第10話 治癒の術
治癒の術の習得
スコルは案外すんなりと僕の提案を受け入れてくれた。口では何と言っても、彼だって面倒事は避けたかったんだろう。しばらくは小屋の中での修行が続いた。初めの内は朝僕が起きると、彼にかけた幻影の術は解けてしまっていた。その度に術をかけ直す。また、彼に言われて何度も術をかけたり、解いたり。
それを繰り返している内に段々容易に術をかけられる様になり、自分が術を使っているんだという意識はあまりしなくなった。彼に幻影の術をかけているのが当たり前。朝に目が覚めて起き上がるのと同じ様に、特に意識しなくても術は解けなくなっていった。
で、ある日、朝起きて彼を見ると、幻影の術はかかりっぱなし。どうやら眠りながらでも維持できるようになったらしい。この事を彼に話すと、
「じゃあ、幻影の術だけの修行はここまでとするか。俺にかけた術をさっさと解くんだ」
とぶっきらぼうに言った。僕は心配になって聞いたみた。
「えっと、解いちゃっていいんですか?念の為ずっとかけてた方がいいんじゃないですか?」
「小屋の中だから大丈夫だろう。これからずっとこんな姿のままでいろってのか?いいから解くんだ」
師匠がそう言うんだから仕方ない。僕は術を解いた。
「こっちの方が落ち着くってもんだ。いいか、オークってのは誇りを持って生きてるんだからな」
どうやら彼は自分のありのままの姿に誇りを持っているらしい。修行の間は渋々姿を変える事に納得していたようだ。
「今の所、村の奴らは近くに来てない様だし、今後は人目に付きそうな時だけかけてくれりゃいい。とっさに術を使う練習になるからな」
「あなたがそう言うなら、わかりましたよ」
たぶん大丈夫だろう。村の人がちらっと元の姿の彼を見たとしても、僕がすぐに術をかければ見間違いだとでも思ってくれるに違いない。
「幻影の術を無意識に維持できる様になったって事は、おそらく二つの術を同時に使う事もすぐにできる様になるだろう。時間のある時にでも試してみるんだな」
彼がそう言った。
そうなのか。一つの術だけに意識を捉われないようにすれば、同時に使う事もできるんだろう。幻影の術の練習でそのコツを掴んだって事なんだろう。
「はい、今度試してみますよ」
僕がそう言うと、彼が頷いて言った。
「よし、お前さんも進歩して来た事だし、今日は新しい魔術を教えてやるとするか」
やった。次の魔術のお許しが出たようだ。僕は答えた。
「はい!お願いします!」
「今回は少し痛い思いをするぞ。覚悟するんだな」
僕は一気にテンションが下がってしまった。痛いのは嫌だ。でも彼はやらせるんだろうなぁ。
僕の考えを察してか、彼は続けて言った。
「そう嫌そうな顔するなよ、ぼうず。痛いって言ってもちょっとだけだ。それにこの先痛い思いをした時に役に立つんだ」
「そうですか……」
そう言われてもなぁ。気が進まない。でも聞いておこう。
「一体どういう魔術ですか?」
「治癒の術だよ。怪我を治すんだ」
それを聞いて少し納得。確かに役に立つだろう。僕だってうっかり怪我をする事もある。例えば肉をナイフで捌いていて指を切ってしまったり、飛行の術で飛んだ時、上空不注意で木の枝に頭をぶつけてしまったり、熱々のスープを口に入れてしまったり。考えてみると僕ってかなり間抜けに思える。
「お前さんだって思い当たる節はあるんだろう?そんな時の為に覚えておいて損は無い」
「確かに、そうですね……」
思い当たる節がいくつもあるから反論はできない。
「どうすればいいんです?」
「そうだな。まず、実際に怪我をしなきゃならない。その怪我をお前さんの魔術で治すってわけだ」
そうなるよね。で、怪我をするのは僕ってわけだ。でも念の為聞いてみた。
「あなたが練習台になってくれるなんて事は……」
「そんな事すると思うか?」
