⚠︎今回の話はただの愚痴です。
かなり長い愚痴を書きました。
はい、というわけでタイトルにも書いた通り、今回はただひたすら愚痴をぐちぐち書いていく話となっております。意味怖とはまったく関係ないので飛ばしてもらっても構いません。今回は投稿限界の七万文字を目指して愚痴っていこうかなって思っております。どうかお付き合いください。
さて、何故こんなことを書こうと思ったかというと、はっきり言ってネタがつきました。いや、正確にはもう何個かあることにはあるのですが、あんまり怖くないというか、つまらないネタなので自らボツにしたという次第で、何かの拍子で使うこともあるかもしれないとメモはしているのですが、なかなか思いつきません。早いもので、この意味怖の連載もこれを書いている時点で半年以上過ぎました。週一更新を続けようと努力してきて、なんとか二週間は空かないようにしてきましたが、ここでそれが途絶えそうです。
週一と言いますと、週刊誌の漫画なんかはそうですが、漫画は小説と違ってまた絵も描かなければならないと、やることは大変で、実際こうして週一で話を書いてみると、締め切りを守るその大変さが身に染みて感じられます。漫画家の仕事はなかなかハードそうです。将来漫画になりたい人はそれなりの覚悟をした方がよろしいかと思います。漫画家は早死にする人が多いと聞きますが、そう言ったことが原因なのでしょう。特に座って作業する時間も長いでしょうし、健康に良さそうとは思えません。ペラっとめくったあの1ページに一体どれだけの時間がかけられていたのか、想像すると本当に頭が下がります。
さて、少し前に『漫画村』という漫画が無料で観れるサイトが問題になっていました。ああいうことをする人がいることも問題ですが、ダメだとわかっていても見てしまうサイトを利用する側の人間にも大いに問題があります。(ダメだとすら思っていない人も中にはいます) 漫画家がいかに苦労しているか分からないからこそ、ああいった卑劣な行為が平気でできるのです。調べてみるとその被害額は数千億円にもなるのだとか。詳しい計算方法はよくわかりませんが、相当な被害だということは一目瞭然です。本当に怖いのは幽霊なんかではなく、こう言った人間がそこら中にいるということです。
ということで、話を無理やり『意味怖』に戻すと、私が書いた意味怖にはあまり幽霊の話は出てきません。というのも私自身、幽霊の存在をはなっから信じていないからです。なんと言いますか、リアリティがないと言いますか、それをいうなら小説なんですからフィクションの世界でリアリティなんて考えるだけ無意味だという指摘ももっともですが、そうは言っても、気分的に私が書きたくないと思ってしまっているのだからしょうがないでしょう。先ほども言ったように本当に怖いのは生きている人間の方で、死んだ人間に怯える方がどうかしているのです。ですが、怖い話の王道はやはりそちらなようで、怖い話が読みたいと思っている方には申し訳ありません。なるべくタイトル通りに怖いオチになるように考えてはいるのですが、いかんせん実力不足なのは否めません。そもそも何故『意味怖』を書こうと思ったかというと、小説を書こうと思ったからでして、そうなるといきなり長編を書くのはハードルが高いですから、短文から始めようと思いいたり、ジャンルを決めようと思った際に、『意味怖』は少ない文量のものが多く、またそれなりに読者数の分母も大きいということで、練習の意味を込めて『意味怖』にしました。おかげさまで、毎日誰かしら読んでくださっているようで、『KASASAGI』を利用してこの意味怖のPV数を確認すると、これを書いている時点で13000PVを超えていました。ありがたいことです。13000PVが凄いのか、普通なのか、底辺なのかわかりませんがとりあえず読んでくださる方がいることが創作の活力となります。ですので、これを読んでいる方は是非ともコメントしていただけると嬉しいです。私は以前この意味怖で『宜しかったら感想をお願いします』なんて後書きを書いていましたが、どうもこの『小説家になろう』ではコメントを催促することはタブーになっているようで、いろいろ調べてみるとそのようなことになっていると知りました。しかしながら最近この『小説家になろう』のエッセイランキングで上位に入っていた作品を読むと、『コメントくれくれ』話や、『評価くれくれ』話があって、これっていいの?と思いました。一応禁止にはしているが全てを監視することはできないから、各自の良心に任せるといった感じでしょうか? なんだかもやっとする感じです。
