第81話:勇気
「なぜ…。」
名剣ヴィトスによって左肩から右わき腹を斬られ、血が噴き出す。
どんな名医でも彼は助けられない事は確実だ。
だが彼の顔はとても穏やかで、自分を斬ったティモシーに微笑んだ。
「そこにおられたのですね…。」
フィリップはすっかり成長した主人の頭に手を伸ばし、撫でた。
かつて父親からも母親からも、撫でてもらえなかった少年の頭を。
「良かった…。」
便利屋を助ける、ティモシーの頭を撫でる。
どうしてもやりたかった事を成したフィリップは仰向けに倒れた。
「そんな…。」
坂で転んだり、蛇と戦ったりしなかったから間に合ったのだろうか。
ブレゴは助けると誓った友達の血塗れの姿を見て、膝から崩れ落ちた。
「執事さん!」
横の騎士が叫んでいるということは間違いない。
倒れたのはアリアンナ家の執事フィリップだということが。
「まだだ!」
まだやれることはある。
ブレゴは走った。彼を斬った者が今しがた、その手から落とした物へと。
「便利屋さん!」
彼の最期に立ち会う役目は自分ではない。
トランはまだ救える者の方へ走った。
「起きてくれ!」
便利屋は完全に意識を失っている。
トランがどれだけ揺すろうともまるで反応が無い。
「爺や!」
幼い頃からいっぱい甘えた老人の元へロレインは駆け寄った。
もう腕を上げる事もできない。だからフィリップは握りしめる彼女の手を精一杯、握り返した。彼女の想いに少しでも応えてあげられるように。
「どうやって、ここに来たの…!?」
「グロリエッテにはソリがあったでしょ…。坂を滑るための…。」
フィリップが作ったソリだった。
幼いティモシーやロレインと、一緒に乗って丘を滑った。
アビーに出会う前のティモシーも、その時だけは満面の笑顔を見せてくれた。
「爺さん!剣なら取り返したぞ!だから安心しろ!」
ブレゴは拾った剣をフィリップに見せた。
彼がなんとしても取り返そうとしたアリアンナ家の家宝、ヴィトスを。
優しい友人にフィリップは眼差しだけで謝意を送った。
ブレゴは彼の気持ちを理解すると、満足して口を閉じた。
これ以上、ロレインの邪魔をしてはいけない。
「旦那様は…、まだ負けてない…。だから大丈夫…。」
「嫌よ…、嫌…。」
一片の未練もない。
もういないと思っていた主に、また会えたのだから。
「彼なら魔王にだって、勝てる…。」
神はなんと慈悲深いのだろう。
最期の瞬間に、優しい主と友人がそばにいてくれるのだから。
「ああ…!」
彼はその手で斬り殺した。
父よりも母よりも、そばにいてくれた人を。
「違う、私は…!」
心が裂ける。
精神がひび割れる。
彼の精神を構築する全てが捲れて、ひっくり返っていく。
「ああああああああ!」
砕ける彼の心が、肉体にも反映された。
ティモシーの体から黒い煙が漏れ出ていく。
邪気だ。邪気がとめどなく溢れ続ける。ここら一帯を邪気で呑み込みそうなほどの勢いで。
「頼む、来てくれ!」
トランは願いを込め、指笛を鳴らした。
「よし、良い子だ!」
さすがは共に魔王を跪かせた馬。臆することなく、トランの元に駆け付けてくれた。
若き騎士は便利屋を肩の上に担ぎ上げて、馬の背中に乗っけた。
「逃げるぞ!」
トランは馬を引っ張って、別れを終えた人々の元へ駆け寄った。
終えていなかったとしても、もう彼は事切れている。
「爺や、爺や…!」
「お嬢様、逃げるんだよ!」
ブレゴはフィリップの骸に縋りつくロレインを引き離し、馬に乗せた。
動けない少年と少女を馬に乗せ、トランとブレゴは自分の足。
