第9話 凶報
いやなお知らせ
幽体離脱の術は成功したけど、自分の好きな時に意識だけ抜け出せるようになるには少し時間がかかった。初めのうちは目一杯体を動かして疲れ切ってからじゃないとできなかったけど、次第にその時の感覚を覚える事ができたのか、疲れていなくても成功するようになった。
今も僕は幽体離脱をして近くの村まで行ってきた。僕の体は小屋で寝ているけど、僕の意識だけは自由に移動できる。もっと遠くまで行けそうだけど、あまり離れ過ぎるのも怖い。念の為、意識だけの僕と寝ている自分の体を想像の紐で結び付けて、帰り道を見失わないようにしている。僕はのんびりと紐を辿って小屋まで戻ってきたところ。小屋に近づくと、人の話声が聞こえてきた。おや、誰か来ているみたいだ。意識だけの僕は小屋の壁を通り抜けて中に入ってみた。
「イオが寝ちゃってるけど、どうかしたの?」
吸血鬼のエリスが寝ている僕を見下ろしてスコルに話しかけている。彼女が来ていたのか、僕は嬉しくなって声をかけようとしたけど、幽体離脱していると声は出せないんだった。それにしても二人とも僕の意識だけがここにいるって気付いてないみたい。僕は面白くなってきて、しばらく二人を眺める事にした。
「どうもしないさ。幽体離脱してるだけだろ」
スコルは平然とエリスに返事をしている。僕は最近はしょっちゅうこの術を使っているので、彼は慣れたものだ。
「そうなんだ。もうそんな術も使えるようになったのね。やるじゃないの」
感心したようにエリスが言った。彼女にそんな風に言ってもらえるなんて、僕も成長したものだ。
「あんまりぼうずの前で褒めるような事は言うなよ」
スコルはエリスの発言を咎めるように言った。弟子が褒められているのに嬉しくないんだろうか。僕が図に乗らないようにって配慮なんだろうけど。
「わかってるわよ。じゃあ、幽体離脱しているイオにいたずらしちゃおうかしら」
寝ている体の側に屈みこんでエリスが頬を指でつつく。吸血鬼のいたずらなんて何をされるかわかったものじゃない。僕は慌てて自分の体に戻る。
「やめてくださいよ!」
戻った僕は起き上がってエリスに抗議した。
「やっぱり近くにいたんだ」
エリスはクスクスと笑って言った。どうやら僕の意識が近くにいるとわかっててからかっていたらしい。幽体離脱した意識を感知する術とかあるんだろうか。
「エリス、お久しぶりです」
とりあえず立ち上がって僕は彼女に挨拶をした。
「そうね、久しぶり。実はね、今日はちょっとあまり良くない事を伝えに来たの」
エリスは挨拶を返しながら、少し困ったような顔をして言った。何かあったみたい。
「なんだ?良くない事って」
スコルは訝しげにエリスに尋ねる。
「以前にあんたの部族が戦を始めそうって言ったわよね」
エリスはスコルに向き直って話をする。
「あぁ、でも気にするなって俺は言ったぞ」
「あたしもそう思ったんだけど、ちょっと気になってたから、あの後も噂を聞き逃さないようにしてたのよ。そしたら、ガラテアってオークが戦で大怪我をしたって話を聞いたの」
「そりゃ本当か!?」
スコルが大きな声を出した。これには僕もびっくり。彼がこんなに取り乱すなんて。僕にはよくわからないけど、かなり悪い話だったらしい。
「直接確かめたわけじゃないわ。でも、結構噂になってたのよ」
「うーむ……」
スコルは腕を組んで唸った。
「ガラテアって誰です?スコルの知り合いですか?」
僕は気になったのでスコルに尋ねてみた。
「俺の親父だよ」
「へぇ……。えっとスコルの父親が大怪我したって事ですか?」
あっさりと言ったスコルの言葉が飲み込めずに僕は確認してみた。親父というのが父親って事はわかっているけど、どうも彼の父親というのが想像できなかった。
