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三 オカマとの特訓

 三 オカマとの特訓


 皐月として生まれ変わり、約二か月が経とうとしていた。赤ん坊の成長は早く、体重も身長も増加し、這いずりながらも首を上げるくらいの動作はできるようになってきた。


 今のところ母子共に健康であり、親子としての関係も良好である。残念ながら「優也」としての俺は何もできてなく進展はない。


 そんな俺に対し季節は真夏真っ盛りである。生まれたてには厳しい気温であり、怒号のような激しい太陽光が自分を説教してくるようで目に沁みる。


 主婦向けの平日の昼番組は退屈なものが多く美樹はテレビのチャンネルを頬杖付きながら次々と変える。


「なんで昼からプロレス中継ってやらないのかしら。しょーもない食レポやオカマのファッションチェックしかやってないじゃない。ねえ皐月」


 俺に言われても……。


 テレビの電源を切り、リモコンを放り投げる美樹。


「段々プロレス業界は肩身が狭くなってきてるわ。確かに昔の黄金時代と比べスター性に富んだプロレスラーは減ってきた。世間はプロレスは演技だ出来レースだと言うけれど、アクロバティックな洗練された技と共に肉と肉がぶつかり、汗の飛沫が舞い散る芸術性を分かる人はいなくなってしまったの? ねえ皐月」


 だから俺に言われても……。


 だが充実した日々には変わらない。そう「ヤツ」がいなければ……


 ――すると真昼間からインターホンの甲高い音が響く。 


「はぁ……今日も来たわね。皐月いい? 居留守するわよ。今日こそは絶対部屋に入れないんだから」


 小声で美樹は人差し指を口元に当てる。

 しばらく静かにしていると、再びインターホンが鳴る。それが何度も繰り返され間隔が短くなって

いく。


 ピンポーンピンポーンピピピンポーンピピピピピピピピンポーン!


 めっちゃ連打してる。ホラー映画かよ。美樹に至っては、目が完全にキレている。怒りでワナワナと肩を震わせている。こっちもホラーとは別の恐さだよ。


「ピンポーン? ねえミキティー! 皐月ちゃーん! ピンポーン!」 


「ああああああああ!! うっせぇぞクソ大家ぁ!!」


 大家の声が一番癪に障ったのか、堪忍袋の緒が切れた美樹。


「ふふ……やっぱりそこにいるのねミキティ」


 ドアの向こうから勝ち誇った大家の声。ここんとこ毎日大家はこの部屋に上がり込んできては、俺

をひたすら数時間抱っこして満足したら帰るというタチの悪い習慣ができている。


「あ、しまった。私としたことが居留守がバレてしまったわ。バレてしまっては仕方ないわね。さぁ今の内よ。帰って下さい大家さん」


「いやよ帰る訳ないじゃない! 何が今の内なのよ! 皐月ちゃんの顔を拝むまではね! まぁこのドアの小さいレンズからでも見えるんだけどね! ハアハア」


 大家はドアスコープから覗いてるようだ。もう完全に警察呼んでいいレベルである。

「ったく……毎度毎度本当に気持ち悪いわね。こうなったら強行手段よ」


 美樹は何を思い付いたのか、立ち上がりドアに真っ直ぐ向かっていった


 そして内側からドアのスコープを覗いてみる美樹。


 レンズ越しに大家の血走った目と視線が合う。


 美樹はレンズから顔を離し、レンズにおもいっきり指を刺した


「そいや!」


「ギャアァァァァァァァ!! 目がぁぁぁぁ!!」


 美樹の刺した指がガラスを貫通し大家の目に突き刺さった。指が目に刺さりガラスが飛び散ったのでかなりの痛みだと思う。これは過剰防衛な気もするが、これは二人の戦いだから、見守ることにした。