「いえ、思いません」
まあ、わかっていたことだ。僕はあっさりあきらめた。でもここで閃いた。
「じゃあ、そこらのコップでも壊して試すのはどうです?」
「あのな、この術は元々生物に備わっている自然治癒力を高める術なんだ。治癒力の無い物には効かないんだよ」
「そうなんですか……」
あまり良くわかってないけど、駄目らしい。気が進まないけど仕方が無い。別にそこまでひどい怪我をしろってわけじゃないだろうし、術を成功させれば良いだけの話だ。
「わかったらこいつで自分の手の平を少し切ってみな」
彼がナイフを差し出す。僕が肉を捌くのによく使っているナイフだ。こまめに手入れしているから汚くはない。僕は一息ついてナイフを握り、自分の手の平に当てる。
「じゃ、やりますよ」
僕は彼に声をかけると思い切ってナイフを動かした。
手の平に鋭い痛みが走り、傷口から血が流れてくる。小さな傷でも痛いものは痛い。僕は顔をしかめた。
彼がそれを見て言った。
「よし、魔力を導いてきて、傷口に流し込むんだ。元の傷が無い状態に戻るイメージをしながらな」
僕は言われた通りに傷口に魔力を流し込む。元に戻れ。傷口が少し温かいものに包まれる様な感触がする。しばらくそれを続けていると、あら不思議。傷は見る間に塞がっていった。流れた血はそのままだけど、傷はきれいに治り痛みもひいていく。
「治りましたよ」
傷口が見えなくなった所で僕は手近にあった布で血を拭うと、治った手の平を彼に見せてみる。
彼はそれを見て満足そうに頷くと言った。
「なんて事なかっただろ?これでちょっとした怪我をしてもすぐに治せるってわけだ」
僕は治った手の平をまじまじと見ながら彼に聞いてみた。
「この術ならどんな怪我でも治せるんですか?」
彼は腕組みをしながら答える。
「怪我の程度によるな。どんな怪我でも治せるわけじゃない」
「程度って言うと?」
「まあ、さっきみたいなちょっとした切り傷や擦り傷、あざ程度なら問題なく治せる。骨を折ったとしても大丈夫だな。もっとひどい場合、例えば腕をちょん切られちまっても切られた先の腕が見つかれば、すぐにそれを傷口にひっつけて術をかけてやれば治るだろうな」
うへぇ、あまり聞かない方が良かったかも。自分の腕を探しまわるなんて想像したくもない。そんな僕に構わず彼は続ける。
「そうだな、魔術か何かで腕を粉々に吹き飛ばされちまったら、さすがに治癒の術ではどうしようも無い。傷口を塞ぐ事はできても、粉々にされた腕を元に戻す事はできないな」
腕を吹き飛ばされるなんて冗談じゃない。彼はそんな状況を見た事があるんだろうか。聞いてみたい気もするけど、いいや。とにかく腕だろうと足だろうと、僕の体から無くなるような状況はできるだけ遠慮したい。
「もう十分です。わかりましたから」
「そうか?もっと事細かに話してやってもいいんだぞ?」
彼も人が悪い。まあ人じゃなくてオークなんだけど。どうやら彼の話を聞いて青くなった僕を見て楽しんでいるらしい。
「今のでよくわかりましたよ。もう結構です」
僕はこの話題を打ち切った。治癒の術について教えてくれるのはありがたいけど、こんな話をこれ以上聞かされると気分が悪くなってしまう。
「そうか。今話したみたいに治癒の術にも限界があるんだ。なんでも治せると思って油断しない事だな」
彼の方も僕をからかうのは十分だと思ったらしい。そう言って話しを終えてくれた。
治せるからって油断するなという彼の言葉はもっともだ。ただ、僕が治癒の術が使える様になったからと言って、油断してわざわざ自分から痛い思いをしたいはずが無い。怪我は治せるけど、治るまでは痛いんだから。思わず、油断なんかしませんよ、と言いたい気もしたけど、
「はい、気を付けます」
と僕は素直に答えた。
次回はのんびり