逃走準備は完了だ。
「走れ!心臓が破裂しても足を止めるな!」
2人と1頭は広がる煙から逃げ出した。
「アリアンナ邸から脱出するぞ!」
「それは無理だ!化け物どもが敷地を囲ってるんだ!」
なんという絶望的状況か。
敷地内には狂える魔王がいて、さらに敷地を出ようとすれば魔物に喰われるのだ。
「ぶおおおおおおおおおおおおおおおお!」
庭園に獣の雄叫びが轟く。
拡散が止まった邪気の中からそれは現れた。
身長はおよそ7メートルの巨体。
岩のようにごつい皮膚。
象を思わせる大きな足。
凶暴性に満たされた顔。
怒りに支配された巨人がいた。
「今度は“魔獣”になったのか!」
“魔獣”。
的確な表現といえよう。
その怪物に知性など感じられない。
ティモシーの壊れた精神だけが反映された獣なのだろう。
「どこに逃げれば…、ん!?おい、空を見ろ!」
2人は空を見て絶望した。またしても危機の追加だ。
空を覆いそうな程の数の空飛ぶ生物がこちらへ向かってくる。
「あれは使い魔だ!」
あの鳥やコウモリは自然の産物ではない。
魔が生み出した、偽りの命の大群だ。
「海、陸、ついには空かよ!敷地を囲ってるんじゃなかったのか!?」
「ご主人様と一緒にイカれちまったみてえだ!」
魔物たちの主は“魔獣”となった。
精神が暴走し、彼らへの命令も暴走したのだろう。
“目につく全てを殺せ”に。
「うっ、うっ…。」
馬の背で泣いているロレインでは、あの大群を退ける事など出来ない。
このままではまとめて骨だけになってしまう。
「おーい、こっちだ!」
2人と1頭を、声が呼び止める。
やたらとたくさんの声だ。
「お前らか!?」
あれはブレゴが命令を下した飲んだくれ野郎や、他のチンピラ達だ。
その中にはこの絶望的状況で、トランに歓喜を呼び起こす者もいた。
「相棒!?」
ロスーだ。
魔王に生き埋めにされたはずのロスーが、チンピラ達と共に手を振って呼んでいる。
「この中なら安全だ!噴水に来るんだ!」
噴水。
対バルベリス用の聖水に満たされた、この状況における安全地帯。
トランとブレゴ、そして少年と少女を乗せた馬は一目散に噴水へ走った。
「急げ!」
2人と1頭を空飛ぶ魔物たちが追いかける。
肺が張り裂けそうになっても、トランとブレゴは全力疾走をやめなかった。
友の死を垣間見た今、易々と死ぬわけにはいかない。
「よし!」
まずはもちろん馬。
少年と少女を乗せた馬は軽やかにジャンプして、噴水に飛び込んだ。
次にトラン。
騎士としての修行しているだけあり、結構余裕そうだ。
「早く入れ!」
最後にブレゴ。
噴水目前で力尽きたが、噴水の中にいる飲んだくれ野郎に引っ張り入れてもらうのだった。
ハーブの匂いを避ける虫のように、魔物たちは噴水には近づかない。
ひとまず安全は確保できた。
「生きてたのか、相棒!?」
「彼らが掘り起こしてくれたんだ!」
大量に飛び散る土砂、それに生き埋めにされる人を見たのはトランたちだけではない。
偶然見かけたチンピラ達によって、ロスーは窒息寸前のところを助けられたのだ。
「はあ、はあ…。お前ら…、どうしてここに…。」
「お前が命令したんだろ!武器を集めて、安全な場所を探せって!」
走りすぎて気絶寸前のブレゴに、飲んだくれ野郎が叫ぶ。
助け出したロスーから魔王の事や、作戦やらを聞いたチンピラ達が見出した安全地帯。
それはこの聖水を湛えた噴水しかなかった。
そして噴水の横には剣や斧、槍やらが満載の台車。ちゃんと命令は全て遂行したようだ。
