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セイクリッド・カース  作者: 気高虚郎
最終章:選ぶ者
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76/106

第70話:名優

※ ※ ※ アリアンナ邸 厩舎近く ※ ※ ※




「お嬢様、早くこちらへ!」


フィリップが震えるロレインの手を引いて急ぐもまるで牛の歩み。

だが厩舎まであと少しだ。


「あと少しで厩舎です!早く…。」


馬に乗ってさえしまえばもう安心だ。

今度こそ脱出できる。


「いやあっ!」


ロレインが突如、一際大きな声を上げてうずくまった。

その数秒後、凄まじい音と衝撃が轟いた。


「厩舎が!?」


音の方を見ると厩舎が潰れていた。

次々と馬たちが逃げ出して、フィリップ達の横を走り抜けていく。

馬たちは突然の災害に興奮状態だ。人を乗せる状態ではない。

厩舎を潰したものは巨大な氷だ。とてつもなく大きな雹が一つだけ厩舎に落ちて潰した、などという馬鹿げた現象がたった今起こったのだ。


「どうすれば…。」


脱出手段は完全に失われ、フィリップはうずくまる主のそばで立ち尽くした。

なんと絶望的な状況だろうか。


『娘よ、そして執事よ!聞こえるか!?この庭園のどこかにいるのだろう!』


伯爵の声が教会の鐘の音のように庭園中に響き渡る。

人外たる存在でなければこのような芸当は出来ない。

勘づいてはいたがこれで確信に変わった。伯爵の精神が破れたということを。

厩舎を潰したのはバルベリスの魔術。その魔力にロレインは怯えたのだ。


『お前たちが雇った賊は捕らえた!こやつの命運はお前たちの行動によって決まる!賊に苦痛を伴う死を望むなら果たせぬ逃亡を始めるがいい!違う運命を願うなら家族として話し合おうではないか!噴水にて待つ!』


