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八 恐怖! 初めてのフランス料理 

 八 恐怖! 初めてのフランス料理 

 

 子どもの成長は早いというが本当に早い。もう小学生になってしまったのだから。ついこの間出生したばかりだというのに、もう十年が経とうとしている。でも俺の身の回りに大きな変化はない。

 大家さんは筋トレばかりしていて、みてる方は暑苦しくて仕方ない。筋肉は成長を続けていて少し一回り大きくなった。今何歳なんだろう。未だにそれだけが不明だ。

 花子はまさに無変化。服装くらいしか変化がない。寿命が極端に長いせいか、成長も極端に遅いみたいだ。相変わらず、腹立つ顔をしている。神のアルバイトは順調で今も続けている。 この前シフトリーダーになり時給が十円上がったと喜んでいたが、それでいいのかお前。

 そして美樹もより大人びた様子。年をとる度、綺麗になってる気がする。少し髪を伸ばし始めている。髪型の影響か分からないが前より少し痩せた気がしなくもない。そして時折見せる少女らしさも、彼女らしい。仕事もバリバリとこなし俺が成長したため忙しさのピークは過ぎ去ったようだ。親バカは相変わらずである。

 大きく変化したのは俺くらいかな。背も伸びたし、更にイケメンである。アイドル事務所に応募したいレベル。まぁ前世の俺には叶わないがな!

 誰しもが考える「もしも人生を小学生からやり直せたら」という妄想が現実となっている。

 大体みんな考えることは同じだったりする。「勉強で簡単にトップクラス」だとか「いじめっ子をボコボコにしてやる」だとか。

 現実はところがどっこい。前世努力しなかったものは何度繰り返そうと大して結果は変わらないのだ。実際、小学四年の勉強についていけてない自分がいる。今の小学生恐すぎ。とビビってる自分がいるのだ。そういえば幼稚園時代のアキオやミチコも同じ小学校の同級生である。未だにアキオはミチコに想いを伝えきれていないが仲良くやっている。

 二度も人生で青春を感じることができるのはとても幸運なことだ。正直、二度目の人生を満喫中である。

 話は変わるが、――俺はすごく大事なことを忘れている気がするのだ。人間の記憶とは意外と脆く頼りないものである。

「あらどうしたの皐月ちゃん」

 頭を抱えていると、筋トレを終えて汗まみれの大家さんがこっちにきた。今日は休日で大家と花子が家に遊び来ている。スキンヘッドの上からほんのり湯気が出てる。まず人の家で筋トレするなよ。

「どうしたの皐月ちゃん! 頭なんか抱えこんで? 悩み? 悩みなのね? 恋の悩み!? 恋の悩みなのね!? やった! マジで? 好きな人は誰?」

 あぁすっげえウザいよ……。勝手に話進めんなよ。早くも俺に好きな人ができたみたいじゃん。でも少し俺の忘れていたことに近いかもしれない。

「ちょ顔近いって大家さん」

「皐月ちゃん質問の答えになってないわよ! さぁ好きな人は誰なの!?」

 アンタは質問になってないからな。リビングでお茶してる花子と美樹に聞こえるだろ。

 俺は口を止め、黙秘権を行使する。

「家族にも言えない事なの? もういいわよ! 私もプロテイン飲んでこよ」

 なぜかプンスカしながら、大家はリビングに戻って行った。別に家族じゃないからな?

