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五 女王との出会い

五 女王との出会い


 春独特の清々しい陽気に誘われて、小鳥達が可愛らしく歌いだす。それを合図に草木も静かに揺れる。まるで名もなきワルツを踊るかのように。



そんな今日は華の高校生活初日の入学式である。そんな優雅な朝のはずだが。



 ――俺、池上優也は十人の不良の集団に見事なまでに囲まれていた。


 俺が囲まれている場所は公園。後に良くも悪くも思い出の場所となるあの公園であった。


「オラァお前金貸してくれよ! オラァ。ジャンプしろジャンプ」


 なんてベタなセリフなんだ。目の前の不良達は間違いなく俺に言ってるのだろう。


息を吐くように「オラァ」と言ってるところからヤンキーであることが推測される。


 正直帰りたい。もう高校なんてヤダ。恐くて失禁しそう。

 

 恐い……恐いよう……でも早くしないと入学式に遅れてしまう。


 この不良達も俺と同じ制服だから、不良達は遅刻覚悟でかつあげしてるんだな。お前ら……学校いけよ。


 しかし俺は体力には自信がある。いざとなれば力づくで強行突破も可能だ。


 中学時代、野球部で『お前ほど審判が上手い奴はいない』と言われていたし。ストライクの発音とかマジでネイティブだからな?


 そんな訳で俺はパンチパーマやリーゼント、長ランや色眼鏡など十人十色の不良に綺麗に円で囲まれている。ハンカチ落としでもする気かっ!


「ハンカチ落としでもする気かっ!」


「ああん? ハンカチ落としだぁ? ナメてんのかテメェ」


 やばい口に出しちゃったよ。高校生活を過ごす際にこの思ったことを口に出してしまう性格を直さないとダメだな。どうしよう……なんとかこの場を切り抜ける方法はだろうか。


「どうしよう……なんとかこの場を切り抜けられないだろうか……」


「何逃げようとしてんだテメェ」


 くそっバレた! この口めなんて滑りやすいんだ! まるで口にローション塗りたくってる気分だぜ。段々俺を囲む不良の円は小さくなっていく。圧迫感が半端じゃない。


 高校生活ってもっと華やかなものなんじゃないのか? 想像と全然違うじゃないか。


 俺はもっと青春ドタバタラブコメディみたいのがしたいんだ。


 女の子に囲まれて、楽しいお話したり、ちょっぴりHなハプニングがあったり。


 でも現実は、不良に囲まれて、一方的なお話をして、なかなかハードなハプニングがあった。HはHでもハードのHね。


 いつになったらパンを咥えたドジっ子がぶつかってくるのだろうか?


煙草咥えた不良が肩ぶつけてきたんだけど。


「今度は何黙ってんだテメェ! 殺されてぇのかコラ」


「できるならやめてほしいです!」


 下手したら死ぬなこの状況。意外となかなか襲いかかってこないけど。


 はぁ……黒髪ショートのつるぺたの「一緒にお風呂入ろう」って言ってくれる妹が欲しかったな。


もしくは金髪ロングでGカップの罵倒してくるツンデレだけど、「一緒にお風呂入ろう」って言ってくれる姉も欲しかった。


 そして一度でもいいから「俺を置いて先に行け。なあに必ず追いつくさ」みたいなセリフ言ってみたかったなぁ……。


「いつまでも金出さねえ気か? なら死んでもらうしかねぇなぁ!」


 不良共がとうとう一斉に襲いかかってきた。どどどどうしよう! お金払えば良かったぁ!


 俺が頭を押さえ攻撃に備えた時であった。


「アンタ達。何してんのよ」


 女の声? これは女神様の声だろうか……?


 声の先には、仁王立ちしている同じ高校の制服を着た少女がいた。


 襟足が肩につくくらいの赤みがかったサラサラの黒髪。小柄だが堂々とした立ち姿。今は不服そうにへの字に曲がっているぷくっとした小さな唇、力強い気の強そうな眼差し。


 俗に言う美少女がそこにいた。


「お、お前は……山下美樹!」


 小柄な少女一人に不良達が怯えざわつき始めたのだ。俺を囲む円の陣形が初めて崩れた。


 へぇ美樹ちゃんって言うのかぁ。可愛いなぁ。


「はぁ……なんで私の名前を知ってるのよ。でも話は早いわね。さっさと学校行きなさいよカツアゲなんかしてないで」


 きた……。こんなチャンスは二度とない。言うしかないあのセリフを!


「君ぃ! 俺を置いて先に早く行くんだ! なぁに後で追いつくさ!」


 き、決まった! カッコいいポーズまで決まった! 完璧だ!