声が止んだ。

猶予はくれるらしいが選択肢などありはしない。

馬に乗れなかった少女と老人が逃げられる可能性は低い。

噴水に赴こうが魔王相手に出来る交渉などない。

どのような行動を取ろうと希望などない。

フィリップは途方に暮れるしかなかった。


「噴水に行かなきゃ…。」


彼女は呟きながら、フィリップの袖を引っ張った。

ずっとうずくまっていたいという気持ちを押し殺しながら、ロレインは立とうとしていた。


「なりません!便利屋様は覚悟を決めておられました!のこのこと姿を現すことを彼は望みません!今は一縷の希望をかけて逃げ…!」


「逃げられるはずないわ!私たちをあざ笑っているのよ!」


彼女の言う通りだ。

厩舎を潰したのだってただの遊びだろう。

相手は人知を超越した存在、こちらの必死の健闘など簡単に捻り潰せる。


「私だってお父様を救う覚悟は決まってる…!お願い、手伝って…。」




※ ※ ※ アリアンナ邸 噴水 ※ ※ ※




「耳が…。」


飲んだくれ野郎は鼓膜に大きなダメージを負っていた。

先ほどボスがとてつもない声量を披露してくれたせいだ。


「しっかり槍を構えろ!逃げちまうだろ!」


「怒鳴るんじゃねえよ!槍持っているせいで耳が塞げねえんだ!しょうがねえだろうが!」


飲んだくれ野郎は先ほど捕らえた賊の見張りをしている。

現在便利屋は後方の2人に槍を背中に突き付けられ、側面の2人に剣を首に添えられている。合計4人のチンピラによる厳重な見張り付きだ。


「…。」


当の便利屋はわめきも震えもせず、無言を貫いている。

何を考えてるか分かりやしない。


「いいか、周囲をよく見ておけ。娘と執事が来るか来ないか、賭けでもしておくんだな。私は“来る”に大金貨10枚だ。」


現在、30人程のチンピラ達が噴水を囲んで月夜の庭園を監視している。

ロレイン達が魔法陣から去った方向を追うと噴水に辿り着き、死んだ馬とひっくり返った馬車が転がっていた。

ボスは余興をすると言い、始めたのがこの便利屋の命を使ったゲームだ。


「来るな、来るな、来るな、来るな、来るな…。」


ブレゴは呪文のようにつぶやき続けている。

魔術など使えないが込めてる想いだけは本物だ。


「やめとけよ、ブレゴ。お前の言う事がマジならボスは天災みたいなもんだろ。俺らに出来ることはありゃしねえ。」


「ほっとけ!何を唱えようが俺の勝手だ!」


飲んだくれ野郎は剣を構え、共に便利屋の見張りをしているブレゴへ助言を送った。

彼の呪文もどきがロレインやフィリップの行動に与える影響は皆無だ。


「前向きに考えろよ。俺らは魔王の手下になったんだぜ。最高の勝ち馬に乗れたってことじゃねえか。うまくやりゃ酒も女も好き放題だぜ。」


「この日和見野郎が!二度と喋りかけんじゃねえ!」


1つの友情が崩壊する様を便利屋は眺めていた。

興味を引かれるは会話の内容だ。


「あんた達、奴の復活に気づいたのか。」


こういう場では沈黙が最善だが便利屋は口を開いた。

チンピラ達の中にも状況を把握してる者がいるとは。


「気づいたって…。じゃあ、あんたは最初からそのために!?」


「ああ。爆破したり、蹴ったりとすまなかった。」


死者が出なかったとはいえ便利屋のやった事はかなりのものである。

謝るのが筋だろう。まさか謝罪する時が来るとは思わなかった。


「ならどうして爺さんとお嬢様を巻き込んだんだ!?老人と女の子に何が出来るってんだ!?せっかく俺たちが…!」


「おい、ブレゴ!」


白熱した者は大声で口を滑らせる。

バズラはこの場のチンピラ達全員が殺されかねない秘密を喋ろうとしたブレゴを黙らせた。

そしてボスの意識がこちらに向いてないのを確認してから、話を続けた。


「爆破や蹴りはどうでもいい。お前は俺らの苦労を台無しにした。お嬢様と爺さんを、自分は魔王だとかほざいて革命を起こそうとするイカれたボスから救おうとしたんだ。なぜ連れてきた?」