 すると大家の拗ねた様子を見かねて花子がやってきた。

「どうしたんですか大家さんプリプリ怒ってましたよ。ガキのくせに悩みがあるらしいじゃないですか」

 コイツは相変わらず毒を吐かないと喋れないのだろうか。

「やかましい。お呼びじゃないんだよ」

「ちょ。いいじゃないですか! 私には言ってくれたって。その……私達、家族……なんだから。へへっ」

 だから家族じゃないよ。なに少し照れ臭そうにしてんだこいつ。どいつもこいつも今の生活に染まり本来の自分を忘れてるんじゃないだろうか。まぁとりあえず花子に聞いてみるか。

「じゃあ聞いてみるけど俺ってなんか忘れてない?」

「なにって美樹さんに告白することじゃないですか?」

「そ、それだー!」

 馬鹿かコイツ。みたいな目で花子は俺を見る。でもすっかり忘れてた。俺は池上優也という名前で美樹に告白するため生まれ変わったのだった。今の生活に染まりきっていたのは俺の方だった。なんで俺が忘れて花子が覚えてんだよ。

「まったく本末転倒じゃないですか」

 今の生活が充実し過ぎて脳が完全に満足していた。そんなわざわざプロポーズなんて危ない橋を渡らずとも、美樹と生活できてるしこれで妥協していた。

「全く優也さんはたまに何を考えてるのか分からなくなりますからね」

「いやお前心読めるじゃん」

「はい?」

 あっこいつも重症だ。花子の頭の上にクエスチョンマークが見えた気がした。完全に自分が何者か忘れてるよ。

「あのさ。お前元々神だったよな?」

「紙? ……なにが言いたいんですか?」

 お前それだけしか取柄なかっただろ。ずっと武勇伝で語っていたものすら忘れんなよ。

「えっとさ。俺達はもともとは家族じゃなくて、お前は神様だったじゃん」

「わ、私達は家族じゃないですって!? 私は確か花畑もとい山下花子なはず! そうでしょお兄ちゃん!?」

 花子にとって衝撃の事実だったのだろう。それより神の方に少しは触れろよ。昼ドラみたいな展開になってきたぞ。後、お前妹だったのかよ。

「落ち着け花子。数年前を思い出せ。お前は天界で神の仕事やってただろ! 今もアルバイトで天界行ってるんだから忘れようがないだろ普通! 名前もなんかやたら長い名前だっただろ。『花子なんとかリンス・イン・シャンプー』みたいな」

 花子はハッとした表情で我に返る。

「アッ! ハハハ冗談ですよ。私がそんな大事なこと忘れる訳ないじゃないですか! アメリカンジョークですよ!」

 アメリカン要素全くなかっただろ。

「やっと思い出したか」

「ええ! 私は神であり、花子なんとかエクストラ・コンディショナーだってことをね!」

 駄目だもう脳がやられちゃってる。髪すっごいサラサラしてそう。

 その後何とか二人はお互いに自分のポジションを確認し合い、全ての事を思い出す。

「大丈夫です。もう完璧に思い出しました! 自分の名前以外は! そして優也さんと私は血縁関係では……」

「血は繋がっていないっての」

「ないですよね! そりゃそうです! 私は何を血迷っていたんでしょう」

 本当に思い出したのかコイツ?

