Monster
青年はせっかくの休日だというのに、暇を持て余していた。やりたいことも特に思いつかず、散歩がてら道をぶらぶら歩いていると、見知らぬ男が声をかけてきた。
「もしお時間よろしければ、アンケートにご協力お願いできますか?」
バインダーを脇に挟んだその男は、貼り付けたような笑顔を見せた。
「いいですけど、なんのアンケートですか?」
「ええ、一つの倫理に関する質問にお答えしてもらっています」
なおも男は、どこか歪な笑顔を見せていた。青年は、どこか怪しさを感じたが、質問に答えるだけだし暇も潰せていいかと、アンケートを受ける事にした。
「ありがとうございます。でははじめに、年齢と職業をお教え願いますか」
男はペンを取り出し、質問する。
「二十六歳、都内で美容師をしています」
「そうですか⋯⋯、ちなみにお名前をお伺いすることはできますか」
「あ、はい。石村といいます」
「ありがとうございます。では石村さん、早速ですが質問です」
男は問う。
「もし十人の命を犠牲にすることで世界が良くなるのなら、あなたはその十人に犠牲になってもらいますか?」
変な質問だとは思った。だが青年はすぐに「はい、そうですね」と答えた。その回答に男は、眉間に皺を寄せながら「どうしてですか?」と理由を訊ねる。青年は答えた。
「世界には何十億という人間がいます。それと比べれば十人なんてほんのごくわずか、小指の爪の先ほどにもならないくらいの小さな数です。もし仮にあなたの言うことが本当だったなら、そうするのが世界のためになるんでしょう。幸せというのは、常に誰かの不幸によって成り立っているんですからね」
「なるほど、そうですか」
男は感嘆の声を漏らすと、「貴重なご意見、どうもありがとうございました」と感謝の言葉を述べた。
そうして男は、持っていた用紙に目を落とし、青年の回答を書き込みはじめた。
質問はこれで終わりだった。あまり暇を潰せなかったと感じた青年は、逆に質問することにした。
「ところでなんですが、他の人はどんなふうに答えてました?」
青年の言葉に、男は顔を上げた。
「興味がありますか。そうですねぇ、ある人はこう答えていましたよ。『たとえ世界が良くなろうとも、人の命が失われるのなら、それはあってはならないことだ』と。また別のある人は、こうも言っていました。『犠牲になった人の家族や友人は悲しむに決まってる。そんなことをして得る幸福など本当の幸福じゃない』とね」
それを聞いた青年は、ふっと笑うと肩をすくめた。
「その人たちはまるでわかっていませんね。偽善者ですよ。さっきも言ったように、全ての幸せは誰かの不幸の上に成り立っているんです。医学なんてまさしくそうじゃないですか。過去に病気や怪我をして犠牲となった人がいたからこそ、今の医療技術があるんですよ。それに人はいずれ死にます。あと十年後、二十年後に生きている保証なんてどこにもないんですよ。もしかしたら明日、交通事故にあって死ぬかもしれない、通り魔に襲われて死ぬかもしれない。そんなんで死んだとして一体何になるって言うんです? 犠牲になる人は、大げさに言えば人類を救う一助となって死ぬわけですから、その人たちはいわば英雄ですよ」
淀みなく喋り通す青年。それを聞き、男は青年に訊く。
「あなたは英雄になりたいですか?」
「まさか、私にはとても無理ですよ。ですが、皆が幸せになるのなら、それは私も望むところです」
「では最後にもう一つだけ質問させてください」
語る青年に、男は人差し指をたてて問う。
「あなたは幸せになりたいですか?」
青年は深くうなずいた。
「それは、そうですね。たしかに私が幸せになれば、誰かが不幸になるかもしれない。でもだからといって不幸になるつもりもありません」
青年は「最後に、これだけは言っておきましょう」とセリフを付け加えた。
「私は人を故意に傷つけるようなことはしません。しかし私が幸せになるように努力して、その結果誰かが不幸になっても、それはお互い様というものです」
男は軽く頭を下げ、お礼を述べる。青年はその場をあとにした。
「あ、そうそう、ちなみになんですが──」
男が、過ぎ去る青年に声をかけた。
「あなたと同じ意見を持っていた人は、あなたの他に八人いましたよ」
そして男は、ニヤリと笑うと一言つぶやいた。
「あと一人ですね」
【解説】
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アンケートしていた男は、犠牲になる人間を選ぶためにアンケートを行っていた。あの質問に肯定していた人が犠牲者となる。男が十人を選び出し、どうしたのかは、次のお話で。