さて、話は戻ってこの『KASASAGI』というシステムは、どれくらいのアクセスがあったのだとか、どの話がどれだけ読まれているのだとかがわかるのですが、これを見ていて一つ疑問に思ったことがあります。この愚痴を書いている時点で、この『意味怖』には30の短編があるのですが18番目に書かれた『まとめサイト』という話がやたらと他の話より多くPV数があるのです。この意味怖の連載は短編集ですので、1話1話に繋がりはないので、どこから読み始めてもいいのはわかりますが、何故この『まとめサイト』の話だけPV数が多いのでしょう? 詳しくは計算していませんが他の話と比較すると三、四倍ほどPV数に開きがあると思われます。どなたか原因がわかる方いらっしゃらないでしょうか? 気になって夜しか眠れません。『KASASAGI』というシステムは誰でも使うことができるので、実際にどれくらい多いのか見てみてください。特に3/9からその異変は始まっているようで、3/23とか4/23とか4/9のPV数は異常でしょう。それともう一つ気になることがありまして、それは連載が始まって一ヶ月ちょいの2018年11月16日のこと。この日だけ異常なほどアクセス数が爆発しているのです。その数日前は1日の合計アクセス数が1〜3といった閑古鳥が鳴いている状態が続いていたのに、その日に限り一気に1638アクセスにまで増えているのです。この日に何かがあったことは確実です。単純に怖いです。どなたか原因がわかる、あるいはこうじゃないですかと推測出来る方いましたら教えて欲しいです。何卒よろしくお願いします。
さて、意味怖を書いている私ですが、読むことも多く、いろんな方の作品を読んではインスピレーションの源をいただいております。中でも多いオチが『消えていたはずの電気が何故か付いている』と、『謎の暗号文を解読したら⋯⋯』というものです。たしかに消えてたはずの電気が付いていたら、怖いですよね。そして暗号文ですが、これは読んでいて私の中で、怖さはいまいちです。実際、暗号を解読してみると『お前を殺す』だとか書いてあるオチなのですが、暗号にする必然性がないと言いますか、そういった違和感が怖さを半減させている要因なのではないかと思います。まあそれは人それぞれなのでここではあまり追求しません。
そして、『違和感』と言いますと、話の内容を考えている際に伏線はどうしようかと考える場面があります。違和感なく伏線をしのばせられた時は、とても心地よい気分になれるのですが、なかなかそのような伏線は思いつきません。そこで普段はどうしているかというと、伏線を伏線とバレないようにするために、文を長くするという手法を取っています。つまり、ある場面で急に細かい描写を入れてくると、「あ、ここなんか怪しい」となって簡単にわかってしまうからです。なのでそこを隠すために、あえて別の部分も描写するということです。別にわかってしまってもいいのでしょうが、私はゆくゆくはミステリー小説を書きたいと思っているので、そういった練習の意味も兼ねて、伏線はなるべくならバレないようにしていきたいです。本来ならば、(私個人の意見としては)意味怖には伏線を張る必要はなく、解説というか裏設定みたいなのがあり、それを読んで怖いと思えればいいのかなと思っています。普通に読めば、普通の怖くもなんともない話だが、背景を知って怖い──みたいなそんな感じです。とはいえ、伏線を張らないとなんでもありになってしまうので、作った話の中にはあからさまに仕込んだ話がいくつもあります。そして30話の後書きにも書きましたが、タイトルが伏線やミスリードになっている話はいくつかあります。3話は完全にネタバレタイトルですね。5話の『捜しモノ』というタイトルも『モノ』がカタカナなのは『物』ではなく『者』だったというオチです。なかでも個人的に一番気に入っているのは10話のタイトルで『妙な奴』この短いタイトルの中に女という漢字が二つも入っているのです。気づいた方はどれくらいいるのでしょう。短くまとめられて、嬉しかったです。
しかしながら伏線を張ると文が長くなってしまいます。皆さんはどのくらいの文の長さがお好みなのでしょう? ツイッターくらいの文量でしょうか? それとも星新一氏のショートショートぐらいの文量でしょうか? それとももっと長いほうがいいでしょうか? 今回は愚痴ということで、特に文量も気にせずに、むしろ限界まで書いてやると意気込んでいますが、今の時点でまだ三千字弱です。なかなか道のりは険しいようです。意味怖だけに限って話をしていたら到底七万字にはたどり着かないので、話を別の愚痴に変えましょう。