「あんた達さっきから何こそこそしてんの?」

 いきなり美樹がリビングから顔を出し心臓が止まるほど驚く。なんか毎日会ってるのに久しぶりな気がする。

「えっ! あっなんでもないんですよ美樹さん! ポジションを確認してただけです!」

「ポジションってなによ」

 花子口滑らしすぎだろ。焦った花子は何故か右上の方を見ている。

「あ、えーとポジションと言ってもチンポジの話なんですけどね!」

「……。花子は付いてないでしょ」

 冷めた目で冷静なツッコミを入れる美樹。

「えぇ! ちなみに皐月さんは普段はサッカーでいうライトウィングの位置にポジショニングしてるらしいです。」

 合ってるけどやめて。それ以上言わないで。

「そうなの皐月? ちゃんとセンタリングしなさいよ?」

 なんでそんな事聞いてくるの? なんで俺、悪い事して問い詰められてる感じになってるの? あとチンポジ直すことをセンタリングって言わないから。

 美樹は若干引きながらキッチンの方に戻っていった。

 何とか一難去る。リビングからは大家と美樹との話し声が聞こえる。俺たちの会話も聞かれてもおかしくない。少しトーンを下げよう。

「じゃあ本題に入ります。優也さん。割とマジな話です」

 花子の表情が一変。彼女の大きな瞳は真っ直ぐ俺の瞳を見つめる。

「お、おう」

 温度差おかしくない? 俺も聞く体制を整える。

「優也さんいつまでこの生活を続けるつもりですか?」

「この生活ってどういう意味だよ?」

「寝ぼけるのもいい加減にしてください。いつまで『山下皐月』でいる気ですかと聞いてるんですよ」

 花子は呆れたように溜め息をつき、腕を組み直す。

「あなたは何の為に生まれ変わったのですか? 美樹さんに『池上優也』としてプロポーズするためでしょう? いつまで美樹さんを待たせるんですか? 美樹さんはあなたが死んだ時、いやあなたが死ぬ前からずっとプロポーズを待ってるんですよ」

 一分前にチンポジの話をしていたとは思えないほど真面目な話である。

「でも今でも俺を待ってる訳ないだろう。現に優也の俺は死んだ。美樹ももう俺のことはあまり思ってないだろうし」

 自分でも情けないくらい弱気な言葉しか思いつかない。本当に言い訳しか思いつかないのだ。そうやって十年が経ってしまっていた。

「そんなことありませんよ。美樹さんは優也さんが渡した結婚指輪を今でもずっと薬指に付けたままです。美樹さんは新しい出会いとかも求めてません。きっと一生優也さんを想い続けるつもりだと思います」

「だけど」

 次の言い訳をしようとした瞬間、花子は俺の言葉に被せて話す。

「皐月さん。貴方は今の生活と、美樹さんどちらが大切ですか? それを決められない貴方は、どちらでもなく自分が一番好きなんでしょうね。自分が傷つきたくない、この生活を壊したくない。そんなんだから、決断を先延ばしにズルズルと引きずってるんです」

 悔しいが花子が正論だ。ぐうの音もでない。ただ美樹は皐月を溺愛している。それは美樹の心の支えになるほどに。俺が正体を明かすことは同時に美樹から一人の息子を奪うことと同義になる。息子の正体が優也だと知った美樹はどのような反応をするのか想像がつかないのだ。

 ――ただ正直、優也が戻ってくる喜びと皐月を失う悲しみは天秤にかけたらどちらが勝るのであろうか。所詮、十年前の過去の男が愛する一人息子に勝てるのであろうか。

「優也さん。すみません心を読ませてもらいました。言いたいことは分かります。ただ私は勝ち負けとかではなく、美樹さんに嘘を付き続けてまでこの生活を続ける必要はないと思います。少なくとも愛する一人息子に嘘を吐かれているのですから」

 生まれ変わって美樹にプロポーズする、なんてこと言いながら、どんどん今の生活が壊れるのが怖くなり、プロポーズ出来ないでいた。まだ見た目が子供だからとか、正体を明かすことで美樹が悲しむかもしれないという言い訳を作り上げることで楽な方へ楽な方へと流れ付いてしまったのだ。まるで浜辺に打ち上げられた漂流物のように。

 駄目だ俺は。もしかしたら十年前のあの日。俺はトラックに撥ねられなくとも、彼女に告白できなかったのではないだろうか。トラックに轢かれて少し安心していたのではないだろうか。

「お前の言いたいことはわかった。悔しいけど花子の言うとおりだよ。でも、そんなに急ぐ必要はあるのか? プロポーズしたとしてもこの年じゃ結婚も出来ないし」

「貴方はまだそんな事を言ってるんですか。あなたは美樹さんと結婚したいんですか。告白したいんですか?」

 そりゃ両方したいけど。前世で俺は直接告白をできなかった。だから告白したいんだろうな。どちらにせよ先にしなきゃいけないのは告白だ。

「分かった。もう言い訳はしない。ただ教えて欲しい。なんで急に今日そんな事言い出したんだ?」

 はっきり言うと、こいつも今までは自堕落な生活をしていた。だからこんな考えを持ってるとも思わなかったし、キャラ崩壊にも程がある。突如、花子がこんな行動をするまでに変えた要因はなんなのだろうか。切羽詰まった表情から気まぐれとは思えないのだ。