 タイプの女の子に出会えたし、我が生涯、一片の悔いなす。


「なんでコイツ泣いてんのよ。気持ち悪っ」


 美樹と呼ばれる少女は眉間にしわを寄せ、イラついていた。


「巷で有名な山下美樹が、何の用だ?」


 不良の一人が腰を引かせながら訪ねる。


「イジメかっこ悪いわよ! ナウくないわよ!」


 この大分前に流行った死語をさらっと真顔で言うその勇気に、俺は一目惚れした。


 ナウいの使い方がイマイチ間違ってることから、ナウいは言ってみたかっただけだろう。


 しかし彼女は何者なんだ? 有名らしいがサインもらっておこうかな。


「あの……コサインください!」


 勇気を振り絞った結果少し違う言葉が出た。


「なんなのあんた?理系なの?自分の立場分かってるの?」


「サイン、コサイン、タフデントって言う奴いたよね」


「あんたにはタフデントが必要ないくらいの立派な歯がついてるんだから、話くらい噛み合わせてくれるかしら」


 これが俺達の最初の会話であった。


「お前ら! 勝手に話盛り上がるなよっ! なんかそこまで話に花咲いちゃうと入りづらいじゃねぇか! 俺達十人いるのにアウェイなんだけど!」


 やっと不良達が喋り始めた。空気は読めるようなので悪い奴らじゃない気がしてきた。


「おい! 山下美樹は引っ込んでろ! 俺達はこの野郎に話があるんだよ!」


「なら仕方ないわね」


 あっさり塩味。助けてくれるんじゃないのかよ。まぁこういうサバサバした子嫌いじゃないぜ。


「何度も言うが、早く金だせや! 持ってるんだろ!?」


ふりだしに戻ったんだけど。美樹ちゃんの登場必要あった?


「そういえばそんな話だったな。はい。じゃあ持ってけよ」


 俺は財布を差し出す。


「やけに物分かりが早えじゃねぇか。いや遅かったのか? まぁ財布はいただくぜ」

 一人のヤンキーは優也の差し出す財布を取ろうとするのを見計らい俺は呟いた。


「ごめんな幸子……」


「あ? テメェなんか言ったか?」


「い、いや……何も」


「言えよ。気になるじゃねえか。言わねえとぶん殴るぞ」


 俺は頷くと話を始めた。


「俺には幸子って言う妹がいるんだ。ちなみに黒髪ショートの小柄で明るい兄を慕ってくれる可愛い妹だ。ちなみにGカップな」


「なんだそのワガママボディは! それがどうしたっていうんだ!」



 おっ食いついた。俺はあからさまに眉をハの字にし悲しい表情をする。



「聞いてくれるのか。うちは貧乏でな、飯食うので精一杯なんだ。だからいつも質素な飯を大事に食べているんだ。黒髪ショートの妹も一切文句を言わずに毎日同じような質素な飯を食べてる。おもちゃや服なども買ってもらえず、俺のお古ばっかだ。

 それでも黒髪ショートでGカップの妹はワガママを言うどころか、家の手伝いもしっかりやって、何一つ文句を言わない健気な子だ。ちなみに今は中学一年生だ」



 ここで俺は儚げに空を見上げる。不良達がざわつき始める。



「ちくしょう! 良い子じゃねぇか」


「中一つったら反抗しがちな時期だぞ!」


「中学生……黒髪ショート……Gカップ……」


 よしよし一気に食いついてきた。一人おかしいのいるけど。


「しかし……今まで全くワガママを言わなかった妹が、唯一言ったワガママがあるんだ。

――マンゴスチンを食べてみたい。という願いだ」


「マ、マンゴスチンだと!?」


「まぁワイらも食ったことないけどな」


「おでは妹のマンゴスチンを食べてみたい」


 なんかギリギリなラインの奴がいるが……ペースは完全にこっちのもの。唯一、美樹ちゃんは滑り台に腰かけ呆れた顔で携帯を弄りながら俺の話を聞いている。


 マンゴスチンとは原産国は東南アジアで、栽培がとても難しい果物である。大きな樹冠があるのが特徴で味はライチの様らしい。


「だから俺は妹の願いを叶えるべく高校入学前に、バイトをしようとしたんだ。でも中学生を雇ってくれるところなんて滅多にない。諦めかけたその時、知り合いのクリーニング屋のおじさんが特別に雇ってくれたんだ! そりゃあもう嬉しかったよ。これで妹にマンゴスチンを買ってやれるってな」


「なるほどな……クリーニング屋のおじさんも良い人じゃねぇか」


「漂白剤で洗ってアイロンを丹念にかけたような綺麗な心の持ち主だな」


「妹は!? Gカップの妹はどうなったんだ!?」 


 ヤンキー達も食いついてきた。


 俺は息を整え、再び空を見上げる。この話始めてから何回空を見上げただろう。


「そして昨日、給料が入ったんだ。おじさんも楽な生活じゃないから安い給料だがな。恐らくバイトなんか雇う余裕なんかないのに雇ってくれたんだ。そして今お前らが奪おうとしている財布の中にバイト代の全額が入っている。ちょうど今日の学校帰りに妹の願いを叶える為に持ってきた全財産だ」


 ここでとどめの空を眩しそうに見上げる俺。曇ってるけど。


「何!? じゃあ俺らがお前から金を奪ったら、妹にマンゴスチンを買ってやれないのか!?」


「まぁそうなるな。まぁ奪うか奪わないかはお前ら次第だ別に奪ったところでお前らを恨みやしないさ。お前らも金に困ってるんだからな。ただ、その場合妹には我慢してもらうことになるがな」