そこで読まれる作品の特徴について考えてみようかと思います。どんな作品が読まれるのでしょうか。普通に考えれば面白い作品なのでしょうが、実はそうでもないというのが実情です。なんでこんな作品が売れているのだろうとか思ったことはないでしょうか。つまらない、ご都合主義、主人公が気持ち悪い、オチがない、胸くそが悪い、などなどと悪評だらけにもかかわらず、結構売れていたりする作品があったりします。何とは言いませんが、具体的にあれとあれとあれと、という感じでいくつかの作品名が頭の中に浮かびます。しかしながら、それは自分が思っているだけで、他の人から見れば面白いと思うのかもしれません。要は誰に向けて作品が作られているかということですね。小学生に社会派サスペンスを見せたって面白いと思うはずがありませんし、逆に子供向けのギャグ漫画を大人が読んでつまらないと思ってもそれは仕方がないでしょう。すなわち需要と供給が噛み合っていないだけのこと。そこをわからずにつまらないと文句を言っても、それはお門違いというものです。
ですが一方で、面白いにもかかわらず、あまり読まれていない作品があるのはどうしてか。これはいたってシンプルに、みんなが知らないというわけですね。つまり知名度の低さが読まれない原因なのです。逆に言えば、知名度さえあれば、一気に爆発的に皆に読まれるのです。小説ではないですが、あのピコ太郎さんも世界的に有名なあのジャスティン・ビーバーさんが面白いと呟いて、それを多くの人が見たことによって爆発的に売れました。もちろんそこにはPPAPがヒットするだけの面白さや、わかりやすさなどがあるとは思いますが、その出来事がなければあそこまでの白熱はなかったでしょう。つまり、読まれるか読まれないか悩んでいる作者の方がいらっしゃいましたら、作品の質を上げることもそうですが、大いに宣伝してみるというのはどうでしょうか。今の時代でしたらツイッターなどのSNSを使って宣伝したり、自らがYouTuberとなって動画を配信してみたり、あるいは有名人とアポを取って、彼らに売り込み、宣伝してもらうというのも一つの手です。あるいは予備校講師で有名な林修先生がやったように、テレビ業界というもっと大きな影響力を持ったところへと自分を宣伝してみるのも一つの手です。もっと、みんなに知ってもらいましょう。そうすれば読まれるはずです⋯⋯とは言ったものの、それで成功するかしないかはわかりません。全くもって、これは運ですね。あの大ヒットした『君の膵臓をたべたい』という作品も、この『小説家になろう』で発表したところ、人気が出て、結果的に実写映画化、アニメ映画化されたという作品です。私も実写の方の映画見ました。素晴らしい作品でした。発表の場を一つに絞るのではなく、色々と変えてみるというのも一つの手でしょう。というわけで、ツイッターもフェイスブックもインスタグラムもしていない私ですが、なんとか多くの方に読んでもらいたいと思い、週一更新を目指して頑張っています。更新すれば新着小説のところに名前が出るので、そこから知ってもらうのが今のところ私ができる唯一の宣伝です。継続は力なりとは申しますが、継続できることがすでに力なのだと最近感じています。
『継続は力なり』
座右の銘にしたいほど私の中で好きな諺です。
さて、諺の話になったので、少しそちらの愚痴をしてみたいと思います。好きな諺がある一方で、私には嫌いなも諺あります。『火のないところに煙は立たない』と『酒は百薬の長』という、とりわけこの二つです。
まず一つ目。『火のないところに煙は立たない』ですが、意味は『根拠がなければ噂はたたない』です。しかしこれは全くの間違い。根拠はなくても噂はたちます。陰謀論なんてまさしくそうでしょう。あれやこれやと根拠もない推論を並び立てて、ありもしない仮説を唱える。それを仲間内で楽しんでる分にはいいでしょうが、往々にして陰謀論を真面目に信じている人はタチが悪いので、みんなに言いふらして回って煙たがれるのです。煙たがれるなんて、まさしく彼ら自身が火のない煙だったということですね。そして、『宇宙人と接触した』だの『〇〇年〇〇月〇〇日に地球が滅びる』だの明らかに嘘だとわかるものなら、あまり被害はないですが、『新子、援交してそう』とか『影山ドーピングしている』などといういかにもありそうな噂は本当にタチが悪い。皆さん、根拠のない噂話には気をつけましょう。それは自らが噂話で被害に遭わないようにという意味ではなく、噂話に踊らされて他人を傷つけないように、という意味です。『悪意に塗れたナイフで穢れなき弱者を傷つけないよう変わるんだ』という柊先生の言葉がぐさりと刺さってきます。