「嫌な予感がするんです。誰かの身に何かが起こります。それもすごく不吉な何かが」

 ものすごく抽象的なのにも関わらず推測ではなく、断定的な物言いである。

「何が起こるか分からないけど、必ず何かが起こるということか?」

「……はい。残念ですがその通りです。私の予感は予言であって、外れたことはありません」

 まだよく事の重大さにピンとこない。話がフワフワし過ぎている。何が起こるかが分からないことに備えろというのも無理難題というもの、手の打ちようがない。

「花子。ちなみにその不吉なことってどのくらいの不吉なんだ? 例えばショートケーキの苺を最後まで残しておいたのを誰かに食べられることがレベル1の不幸だとしたら、どのくらいの悲しみなんだ?」

「私はモンブランの方が好きですね……」

 違う。そうじゃない。真剣にそんなこと言われても困るわ。分かったモンブランに変えよう。

「じゃあモンブランの栗を取られたことがレベル1ならばどのくらいだ?」

「それと比べると今度起こる不幸はレベル5ですね」

 ……それは大したことないのか? それとも花子がモンブランを過大評価し過ぎてる可能性もあるが。逆に分からん。

「この比べ方は良くないな。個人差があるし」

「あえて言うなら、モンブランの栗を取られたら私は自殺を考えます」

 あっモンブラン強すぎ。それならかなりの不幸が訪れると言ってもいいだろう。

「大体いつ頃起きるとか分かるの?」

「それは限定できます。大体一ヶ月以内に予兆は始まるでしょう」

 一ヶ月か。なんだろう隕石が落ちてくるとか、地震が怒るとかの天災系だろうか。それとも俺達の身に何か起こるのだろうか。身構えるにしろどうすれば……

「身構えるというよりは何が起きるか分からないので、美樹さんに告白するなら今のうちかもしれないですよ。ということです」

 もう防ぎようがないほどの事が起こるという事か。だから後々後悔する前に目的を果たせという事か。花子は表情をいつも通りの腑抜けた顔に戻し寝転がる。

「はぁこういう話は疲れます。と言っても考えるくらいの時間はありますから」

 と言った途端の事であった。自宅のインターホンのチャイムが鳴る。

「ごめんミキティ! 手が離せないから出てくれる?」

 大家は腹筋ローラーに夢中である。パタパタと玄関に向かいドアを開ける美樹。

「はいどなたですか?」

 俺も奥の部屋から顔を出し覗き込む。美樹がドアを開け対応してる人は最近よく見かける男性であった。

「ミキさんコンニチワ!」

 鼻の高い長身の男は青い瞳をしていて、外人特有の発音の日本語を器用に話していた。

「あっアキオ君のお父さんじゃないどうしたのよ」

 この陽気な男性は、俺の幼稚園時代の友人であるアキオの父親であった。名前をロバートといい生粋のアメリカ人である。奥さんが日本人だったらしいのだが、離婚していて、今は息子のアキオと父子で暮らしてるそう。アキオがハーフという衝撃の事実はこの父親を見てから知った。

 ロバートの来訪は珍しい事ではない。小学校の入学式で親子でいた時にお互いを知り合い今では軽く美樹とお茶するくらいの仲である。俺とアキオが一緒にいるせいか、親同士も仲良くなった感じである。