「ふふふ、挨拶代わりよ大家さん。これ以上私達に関わるともっと痛い目に遭うわよ」


 不敵な笑みを浮かべ、血のべっとり付いた指を引き抜く美樹。それはもうスッキリしたことだろう。


「ハアハア……ミキティ……いきなり目潰しとはやるわね。だけど……片目やられたけども、こっちだって負けた訳じゃないわっよ!」


 大家は助走をつけ、おもいっきりドアを蹴りつける


「ギャアアアア!! 足がァァァァ!!」


 ドアは無傷だった。


 美樹が先程突き破った穴から覗くと、右足がありえない方向に曲がった大家がもがいていた。


「これは完全に自業自得ね」


 筋肉オカマキャラのくせにやたら弱いな。


「ハアハア……空気読みなさいよこのドア……普通壊れなきゃいけないとこでしょ! おかしいわよ見てよこの右足を! 非現実的な方向に曲がってるでしょ……かなり3Dよ」


 大家が自分のアパートのドアを壊そうとしてる時点でおかしいだろ。後で全部大家さんに請求するからな。


「大家さん……あんたしつこいわよ。皐月がこの部屋に来てから毎日来てるじゃない」

 しかも何時間も居座るのだから、いくら暇な美樹達でもたまったもんじゃない。


「アタシはただ皐月ちゃんと遊びたいだけなのよ!」


 目からはおびただしいほどの血が出ていて、右足は青く腫れ上がり、くの字に曲がっている。


「はぁ……仕方ないわね。入っていいわよ」


 ここまでがテンプレである。大家がしつこく頼み込んで最後は同情を誘い、最後には美樹が哀れに思い渋々部屋に通してしまう。今日に至ってはもう病院行けよ。


「わーい! 今お茶出すわねミキティ!」


「なんで大家さんが出すのよ。しかも手際良いし。」


 大家さんは毎日この部屋に来ているのでこの部屋の構造にとても詳しい。なんかもう家族のようになっていて大家さんが来ない日が少し心配になるほどになってきた。


 ああ言ってるけど美樹も大家さんがいる時の方が張り合いがあって元気な気がする。


「……私も手伝うわよ。」


「ありがと! じゃあミキティは湯のみを出してくれるかしら?」


「分かった……ってあれ? 湯のみどこにやったっけ?」


 美樹は戸棚を漁りながら首を傾げる。


「湯のみなら、その棚の引き出しの下から二番目に入ってるわよ」


「あっ本当だ。あったー! ……って気持ち悪いわっ! なんで私よりこの部屋のこと詳しいのよ

っ!」



「だってアタシ達親友じゃない!」


「答えになってないわよ!」


 まぁ毎日来てるからだろう……


 ようやく事態は落ち着き、腰を下ろしお茶を飲む大家と美樹。俺は大家に抱えられて、身動きをとることができない。抱えるというよりはチョークスリーパーに近い。筋肉でがっちりと首を固定されてしまっている。それよりも頭にぽたぽた血が垂れてくるのをどうにかしてほしい。まじで病院行けよ。