さて、もう一つの諺。『酒は百薬の長』ですが、これは『適正量の酒を嗜むくらいなら、どんな薬よりも健康に効果がある』という意味らしいです。しかし、これはアルコール中毒者ならびに、酒飲みの戯言です。二日酔いになって気分を害しているのに、健康になるわけがないのです。酒を日常的に飲んでいる人は肝硬変や、癌、中枢神経系の障害を起こすリスクが飲まない人と比べて高いのは医学的にも明らかです。そしてそれは量によらないことが現代科学の力により判明しているのです。そもそも”少し“嗜むとはどれくらいの量のことを言っているのでしょう。自主的に酒を飲む人は酔いたいから飲んでいるのでしょう。でなければジュースでもお茶でも飲んでいればいいのです。どれくらいの酔いならむしろ健康に良いのか? 個人差があるのでわかりませんが、いずれにせよ、“健康“という点にのみ考えれば、体に良くないのは確かだと私はそう思っています。そもそもこの諺が生まれたのは遥か過去のことで、言葉の起源なんてわかりかねますが、きっと江戸時代より前からあったのではないかと思います。そうすると、お酒なんて滅多に飲めない嗜好品で、貧しい環境にある人がやすやすと飲める代物ではなかったのだろうと言うことは、簡単に推察されるでしょう。そうすると、貧乏人が早く死に金持ちが長生きできるのはどの時代でも言えることですから、要はこの諺は『酒が飲めるほどの裕福さがあれば、長生きできる』と言った方がより正しいのではないでしょうか。つまり、貧乏人でも酒が手に入る現代では、その意味が変わってしまうのです。──と、散々言ってきましたが、現代人はストレスが、それはそれは多いことで、そのストレスを多少の酒が紛らわしてくれるのなら、それはそれでいいのでしょう。むしろストレスを抱え込みすぎて自殺なんてしてしまったら、元も子もない。健康に気を遣いすぎて酒を飲まないようにしていたらストレスが溜まって死んでしまった──なんて、皮肉です。アルコールで深まる仲というのもありますし、そうやった生まれてきた子供が何人もいることでしょう。クリスマスベイビーならぬ、アルコールベイビーってやつですね。少子化抑止に役立っていたと言うことですか⋯⋯しかし酒の席にはそう言ったメリットもあるのでしょうが、アルコールハラスメントだけは御免被りたい。
「よ、ねえちゃん。もう一杯どうだい?」
なんて誘われて、
「『酒は百薬の長』なんて言われてるんだよ?」
などと言ってきようものなら、
「知ってますか? 『酒は百毒の長』って諺があるんですよ」
と教えてあげましょう。きっと面食らうはずです。(実際にある諺です)目には目を。諺には諺で返すのです。
さてここまででやっと七千字です。つまり目標の十分の一を達成したということになるのですが、どうでしょうか。みなさん読んでいるのでしょうか。さて気にせずどんどん愚痴っていきましょう。
実は先日、私はとある人物の写真集を買おう思って何店舗か書店を巡ってみたのですが、全ての本屋で売っていませんでした。発売されたのは半年ほど前で、写真集など買ったことがなかったので、こんなにも早く書店から消えて無くなるのだとは知りませんでした。買おうと思ったきっかけは、本屋でたまたま見かけたからです。それは発売されてまだ間もない頃、本屋に立ち寄ってたまたまその写真集を見かけ、その時は可愛いなあと思っただけで特に買おうなどとは考えていなかったのですが、あとで家に帰ってから調べて知っていくうちに欲しくなってしまったのです。結構な数の書店を回りました。ネットで買えば楽なのですが、なんだか家族に知られるのが恥ずかしいので、それは今のところしていないです。そこでふと思ったのが『衝動買いが経済を回している』という話です。誰もが一度はあるのではないでしょうか。衝動買い。表紙やジャケットを見て可愛いとか、カッコいいと思って、つい買ってしまったという漫画やCD。あ、美味しそうと思ってつい手を伸ばした食べ物。いらないんだけど、なんだか気になって買った変なおもちゃ。蓋を開ければ大したことなかったりするけれど、たまにお宝に巡り合えたりする。そんな衝動買いが世界経済を回していると言っても過言ではないでしょう。