「……」


 不良共は黙り込む。後一息だ頑張れ俺。


「この金にはおじさんの優しさと俺の努力と妹の夢が詰まってる。しかし奪いたいならこのまま奪えば去ればいい。やがて朝の光訪れる前にな。世の中は弱肉強食だ俺に選択肢はないんだ」


 不良達は一斉に話し合い始めた。


「おい……どうする? こいつえらい努力家で妹想いだぜ」


「なんか抵抗されないと奪いづらいよな。しかもバイト代全額持ってくるなよ」


 すると一人のリーダー格らしき不良が声をあげて言った。正直リーダー格か分からないけど、リーゼントが一番長いしこいつがきっと一番偉いんだろう。なんとなく。


「おい! お前ら!! これは確かに良い話だ! しかしこいつの言うとおり世の中は弱肉強食……最初の目的を忘れるな! こいつの妹がどうなろうと俺らには関係ないだろ!」


 ……余計なことを。まぁこいつが一番不良としては正しいけどな。


 不良たちはどよめき始めるが、カツアゲは実行されるようだ。中には泣き崩れる不良に、それを慰める不良も。



「意見は固まったようだな。ほら持ってけよ。そしてお前らは根っから悪い奴じゃないんだろうな……こんな俺に同情してくれたんだからな」


 俺は胸に手を当て財布を差し出す。


「くそぉ……涙で前が見えねぇよ」


「ま、惑わされるな! これ以上同情してはいけない。しかしこいつの金を私利私欲のために無駄遣いする奴は俺がぶっ殺すぞ! くっうぅ……ひぐっ」



 一方、美樹ちゃんは携帯ゲームに夢中。多分パズルのやつやってる。もう一切こっち見てない。興味もないし、知り合いと思われるのも嫌なのだろう。



 そして長いリーゼントの男が代表で財布を受け取りに目の前に来た。


「……とりあえず財布は頂くからな」


「あぁ。ほらもってけよ」


 俺は財布を差し出した。リーゼントは抵抗があるようで、震える手を抑えながら財布を受け取った。


「すまん。この金は絶対無駄遣いしねえ」


 無駄遣い以外に何に使うんだよ。と思いいつも俺はすんなりと財布を渡した。


「あぁ。大事に使ってくれ」


 するとリーゼントは胸を張って、財布を天に掲げる。


「あぁ! 早速使わせてもらうぜ! 募金活動でもしようと思うんだ」


「そうか良い心掛けだな」


 すると予想外の不良ヤンキーは受け取ったばかりの財布を優哉に差し出した。


「この財布の中身全部お前に募金するよ! 妹にマンゴスチン買ってやれ!」


「お前……」


 周りから「おめでとう、おめでとう」と不良達の歓声と拍手が贈られる。


「……ありがとう」


 不良達は良いことをしたつもりなのか満足気に帰っていった。時間を返せクズ共が。


「茶番は終わったようね」


 今まで空気と化していた美樹ちゃんが欠伸しながら歩み寄ってきた。


「あぁ。これで妹も安心だよ」


「とぼけないで。あの馬鹿共と同じように騙されないわよ」


「あ、バレてたか……奴らは共まんまと引っかかってたな。そもそも俺、一人っ子だし」


「相手がアホでよかったわね。でもあんなこと言っちゃって本当に財布持ってかれたらどうする気だったの?」


「あぁ。財布ん中二十円しか入ってないしな」


「はは。ホント茶番ね」


 美樹は呆れ苦笑いをする。


「あぁ。でも助かったよ。ありがとな?」


「勘違いしないで。あいつら見ててムカつくから来たまでよ。ってか私なんもしてないでしょ」


 なんだこの子。ツンデレっ子か?  


「そうなのか? まぁ結果的に助かったよ本当ありがとな」


「いや、だから私は……!」


「いやほんとありがとう!」


「うっせぇんだよぉぉ! この水虫野郎!」


 彼女は小さい体にも関わらず、俺に挨拶代わりのレッグスプレッドを放った。つまり恥ずかし固めである。

 しかも知る人ぞ知るNEOマシンガンズ式。俺の股関節は広がる形に成る為、非常に恥ずかしい格好である。

 らめぇぇぇぇ! 全部見えちゃうぅぅ! しかも股関節へのダメージも甚大であるため、肉体、精神両面に被害を与える。

 やられた方は羞恥的で屈辱的なポーズを取らされるため、例え試合で勝っても勝負では負けた気分になる恐ろしい技である。


 ――これが美樹から受けた最初の恥ずかし固めであった。


 美樹は肩で息をしながら頬を赤らめていた。それ以上に茹でたエビ並に頬を赤らめている俺。


 顔を手で覆わずにはいられない。もうお婿にいけない。


「あっそういえば入学式始まっちゃうじゃん! 先に行ってるわね!」


 美樹ちゃんは鞄を背負い風のように去って行った。


「いてて……なんて力だよ。暴力女め」


 しばらくして、俺は新品の制服に着いた砂を払い、股関節の痛みを堪え立ち上がる。


 でも……少しかわいかったよなぁ。この時から俺は山下美樹に惹かれ始めていたのかもしれない。


「あっやべ! もうこんな時間じゃん!」


 入学式で遅刻は避けたい。急がなければ!