「らしいな」
スコルは一言。
「大変じゃないですか!これでもまだオークの戦は気にするなって言うんですか?」
僕はまだ腕を組んで考え込んでいるスコルに向かって言った。自分の父親が大怪我したと聞かされたのに何を考え込んでいるんだか。
「どうする?気になるならオークの次元に連れて行ってあげてもいいわよ」
エリスが言った。
「ふーむ、親父が大怪我ねぇ……」
スコルはエリスの言葉を聞いているのかいないのか、独り言のように呟く。
「何を悩んでるんですか。エリスが連れて行ってくれるって言ってるんだから、行きましょうよ」
僕は彼の父親の事が気になって仕方がないので、そんなスコルを促す。
「お前さんもついてくるのか?」
彼はようやく僕の方を見て言った。
「魔術の封印されているあなたより、僕の方が魔術が使えるんですからね。きっと何かの役に立ちますよ」
ちょっと偉そうだったかな。でも、スコルがオークの次元に行くんなら僕も付いて行きたい。それに僕の方が魔術が使えるのは本当の事だ。
「イオも連れて行ってあげた方がいいと思うわ。見聞も広まる事だしね」
エリスがそう進言してくれる。
「半人前のぼうずが何かの役に立つとは思えんが、いないよりはましかもな」
仕方なしといった感じでスコルは口を開く。
「そうそう、いないよりましですよ。だから、僕も一緒にオークの次元に行きます」
どうやら僕も連れて行ってもらえそうな雰囲気だ。
「仕方ないな。親父が大怪我したなんて聞いたら、戻らんわけにはいかんか」
一つため息をついてスコルが言った。やった、次元というものを知って以来、人間の次元以外にも行きたいと思ってたんだ。僕が知っているのはエルフの次元だけだからね。
「決まったみたいね。じゃあ、オークの次元に行くから準備してね」
エリスの言葉を聞いてスコルが椅子から立ち上がって言う。
「ぼうず、武器になるようなナイフでも持って行った方がいいかもな」
「武器ですか」
武器って言ってもこの小屋にはたいしたものはない。せいぜい動物をさばいたりする時に使うナイフくらいだ。それにしても武器を持って行けなんて、随分物騒だな。そう思いつつ、ナイフをズボンと腰の間に挟み込む。
「オークの次元に行ったら、ここみたいにどこでも魔力泉が豊富にあるわけじゃないんだ。魔術も使えないわけじゃないが、念の為だ」
へぇ、オークの次元はそんなところなのか。でも、様子を見に行くだけなんだから、魔力泉がなくても問題ないと思う。
「わかりました」
僕は一応返事をした。
「金もいくらか自分で持っておいた方がいいな、ほら」
「ありがとうございます」
銀貨を渡してくれたスコルにお礼を言う。普段はお金を渡してくれないから変な気分だ。まぁ、くれるというならもらっておこう。
「それと、くれぐれも向こうに行ったら余計な事は言うなよ。オークは俺みたいに寛容な奴ばかりじゃないからな」
スコルが注意してくる。僕だって馬鹿じゃないんだから、オークを怒らせるような事を言うつもりはない。
「わかりました。気を付けます」
「心配性なんだから。ちょっとは自分の弟子を信用しなさいよ」
エリスは呆れたように言った。
「自分の弟子だから心配なんだよ。このぼうずが揉め事を起こすんじゃないかってな」
スコルはエリスに反論する。
「そんな事しませんよ、多分」
勝手のわからない次元に行って揉め事を起こしそうなのは確かに僕だけど。
「準備はいい?スコルの村の近くに移動するわよ」
僕とスコルを見てエリスが言った。
「いいぜ」
「僕も大丈夫です」
返事をするとエリスは僕達の腕を掴んだ。見慣れた小屋の中の景色が溶けていく。以前、次元移動した時と同じだ。僕は次にどんな景色が目に入るか、わくわくと胸を躍らせた。
オークの次元へ




