障子の穴
幼い頃のわたしは、よく祖母の家に遊びに行っていました。
実家から歩いて行けるほどの近くの場所に、祖母の家はありました。土地を持て余した田舎によくある古き良き日本家屋……とまでは言いませんが、それでも一人で住むには大きすぎる畳ばかりのある家でした。
わたしは祖母の家でよく、障子紙に穴をあけて遊んでいました。そのことで祖母には何度も怒られていました。
幼い頃のわたしはそんなことは気にせず、あの破れる感覚を楽しみたくて、指でぷすぷすと穴を開けていたのです。
祖父を早くに亡くし、独り身となっていた祖母にはとても苦労をかけました。
一人で障子を張り替えるのは大変なことだったでしょう。今になって思うのは、そんな祖母の苦労です。
あれは、暑い夏の日のことでした。
わたしはその日も祖母の家に遊びに訪れていました。
鍵もかかっていない玄関のドアを勝手に開けて中に入り、祖母の姿を探しました。
しばらく廊下や縁側を探し歩いていると、どこからか小さな声が聞こえてきました。知らない女の人の声のようです。
立ち止まり耳を澄ますと、それは障子一枚隔てた向こう側から聞こえているのだとわかりました。
わたしは部屋の中の様子が気になりました。そこで、ぷすりと人差し指で障子に穴をあけて中を覗いたのです。
驚きました。
部屋の中が夕方のようにうす暗かったのです。わたしが祖母の家を訪れたのは午前中です。外はジリジリと蝉の声が響き、陽の光が強く降り注いでいる時間帯です。どう考えてもそれはおかしかったのです。
覗き穴から見えたのは髪の長い一人の女の人でした。うすい闇にぼんやりと浮かぶ黒い輪郭は、祖母のそれではありません。その女の人は何かにまたがっていました。人のような何かに⋯⋯。
気づいた時には、わたしは叫んでいました。
「おばあちゃん!」
その女の人は横たわる祖母の上にまたがり、祖母の首を力強く握りしめていたのです。
あ、あ、と祖母の苦しむうめき声。そこに紛れて聞こえてくる、女の人の喉から漏れ出た力を込める息の音――。
祖母が殺される!
そう思ったわたしは勢いよく障子を開いたのです。そう、開けたのですが⋯⋯。
そこには誰もいませんでした。
そこは見慣れた畳の部屋。暗くもなく、変わったところなど何一つとしてない、いつもの和室でした。
わたしは何を見ていたというのでしょう。
そんな疑問を感じながら呆然と立ち尽くしていると、背後から声がかけられました。
振り返り見れば、それは祖母でした。いつもと変わらない様子です。
「これ! また穴を開けたのかい!」
その声もまた、いつもと変わらないものでした。
その瞬間、わたしはその場で泣いてしまいました。その時になって怖さがどっと押し寄せてきたのです。
祖母には理由がわからなかったことでしょう。いつも平然としている孫にいつも通りの口調で叱ったら泣いてしまったのですから無理もありません。
祖母はわたしをそっと引き寄せると柔らかく抱きしめてくれました。わたしはしばらく祖母の胸の中で泣き続けました。わたしの頭を撫でる祖母の手の温もりは今でもはっきりと覚えています。
あれから月日が経ち、わたしはもう大人になりました。
あの瞬間の出来事を、わたしは幾度となく繰り返し思い出しました。
今になって考えてみると、あれはわたしからの最後のメッセージだったのでしょう。
――それでもまだ続けるの? と。
人間は必ず死にます。それは絶対的なものです。しかし、いつ死ぬかという話になってくると事情は違ってきます。
もはや生きているのか死んでいるのかわからないような状態の人間がいます。やたらに心臓を動かし、勝手に口の中に入ってくる食べ物を機械的に消化しているだけの肉の塊。そこに意識はあるのでしょうか。一歩も動かず、言葉も話さず、外部の刺激にも反応を示さず、そんな状態で生きている意味などあるのでしょうか。
祖母はそういう人間になってしまいました。
誰かが世話をしなければなりません。わたしはもう……疲れてしまいました。
悲しみよりも襲ってくるのは「死に損ない」という無慈悲な感情です。
金と時間と労力だけが無意味に奪われていく日々を送れば、その感情の出現は誰にも抑えることはできません。例えそれが、わたしをかつて愛してくれた血のつながった相手であったとしてもです。
わたしは祖母の首に手をかけ、少しづつ力を加えていきました。ゆっくりと。静かに。確実に。
「おばあちゃん!」
その幼い声はいきなり飛んできました。小さな穴から目が覗いています。
それでもわたしは手の力を緩めることはしませんでした。