「ミキティ! 何このお茶! 鉄の味がするわよ。鉄茶!?」


「それは大家さんの目から出てる血がお茶に垂れてるのよ。鉄分補給できてよかったわね」


 その分出て行ってるけどな。よく見ると大家のお茶の湯のみは真っ赤に染まっていた。


「確かに体に良いかもしれないわね。さっすがミキティ!」


 その分体から出てっているけどな。


「きったねぇな。それより早く病院行きなさいよ! 足も折れてるし。見てるこっちが痛いわ。後、カーペットも汚れるから出て行ってよ」


 強面の大家が血まみれだとヤクザ同士の抗争でもあったのかと勘違いしそうだ。


「ちょっとミキティ……。前会った時と比べて皐月ちゃんあんまり大きくなってないんじゃないの? ちゃんと食べさせてる?」


「まあそりゃあ昨日会ったからでしょうね。会いすぎて変化に気付かないだけよ」


「しかもまだ歩けないの? ハイハイすらしてないじゃない!」


 いや無理だろ……早すぎるよそれ。頭では分かっていても体がついていかないため、いくら中身が大人でもできることは普通の赤ん坊と変わらないのだ。


「まだ皐月は二ヶ月よ? まだ歩けないに決まってるじゃない」


「しかも言語を発することもままならないじゃない! ミキティ、これは一体どういうことなの? もしかして虐待?」


「あのねぇ、大家さん常識知らないの? 喋れるようになるまでまだまだ時間がかかるわよ」


 美樹は呆れつつお茶を啜る。


「そうかしら? 私が皐月ちゃん位の時にはもう自立してたわよ」


「嘘つけよ! 自立できたとしても世間が認めないわよ! アンタもう少しマシな嘘いたらどうなの?」


「よし!決めたわ! アタシが皐月ちゃんを育てる!」


大家は拳を握り立ち上がった。


「はぁ。今度は何ふざけたこといってんのよ。却下」


 流石に愛想が尽きたのか、大きな溜息をつく美樹。大家さんの相手は本当に骨が折れる様だ。 そして流石にそれは俺も勘弁してほしい。


「アタシが育てれば三日で逆立ちしながら飲み物飲むことが出来るようになるわよ!」


「変なスキル覚えさせないでよ! 一生出来なくても困らないわ!」


「まぁ……一ヶ月くらいあれば……歩ける……いやハイハイはきっとできるわ多分。それでも渡さないというの!?」


「なにちょっと自信無くしてんのよ! まぁどっちにしろ却下。ハゲてるんだからもう二丁目に帰りなさいよこのオカマ」


「ニューハーフよ! オカマって言わないでよ! 後、ハゲじゃなくてスキンヘッドよ!」


 このこだわりは何なのか。二人の言い争いはヒートアップしていく。いつものことなので見守ってよう。


「どうせハゲ隠しでしょ。いい加減年齢公開しなさいよ。オカマキャラはもう昼番組で見飽きてんのよ」


「ミキティだって暴力女じゃない! ツンデレ暴力系女はもう流行ってないのよ! この私のマッチ売りの少女のような純粋で可憐な振る舞いを見習いなさいよ!」


「どっちかって言うと少女売りのマッチョでしょ大家さんは」


「人身売買してないわよアタシは! ミキティはもっとこう女の子らしくしなさいよ。言葉が汚いわよ!」


「うるさいわハゲ。それより大家さん筋肉付きすぎて足短くない? 」


「それはやめてよっ! さっきから見た目の悪口はやめなさいよ! こういう言い争いにも最低限のマナーはあるでしょ! 足短い言われたらどんな口論も負けるわっ!」


 足の短いハゲは耳を塞ぎしゃがみ込む。そうとう美樹の言葉が刺さったようだ。まあ軍配は美樹の反則勝ちといったところか。


「……はぁ悪かったわよ。でもここで引き下がっていつも大家さんの良いようにされてるんだから今日は引かないわよ」


「んもう……ミキティは昔から強情ねぇ。じゃあ一日大家の無料体験レッスンさせてみない?」


 無料体験レッスンってなんだよ。逆に誰が金払うんだよ。でも何故か、今日の美樹は甘くない。いつもならここで同情して俺が大家さんのおもちゃにされているところだ。


「で、何がしたいのよ」


 あれ? 美樹さんいつもの許しちゃう流れか?


「今日一日、この大家が皐月ちゃんにレッスンして、もし何かにおいて成長したなら私の勝ちよ! 

もし皐月ちゃんが何も得られなかったら、二人に沖縄旅行プレゼントするわ」


「えっ沖縄? マジで?」


 この戦い大家さんにメリットあるか? 勝敗の条件もはっきりしないし。沖縄と聞いて美樹も少し乗り気なのか、目が一瞬輝いた。


「どう? 悪い話じゃないわよミキティ。しかも三泊四日よ」


「うーん。まっいっか」


 軽っ! さっきまでの争いは何だったのか。完全に物で釣られてるじゃないか。しかし美樹は人差し指を立てて大家の前に突き出す。


「ただし! 条件があるわ」


「条件ですって!? きっと非情で過酷な条件に違いないわ! でも私はそれを乗り越えて見せる! さぁそれは何なのミキティ言ってみなさい!」


 この人自分を自ら追い込むタイプだ……。


「まずは私の目の前でやりなさい。もし皐月が危険な目に合うようだったら私が滑り込んでフライングクロスチョップだから」


 美樹の得意技だしな。俺も高校時代によく食らって数メートル吹き飛んだもんだ。


「んで二つ目、時間は夕方まで! 私も夕飯の支度しなくちゃだし。皐月も早く寝かさないと疲れちゃうでしょ。破ったらドラゴンリングインしてドラゴン・バックブリーカーね」


 俺もこの技で高校時代危うく背骨を折られるところだった。


「腰まで折られたら流石の私も病院行きね。後、タイムリミットは三時間くらいしかないけど良いわミキティ。その条件で受けて立ちましょう」


 そこまでしないと病院行かないのかよ。そしてちゃっかり条件が厳しくなってるのに大家さんは気付いているのだろうか。


「はいじゃあスタートね。やるなら早くやりなさいよ」


 美樹は興味なさそうにつまらないと言っていたテレビを再びつけた。無関心にもほどがあるだろ。被害に遭うのは俺なんだからな? 