 時間も時間だからか周りに学生はいない。それが事の重大さを際立てた。このままでは遅刻確実。

 

 入学式の前の教室内というのは友人を作るためにも最も重要な空間。それに間に合わないというのは友人作りに出遅れることになる。


 俺は豪快に公園を通り抜け、他人の家の中を通ってショートカットし、横断歩道の赤信号はしっかり止まった。

 

 股関節のダメージが今になってジワジワくる。


「ちくしょう……時間がないのに全然青にならないじゃないか! 車は通ってないけど、いや信号無視はダメ、絶対」


 十分後、この横断歩道はボタンを押さないと青にならない形式だということに気付いたので、本気で落ち込んだ。

 更にそれは通りかかった腰の曲がったおばあちゃんに教えてもらったことなので、優也のショックは計り知れないものであった。

 

 プライドがボロ雑巾のようにズタズタになりつつも俺はなんとか走り続け、ようやく高校の正門に辿り着いた。



 『聖ときめき桃色花園学園』なんとも爽やかで可愛い女の子が多そうな学園なんだろう。 

 

 名前だけで高校を決めたと言っても過言ではない。ここから俺の華やかで桃色な高校生活が始まるのだ。Fランだけど。


 校舎に入り、もう遅刻確定な時間で、各教室でホームルームが始まっているようだ。


 ようやく自分のクラスのドアの目の前まで来たが、開ける勇気がない。割と人見知りするタイプであるからだ。中から担任の話す声のみが聞こえる。。


 入学当初は誰もが自分に、見えないバリアを纏っている気がする。

 

 そんなただでさえ静まり返った気まずい教室に、ガラガラと誰よりもうるさいドアの音を立て、前の扉から教室に入ることにどれだけ勇気が必要かどうかお分かりいただけるだろうか。


 じゃあ遅刻すんなよ。って話だが確実に不良達と美樹ちゃんの恥ずかし固めの後遺症のせいだ。

 

 よし俺ならこの状況でも教室の扉を開けることができる。

 


 中学時代女子更衣室にサッカーボールを投げ入れ、「おーい!しっかり蹴れよー」と言いつつ、ボールをとることを口実に、女子更衣室に1人で突入した俺ならイケる。誰もいなかったけど。

 


 とりあえず、ほんの少しだけドアを開け、隙間から教室内の様子を覗いてみる。

 

 これからの予定を教卓で話す女教師、真面目に聞いているのか、ただ気不味いだけなのか、大人しく教師の言うことを聞く生徒達。



 へぇ担任女なのか。

 

 ククク。特別可愛い訳ではないが若くてメガネをかけていて、女教師属性というだけで特別感がある。



 ――俺は妄想を膨らませた。


 エロマンガにありがちな生徒と先生の展開を。放課後教室にてマンツーマンで補講を受ける俺。


 先生が自分の胸を突き出し、

 

 「うふ優也君。私の胸のサイズを円周率を使って求めなさい」

 

 とか吐息混じりで言うんだ。


 理系で偏差値カンストの99の俺は目線が胸に行くのを堪えつつ


「え、えっと先生……おっπが二つあるから2πですか?」


と秀才ぶりを発揮するのだ。しかし先生は


「んもう。違うわよ。私が服を脱げば分かりやすくなるかしら」


とパサっと服が床に落ちる音が静まり返った教室に響くのだ。


「おっぱい……おっぱい……」


 はっ! しまった! 気付いたら全部口にだしてた!


 すると教室の中から女教師の声がする。


「さっきから廊下でおっぱいおっぱい言ってる君? 入ってきなさい?」


 バ、バレてる! しくじった。悪い癖がまた出てしまった。


 今教室に入ったら変態扱いじゃないか……。


 でも逆に!

 

 逆にこれが同級生達にウケているかもしれない……。

 

 そうだ俺はいつもネガティブになりがちだ。逆転の発想ッ!


 それが俺を勇気づけ背中を押してくれた。息を呑みドアに手をかけ俺は一気にスライドさせた。


 ――ドアを開けた先には作り笑顔の女教師と、うんこを見るような目で見てくる未来のベストフレンド達だった。


 予想外の反応に呆然と立ち尽くす俺。


「うわ。何あいつ……イジメようぜ」


「あの人ののあだ名「おっぱいマン」にしましょう」


「あいつに飼育係やらせようぜ」


 辛辣な生徒達の声が聞こえる。お前らさっきまで静かにしてたじゃないか。

 

 後、飼育係だけは勘弁してください。ニワトリ臭い高校生活は嫌です本当に。

 