「ミキさん! 前母国に帰った時のオミヤゲダヨ! ファミリーで食べて!」

 ロバートは東京駅で買ってきたような紙袋を美樹に手渡す。

「あらありがとう。ほら皐月お礼言いなさい!」

 正直、俺はこの外人が苦手だ。明らかに美樹に気があると思う。外人だからってフランクに接しやがって。美樹の顔に免じて仕方なく挨拶はするが。

「こ、こんにちわ」

「コンニチワ! サチュキ!」

 親子そろって名前で噛むなよ。悪い奴ではなさそうなんだが。

「じゃお土産ありがとう。アキオ君のお父さん」

 割とドライな美樹は扉を閉めようとする。一応家に上がらせてやれよ。俺が言うのもなんだけど。最近このロバートという男はよく家にアキオと共にあがり込んでくるのだ。しかし無理強いをしたりはしないし、あくまで紳士的である。そこが何だか何を考えてるのか分からないので気味が悪い。

「ミキさん! 今から早めのディナー行きまショウ!」

 は? 何言ってんだ? いきなりコイツ本性を現してきたな。

「は? ディナー?」

 美樹もロバートの急な言葉に本音が出る。まあ俺が言うのもアレだけど「は?」は酷いと思うぞ。

「もちろんサチュキも一緒にね!」

 ロバートは爽やかに俺を誘うが、俺は騙されないぞ。いきなり二人のディナーは警戒されると踏んだのだろう。段階を踏んで徐々に美樹に近づくつもりなのだろう。ロバートも独り身だし美樹も警戒して流石に断ると思うけど。

「んーまぁ皐月も一緒なら別にいいけど」

 美樹さん本気で言ってるのです? マジでコイツと飯行くんです? まさか美樹も満更じゃないのか。もしかしてこれが花子の言っていた悲劇の予兆なのか。あまりにも急すぎる。花子と大家は反対はしなかった。

 二人ともロバートを信頼してるのだろうか。これは何としても一緒に付いていって阻止せねば。

 ――ロバートの真っ赤なスポーツカーで夕暮れの道路を走る。いかにも金持ちが乗りそうな車だ。

「ゴメンネ! サチュキ! アキオは今日グランマの家に遊びに行ってるんだ!」

 祖母の家にいるからアキオはいないのか。本当にそうだろうか。子どもは美樹との食事に邪魔だから置いてきたんじゃないだろうか。疑心暗鬼が止まらない。そんなことを考えてる内に目的地のホテルに辿り着いた。

 なんてアホみたいに高いビルなんだ。見るからに高級そうなホテルのしかも最上階がディナーする場所だという。

 案の上、ビルの最上階のレストランは世界が違った。天井にはシャンデリアが輝き目潰しの如く眩い光を放っている。円形のテーブルが馬鹿広い場内に並べられていて、壁や床、なにからなにまでが高級感溢れている。そして開放的な窓からの絶景は素晴らしいものであった。そこから見えるマンションやビルの照明はここから見ると一つ一つの星に見える。

「ここがワタシの行きつけのレストランだよ!」

「すごい高そうなレストランだけど大丈夫なの? 私格好も場違いなんだけど」

 まさかこんな高級な場所に連れてこられるとは思わなかったので、美樹も俺も普段着である。そしてあまりお金も持ってきてない。こういう所は料理の値段が0が一つか二つ多いのだ。

「HAHAHA! もちろんワタシのOGORIダヨ! 格好もフリーダムでダイジョブさ!」

 ロバートは陽気に笑うが、庶民の俺と美樹は笑えない。遠慮と緊張が入り混じって吐きそうである。

「高そうな皿ね……これ一枚で牛丼何杯食べれんのよ……」

 美樹は皿を持ち上げ、皿の裏まで凝視する。その発言は庶民感溢れすぎて恥ずかしいからやめて。こんな所が行きつけってどんだけ金持ちなんだよ。段々ロバートが格好良く見えてきたよ。アキオもこんな所にしょっちゅう連れて行って貰ってるからあんなに太ってるんだな。辻褄が合うわクソが。