「そうだったな…。お前らなんかでも…、会えたらありがてえな…。まあ爺さんが死んだ後じゃな…。」
「爺さんが死んだ?苦しんだのか?」
この場にフィリップがいないという事は、彼は死んでいるという事と同義。
フィリップを見捨てた飲んだくれ野郎には悲しむ資格などない。
「いいや、穏やかだった。」
「そうか…。」
だがその死が安らかであったことにだけは、安心するのであった。
あんなに親しかったブレゴが、ここまで淡泊に返すとは。
悲しむ間も無い程に奮闘したのだろう。
「少し休憩しろよ、ブレゴ。ここなら安全だ。」
「そう思うのか?」
「それってどういう…、うわあ!」
チンピラ達がどよめく。
噴水に大きな物体が飛び込んで、揺るがしたのだ。
それは庭園の柱の残骸だった。
「わああああああ!化け物だ!」
二足歩行の巨大な獣が噴水へと歩を進めている。
柱の残骸はあの“魔獣”が投げ込んだものだ。
「あれ見て、まだ安全だと思うか?」
皆が狂ったように慌てふためき、噴水内はパニック寸前だ。
あの怪物は噴水など容易く破壊し、安全地帯は失われるだろう。
「いやだ、いやだ、いやだ!殺されちまう、死にたくねえ!」
飲んだくれ野郎の慌てっぷりと震えっぷりは特に激しい。
鈴をつければ、さぞ大きな音が鳴るだろう。
「トラン、あの化け物は何だ!?」
「魔王だ。また変身したんだ。」
理性は失われ、魔術など使用はしないようだ。
だが確実に近づく破滅であることに変わりはない。
「よし、相棒。ここからお嬢様を逃がす方法を考えてくれ。」
「無茶言ってくれるな。俺たちは空を覆う大量の魔物たちに囲まれてんだぞ。聖水で体を濡らせば一時的に身を守れるとしても、逃げ切る前にやられちまう。」
暴走した使い魔たちを最初は追い払えても、やがては気に留めることなく襲ってくるだろう。
「もっと足が速ければ…。」
ロスーはとんでもない駿足の持ち主が噴水にいた。
騎士団が誇る、魔物を恐れない勇猛なる軍馬。
この戦場で生き残った最後の一頭だ。
「そうだ、馬だ!こいつに乗れば魔物の包囲から逃げ切れる!」
「それがあったな!」
「聞こえたぞ…。」
周囲が慌てふためく中で、飲んだくれ野郎は名案を思い付いたトランとロスーの会話を聞いていた。
「死にたくねえ…。俺は逃げて薔薇色の人生を生きるんだ…。」
何が悪い。誰だって死にたくないのだ。
特に飲んだくれ野郎は人生を変える宝を手に入れたのだ。
馬に乗るのは体重の軽そうな少年と少女だ。一人ぐらい加わっても大丈夫だろう。
彼は脱出手段を手に入れるため、騎士達を尻目にそーっと馬に近づいた。
「こっち来い!」
「うわ!?」
馬に手をかけた瞬間、飲んだくれ野郎はブレゴに掴まれて、武器を載せた台車の方へ放り投げられた。
「お前も、お前も、お前もだ!武器を噴水に投げ込め!」
ブレゴは次々とチンピラ達を台車の方へと投げる。
チンピラ達は命令されるがままに、台車の武器を噴水に沈めた。
台車から武器が無くなると、ブレゴは沈んでいる剣を拾った。
「聞け!俺はかつて殺戮と略奪しか頭にない腐れ盗賊共の下で、犠牲者の死体を漁った!これが俺の罪だ!お前の罪はなんだ!?」
ブレゴは自分の罪を叫び終えると、チンピラの一人に剣を向けた。
「俺は…、働いてた宿屋の財産を盗んだ!そのせいで店は潰れ、店主は首を吊った!」
「よし、お前は!?」
ブレゴは次のチンピラに剣を向けると、彼も続いた。
「カッとなって恋敵を殴り殺した!意中の人は心を病んじまった!」