 多分、俺がキモイという気持ちは、満場一致なようで、さっきまで入学初日で気まずかったはずの教室がひとつになった。


 とりあえず、アダ名と虐めのターゲットになったこと、そして飼育員着任は早くも確定と、もう俺がクラスに溶け込んだ錯覚がする。


 女教師は苦笑いをして俺の肩を叩く。


「ほら皆さん静粛に! とりあえず早く席に着いてね。えーと、おっぱいマン……君」


 あっこれ教師公認の虐めだ。


 朝から散々だ。早くも転校を考えるレベルであるが、仕方なく指示された自分の席に向かう。


 俺の席には花瓶に菊の花が刺さっていた。


 なんて手の早いクラスなんだろう。


「高校生虐め選手権」があったならば世界最速レベルの素晴らしいラップを刻んでいたことだろう。



 そこで全員俺に蔑んだ眼差しを向ける中、不自然な人物を見つけた。


 それはまるでスイカ畑に一つだけミカンがポツンと置いてあるような「異様な光景」であった。


 クラスメイト全員がこちらを向いているのに関わらず、一人の少女は机に突っ伏して空気と化していた。


 顔は見えないが、小柄でこの赤みがかったショートカットの少女は俺の股関節を粉砕した「山下美樹」に違いなかった。


 そしてこの少女は確実に「寝たふり」をしている。


 まるで俺と知り合いだとクラスメイトにバレたくないかのように。


 というか小さく、来るな来るな、と呪文の唱えているが、残念ながら俺の席の隣だ。


 そして俺の次の行動は決まっていた。……この女に俺と同じ醜態を晒させ味方に引き入れてやる。

 

 股関節の敵である。どうせ地獄に落ちるのならばコイツの足首を掴んで道ずれにしてやろう。


 そして今も机に突っ伏してこの場をやり過ごそうとしてる彼女にこう言い放ってやったのだ。


「おっぱいマンレディー? やっぱりおっぱいマンレディーじゃないか!」


 突っ伏して寝ていたとは思えない飛び起き方で美樹は顔を上げる。


「はぁ!? おっぱいマンレディーってなによ! だ、だ、誰よアンタ! アンタなんか知らないわよ!」


 彼女のこんな焦った表情を見れるとは思わなかった。冷汗がだらだらと流れていて目の焦点が合ってない。


 やはり図星。朝での俺との関わりを完全に無かったことにしようとしている。


 だが俺に出会ったのが運の尽きだ。最悪な高校生活のスタートを一緒に二人三脚でズッコけよう美樹ちゃん。


「おっぱいマンレディー! なぜここに……はっ! その小さな胸……! まさか任務に失敗したのか!? 説明しよう! おっぱいマンは任務に失敗すると胸がしぼんでしまうのだ!」


「誰が貧乳よ! 誤解されるからやめなさいよ! また技かけられたいの……あっ」


 口を滑らせたことに急いで口を手で押さえる美樹。誘導尋問完了である。


 脳筋女はおつむが弱いから扱いやすい。泥沼には引きずり込んだから、後は自然と沈んでいくだろう。

 

 ダメだ。まだ笑うな俺。だが、自然と口角が上がる。


 周りのザワザワと話声が聞こえる。


「おい、今あの女「また技かける」って言ったぞ。やっぱりあいつら顔見知りだぞ」


「任務に失敗したから胸が小さいらしいぜ。あいつらコンビらしいな」


「二人とも飼育係だな」


 ちなみに飼育係は毎日1時間早く登校しなくてはならないのだ!


 美樹は絶望に満ちた表情をしてしょぼんと席に着く。少しやり過ぎた気がする。でも俺はこう言い放ってやったのさ。


「レディ。日課の一日三回、自分の『届かなくとも自分の乳首を吸おうとする鍛錬』は忘れずにやるんだぞ。おっぱいマンの使命だからな」


 彼女の肩を叩いて気分上々の俺。最高に気持ちいい。


「アンタ……早く席に着きなさいよ。お願いだから早くどっか行って」


「って言っても席隣だけどな」


「……」


 美樹は頭を抱えて、「後で殺す後で殺す」と小さな声で連呼している。

 

 ホームルーム後に校舎裏に呼び出され俺がボコボコにされたのは言うまでもない。


 ――それから二週間経ち、美樹との関係は大きく変わった。あれから美樹の恨みを買った俺はパシリとして毎日汗を流している。奴隷と女王。そんな関係である。


 午前の授業を受け終え、ちょうど昼食時のこと、流石にあれから美樹もクラスメイトから一線を引かれ、俺と共に孤立している。


「おいクソ優也。ちょっとパン買ってきこいよ」


 美樹ちゃんのドスの効いた声も、いまでは親の声より聞きなれた言葉である。


「はいかしこまりました!」


 反射的にその言葉を聞くとどんな作業も中止し最優先で購買に向かう。もちろんお代は俺持ちだ。


 俺だって好きでこんなこと毎日やってるんじゃない。

 

 このような状況になったのは入学初日に俺が山下美樹におっぱいマンレディーの称号を与えたことが、原因らしい。

 

 もちろん俺が逆らえば、ポロリと俺の首が飛ぶこと間違いなし。


 しかし俺だっていつまでも黙っちゃいない。クラスメイトから虐められ、美樹からはパシリ扱いされ、俺にだってプライドはある。今日こそ、今日こそは復讐してやる。


「おばちゃん! あんパンとメロンパンとカレーパンくださいな!」


 もう美樹の好みのパンも熟知している。あえて好みのパンを買っていくのも、美樹を油断させるフェイクだ。これでアイツは俺が忠誠を誓ってると思うだろう。


 ざまあみろ俺は心まで奴隷になっちゃいない。


 あっ! まずい美樹様の指定なされた時間より三十秒遅れている。急がなければ。



 今日こそ昼からズバッと言ってやる。


 え? ズバッと言うなら、パンを買う必要や急ぐ必要はない?