 正直、目的も忘れ楽しみな自分がいる。美樹も見慣れない場所に色々目移りしている。

「ミキさん。サチュキ! フランス料理は好きかい?」

 なんだよ。普通にカッコいい質問しやがって。俺が一生かかっても言う事がないセリフだわ。嫌味かよ。と言っても恐らくロバートは純粋に聞いているのだろう。これだから金持ちはムカつくのだ。

「いや私達フランス料理自体が初めてだから分からないわよ」

 うんうん。と俺もうなずく。美樹は高そうな燭台や銀食器に興味津々である。悔しいけど美樹もなんだかんだ楽しんでる様子。

「ダイジョウビダヨ! ワタシが二人にフランス料理のマナー教えてアゲルヨ!」

 ロバートは並んでいる食器の使い方や作法を分かりやすくユーモラスに教えてくれた。自然と美樹から笑みがこぼれる。不思議と自分も笑っていることに気が付いて、急いで表情を戻す。

 ……結局、これが美樹にとって幸せなのだろうか。なんだかいつのまにかロバートの頼もしい人柄に惹かれている自分がいて、ロバートになら美樹を任せられるかもだとか考えてしまっている自分がいた。

 花子に説教されたばかりだというのに何もう弱気になってんだか俺は。 

 ロバートが指を鳴らすと、ウェイターがこちらに歩み寄ってくる。

「本日は当店にお越し頂き誠にありがとうございます。メニューはいかがいたしますか」

「ヘイウェイター君! いつものでタノムヨ!」

 メニューも見ずスタイリッシュに注文するロバート。

ほんと俺が一生に一度は言ってみたいセリフを惜しみなく言うなこの人は。 

「いつもの?」

 なに言ってんだコイツ。みたいな表情でウェイターはロバートを見つめる。

「えっ? ア、アァではシェフの気まぐれフルコースで頼むヨ……はいすいません」

 うわぁ。これはロバートに同情するわ。もうここまでのロバートが積み上げてきたものがウェイターの一言で台無しである。もう凄い背中小ちゃくなってる。

「かしこまりました。シェフの気まぐれフルコースですと、シェフが気まぐれで料理を作らない場合もございますので、ご了承ください」

 いやそれはダメだろ。

「……うん。構わないヨ」

 ウェイターが去った後もロバートはシュンとしていた。他愛のない話に花が咲きロバートも調子を取り戻した頃、先ほどのウェイターがこちらにくる。

 とうとう、庶民には見たこともない伝説のフランス料理がくる。昔、親父にフランス料理というものがこの世にあるらしいと聞いたぐらいの代物である。

 恐らく美樹も同じくらいの認知度だろう。

「お待たせ致しました。一品目はシェフが気まぐれで公園に遊びに行ってるため、無しでございます」

 そう言ってウェイターは帰っていく。早速悪い方向性の気まぐれである。

 フランス料理では、料理が出ないということもあるのか? 金持ちの料理は良く分からない。

 フルコースってのは前菜から始まり料理が次々と出て来るんだよな。まあ一品くらい出てこなくても、金持ちは気にしないだろうし、こういうものなんだろうな多分。

? すると、ウェイターは次の品を持って来る。

「お待たせ致しました。二品目はシェフが気まぐれで公園にて拾ってきたどんぐりでございます」

 これはおかしいだろ。と突っ込もうとした所、ロバートはそのどんぐりをおもむろに食べ始める。もう必死である。

 美樹に至っては自分の前に置かれたどんぐりを静かにテーブル下に捨てた。床に目を向けず見事なまでに自然なその動きはバスケットボールのノールックパスを彷彿とさせた。

「ミキさん。実は今日食事に誘った事には訳があるんだ」

 ロバートはどんぐりの殻を剥く手を止め、真剣な青い眼差しを美樹に向ける。