「分かったわ! さぁ名付けて『大家の華麗なるレッスン(体験版)~あの日僕たちが夢見たもの~』の始まりよ!」


 サブタイトルがあるだと……?


「あっミキティと皐月ちゃんちょっと待っててね! 道具用意してくるから!」


 大家は小走りでドアから出て行った。


「このまま鍵かけて締め出しちゃおうか皐月」


 俺も同じこと考えてた。道具ってそんな大掛かりなのか。


 すると鍵を閉める間もなく数十秒で息を切らし帰ってくる大家。手には大きく膨らんだゴミ袋。タ

ンクトップのサンタクロースのよう。



「ハアハア……お待たせミキティ!」


「チッ! 別に待ってないわよ」


 心からの舌打ちをしてテーブルに戻る美樹。本気で締め出そうとしてたな。


「それより大家さん。どっからそんな荷物取ってきたのよ」


「……? 自宅からよ?」


 何故かキョトンとした表情になる大家。なんかその顔むかつくわ。


「えっ。大家さんって家どこよ……」


「隣の部屋だけど……」


 ……衝撃の事実なんだが。美樹の顔は絶望により青褪めていく。大家なのだから同じアパートに住ん

でてもおかしくはないのだが、なんでそれを早く言わないのか。


 どうりで毎日来るわけだ。居留守をしようとバレる訳だ。美樹に至っては言葉を失って口を開けたままに。ショック受けすぎだろ。


「次はどこに引っ越そうかな」


テーブルに顎を乗せ、死んだ目をしてる美樹。


「ミキティ? まあ良いわ。じゃあ皐月ちゃん最初はウォーミングアップといきましょうか。さぁこれを見れば何するか分かるわよね?」


 すると大家はゴミ袋から大量のピンポン玉を取り出す。なんか何をするか少し予想がつく気がする。


「……なにそれ。まさかボクサーがやるピンポン玉を投げて次々と避けるってやつ?」


ああ、亀○3兄弟がやってたやつか。

 


「あっそれ良いわね。それにしましょう」

 

大家はポンと手を叩き準備に取り掛かる。


「違うことやるつもりだったの?」


「いやホントはピンポン玉を使って海亀の産卵対決とかしようと思ってたんだけど、ミキティの言うピンポン玉を投げて避ける方がカッコいいからそっちにするわ」


「クソみたいな特訓ね! 涙流した方が高得点ってか! 後、ピンポン玉投げるのはダメよ! 赤ちゃんに避けれる訳ないじゃない!」


「まぁやるだけやってみましょう! 私の特訓は茨の道よ。いくわよ皐月ちゃん!」


 大家がピンポン玉を俺に向かって投げる。頬に当たりペチッと音を立てピンポン玉は床に吸い込まれるように落ちる。


「惜しいわ! 皐月ちゃんもう一度よ!」


 再びピンポン玉は虚しく俺に当たり床に落ちる。別に俺も手を抜いてる訳じゃない。ただ生後二ヶ月にこんな俊敏な動きができるわけがない。


「よしペースアップするわよ!」


 大家の投げるスピードと間隔は速くなる。飛べない跳び箱の段数を上げていくようにどんどん無謀な状態になっていく。痛っこれもう130キロくらい出てない? ちょ痛っ!


 み、美樹助けて! あっ美樹が奇跡的に昼からやっているプロレス中継に夢中で気付かない!すごいウットリしながら見てるし!


こうなったら赤ん坊の特権を出すしかない……!


