第26話 防壁の術1
悪夢で目が覚めるイオ
次の日、僕は嫌な夢を見て目が覚めた。カロンが現れて僕を追いかけ回す夢だ。夢の中で僕は必死に走っていた。でも、なぜかうまく前に進めない。そんな僕にゆっくりとカロンが迫ってくる。あいつは残忍そうな笑みを浮かべたまま、滑るように近づいてくる。このままじゃ追いつかれる。がむしゃらに足を動かすけど、相変わらずのろのろとしたスピードしか出ない。
「イオ、もう逃げられないぞ。観念しろ」
カロンがそう言って僕に向かって手を伸ばす。それを振り払おうとするけど、まるでそこに存在しないかのように僕の手は空を切る。駄目だ、もう捕まる。あいつの手が僕の肩に触れた瞬間、僕は夢から覚めた。心臓がドキドキと早鐘を打っている。まったく縁起でもない夢だ。夢の中にまであいつが出てくるんじゃ、全然心が休まらないよ。僕は立ちあがってため息をつく。
「どうした?冴えない顔をしてるな。悪い夢でも見たか、ぼうず」
小屋の中央からスコルの小さな声が聞こえてきた。彼にしては珍しく早起きだったらしい。どうして声を潜めているのかと思ったけど、エリスがまだ眠っているようだ。椅子に座っている彼のところに足音をたてないようにそっと行って、僕も同じように腰を下ろす。
「すごく嫌な夢を見ちゃいましたよ。カロンに捕まっちゃう夢です。はぁ……」
僕も声を抑えながら話す。現実ではないとわかってはいるけど、気分が滅入ってしまう。
「そんなところだと思ったよ。まぁ、あまり気にするな。お前さん、予知夢を見る体質にゃ見えないからな」
スコルは僕を慰めてくれているようだけど、予知夢って何だろう。
「予知夢って何ですか?」
「お前さん、魔術師を目指しているのに聞いた事がないのか?まったく予測不可能な未来の出来事を夢で見る事さ。俺も詳しい事はわからないが、体質的に予知夢をよく見る奴がいるんだそうだ。確か予知夢をよく見る奴が、それを商売にしていたりもしたな」
世の中にはそんな人もいるんだな。予知夢というのも一種の魔術なんだろうか、それとも全然別のものなんだろうか。自分の好きな時に未来の出来事を知る事ができたら、すごく便利だと思うけど。
「そんな夢を見た事は、僕は一度も無いですね」
「だろうな。だから、お前さんが今見た夢は、ただ心配事が形になっただけさ」
僕が予知夢を一度も見た事が無いからって、あれが予知夢じゃないとは限らない。でも、多分スコルの言う通りなんだろうな。今の僕はカロンに捕まってしまう事が恐ろしい。それは嫌な夢の一つや二つ見てしまうくらいには。
「他人の夢に干渉する魔術ってのもある事にはあるんだけどな」
スコルがそう呟く。へぇ、その魔術が使えれば、自分の好きな夢を見られるって事か。でも、ひょっとしたら……。
「カロンが僕の夢に入ってきたって事ですか?」
たかが夢とは言え、毎晩あんな悪夢を見ようものなら僕の神経は徐々に擦り減ってしまうだろう。
「その可能性はないと思うがな。そんな事をするぐらいなら、直接ぶちのめしに来るはずだ」
それを聞いて安心していいのかどうかわからない。夢に干渉されなくても、僕は悪夢を見続けるかもしれないから。それにカロンに見つかれば、直接ひどい目に遭うっていうのも嬉しくない。スコルの言葉を聞いても僕の心は晴れない。
「二人して何をこそこそ話してるの?何か面白い事でもあった?」
突然エリスの声がして僕達は彼女の方を見る。いつの間にか彼女は立ち上がってこっちを見ていた。おっと、声が大きかったかな。睡眠を妨げられるのは僕も好きじゃない。
「すみません、起こしちゃいましたか?」
「うぅん、いいのよ。十分寝たから。それよりも何を話してたの?」
エリスは気分を害した様子もない。カロンに追いかけられる夢を見たなんて彼女にはなんだか聞かれたくないな。そう考えた僕が何か言う前にスコルが説明する。
「ぼうずが悪い夢を見たって青い顔してたんだよ。だから、ただの夢だって言ってやっただけさ」
それだけの事だ。誰でも悪い夢くらいは見るよね。それを聞いたエリスがおかしそうに言った。
「へぇ、そうなの。なら今夜はあたしが横に寝てあげようか?いい夢が見られるかもしれないわよ」
「結構です!小さな子供じゃないんですから」
魅力的な提案だけど、僕は慌てて断った。今朝も同じ小屋の中で寝てはいたけど、すぐ隣ってわけじゃない。彼女が自分の横に寝ているのを想像しただけで、心臓がどうにかなりそうだ。確かにいい夢は見れるかもしれないけど、むしろ緊張して一晩中眠れないだろう。クスクスと笑うエリスと真っ赤になった僕の顔を見ながら、スコルは咳払いをして話題を変えた。
