言霊
「お前はいいよなあ、背が高くてさ」
頭一つ分大きい隣のやつを見て、僕は溜息をついた。
「なんだ、どうしたよ……ははぁん、わかったぞ。ジェットコースターに乗りたいんだな」
「ちげえよ、そんなんじゃねえし……」
マックシェイクを片手に的外れな指摘をするこの隣のうどの大木こと木村は、実は僕の親友だったりする。実はこの間、「やっぱチビとはダメだわ」と、なんとも理不尽な理由で、僕は付き合って一ヶ月の彼女に振られたのだった。そんなこととはつゆ知らず、「まあ、手っ取り早い解決はこれだな」と靴を指差して木村は言った。
「シークレットシューズを履けと?」
こくんと無言で頷く木村。ばかかな?
「ていうか、なんでそんなに身長伸ばしたいんだよ」
木村は横目で僕を見て言った。
「お、お前には関係ないだろ!」
「あっそ……あ、そうだ。背を伸ばす手っ取り早い方法があるにはあるんだけど、知りたい?」
木村が思い出したかのように、何やら怪しげな台詞を口にした。そしてマックシェイクをずずず、と吸った。
「ん……あ、まあ」
不本意だが、僕は曖昧に頷いた。だがその反応を見て木村は、
「嫌ならいいんだけどな。無理には勧めない」
と気遣ってくれた。そしてまたシェイクを啜る。
「ま、まあ、あれだ。でかくてもお前みたいだったら結果は同じだけどな。人は見た目じゃない、中身だよ中身……」
「ふぅん。別にお前がそう言うならいいけどさ」
「あ、いや……」
僕は自分の情けなさに、肩を落とした。
そう、親友に毒づいたところで身長が伸びるわけでもないのだ。
そして僕は冗談だとは思うが、木村に頼むことにした。
後日、木村にそのことで呼び出された。自転車を走らせること約一時間。ついた場所はとある建物の中の、とある部屋の扉の前だった。
「いいか。お前にはこの部屋で二、三日過ごしてもらう。ただし、この部屋で落ち込んだり、クサイ台詞とか吐いたりしちゃダメだからな」
「なんでだよ」
「実はこの部屋――」
木村の表情が急に険しくなった。僕が固唾を呑むと、木村は恐る恐る口を開いた。
「慣用句が現実に起きてしまう不思議な部屋なんだ」
「……はぁ?」
空いた口が塞がらないとはこのことだった。
「だから例えば、落ち込んで『肩を落とし』たり、『歯の浮く』ようなクサイ台詞吐いたりしたら本当に肩をおっこどしたり、歯が浮き出しちゃうんだからな」
「まじかよ」
「おう、だからちょっと実演してみる。それを見れば本当だってわかるから。ほら、俺の口のなか見とけよ」
そう言って、大口を開ける木村。
「お前金歯あるんだな」
「そういうことじゃねえんだよ。ともかく口の中に何もないよな」
言われた通り見たが、口の中は直前に歯磨きしたようにきれいだった。
「まあ、見てろって」
そして扉をあけ、木村は一人で部屋にはいっていった。
「お前は入らずにそこから見ていろ。まあ、あれだよ……ちょっとあれを……その、やってみようと思うから……」
なんだかもごもごとはっきりしない言い方になる木村に、
「なんだよ。はっきり言えよ」
と、そう僕が言うも、しかし木村は何か言いたげにしただけで、結局なにもせず部屋を出てきた。
「で、さっきのはなんだったんだよ」
僕が訊くと、木村はくるりと向き直り、一歩踏み出した。
ぐいっと顔を近づけ、大口を開けて、今にも噛みつかんばかりに迫りくる木村に、僕はその部屋に片足を突っ込んだ。そして木村は自分の口に指を突っ込み、なにかを引っ掻き出した。
「さっきの、『奥歯に物が挟まった』ような言い方だっただろ。だからほら」
木村の口から糸が出てきた。
「えっと、つまりあれか、『奥歯に物が挟まった』ような言い方をしたから、さっきまでなんでもなかった奥歯に糸が挟まったと?」
「そう!」
「でもなぁ……いまいち信憑性ないよなあ、さっきだってよく見てなかったし」
手品とか、そういうんじゃないのか?
「じゃあわかったよ。そうだなぁ……たしかお前このあいだ発売されたばかりのなんとかってゲーム欲しいって言ってたよなあ」
「ああ、言ったけど。なに、くれんの?」
「いや、お前がこの部屋に入って『欲しい欲しい!』って強く念じろよ」
「それで?」
「『喉から手が出るほど』強く念じれば、ゲームは手に入らないが、喉から実際に手が出てくるぞ」
「怖ぇーよ!」
どんなホラーだよ。
そしてズイズイと迫る木村を手で制しながら、「わかったわかった信じるから」と口ではそういいつつ、その実、あんまり信じてはいなかった。
「で、お前にはこの部屋に入っててもらう」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫だって。水と食料は十分な量が用意されているし、換気設備もちゃんとある。簡易トイレもあるからぜんぜん平気だって」
「いやそういうことを言っているんじゃ……」
本当に大丈夫なのだろうか? ていうかそれが本当だとして、どんな慣用句を使えば背が伸びるんだよ。
「で、この部屋で何をすればいいんだ?」
「いや、お前はただこの部屋に入ってればいい」
「はい?」
「じゃ、そゆことで〜♡」
「あ、ちょ――」
扉はバタンと閉じられた。ノブに手をかけ、開けようとしたがうんともすんとも言わない。
「おい、開け――」
続きを言いかけて、気づいた。
(あ、やばい。ここで腹を立てたら、『腹が立つ』かもしれない。ていうか『腹が立つ』って慣用句か?)
わけがわからない――が、とりあえず僕は大きく一回深呼吸して、気を落ち着かせた。考えてみれば別に今すぐ死ぬってわけじゃない。
見上げると天井には蛍光灯と換気用のダクトが見えた。視線を下ろし見渡すと、殺風景な部屋には段ボール箱がいくつか積まれていた。開いて見たが、中には缶詰やレトルト食品、ペットボトルなどの食材や、災害時などで使われる簡易トイレが詰め込まれていた。優に一ヶ月は持ちこたえられそうな量だった。
しかしその他には何もなかった。
テレビも本も漫画もゲーム機も外を眺める窓もなにもかも、娯楽と呼べるようなものは何ひとつなかった。木村が言うようにここで『肩を落としては』ダメだ。しかし今はなにもすることがないという退屈さや、落胆よりも、どんな慣用句が自分の身に襲ってくるのか、それが漠然と怖かった。だが怖がることも何かの慣用句に繋がるかもしれないと、即座に思考を停止し、だから僕はじっと床にあぐらをかき目を閉じて、瞑想することにした。何もしなければ何も起きないだろう。木村は「ただこの部屋に入っていればいい」と言っていた。それで背が伸びるなら、ただそれに従えばいい。
そうして僕は、この部屋から出ることを首を長くして待ち続けたのだった。