで振動しているようで頭が痛くなってきた、だが-
---------
急に音が止まった。
わけがわからないまま、辺りを確認しようと顔を上げると
目と鼻の先。
少し手を伸ばせば届きそうな距離に、"それ"はいた。
「なっ---」
声を上げる間も無く、それは横から細長い手を振りかぶり俺の頭部を鷲掴みにした。そしてそのまま消して早くはない速度で、地面に叩きつけた。
「がっ、あ、、ぐっ」
腕らしきものは決して筋肉質だったり太いわけではないのに、もの凄い力だった。
二度三度と叩きつけた後に俺を掴んだまま、それの頭部の高さまで持ち上げた。
意識は朦朧とし、額からはとめどなく血が流れ、頬を伝い、落ちていく。
地面は自身の血で赤黒く染め上げられ、血溜まりになっていた。
「あ、、、が、、」
そして軽々と俺を放り投げ、数m離れた場所に落下する。
---終わる。終わる。
途切れかける意識のなかで、片腕を地面に突き立てる。もう片方の腕も地面につけ体を持ち上げ、両膝をつく。
自分のものとは思えない、普段の何十倍も重く感じる体をなんとか起こし、立ち上がる。
両腕はだらんと力なくぶら下がり、足はがくついている。
それでも立ち上がるのは
戦うためではない
これは
確固たる覚悟の在りようではなく
恐怖から成るものだった。
---ここから、逃げ出したい。