──と、言うわけで話を写真集に戻すと、もう私はそれを手に入れることはないのではないかと思ってしまうのです。ブックオフに行けば手に入りそうですけど、他人が読んで売った写真集を買いたいと思えず、また、ネット通販の使い方も良くわからない私ですから、こうなるともう、どうでも良くなってくる──か、あるいは意地が勝るか。まだ意地が勝っていますが、書店を巡っている時、ふと思ってしまったのです。「それ本当に欲しいの? そこまでして手に入れたいの?」と──。たしかに生活必需品でもなければ、食材でもなく、必要かと問われれば極論「いらなくてもいい」となってしまう。けれど、それはあくまで極論であって、今はまだ欲しいと思っている。買いたい人がいるのに売っていない。寂しいですね。ですから衝動買いは大切なのです。すなわちこれ、一期一会。もう巡り合わないかもしれない、その瞬間の出会いを大切にしましょう。金は天下の回りもの。金は戻ってきますが、その商品はもう二度と手に入らないかもしれない。機会を逃してはいけません。というわけで、この間は都市部の駅の近くの大型書店へと足を運んだのですが、そこにもありませんでした。在庫にもなく、仕方なく前から欲しかった別の本を買って帰りました。大型書店だからこそ、そう言った本を置いておくべきなのではないでしょうか? 雑誌ならともかく、写真集なんですからもう少しの間くらい置いてたっていいでしょう! むしろ小さな書店にも置いてあるような超有名アイドルグループのは置いておくにしても、数点にして、その空いたスペースに置いておくことだってできるでしょう。何故してくれないんですか。──と文字通り、愚痴ってみましたが、置かれない理由もわかります。写真集って売れないですよね。熱心なファンはすぐに買いますから、発売から何ヶ月も経ったものは売れないと判断されてもおかしくはない。ですが! そんなことは重々承知ですが! せめて大型書店にはそう言ったものを置いて欲しい。写真集買うの恥ずかしいですから、カモフラージュに別の本を買う人を想像すれば、置いておいて損はないですよ。と、これを読んでいるかもしれない書店員の方にメリットを提示してみますが、どうでしょうか。むしろ大々的に写真集フェアとかやったらどうですか。結構売れると思いますよ。フェアだから買いやすいってなりますから、きっと。
というわけで、本が欲しいという愚痴でした。
ここまででやっと八千字。はぁ⋯⋯長い。七万字の遠きことよ。書くことが思いつかないので、仕方なくボツにした。話を載せることにしましょう。
タイトルは『サラリーマン。その2』です。
◆
脇の匂いが熱気にむせ返るような夏の日。私は額にかいた汗をハンカチで拭いながら、取引先へと歩いて向かっていた。
「暑っちぃな⋯⋯」
今年はいつになく暑い気がした。もっとも、それは毎年思っていることなのだろう。そう思うのは、やはりこの暑さを忘れてしまっているということなのだ。私はひとまず近くの喫茶店に逃げ込んだ。
「ふぅー、生き返る」
待ち合わせの時間まで、まだ余裕がある。とりあえずここで休憩しよう。
「すまん姉ちゃん、レイコーひとつ」
店員を呼んで、飲み物を注文。
「かしこまりました」
天井についている扇風機がガウンガウン首を振っている。それにしてもクーラーが効いている。やっぱり文明の力ってすごいなぁ。世間じゃ地球温暖化なんか言ってるけど、これじゃもうどうしようもないよ。私はガラケーも持っていないような未開人だが、それでもクーラーは必要だ。
「あ、そうだ今のうちに確認しておこう」
私はこの後の取り引きに備え、再度内容を確認しようとカバンの中から資料を取り出そうとした。その時──
「あれ?」
──なかった。いや、資料はあったが、スケジュール帳が入っていなかった。あれにはこの先何ヶ月かの取り引き先との綿密に計画されたスケジュールが書かれていた。無くしたとなれば一大事だ。
「お待たせしました。アイスコーヒーです」
「ん、おおきに」
ひとまず、冷たいコーヒーで頭を冷やそう。なに、そんなあわてることじゃない。落ち着いている理由はあれが紙だからだ。そして私が携帯を持たない理由の一つがそれだ。ああいう電子機器は操作がよくわからない上に、データとやらが突然消えて無くなってしまう。全くわけがわからない。その点、紙なら突然消えることもないってわけだ。
「ま、どうせ車の中にでもあんだろ」
私はボールペンを取り出して、資料を読み返した。
