コンビニと桜
散り際の桜が綺麗だというので、りん子は鮭のおにぎりとビニールシート、それにカメラを持って公園へ出かけた。
ところが着いてみると、桜の木は一本もなかった。代わりに、太った男が木のように手を広げて立っていた。見苦しい上に鬱陶しい。
「ねえ、ここにあった桜は?」
男は答えない。頰肉と腕をわずかに震わせ、じっとしている。りん子は落ちていた枝を拾い、男の脇をつついた。
「ぶは!」
男はバランスを崩して倒れた。振動でりん子も倒れそうになったが、どうにか踏みとどまる。
「やめてくださいよ。木になりきってたのに」
「何でなりきる必要があるのよ」
「さっき急に、木と入れ替わっちゃったんスよ。花見客がみんな帰っちゃいました」
そりゃあ帰るだろう。りん子も帰ろうかと思ったが、ここまで来たら桜を見ないと損だ。
「桜はあなたの家にあるの?」
「バイト先のコンビニっス。今ごろきっと、俺がいなくて困ってるでしょうね」
「早く戻れば?」
「だめです。俺は今、木ですから」
男はでっぷりとした体を伸ばして立ち、また動かなくなってしまった。仕方がないので、りん子はコンビニに行ってみることにした。
公園から街道沿いに歩き、三つ目の信号のところにコンビニがあった。ここだ、とりん子は一目でわかった。桜の木が何本も寄り固まり、屋根を突き破って生えている。
枝には幕の内弁当やドリア、ペットボトルのお茶などが突き刺さり、だらだらと中身をこぼしている。りん子がカメラを出して構えていると、入り口から女の人が出てきた。
「あら? りんりんじゃない!」
知り合いの陽子だった。すらりとした体にエプロンをまとい、頭に桜、胸にも桜、背中にも桜の枝が刺さっている。商品たちと同じ目に遭うところを、無理にへし折って逃れてきたようだ。
「陽子さん! どうしてこんなところに?」
「ここ、私のコンビニなの。昨日始めたばっかりなのに、バイトの男がいなくなっちゃって。困ったわ」
普段は何でもてきぱきと片付ける陽子が、本気で悩んでいる。コンビニの仕事はよほど忙しいのだろう。
「私でよかったら手伝うけど」
「りんりん、重いものとか持てる?」
「それなりに持てるわ」
隣町のスーパーの日曜朝市に歩いて出かけ、米と牛乳と大根と卵を二パック買って帰るくらいの体力はある。力仕事もそこそこできるだろう。
「じゃ、まず桜の木を抜いてもらおうかしら」
「えっ?」
「当たり前じゃない。このままじゃ開店できないでしょ。えーと、全部で十二本あるわね」
商品の陳列でも頼むような気安さで、陽子は太い木の束を指差す。無理、とりん子は叫んだ。
あはは、と陽子は笑った。
「冗談よ。そんなこと頼むわけないでしょ」
「ああもう、びっくりした」
「一人でやらせるなんて、さすがにないわよ。ちゃんと私も手伝うわ」
こぼれかけた安堵の息が、喉で詰まった。結局やるのね、と思い、りん子は陽子の後についていった。
入り口から体をねじ込むと、店内はめちゃくちゃに壊れていた。何しろほとんどのスペースが木の幹に占領されているのだ。陽子が奥に回り込み、りん子はレジの近くのわずかな隙間に陣取った。二人で幹を抱え込み、それっ、と引っ張り上げる。
「やった……!」
幹の束がまとめて持ち上がったような気がして、りん子は叫びかけた。実際には、真っ赤な炎が根元から走り、燃え上がっていたのだった。
「きゃっ! 陽子さん! 陽子さんってば、燃えてる!」
陽子は出てこない。幹はあっという間に巨大な火柱になり、桜の花びらが火の粉になって落ちてきた。
奥へ入ろうとすると、りん子の腕を誰かが掴んだ。
「りん子さん、早く! 外に出るんです」
振り向くと、男が二人立っていた。煙を手で払い、りん子は目をこすった。陽子の弟の、月ノ介さんと風太だ。風太は学校の鞄を持っているが、角のところがへこんでしまっている。壁を叩き壊して入ってきたらしい。
「姉ちゃんは大丈夫だよ」
「そうそう、殺しても死なないですから」
二人に連れられ、りん子は壁の穴から外に出た。煙をたくさん吸ってしまったが、桜の香りなので悪い気分ではなかった。
見上げると、桜の花の一つ一つに火がともり、赤い星の群れが輝いているようだった。曇り空に映え、ちらちらと揺れる様子は、今までに見たどんな桜よりも美しい。
「陽子さんは……」
「あそこです」
月ノ介さんが指さす。
コンビニの屋根が崩れ落ち、小さな太陽が幹の周りをくるくると回りながら登っていくのが見えた。そして、引っかかっている弁当やデザートを全て飲み込み、てっぺんの枝にとまった。
「うわあ、綺麗……」
りん子はほうっと息をついた。太陽に変身した陽子は、桜の木を燃やし、照らし、赤々と染め上げていた。まるで、季節外れのクリスマスオーナメントのようだ。
「姉ちゃんがコンビニなんて、まあ失敗するだろうと思ったけど、案の定だったな」
風太が言うと、びしっと小石のように火の粉が飛んできた。陽子が口に花びらを含み、正確に風太の額を狙い撃ちしたのだ。
「下手なこと言わないほうがいいですよ。姉さんは頭はいまいちですが、目と耳と熱量だけは人並みはずれてますから」
三発ほど飛んできた火の粉を、月ノ介さんはひらりとかわして言った。最後に来たのは火の粉というより火球で、足下に大きな焦げ跡を作った。
りん子は夢中で見ていた。コンビニの残骸さえなければ、完璧に美しい光景だ。それに、賑やかな家族の花見に思いがけず参加できて嬉しかった。
「こんなの、姉ちゃんがいればいつでもできるよ」
風太が言った。月ノ介さんもうなずく。
「来年はもっと桜を集めてきますよ。建物はあらかじめ壊しておけば安全ですから、りん子さんもぜひ一緒に」
そうね、とりん子は笑い、辺りを見回した。ここは集合住宅地だが、来年は廃墟のようになってしまうのだろうか。先のことを考えても仕方がないので、今はただ、赤い桜の雨を眺めていようと思った。