第3話
カテリーナ母さんが子宮がんを発症した頃、ピエール兄さんはフランス陸軍少尉に正式に任官した。
そして、そう間を置くことなく、西サハラ共和国の平和維持部隊の一員として派遣された。
お父さんの力をもってすれば、ピエール兄さんが西サハラに赴くことを阻止することは容易な話だったが、お父さんも、ピエール兄さんも、そういうことを嫌った。
お父さんは、私が知る限り、亡くなるまで口癖のように言っていた。
「自分は生涯、一兵卒としての精神を保ちたい。政府からの命令には黙って忠誠を誓って従う。それが軍人というものだ」
ピエール兄さんに至っては、お父さんのお蔭ということ自体を嫌っていた。
そのために、通称として、実父の姓であるドゼーを使うようになっていた。
何しろ、お父さんの子というだけで、その頃は周囲の態度が微妙に変わっていたそうだ。
私が海軍の軍人になったのは、ピエール兄さんの話を聞き、陸軍に入ると、お父さんの子と見られると思ってしまったのもあった。
(ちなみに、私が空軍に入らなかったのは、後述するが、アラナ姉さんの影響だった。)
ピエール兄さんが、西サハラ共和国に赴く少し前の頃から、カテリーナ母さんの体調不良が続くようになっていたが、カテリーナ母さんは、我慢強かったこともあり、病院に行かなかった。
後から私が聞いた話だと、カテリーナ母さんは、その頃は単なる更年期障害と思っていたらしい。
だから、安静をできる限り保っていれば、その内に治るとカテリーナ母さんは思っていたらしい。
だが、余りにも体調不良が長引くし、ジャンヌお祖母さんが、私とは余りにも症状が違うから、病院に行くようにと半ば強引にカテリーナ母さんに進めたことから、カテリーナ母さんは病院に行った。
そうしたら、子宮がんで、もう手遅れです、延命治療しかできません、と医師からカテリーナ母さんは、言われてしまったのだった。
まだ十代半ばだった私には、すぐには知らされなかったが。
カテリーナ母さんとお父さんはそれを知って、お互いに抱きしめあい、涙にくれたらしい。
ピエール兄さんとアラナ姉さんが知り合ったのは、その少し前だった。
全く義妹に助けられて情けない兄だ、と私が思わなくもないが。
平和維持活動の一環として、反政府ゲリラに対する鎮圧活動を行っていたピエール兄さんは、反政府ゲリラの包囲下に陥り、アラナ姉さん達が載った戦闘爆撃機の空爆により助け出された。
そして、そのお礼にピエール兄さんが赴いたことから、アラナ姉さんとピエール兄さんは知り合った。
更に二人は愛を育んだことから、二人はお互いの両親に相手と結婚したい旨を知らせたのだった。
この時、アラナ姉さんの母、カサンドラ母さんがどういう態度を取ったのか、私は知らない。
だが、少なくともカテリーナ母さんは、アラナ姉さんとピエール兄さんが結婚することに難色を示した。
何しろ、バレンシアでも一、二を争う娼館の娘だ。
幾ら職業に貴賤は無いと言っても限度がある。
お父さんも、すぐには良い顔をせず、ちょっと調べてみると言っていた、と私は覚えている。
だが、数日後には、調べてみたら良い子のようだ、ピエールと彼女を結婚させよう、とお父さんは言うようになった。
(それはそうだろう、何しろ、自分の実の娘が、義理の息子と結婚したいと言っているのだから。
血のつながりも無いし、何の問題もない以上、娘の望みを叶えたいと思うのは、自然な話だ。)
終には、向こうのお母さんに挨拶に行ってくる、とお父さんは自分から言い出して、バレンシアまでわざわざ行ってきて、ピエール兄さんとアラナ姉さんの結婚を決めてきた。
この頃、カテリーナ母さんは真相を知ったようだ。
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