記憶
幼い頃の記憶は特に曖昧で、何処までが正しく、何処からが作り変えられたものなのか記憶のみからその判断を下すことは不可能と言っても言い過ぎではないだろう。
そこには、そうあってほしいという願望、あってはならないという否定────想いが記憶を書き換える。
僕も心のどこかで本当は分かっていたのかもしれない。僕が覚えているあの顔も あの出来事もどこまで正しかったのだろう。
彼の面影を見たのは実に二十三年ぶりだった────
* * *
暑くもなく、寒くもなく、湿った空気が町を包んでいる十月初旬。
夕方の商店街には人の通りも多く、買い物に来ている主婦、学校帰りの学生、与太話に花を咲かせるご婦人方など、いろんな人たちがそこにはいた。
普段この商店街を訪れない僕がここにいる理由は特にはなかった。
仕事が早く終わって気まぐれにどこか寄り道しようと思い、美人な女性を目の端に捉えてしまったのか、コロッケの匂いに誘われたのか、特に理由もなくふらふらとやってきてしまったのだ。商店街に入ってすぐの所には惣菜屋があった。
僕はそこでメンチカツを買った。ここのメンチカツは特別に旨かった。
はじめはコロッケを買おうと思っていたが、店員がちょうど揚げたてのメンチカツをトレイに置いているところを見て、つい目移りしてしまった。
結果としてそれは正解だった。揚げたてで熱々のメンチカツはサクサクとしていて、噛むたびに中の肉汁がジュワッと溢れ出してくる。肉の食感を強調したいのか、肉の挽は粗く、ゴロゴロとしている。玉ねぎの自然な甘さがまた心地いい。僕はメンチカツを片手に、座れる場所がないかと辺りをふらふらと見ていた。
その時だったと思う。ふと見た少年たちの中に見覚えのある顔があった。はじめは分からなかったが思い出した。トモ君だ。
彼の本名は覚えていない。出会った頃────小学校一、二年生だったか、家の近くの公園で遊んでいるとトモ君がやって来た。トモ君とは公園でしか会ったことがない。クラスは何組だとか、家はどこにあるのとか訊いたけれど答えてはくれなかった。
でもそんなことは気にしてなかった。トモ君と遊んでいる時間は楽しくて、学校で会えなくても公園に行けばトモ君に会えたのだから。
だが学年も上がっていくと交友関係や遊ぶ内容は変わっていく。トモ君と遊ぶことは自然と減っていった────と、思う。
⋯⋯⋯⋯いや、そうだったかな。
その時、僕の頭の隅に何かが引っかかった。違和感のようなものが脳裏をよぎる。
「⋯⋯⋯⋯」
視線が宙を彷徨よう。僕は視界の端にベンチをとらえると、そこまで歩いた。
ベンチの真ん中に浅く腰掛けると、どこに焦点を置くでもなく、遠くの方をぼんやりと眺めながら記憶を探ってみた。少年たちが僕の横を元気に通り過ぎる。
「公園行こうぜ!」と、そのうちの一人が言った。
「こうえん⋯⋯⋯⋯そうだ」
思い出した。トモ君とは次第に離れていったんじゃない。突然いなくなったんだ。
頭の中で曖昧な記憶の輪郭が浮かびあがってきた。僕は残ったメンチカツを口に入れ、包み紙をくしゃくしゃと丸める。よく噛んでから口の中のものを飲み込み、もう少し深く記憶を探って見た。
────確かあれは六人くらいで隠れんぼをしていたある日の事だった。
誰かが鬼をやっていて、僕もトモ君も隠れる方だった。僕はものの数分で見つかってしまったが、トモ君はいつまで探しても見つからなかった。結局みんなで手分けして探すことになったけれど、なかなか見つけることはできなかった。僕はその日 夕方から見たいアニメがあった。だからそう遅くまで遊ぶつもりはもともとなかった。みんなもそんな感じで、誰かが「トモ君、家に帰ったんじゃない?」みたいなことを言って、早く家に帰りたい僕たちは それで納得してしまっていた。家に着いた頃にはアニメはもう始まろうとしていた。急いで手を洗って、リビングにあるテレビのスイッチを入れた。アニメを見終わると、部屋の中に夕飯のいい香りが漂っていたことに気がついた。母から、ご飯の前にお風呂に入りなさい、と言われ風呂に入った。夕飯を食べ終え布団に入った頃には もうトモ君のことは意識になかった。
次の日、友達と遊んでいるとトモ君のことが少し話題にあがった。しかし誰もトモ君の家の場所を知らず、トモ君が今どうしているのか確認しようにも、すべがなかった。それから何日か雨が降りつづいたせいで外で遊ぶことはしなかった。たぶんあれ以来だろう、トモ君とは会ってないと思う。
学校でトモ君と会うことはない。トモ君のことが話題に上がる事はなく、次第にみんなの記憶からトモ君のことは消え去っていった。
かくいう僕も今の今まで忘れていた。
「トモ君、いま何してるんだろう⋯⋯」
僕の口から自然と疑問がこぼれ出た。今さっき見た少年とトモ君は明らかに年が違う。他人の空似というやつだ。
それともあの子はトモ君の息子だったりするだろうか? 僕たちも歳をとった。あれくらいの子がいてもおかしくはない。結局あれは、急な引越しを言い出せずにそのまま去ってしまった、という感じだろうか。もはや僕には知る由はない。今度、かつての友人に会う機会があったら、彼の事を話してみようか。
そんなことをぼんやりと考えながら僕は立ち上がって、ぐっ、と伸びをした。ねっとりとした風が僕の横を通り過ぎていった。
* * *
────あの日から数日後の新聞に載っていた記事。
『2009年、N県B市で勝浦智明君=当時(6)が遺体となって発見された事件で、10日に浪花署は隣接するD市に住む無職の男(49)を誘拐殺人の容疑で逮捕した。智明君は当時、親から虐待を受けており外出する時間も多く⋯⋯⋯⋯』