「お、おーいおいおい。おーいおいおい」


「あ! ちょっと大家さんなにしてんのよ! 皐月がおっさんみたいに泣いてるでしょ!」


 しかし大家はムキになっているのか、美樹の声は届いてないようで、頭に青筋を浮き出しながらピンポン玉を投げ続ける。 


「コラァ! 大家ァ!!」


 美樹のドロップキックが大家の首に当たりゴリュッという鈍い音が鳴り、大家は吹き飛ばされる。

細かい事いうけどフライングクロスチョップじゃないのかよ。


「ンギィ!!」


 大家の首は90度曲がり、捌く前の新鮮なエビのようにビクビク痙攣している。


 人間って首に打撃を受けると、こんな声出るんだなと関心してしまった。


 狭いリビングでやるから食器等が散乱して地獄絵図である。


「ちょっとミキティ! 首にドロップキックはダメでしょう! 首が戻らないじゃない!」


「ごめん。久々だったから勢い余っちゃって。でも、話す時はちゃんと前見なさいよ」


「顔をそっち向けると体が横になるのよ! アタシじゃなかったら死んでるわよ!」


 逆にどうやったら大家さんは死ぬんだ。もう片目が潰れて、足も折れてて、首も曲がってるんだから、ゾンビと同じように頭撃ち抜くしかないんじゃないだろうか。


「まあ最終形態になれたんだから良いじゃない」


「重傷のアタシが逆に強そうに見えるの? 醜くなる度強く進化するラスボスにでも見えてるの?」


「本来ならここで規約違反でレッスンは中止にしてもらうところだけど、私も大家さんの首折っちゃったから許してあげるわよ」


「えっいいの? ミキティ太っ腹ー! 今回はお互い悪いものね!フィフティーフィフティーね! ミキティは昔から優しい所もあるわよね!」



 ……優しさとはなんだろうか。哲学だな。



「でもピンポン玉は危険だから無しよ。次皐月を危険な目に合わせたら常に背後が見えるようにしてやるわ」


 美樹。流石に180度はにアカン。


「分かったわ。じゃ次のレッスンにいきましょ! ここじゃ狭いから外に出ましょう!」


 もう頼むよ。こっちが辛いから病院行ってくれよ。


――美樹に抱えられ、外に出てしばらく大家と歩く。このゾンビと歩くの嫌なんだが。


「大家さん。せめて怪我の手当てしてから外でようよ。いろんな人が見てくるんだけど」


 今の大家を見るや否や悲鳴を上げる女性。全力で逃げる男性。エアガンでヘッドショットを試みる少年達。通報されても仕方ない。


「ミキティ! 私のこと心配してくれるのね嬉しいわ! だけど今は一分一秒を争うのよ……だから心配ないわ」


 折れた足を引きずりながら真っ直ぐどこかに向かう大家。首は曲がってるけど。なにがそこまで彼を動かすのだろうか。有難迷惑にもほどがある。


「そうゆう意味じゃないわ。血だらけのオカマと歩く方の身にもなってよ。死ぬほど恥ずかしいんだけど」


 俯き出来るだけ他人のふりをする美樹。顔を赤らめていて可愛いなぁ本当。


「オカマじゃあないわよ! ニューハーフと言ってるでしょが! ニューハーフってのはね……新しい……半分。あっ半分新しいのよアタシ」


 そして俺達が着いたのはただの公園。


「到着よミキティ。皐月ちゃん」


 しかし俺と美樹にとってはただの公園ではない。


 なぜなら一年前、俺はこの公園でプロポーズするべく美樹と待ち合わせ、目の前のこの道路で轢かれて死んだからだ。だから美樹にとっては俺が死んだところだという印象が強いかもしれない。その

証拠に美樹は険しい面持ちである。



「大家さん……ここはちょっと」


「ミキティどうしたの? うんこ踏んだみたいな顔して。だってアタシたちのアパートから近いしレッスンにピッタリだと思ったんだけど」


 デリカシー無さすぎだろ。もちろん大家さんは知らないから仕方ない。悪気はないんだろう。正直、こんな顔の美樹を二度と見たくなかった。


 空気が読めない大家も急変した美樹の様子に戸惑った。美樹は少し悩んだ挙句、震える小さな唇を開いた。


「お、大家さん実はね……」


 ――――意外なことにも美樹は大家に全てを打ち明けたのだ。


この公園の目の前の道路が俺、「優也」という男の死んだ場所であること。

その優也との子どもが皐月であるということ。


大家はシングルマザーの美樹に深くは踏み込んでいなかったようで、美樹がシングルマザーとなったきっかけまでは知らなかった。俺もそこで初めて知ったことが、この場所が美樹にとってトラウマになるほどのものになっていたこと

 少しの沈黙の後、口を先に開いたのは大家だった。


「公園に入りましょ。美樹ちゃん」


 ずかずかと公園に踏み込む大家。少し躊躇した美樹は追うように小走りで大家に付いていく。小柄な美樹とはいえ、ここまで小さく見えるのは始めてかもしれない。


 公園には滑り台、シーソー、砂場と極一般的な遊び場が並んでいた。子どもたちも学校が終わった時間なのか数名遊んでいた。大家はシーソーの片側に立ち、立ち尽くす美樹に対して指をさす。