ブレゴに剣を向けられたチンピラ達が続々と己の罪を叫ぶ。
ついにその剣は飲んだくれ野郎にも向けられた。
「お前は!?」
「え、えっと…。詐欺で金を騙し取って…、多くの人を物乞いに追いやった…。」
自分で言葉にしてみると酷いことをしたものだ。
飲んだくれ野郎の罪を聞き終えると、ブレゴは剣を掲げた。
「おれたちは罪人だ!死んで当然の人間だし、その時はもうすぐだ!」
「え?」
飲んだくれ野郎はポカンと口を開けた。
まるで自分はこれから死ぬ、と言われているかのようだ。
もうすぐ逃げられるはずだったのに。
「そんな罪人共に居場所をくれ、旨い飯を食わせ、良い酒を飲ませ、女を抱かせてくれた人がいた!それがボスだ!俺たちは罪人である前にボスの手下なんだ!」
ブレゴの熱い演説が響く。
チンピラ達は聞き入っている。飲んだくれ野郎は例外のようだが。
「みんなもうちょっと冷静に…。」
「ボスの愛する人は次々と死んだ!奥様も、爺さんも!だが1人だけ残っている、お嬢様だ!俺たちボスの部下がすることは何だ!」
「ボスの愛する人を守る!」
熱い。
仲間たちのあまりの熱さに、おかしいのは自分なのではと飲んだくれ野郎は思い始めた。
「俺たちは罪人として処刑されるんじゃねえ!犠牲者として哀れな死を迎えもしねえ!ボスの部下として、魔王と戦って死ぬ!」
「いや、俺は死にたく…。」
飲んだくれ野郎は消え入りそうな声で、必死に自分の意見を言おうとした。
しかし誰にも聞こえる事は無かった。
「拾えるだけ武器を拾え!これは天使がくれた刃だ!野郎ども、行くぞ!」
「おおおおおおおおおお!」
ブレゴは雄叫びを上げ、戦士を率いた。
チンピラ達は聖水で濡れた武器を手に持ち、 “魔獣”へと走っていった。
「お、お、お、おおおおおおおお!」
彼らの中には槍を持って叫ぶ飲んだくれ野郎もいるのであった
「なんて勇敢なんだ…!」
「負けてられねえな。」
まるで狂戦士。
チンピラ達の勇ましさは、騎士達も触発されるほどだ。
「お嬢様と便利屋さんで馬に席はない。お互いせっかく生き延びたってのに残念だな。」
「いいさ、相棒。最後にお前ともう一暴れしてやるよ。」
ロレインは当然として、便利屋もまた生きねばならない存在だ。
彼が生き残れば大きな戦力になって、再び魔王の脅威となってくれるだろう。
「お嬢様、聞いてくれ。便利屋さんが目を覚ましたら、一緒に馬に乗って逃げるんだ。俺たちも戦いに行く。達者でな。」
騎士達は馬の背にしがみつく少女に、彼女自身の使命を伝えた。
生きる、それがアリアンナ家の血筋たる彼女の義務。
返事は無いが、聞いているはずだ。
「武器は他に何がある、相棒?」
「爆弾ならまだ残ってるが…。」
自分たちの生き様を少年と少女は知っている。これ以上、伝える事などなにもない。
トランとロスーはブレゴが用意した聖水で濡れた剣を拾い、いつものテンションの会話で噴水から去った。
噴水に残されたのは馬、そして少年と少女のみ。
「もう…、やだ…。」
このまま消え去りたい、それしか考えられなかった。
結局、父を救うどころかフィリップまで失ってしまった。
一度に大事なものをたくさん失った少女にとって、今は呼吸してることすら辛いだろう。
何もかも誰かに任せて、ずっとこうしていたい。
「うん…?」
しかしロレインにそれは許されなかった。
騎士とチンピラが去って、噴水が静かになってから気づいた。
同乗者の少年の異常事態に。
「息を、してない…。」
便利屋の呼吸は止まっていた。