「え?」

 畏まったロバートの態度に美樹はキョトンとした表情で彼の方に向き直す。

「ミキさん。私は今、スィンゴゥファァダァーです」

 流石、本場の人は発音が違うなぁ。「シングルファザー」って言ったんだよな? 真面目な話の時はその発音やめた方がいいけど。

「うん知ってるわよ。んな事」

 美樹も反応が冷たい。多分この店が悪い。しかしめげずにロバートは話を続ける。

「別れた妻は非常に相性がいい女性かと思ってましタ。でもアキオが小学校に上がる頃にアッチから別れを切り出されたヨ。……アキオにはツライ思いをさせまシタ」

 あっこれは重めの話だ。察した俺と美樹は崩れていた姿勢を無意識に直した。

「まだ小学生だものね。片親は子どもにも負担をかけるわよね」

 これに関しては美樹にも共感できる話であった。

 ――ただ次のロバートの言葉に俺は絶句した。

「私はミキさん。あなたは前の妻以上に相性がいい気がするんだヨ」

 ちょうど美樹は水を飲んでいて、思わず吹き出しそうになるが堪える。

 やはりそういう話か。花子の感じていた不吉はこの事なのだろう。確かに俺は美樹を待たせすぎたのかもしれない。美樹の容姿ならこういう男が出てきて当然なのだ。

 その時、このタイミングでウェイターが三品目を持ってくる。

「お待たせしました。『ズワイガニと輪ゴムのブリュレ』でございます」

 なんかようやく名前だけはフランス料理っぽいのが出てきた。ブリュレって何だろうか。

 早くも美樹は目の前に出された料理に手を付けず床にぶちまける。もう容赦ない。ロバートに至ってはまた料理を食べ進めるがやっぱりアメリカ人でも輪ゴムは食べにくいようだ。

 これで話題が逸れるかと思いきやそんなことは無いみたいだ。美樹は左の薬指をロバートにみせた。そこには今でも俺が直接渡せなかったリングが光っていた。

「ごめんロバートさん。私はそんな気はないんだ」

 ロバートは美樹の嵌めているリングを眺めると、不思議そうに頬をかく。

「……簡単な事情は知っていマス。そのリングはミキさんの亡くなった彼に貰ったものですね。まだ未練があると言うことですか?」

「うん。もう十年くらい前の話だけどね」

「亡くなった人はもう帰ってきまセン。これからサツキ君のため、ミキさん自身のための幸せは考えているのかい?」

 ロバートの表情は崩れず、諦めがみえない。それに言ってることにも筋が通っている。

「……私は今すごい幸せよ。これ以上無いくらいにね。未練もあるのかもしれないけど、例えそのせいで皐月を不幸にしているなら――」

「……いや俺は幸せだよ。お母さん」

 美樹の声を遮り思わず出てしまった声。これは『優也』ではなく美樹の息子の『皐月』の声である。もし俺が皐月として生まれず、別の誰かが美樹の息子でもこう答えただろう。片親だから不便に感じたことはないし、二人分以上の愛情を注いでもらっている。

 その言葉で美樹の表情は安堵で緩んだ。

「ありがと皐月。幸せ者よね私達。家にもまだ家族が二人いるもんね変なのだけど」

 そうだ花子も大家さんもいるし孤独を感じたことは無い。

 ロバートはその言葉を聞き俯く。

「なるほど。私の入る隙間が無いくらいの家族愛だネ。仕方ありません。非常に残念だけれど……ミキさんの『奴隷』になるという願いは諦めましょう」

 聞き間違いだろうか。

「ロバートさん。今なんて?」

 美樹も耳を疑ったのだろう。嫌な予感が頭を過ぎる。

「奴隷ダヨ。ジャパニーズ奴隷さ! 前のワイフはSつまり『サディスト』だったんだけど、それ以上にワタシが『マゾヒスト』でね! ついてこれなくなったワイフが離婚を申し立てたのさ! HAHAHA!」