 だ、だからフェイクだよ。ほ、ほら「灯台下暗し」って言うだろ? よく意味知らないけど。


「美樹様ァ! ハアハア……パン買ってきました! ハアハア……」


「なんで犬みたいに息切らしてんの? 気持ち悪い。しかも遅いわよ。一分遅刻」


 美樹は足を組みながら雑誌を教室で読んでいる。くつろぎやがって。


「すいませんでした……。次から気をつけます」


「アンタに次はないのよ。……まっ前より早くなったじゃない」


「え! ありがとうございます!」


 美樹様に褒められちゃった! 嬉しい! なんだかんだ優しいところあるなぁ!



 ……危ない危ない。完全に調教されていた。人の承認欲求を操るとは侮れんなこの女。


 

 飴と鞭で奴隷に雀の涙ほどの褒美を与え忠誠を誓わせるやつだ。


「あ! アンタカレーパン買ってきたわね。今日は私チョコパンの気分なのに」


「な、なん……だと。俺の買い物は完璧だったハズ!」


「毎日同じパン食べる奴がいる? 本当アンタ使えないわね。今から買い直して来なさい」


 そうだ。母ちゃんが買ってきた芋けんぴを美味しいと言って食べたら、次の日から毎日芋けんぴ買ってきて、げんなりした記憶が蘇ってきた。


「でもまた行くんですか? 地味に階段がキツいんですよ!」


「さっさと買ってこんかい!」


 美樹は何の躊躇いもなく俺の頬を殴る。グーで。結構危ない音をならしながら俺は吹き飛んだ。


「ぐふぉ! ありがたき幸せ!」


 美樹が俺に暴力を振るう度、クラスメイトから歓声が沸く。


「うおぉぉまたおっぱいマンレディーがおっぱいマンを殴ったぞ!」


「貧乳パンチだ!」


「ここんとこ毎日殴ってるぞ!」



 くそ……コイツいつか泣かしてやる。毎日チョコパン食って虫歯になれ。俺は心の中で恐る恐る舌打ちしながら、迅速に再び購買に行った。


「おばちゃん!チョコパンくださいな!」


「え? 君またきたの? 鼻血出てるけど大丈夫? ごめんねぇ。チョコパンはさっきちょうど売り切れちゃったのよ。」


 なんとここで残酷にも死刑宣告。これではチョコパンを美樹に献上できない。


 仕方なく来た道を肩を落とし、トボトボと帰る俺そして美樹の待つ教室に戻る。


 結局、買うことができなかったし、手ぶらでこの教室に入ることが、魔王の城に初期装備で入るようなものであった。


 恐る恐る教室の扉を開け、席でカレーパンを食べてる美樹の元へ向かう。


 カレーパン食っとるやないか。

 

 美樹は俺が手ぶらなのことに気がづいたのか、少し機嫌が悪そうだ


「すいません! チョコパンは売り切れでした!」


 俺は美樹に殺される前に、光の速さで頭を下げた。角度も正確だ。自宅で鏡の前で毎日練習してるだけはある。


「チョコパンならあるじゃない」


「ひっ! えっどこに?」


 まず殴られる準備をしていたので、殴られないことに違和感を感じた。


 そして俺には美樹の言ってる意味が分からなかった。


「だからあそこにあるじゃない」


「そんな部長……あそこだなんてセクハラです……」


 頬を赤く染める俺。


「は? つまんな。ほらあっちよ」


 なんて冷たい子なんだろう。美樹の指差す方向には、教室の隅でチョコパンを大事そうに抱える厳ついガチムチのヤンキーがいた。大きな体にどうやってついたのか分からない額の十字の傷がついている。おまけに小指がない。


「よしよ~しチョコパンちゅわぁ~ん。今からだぁーいじに食べてあげるからねー」


 ヤンキーは似合わない満面の笑みで一人でチョコパンを愛撫していた。正直、美樹の思考は手に取るかのように読めたが、一応聞いてみる。

 

「美樹様……まさか……あのヤンキーからチョコパンを奪えと?」


「当たり前じゃん。早く行ってこい」


 いやいやあの人からだけは奪っちゃ絶対ダメだろ。あの人の空間がもうできあがってるよ。 


 あの半径二メートル内に入るだけでも殺されそうなのに……。

 

 というか今ふと思ったんだけど、この高校治安悪すぎない?


