愛
子供の質問は、時に突拍子もなく本質的で、当たり前すぎて疑問に思うことすらないようなものが多かったりする。特に大人を困らせる質問は、答えを知らないようなものや、答えなんてないものなどではなく、答えは知っているが答えづらい質問だ。答えを知っているものだから、知らないなどと嘘をつくのも白々しい。子供は意外と大人の嘘を見抜くもので、はぐらかされていると分かると駄々をこねてまで真実を知ろうとして、かえってややこしくなる。かといって素直に答えを教えるのもはばかられる。だから大人はどうしてきたかといえば、よくあるのは「コウノトリが運んできた」とか「キャベツ畑で拾った」とか、そんな昔からある常套句をつかう方法だ。一時的に納得させるこの方法は、いつか自力で真実を知るその時までの時間稼ぎにしかならない。だがそれでいいだろう。全ての真実を大人が教える義務はない。時にそれは残酷な結末を迎えるかも知れない。幼い頃、安易に親に訊いてしまった自分を恨むか、真実を教えてくれなかった親を恨むか。生きていればいづれ分かることなど想像するのは簡単なことなのに。
私の両親は何一つ嘘を言っていなかった。嘘だと気づいたそれが間違いで、嘘だったらどれだけ良かったか。両親には感謝している。私をここまで育ててくれたのだから。もしかしたらそれは本当の愛ではなかったのかも知れない。だが時に私を叱り、私を褒め、笑って過ごした日々があった。両親亡き今それを知るすべはもうない。だが大人になり子を持った今、両親が何も言わなかった理由がわかる気がする。きっとそれが愛なのだろう。
【解説】
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語り手は、かつて捨て子だった。
意味がわかると悲しいお話。