「ミキティ! シーソーしましょ。ほら早く反対側に座って!」


 美樹は言われるがままに皐月をしっかり抱き、ゆっくりと腰かける。


「ほら行くわよミキティ!」


「うわ!」


 体重が重い方に傾くのがシーソーである。誰もが当然知ることで、案の上大家側に勢いよく傾き、美樹は足が地に着かない状態となる。


「シングルマザーは甘くないわよミキティ。本来夫婦で育てる子どもを一人で育てていくんだから当然よね。そっちに優也君だっけ? 彼が座っていたなら私を浮かせることができたかもね」


 確かに今の俺の体重じゃどうにもならないや。


「それだけ重いものを失ったのだから、同じくらい大切な人を見つけるも良し、ミキティが私を持ち上げちゃうくらい強くなるも良し。それはミキティが決めなきゃいけないことよね」


 美樹が少し俺を抱える力が強くなったのを感じた。


「ミキティはまだ地に足が着いてない半人前よ。これからどっちに転ぶにしろ、誰かの助けって必要なものよ。シングルマザーは一人って意味じゃないわ。その分、家族や友人を頼ったって良いのよ。アタシも家族みたいなもんじゃない。」

 

大家は腰を上げ、シーソーから降りる。それに合わせて美樹もゆっくり降下し、そこから降りた。


「半人前なんだから、ニューハーフ。新しいもう半分のあなたを見つけないとね!」


 いや全く上手くないからな。無理矢理感が否めないぞ。


「まあ現実的な話すると、これからミキティは勤めてる会社の産休、育休を消化し終えるところでしょ。だから会社に戻ってミキティが働いてる間、アタシがその間だけ皐月ちゃん見ててあげようかなって思ってたのよ。でもミキティ頑固だから断るかなって。でも今日アタシに色んな事話してくれたでしょ? 家族しか見れないような本当のミキティが見れたみたいで嬉しかったわよ……」


 だから大家さんは毎日のように部屋に来てくれてたのか。なんだか温かい人だな。少し大家さんがかっこいいと思ってしまった。


「フフ! それしてもミキティがこんなに心か弱い乙女だったなんてね! ギャップ萌えってのを狙ったってそうはいかないわよ!」


「なっ! うるさいわよ……。全くもう。」


 心なしか美樹の表情に小さな光が差した。心が晴れたのか、穏やかな顔である。大きな支えがあるってのは良いことだ。俺自身が美樹をこんな顔にさせてやれるまでどのくらいかかるのだろうか。


 気づけば夕刻である。門限の早い子ども達は夕飯を食べに帰途につく。それを眺めながら美樹は呟く。


「私が働いてる間、皐月をよろしくね。皐月に何かあったらドラゴンスリーパーだからね」


「んもう素直じゃないわねえ。帰ったらアタシがご飯作ってあげるわよ! 得意なんだから! 和・洋・中・滅、なんでも作れるのよ!」


「滅って何よ。禍々しいわね。あと大家さん……」


 美樹は後ろで手を組み、もじもじとしている。


「何か言いたげね。どうしたのミキティ?」


「沖縄な」


「えっ?」


「いやだから沖縄な。もう時間切れだし」


 場が凍り付くとはこのこと。大家は戸惑いを隠せない様子。


「あの……ミキティ。アタシ良い話したつもりだったんだけど」


「うん。良い話だったわ。時間稼げたし。ありがとう大家さん。私、沖縄嬉しい」


 美樹は大家の顔が沖縄に見えるのだろうか。


「……どういたしまして。でもアタシの特訓中断してたわよね」


「中断なんて言った? 私はあの話も特訓の一つだと思ってたけど」


 もう諦めよう大家さん。こうなったら美樹は絶対に引かない。美樹が完全に真顔なんだもの。


「いや……でもタメになったでしょう?」


「うん。タメになった。でも皐月自体は何も成長してないわよ」


 そりゃあ俺はピンポン玉投げられただけだからな。


 ――こうして大家の特訓は呆気なく終わった。


「ちなみに大家さん。次はどんな特訓をするつもりだったの?」


「よくぞ聞いてくれたわ!」


 待ってましたと言わんばかりに大家は箸と小豆と皿を取り出す。


「もしかして小豆を箸で掴んで皿に移すってやつ? またしても皐月には無理でしょ」


「その手があったわね。私は小豆を投げて皐月ちゃんに避けてもらおうと思ったんだけれど」


「ほんとワンパターンね。やらせないで良かったわ」


 やけに一日が長く感じた日であった。



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