「とにかく、ぼうず、今日は久しぶりに新しい魔術を教えてやろうと思ってな。カロンが来た時にも役に立ちそうなやつだ」
それはありがたい。僕は気を取り直して聞いてみる。
「何ですか?」
「防壁の術ってやつだ」
防壁か……。うーん、名前からして防御の為の術なんだろう。僕はてっきり攻撃する術でも教えてくれると思ったんだけど。
「攻撃の為の術は教えてもらえないんですか?」
僕は思った事を口にした。そっちの方が役に立つと思うな。ところがスコルは不思議そうに聞き返してきた。
「何でそんなもの知りたがるんだ?」
「カロンに襲われたら反撃する為ですよ」
僕は当然とばかりにそう言った。でも、スコルは首を横に振ってすぐに否定した。
「やめとけ、やめとけ。生半可な反撃をしてもあいつを怒らせるだけだ。お前さんは自分の身を守る事だけを考えてた方がいいんだよ」
スコルは僕がどんな攻撃をしても、カロンには通じないと考えているんだろう。確かに自分に襲いかかってくる相手を逆上させたら、何をしでかすかわからない。命までは取らないような相手を怒らせて殺されてしまっては元も子もない。僕は食い下がるのをやめて呟いた。
「そういうものですかね」
「そういうもんなんだ」
というわけで、僕達は小屋の外に出て修行に取りかかった。
「よし、魔力を集めて壁を作るんだ。いきなり自分の周囲全ては難しいだろうから、まずは前方だけだ。なるべく固い物、そうだな、魔力で形作った鉄の扉が自分の前にあると思え」
「はい」
スコルが僕に話しかけてくる。エリスは小屋の壁に背を預けて僕らを見守っている。彼の言葉通りに僕はいつものごとく魔力の川から魔力を導いてきて、自分の前方に集める。修行は久しぶりだけど、にぶったりはしていない事に心の中で満足する。
「集中は必要だが、一箇所に気を取られるな。自分の体全体を守らなきゃいけないからな。一点に集中し過ぎると、他が脆くなっちまう」
「わかりました」
スコルの言葉に返事をしながら、僕は満遍なく魔力を張り巡らせて壁を作った。僕の頭一つ分上くらいの高さで幅は僕二人分くらい。これでいいかな。
「できましたよ、多分」
僕が声をかけると、スコルは落ちていた小石を拾い上げる。
「よし。じゃあ、こいつを投げるぞ」
そう言ってから僕に向かって放り投げた。石は僕が壁を作った辺りで目に見えない何かにぶつかって跳ね返る。それくらいでは防壁はびくともしない。
「よーし、いい感じだ」
地面に落ちた石を見てスコルがそう言った。どうやら成功したらしい。僕はほっと一息ついたけど、彼はエリスに声をかけた。
「次はちょいと危険だから、気を抜くなよ。エリス、ぼうずの防壁を試してみてくれ」
危険って何だろう。スコルの言葉が気になったけど、僕は魔力の壁を維持したままにする。
「いいの?」
エリスは少し驚いたように目を大きくするとスコルに確認している。
「まぁ、大丈夫だろ」
スコルはそう言ったけど、なんだか嫌な予感がするなぁ。
「じゃあ、やるわよ。イオ、防壁を保ったままにしてね」
そう言ってエリスは僕の作った壁の前に立って、手の平をこちらに向ける。次の瞬間、彼女の手の平の辺りから真っ赤な炎が噴き出してきた。幸い魔力の壁のおかげで炎は左右に割れて僕には当たらなかったけど、熱さを感じて驚いて声を上げてしまった。
「ちょっと!危ないですよ!」
僕は抗議の視線をエリスの後ろに立っているスコルに向ける。
「こういうのから身を守る為の術なんだから、怒るなよ。それにちゃんと無事だろうが」
その視線を軽く受け止めて彼は言った。確かに無事だけど、一言いってくれてもよかったじゃないか。もし防壁に穴でも空いていたら大変な事になっていたかもしれない。
「手加減してくれたんですよね?」
今度はエリスに聞いてみる。もしもの時の為にちゃんと手心を加えてくれてたんだよね。そう信じたい。
「んー、どうかしら」
エリスはそう言って僕に笑顔を向ける。いやぁ、彼女が修行を手伝ってくれるのは嬉しいけど、こんな事をしてちゃいつか大惨事が起きるんじゃなかろうか。嫌な想像に僕はじっとりと背中に汗をかいた。
「前方だけなら大丈夫そうだな。後は左右に、後ろ、頭上を同時に守れるようになれば上出来だ。まずは順番にやってみるか」
軽い感じでスコルはそう言って、僕の横に回り込んで来る。エリスも一緒だ。彼らは万が一の時の事を考えてくれているんだろうか。不安を覚えながらも僕は仕方なく防壁を作ることに集中した。
術の修行は続く