「おっといけね」
私は書き間違えた部分をこすって修正する。昔なら想像もつかなかったが、今は消せるボールペンなんてのもあるのだ。時代は日々変わっていき、どんどん便利になっていく。私もスマホを持つべきか⋯⋯。
しかし我々は注意しなければならない。その便利さが時に牙を剥いて襲ってくることに──。
◆
はい、というわけで、いかがだったでしょうか。オチがわかったでしょうか。解説をしますと、男が持っていたボールペンはフリクションボールペンで、擦れば消えるという画期的なボールペンなのですが、その仕組みは熱によるもので、インクの温度が60度を超えると透明になってしまうのです。なので真夏の車中に置き忘れたスケジュール帳がどうなるかなんて⋯⋯お察しです。逆に冷やせば消した部分を元に戻せるそうですが、何度も消しては書いてと繰り返していた場合、全てが復元されて黒くなって、結局は読めないでしょう。サラリーマンにとってはなかなかに怖いことです。心霊とはまた違った怖さで、ある意味ではこちらの方が現実的で命取りですが、あまり怖くないなと思いボツにしました。誰かこのネタで怖い話を思いつきましたら、実際に書いて投稿してみてください。教えてくだされば絶対に読みに行きます。
しかしこれを読んだ皆さん。決して悪用しては行けませんよ。勝手に嫌いな上司のスケジュール帳を暑そうな場所に移動させておいて、「あ! 消えてる!」とか、絶対にやってはいけませんよ。しかし「やるな」と言われるとやりたくなってしまうのが人の罪と言いますか、やりたくなってしまうんですよね。かと言って「やれよ」なんて言うのもおかしいですし、どうすればいいのでしょうか。「押すなよ、絶対に押すなよ」は「押せ」と言う意味ですから、2回繰り返し言ったら逆の意味みたいな暗黙のルールとかがあれば困りませんね。だからなのでしょうか、たまに「大事なことなので一度しか言いません」とか言う人いますけど、何回も言ったら「その逆のことをしろ」と言うフリだと勘違いする輩が現れるので、それを阻止するためにそう言っているのでしょうか。そう考えると実に理がかなってますね。「大事なことなんだったら、何回でも言えよ!」とか、以前は思ってましたが、何回言っても聞かない奴は聞きませんし、聞く人は初めの一回で聞いてしまうし、やっぱり何回も言うメリットはないのでしょうね。喉が疲れるだけです。あとは紙に書いて貼っとくとかしとけばいいんです。大学の掲示板みたいに各自見とけよーってしとけばいいんです。見ない奴が悪い──自己責任。
さて、本当に七万字は遠い。ていうか読んでる人いますか。ここでちょっとだれてきたので一つ暗号文でも載せてみようかと思います。
『2:…46%☆5』
最後の方に解説書こうと思います。どうぞお付き合いください。さて色々書いてみましたが、話を小説に戻して愚痴っていきましょう。
『小説家になろう』といえば、今はもっぱら「異世界」ものが流行っていますね。人気ランキングの上位のそのほとんどはなんらかのここではないどこか別の世界での話になっています。皆さんそんなに異世界に憧れるのですかね。しかし異世界モノが流行っている理由もなんとなくわかります。書くこともないんで、文字数稼ぎにいくつか挙げてみましょう。
理由その1。『流行っているから』
流行っているから流行っているとは、何を変なことを言っているのかと思われるかとは思いますが、つまり需要があるから供給量が増えているということで、バランスと言いますか、むしろ異世界転生モノでないと読まれないとさえ思えてしまうほどに、このジャンルは流行っていると思われます。作者も安易に考えすぎですね。読者数が多ければそれだけ読まれる機会も増えるかとは思いますが、逆に競争相手もまた多いということで、そのほとんどは読まれないか、読まれても冒頭だけという悲惨な状況です。まあそれでもいいのでしょう。『小説家になろう』というサイト名ですけれど、本当に小説家になりたいと思って投稿している人って案外少ないんじゃないかと思ったりします。
理由その2。『設定が作りやすい』