 これはアメリカンジョークというものなのだろうか。……仮にこれがジョークならどこからジョークなのだろうか。……いや、最初から最後まで真実であろう。

 これには流石にドン引きの美樹。ロバートは興奮気味で続ける

「そこで、『飼い主』を失ったワタシは路頭に迷ったヨ。でもアキオの小学校の入学式でミキさんが家族の羽生えた女の子にチョークスリーパーをしていただろう? あのチョークスリーパーにワタシは惚れたのさ。あぁワタシもあんな風にしてほしい、やられている人は今どんなに気持ちなのだろう、逆に何でワタシにチョークスリーパーをしてくれないのだろう。そう思った訳さ……」

 これは気持ち悪い。

「一応、話だけは最後まで聞いてあげたけど、気持ちわりいな。もちろん断るわよ」

 美樹はまだこの話が真面目な方向に向かう可能性に賭けて最後まで聞いていたようだがそれは徒労に終わった。

「そうデスカ。せめて一技。いやせめて女王様と呼ばせていただけないでしょうか。そしてワタシの事はこれから『アメリカ産のブタ』と呼んで下さい女王様」

「いやマジでやめて。コイツに真面目な話した私が馬鹿だったわ……」

 これで良かったのか悪かったのか。正直、俺の考えすぎでロバートは美樹に惚れていたというよりは美樹の『絞め技』に惚れていたようだ。取り越し苦労だったようだが、少し安心した自分がいた。美樹も再婚とかは考えていないようだし、未だにあの指輪を付けていてくれている。

 それにしても花子の言っていたこれから起こる不幸というのはこのことだったのだろうか。確かに不幸と言えば不幸だが、俺はまだ胸騒ぎが収まらないでいた。

 すると再びウェイターがこちらに歩み寄ってくる。

「お待たせいたしました! 四品目はシェフが気まぐれでまた作りませんでした!」

 この店早く潰れろ。


 ――ロバートに車で送ってもらい我が家に帰ってきた美樹と俺は花子に出迎えられた。

「あっ帰ってきたです! ずるいですよ二人だけフランス料理だなんて!」

 帰ってきて早々、花子は頬を膨らませる。

「いやクソ不味かったわよ。ほぼ食べてないけど。ね皐月」

「う、うん。ゴムの味がした」

 あの後もロクな料理は出てこず、美樹は不満な様子。まぁロバートの奢りだったから良かったものの。

「フランス料理ってそんなもんなんですか。まぁ高級な物ほど大して美味くなかったりしますからね」

 いやそんな次元じゃないけどな。

「あれ? 大家さんは?」

 大家の姿が見えず、美樹は花子に尋ねる。

「あぁただ日課のランニングに行っているだけですよ」

「あっそう。花子ご飯まだでしょ。今作るわね」

 そう言って美樹は帰ってまもなくエプロンを手に取り台所に向かった。

 花子は俺にアイコンタクトを送ってくる。隣の部屋に移動しろということだろう。隣の部屋に移ると早速花子が本題に入ってくる。

「で、どうでした? 美樹さんとロバートさんは」

「いや、ロバートさんにそういう気は無かったみたいだよ。まぁ想像以上のやばい奴には変わりなかったけど」

「……? まぁいいです。それに関しては問題無かったんですね。私の嫌な予感はロバートさんには無関係みたいです」

 花子は首を傾げた後、気にせず話を続ける。

「それで優也さん。私の嫌な予感はまだ消えていません。今後も用心すべきです」

「あぁ。やっぱり。まだ終わってないんだな」

「何度も言ってますが覚悟を早めに決めときましょう。大事なことですからこれからは私もあまり口出しはしませんが、最後の忠告です」

 これから起こる不幸とは何だろう。考えったって未来が分かる訳がない。だから俺に出来ることはいつ何が起きても大丈夫なように、本来の目的を果たすことである。

 ここまで追い詰められているというのに踏ん切りがつかない自分に苛立ちを感じていた。




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