 ヤンキーはチョコパンを赤子のように抱え撫でている。


 もうパンが好きというよりパンを愛してるよあれは。もはや母性を感じる。俺が邪魔していいアレじゃない。


「チョコ介たん! うふふ。チョコ介たんを食べる日のために三日断食したんだよぉ? 全てはチョコ介たんのためにやったことなんだよぉ……うふひひヒヒ!」


 うわぁ狂ってるよぉ。色々恐いよ帰りたいよぉ。軽くヤンデレ入ってるよ。


 名前まで付けてどうやったら食べ物をそこまで好きになれるんだよ。俺の願いはただ一つ。もういっそ撫でてないで、早く食ってくれ……。


 俺はチワワのようにぷるぷる震えながら美樹の方に振り返る。


「なに震えてんの気持ち悪い。ほらチョコパンを、いやチョコ介たんを助けてきてあげなさいよ……ほらおっぱいマンは正義の味方なんでしょ? ぷぷっ」


 

美樹は笑いを堪えきれないのか雑誌で顔を隠す。


 こいつの血の色は何色だよ。絶対、青とか紫とか寒色系だよ。


 ちくしょう……やるしかないのか。行ったる! 行ったるでおまぁぁぁ!


 俺は拳を握りしめ勇気を振り絞り、変なテンションでヤンキーに近づく。


「ど、どーもこんにちわ……はは」


 ヤンキーはチョコ介たんを撫でていた手をピタリと止める。そして目を見開き、俺の方をゆっくり舐めるように見回す。


「んびゃあぁぁぁぁん!? なんだテメェェェェェ!?」


 さっきまでの和やかな雰囲気から一変、やはり恐い人だった。普通のヤンキーと「ああん?」のレベルが違う。


「あ、アーユーヤンキー?」


「いいえ、マフィアです」


 ま、ま、マフィアだって!? 良く見るとタトゥーだらけじゃん。確かに右腕に「マフィア」って彫ってあるわ。日本の高校生マフィアなんて存在するのかよ。


 恐い……今までのヤンキーが赤ん坊に見える。


 並ぶと縦も横も俺の二倍くらいあるんじゃないだろうか。


 まるでパンの前に立ちふさがる城壁。俺の人生ヤンキーと関わりすぎだろ。


 早く終わらして帰りたいよ。嫌なこと全部忘れて布団に入りたいよ。これだから人生ってやつは嫌いなんだ。いつになったら俺に血の繋がってない義理の妹ができるんだよ!


 不良に絡まれてばかりじゃないか。俺は女の子と絡みたいだけなのに。


 そしてなんで唯一の女の子が超ド級のSなんだ。歯ぎしりを立てながら苛立つ俺。


「オイテメェ何ブツブツ言ってやがる! 用件はなんだ! 早く言え! 俺は早くチョコ介た……チョコパンを食べたいんだよ!」


 じゃあ早く食えよ……頼むから。目の前にいるのはマフィアだ。気を引き締めないとマジで殺される。

 

 でもいきなりチョコパンくれなんて言ってもくれるはずないよなぁ。


 ましてや、ここまでチョコパンを愛してる奴からなんて奪えるはずがない。


 奪えないだろうし、奪いたくない。


 なんか恋人との仲を裂くようで、気が進まない。そもそもチョコパンがお前になにをしたの? かけがえのないものでも教えてくれたの?

 

 今回に限ってはこのマフィアは完全に悪くないし。むしろ被害者。


 でもチョコパンを奪わないと、俺が美樹に殺されてしまう。いや、さすがに殺しはしないだろうが、半殺しなら十分ありえる範囲だ。


 でもあそこまでチョコパンを愛してる奴から奪わなくてはいけないなんて。あぁ神様はなんて残酷なんだろう。


 この迷える子羊に救いの手はあるのであろうか。もうさっさと済ませてしまおう。この人生を。


「あ、あの……」


「なんだぁあテメェ!?」


 やばい迫力が違う。必死で横へ目を逸らす俺。


「あ、あの……しょの、チョ、チョ……チョナンカン」


「あぁ? 誰がチョナンカンだコラァ!!」


 チョコパンって言ったらその瞬間、首が飛びそう。お父さん、お母さん。サランヘヨ。


 バケツをひっくり返したような汗が止まらない。早くしないと昼休みが終わってしまう。


「す、すいましぇん! ボキはただそのチョコパソを……」


 あぁ。頭が混乱してしまう。


「チョコパソだと!? なんで俺のチョコパンをお前にやらなきゃならねぇんだ!」


 ぐうの音も出ない程のド正論。おっしゃる通り。あなたは間違ってないです。間違ってるのはあのクソ女です。


「いや……そ、そうなんですが、もちろんダメならいいんですよ!」


 後ろを振り向くと鬼の形相で睨んでくる美樹がいた。顎ではよしろと指示してくる。


 針だらけの壁が両側からジワジワと迫ってくるかの如く絶体絶命。どちらにせよ殺される。どうせ死ぬなら俺は!