これは作者側の都合ですね。現実世界ではないですからなんでもありです。モンスターが出てきても、魔法が使えても、全ては『異世界だから』という理由で片付けることができるのですから楽なものです。しかしそんなご都合主義がまかり通るからこそ、作り手の実力が試されるというものです。魔法を使ったバトルものは特にその設定を練っていないと、ご都合主義と揶揄されてしまいます。ギャグ調でしたらむしろそれがボケとして機能したりするのでしょう。本当にもうなんでもありですからね、設定は自由自在。現実世界のことをよく知らなくて書けないから異世界にしよう、なんて安易に考えていたら足元すくわれてしまいます。むしろ現実世界を知っているからこそ、異国の世界感を出せるのでしょう。でなければ、それは異世界でもなんでもなく、ただの妄想の世界です。
理由その3。『現代読者の現実逃避』
現代人のストレスの多いこと多いこと。まあ、どの時代でもそれなりの苦労はあるのですが、とりわけ日本人が多いのは『自殺』ですね。調べたところによりますと、昨年(2018年)の日本の自殺者数は約二万人で、それは減少傾向にはあるものの、やはり多いと思います。わかっている数だけでこれだけですから、行方不明者の中には自殺してしまった人もいるのではないでしょうか。実際に自殺してしまったという人と、自殺したが自殺と認定されなかった人、そしてまだしていないだけでいずれする可能性の高い人とがいるので、やはり現代日本人はストレスを発散させる場が欲しいのです。そこでこの異世界転生はある種の希望なのです。死んだら異世界に転生して、今よりも楽しくてワクワクするような生活をおくりたい!という願いを擬似的に叶える装置なのです。現実世界では美少女たちによるハーレムなんて作れませんから、そんなこと現代でやろうものなら修羅場と化し殺されるなんてことになるかもしれません。その点、物語の中に自己を投影し、妄想世界でお楽しむ分には誰も傷つけませんから安上がりで安全、安心。素晴らしい。奴隷という設定も異世界なら可能ですし、主人公がたとえニートでも、異世界転生で生まれ変わる際に全能力値をマックスにしても、そういう設定だからと一蹴できてしまいます。本当に安易な発想だ。
理由その4。『無双したい』
ゲームやってても楽しく思えなくなった人っていると思います。ネット越しでの対戦ゲームでは、四六時中ネットにかじりついているニートやゲーマーが強いですから、忙しい人はスキルを身につける時間もなく勝てない。勝てないからつまらない。つまらないからストレス発散できない。というわけで対戦ゲームはやめて、一人コツコツ出来るソシャゲをしたりするのですが、ふとこう思ってしまうのです。これはとある友人の体験談なのですが、あの時友人はこう思ったそうです。
『これって何が楽しいの?』と──。
ガチャを回して、強いキャラを手に入れて、期間限定イベントでバトルして、キャラを強化して⋯⋯と、それをひたすら繰り返す。そのうちログインボーナス手に入れるためだけにアプリを起動するようになり、でも結局遊ばないから意味がなく、ついには『何やってるの私?』と考えてはいけない領域に達してしまう⋯⋯。しかしこれら全て心の余裕のなさやプレイする時間の確保が出来ないなどが原因で、そこが根本的な原因ではないのです。やらなければならない何かから目をそらすために、ゲームをしている人って結構いると思います。
──話が逸れましたが、つまり無双したいんですよ。スキルを身につける時間も気力もないから設定でステータスMaxにして、どんなに強い敵もバッサバッサとやっつけてスッキリしたいんですよ。現実ではそれができないから、物語の中で主人公に代わりにやってもらう。そのためにはモンスターが出てきてくれなければ困る。現代人をバッサバッサと斬り殺したら大問題ですし、かと言って動物を殺そうものならどこかの団体が何か言ってくるに違いありませんからね。モンスターが出ても違和感のない異世界へと舞台は移るわけですよ。ほかにも『ハーレム築きたい』だの『無知な馬鹿どもに知識無双したい』だの色々あるとは思いますが、結局は現代で不可能な何かを異世界という地で果たしたいということです。
これらが異世界転移モノが流行っている理由なのではないでしょうか。ちなみになんですが、その異世界転移話のテンプレートを書いてみました。読んでみてください。
『十代後半から二十代の主人公の男が、ある日突然不慮の事故や事件に巻き込まれ死に、目が覚めたら異世界へと何故か移動していた。そこは中世ヨーロッパ“風“の建築物が建ち並び、主人公は初めの方こそ少し驚くが、すんなりと状況を飲み込んでしまう。そして少し街中を歩いていると、主人公の男(あるいは街にいた少女)が危険な目にあう。そこに少女(あるいは主人公)が助けに入ることにより、二人の出会いが始まる。お互いに自己紹介して、なんだかんだで仲良くなり、少女は住む場所を提供してくれる──。』
といった感じです。異世界へ転移する作品の多くはこんな感じで始まります。別にこれが悪いとは私は思いません。けれど、いつもこのワンパターンなら読んでいる人にとってはもうお腹いっぱいで、一味違ったものが読みたいと思うことでしょう。いい意味でそこを意識し、差別化出来ればヒットすること間違いなし、なんせ今は異世界ブームですからね。──で、す、が、流行り廃りはあるので書くなら今のうちに。
こうしてテンプレートを書いてみると、ある一つの特徴──共通点に気づきました。それは、そのほとんどが中世ヨーロッパ風なのです! 必ずと言っていいほど、中世ヨーロッパ風。転移する理由は、様々ありますが、ここだけはどこも同じだと思います。中国風でも、アメリカ風でも、アジア風でもなく中世ヨーロッパ風。そうでなければならないほどの中世ヨーロッパ風。しかしながら何度も言っててなんですが、そもそも中世ヨーロッパ風とはなんでしょうか? 私はヨーロッパに行ったことは一度もありませんからレンガ造りの建物が立ち並ぶぐらいしか想像がつきませんが、そんなアバウトな認識で合っているでしょうか。そして中世である必要はどこにあるのですか──と、疑問に思いましたか、書いていてなんとなくわかりました。おそらく作者は小説の中に現代科学を持ち込みたくないのでしょう。特に異世界転移モノは魔法が出てくる話が多いですから科学が出てきてしまえば魔法に説明がつけられなくなってしまいます。それゆえのまだ科学がそれほど発達していない中世になかば必然的に設定される。そしてこれも疑問なのですが、なぜ舞台はヨーロッパ風なのか考えてみました。そこで『ゲームによく出てくる街並みに似ているから』や『単純にその方が資料もあって書きやすい』などといくつか可能性を思いついたのですが、これらはどれもある理由の側面に過ぎず、根本的な部分でこれがあるのではないかと思ったのです。
すなわちそれは──『白人至上主義』
異世界感を出すには現実の日本から離れた部分を多く取り入れれば、その雰囲気を醸し出せます。日本人から離れた人種ということでの白人。アニメを見ていても描かれる美形は、目が大きくて彫りが深く、色白な肌や透き通る目を持っています。これらは白人の身体的特徴で、彼らが多くいる街並みにするために、いても違和感のない世界観にするためにヨーロッパにしたのではないでしょうか。この説は中らずといえども遠からずといった感じがします。こんな感じで異世界に関して疑問は尽きないでしょうが、突き詰めていったらきりがありませんし、そもそもフィクションに疑問を挟むなんて無粋でした。ここで終わりにしましょう。書くこともなくなったのでさっき思いついたギャグを書きましょう。
『異世界で汗かいて』
つまらないですがこれも文字数稼ぎのためです仕方がないです。
あ、今書いていて思いついたのですが、先ほど書いた『18番目に書いた「まとめサイト」という短編のPV数がやたらと多い』って話なんですが、一つ仮説を思いつきました。つまり“一人の人間がやたらとそのページを開いている“という仮説です。この意味怖を訪れた多くの人が「まとめサイト」を選んで読んでいたと思っていたその前提は、実は間違いで、本来その「まとめサイト」は他の話と同数ほどのPV数を取っていたのに、とある一人の人間がやたらとそのページを見たことによって、そんな異常さが生まれてしまったという⋯⋯──いやいやいや、怖いでしょ!なにが目的なの⁉︎ もしそうなら、超怖いんですけど! やはり生きている人間の方が圧倒的に怖いです。
さて前の方の文章で書いた暗号ですが、ヒントはスマートフォンのフリック入力です。
ああ、もうなんだか文章に脈絡がなくなってきました。というわけで到底七万文字には及びもしませんでしたが、ここで書くこともなくなったので終わりにしようと思います。小説ならセリフがあるので、結構文字数稼げそうですが愚痴でそれをやるのは流石に無理がありました。というかあまり愚痴っていなかったような気もします。更新が途絶えないようにこのような物を書きました。いちおう中盤らへんにボツにしたとはいえ「意味怖」を載せておいたのでそれで勘弁してもらいましょう。この愚痴の以前に書かれた30の短編の合計文字数が40001文字なので、この愚痴は約半分に匹敵する文量となりました。
愚痴がかけないという愚痴を書き、文字数稼ぎに文字数稼ぎについて語る。
以上、駄文を読んでくださりありがとうございました。