 俺は教室の床に膝をつき、ハイパー土下座をかます。人生でこんな土下座をすることは二度とないだろう。


「お願いしまあぁぁす! どうか僕にチョ子さんをください!!」


 マフィアは血相を変え怒鳴る。


「何言ってんだテメェ! どこの馬の骨か分からんやつにチョ子を渡す訳ねぇだろ!」


 こいつはノってるのか? それともマジなのか分からんから恐い。


 そっとハイパー土下座を解かないように、後ろの美樹の様子を伺うとすっごいニヤニヤしていた。こんな卑劣極まった笑みを俺ははかつて見たことはない。


 すると相手のマフィアもなんかニヤニヤしていた。目を見開き額には青筋を浮かべ、パンを持っていない方の手は強く握りしめられ血が滲み出ていた。

 

 このニヤニヤも良い意味の笑いではないと思われる。


 なんか怒りすぎて笑っちゃうような感じだ。歯をギリギリと立て、俺に穴が空くほど睨んでくる。


 一週間ぶりの獲物を捕らえようとする一匹の虎よりマジな目だ。


 対する俺は大群からはぐれてしまった一匹のヌーにすぎない。

 

 この目を直視できるはずはなく、再び俺は美樹の方を向く。

 

 すると美樹は友達三人と雑誌を見て談笑していた。とうとう俺のこと見ることすら止めてしまった。


 下手したらもう忘れてるんじゃないんだろうか。それにいつの間にか友達出来てるじゃん……裏切り者め。俺はまだ飼育小屋の鶏しか友達がいないというのに。

 


 出来立ての友達に見せる、普段の五割増しの笑顔を絶望へと変えてやりたい。


 イライラしてきたが、まぁそれは後にするとして、今はこのマフィアをどうにかしなくては。



「オイてめぇ! さっきから何なんだハッキリしやがれ!」


 鈍い音を立て俺の腹にパンチがめり込む。


「ぐふぉ! ちょっ、まだ殴らないでください! これからハッキリするとこ!」


「そうだったのかすまん」


「んもう……」

 俺はちょっとセクシーな溜め息を吐くと話を続けた。


「まぁとにかくチョコパンください」


「いやダメだろ! さっきまで言うの躊躇ってたじゃねぇか! 急にビックリするだろ!」


「じゃあどうやったらくれるんだよッ!」


 もう考えるのをやめた。なんか恐がるのも疲れた。もうどうにでもなれ。


「やらねぇよ! なんでお前が強気になってんだコラ! そこで逆ギレは常識的におかしいだろ!」


 うんだから正論やめろ。なかなか頭のきれる奴だ。下手したらそこら辺のやつより常識がありそうだ。


「う、うるさいうるさい! さぁチョコパンを渡すのだ!」


「てめぇタダじゃおかねぇ……」


 やってやるよ。もう力づくでも奪ってやる。一昨日から筋トレを始めたし、俺に死角はない。 もう感覚が完全にマヒしている。



 何が悪か善なのか。俺が今していることが悪なのか善なのか。


 マフィアが悪なのか美樹が悪なのか。


 そもそもあの人騒がせなチョコパンの存在が罪なのか。


 もはや黒幕は購買のおばちゃんなのか。


 もはや今の日本が悪いのか。


 答えは風の中である。




「こいやぁ! やってやるぅ! やってやるのぉぉぉ!」



 考えたって分からないから、こうして俺は殴りかかっているのである。俺は意を決し、ヤケクソで飛びかかった。




 ――もちろん一撃も与えられずボコボコにされた俺。



 しかし俺の血で真っ赤に染まった手には真っ赤に染まったチョコパンが握りしめられていた。


 どうやらマフィアは帰ったようだ。ざまあみろ正論野郎め。



「やった! やったよ……! 俺勝ったんだぁ!」


 すると偶然通りかかった美樹が俺に気付く。


「えっ。アンタまだやってたの? もうお腹一杯だし、チョコパン血だらけじゃん。なんでそんな事やったの? てか大怪我してるとかキモイんだけど」


 こいつ俺が何のためにここまでやったか分かってるのか? 人が名誉の負傷で大怪我してる姿を「キモイ」の一言で済ますのはどうかと思います。




 すると美樹は俺の手を黙って掴む。


 ま、まさかここで腕ひしぎ逆十字固めに持っていくのか?


 このHPゲージが一ミリくらいしか残ってない時にそんな事やられたら死んでしまう!  



「ほら。なにしてんの。保健室いくわよ!」


 血まみれで汚れた俺の手を掴み、白い歯を見せ笑う彼女は何故か眩しく見えた。







 ――――と言う訳だ。





 話し終えるころには飛行機は東京に辿り着こうとしていた。


 

 瞼を重たそうにしながら、花子はずっと聞いてくれた。



「えっ終わりですか? 一言で感想を言うと「時間を返せ」ですね。優也さんが虐められてるシーンが大半占めてて美樹さんの事あんまり分からなかったですよ」


 しかもまだ入学から二週間分しか話してないからな? 俺はこの後三年間虐められるぞ。そのほとんどが美樹からだが。


「あなたの虐められたエピソードはもう良いんですよ。美樹さんが優也さんなんかにどうやって惹かれていったのかとかを聞きたかったんですけど」


 俺は美樹じゃないからそれは分からないな。まぁ高校時代とあんま今も変わらないけどな。


「そうですか。じゃあなんだったんすか今の話」


 花子は乾いた笑いをすると、ちょうど美樹が起きたようだ。


「ん……寝ちゃってたんだ私。花子今誰かと話してなかった?」


「えっ! いや夢でもみてたんじゃないですか?」


 下手くそな言い訳だな。


デカい声出すからだろ。美樹は半分寝ぼけてるのか頭の上に大きなクエスチョンマークが見えたが、なんとか納得したようだ。


「そっか……なんか懐かしい夢を見ちゃったみたい」



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