「あんた達の行いは立派だ。だがその厚意を拒んででもすべきことがあった。」


便利屋がアイデアを閃かず、大人しく作戦を断念すればこんな危険な真似をすることはなかった。

だが作戦を決行するか、断念するか二択を迫られればロレインもフィリップも躊躇わずに前者を選んだはずだ。


「ロレインは伯爵を救おうとしたんだ。」


「救う、だと…?」


考えたことも無い選択肢だった。

どんな命令にも従う、それこそが部下になる者の覚悟だとバズラは信じていたからだ。


「おい、見張りはいい。そいつから離れろ。」


振り返るとボスがこちらに手をかざしていた。

バズラ達が急いで便利屋から距離を取った直後、その掌から火炎放射が放たれた。


「また炎か!」


灼熱を背に感じながら、便利屋は安全地帯へと飛び込んだ。

水のたまった噴水の中へ。


「娘よ、執事よ!今一度伝えよう!お前たちが噴水に来なければ、この賊は溺れ死ぬだろう!猶予はあと数分だ!」


魔王の炎は勢いを上げ、噴水の水面全てを覆っている。

顔を出せば丸焦げ、沈んでいれば溺死。

噴水を丸ごと使った贅沢な水責めだ。





少女と老人は遠くの茂みに隠れながら、噴水の様子を確認していた。

派手なパフォーマンスとでかい声のお陰で遠くからでも状況を把握できる。


「う、うぅ…!」


ロレインは嗚咽を上げながら、変わり果てた父を見ていた。

あれほどの努力の結果がこのような事になるとは。

なんと残酷な運命だろうか。


「お嬢様、やはり逃げましょう!勝ち目などありません。」


それ以外の選択があるというのだろうか。

これからやろうとしていることは自殺行為に近い。

ましてやこれほど動揺してる少女に実行出来るとは思えない。


「待って…。上手く行くかもしれないわ。これならきっと。」


だがロレインは既に泣き終えて、状況を冷静に分析していた。

そして作戦を立てているようだ。


「爺や。残りの“切り札”を持ってるでしょ。私の作戦を聞いてちょうだい。」


武器ならある。

特別で、最高の“切り札”が。


「便利屋は肺活量には自信があるって話してたわ。意識を失ったと思うまで待ちましょう。彼なら私の意図を察して、遂行してくれる。」


武器を扱う者もいる。

彼は語っていた。修行中、常人よりも遥かに長く息止めが出来たと。

なら耐えられるはずだ。


「爺や、あなたにもやってほしいことがあるの…。」


先ほどまでの冷静さとは打って変わって弱々しい少女へと変わった。

震えた手で、涙が零れそうな目だ。

フィリップをこれから危険な役目を託さなければいけないのだから。


「私のせいで、私が願ったから魔王が復活した…。だから責任を取らなきゃいけないの…。今以上のチャンスはない、だから…お願い…。」


お菓子をこっそりとねだったとき、父と母の仲直りを手伝ってほしいとき、必死にお願いしたことはいっぱいある。だがこれはお願いではない。


「私はアリアンナ家に忠誠を誓いました。どうか命令をされてください。お嬢様。」


「ありがとう、爺や…。」


人生初の、命令と呼べるものだ。

名優フィリップによる魔王相手の一世一代の大芝居だ。





あれから5分は経った。

そろそろ呼吸が止まり、死へのカウントダウンが始まっている頃だ。


「なあ、ブレゴ。」


「喋りかけんじゃねえっつっただろ!」


火が覆う噴水を見ながら飲んだくれ野郎は1つの疑問を思い立っていた。

あれは確かギャングが襲撃してくる直前だった。


「まあ聞けよ。俺たち、噴水の掃除したよな。その後に水入れたか?」


「いや、そのはずは…。」


掃除の後はゴタゴタが多くて、噴水は手付かずだった。

その噴水にたんまり水が入ってるわけがない。


「馬車…、樽…。」


ひっくり返った馬車がブレゴの視界に入った。

その馬車から放り出されている積み荷は大きな樽だ。大量の液体を入れる用のものだろう。

そして溜まった噴水。

しかし彼の到着により、ブレゴの推理が答えに辿り着くことはなかった。


「旦那様、もうお止め下さい!」


「爺さん!?」


噴水へと近づいてくるのはフィリップただ1人だけ。

意外な結果だが約束は約束。魔王が火炎放射を止めると、熱せられた噴水から蒸気が上がる。

だが炎が消えても、便利屋が顔を出さないままだ。


「賊が上がってこないな。もう死んでるのかもしれんな。」


「まだ間に合います!急いで彼を引き上げましょう!」


悟られてはいけない。

主の両親を信じて、説得を試みる部下であらねば。


「お願いします!今なら救命処置で命を救えます!」


「助けたいなら娘の居場所を言え。賭けの勝敗が掛かっている。大金貨10枚を掛けてるんだ。はした金だが勝ち負けは大事だ。アリアンナ家の教えだろう。」


ロレインの作戦の時まであと少し。

時間を稼がねば。


「アリアンナ家の名を持ち出すのであれば、今一度お立ち返り下さい!父君からの教えと愛を!父君は領地を復興させるために人生を捧げられました!その奮闘が無に帰すのですぞ!」


「もういい。3つ数えよう。娘の場所を言え。」


老人へとかざした手に炎が灯る。

フィリップは震えながらも魔王から背を向けず、口を閉じた。


「ひとつ。」





死へのカウントダウンが始まり、チンピラ達の中には目を逸らす者もいた。

大恩人たる老人が焼け死ぬ様など見たくはない。


「頼む!止めて…、ぐふっ!」


ただ1人だけ制止を叫ぶブレゴの腹に、バズラが拳を叩き込む。

その一撃によって、ブレゴは地面に倒れた。


「もうやめろ。爺さんもお嬢様もボスがイカれてると知った上でここに来たんだ。もう俺らは何もしてやれねえ!見届けろ!」


してやれることは全てした。

逃亡の手筈を整え、心置きなく去れるように宴まで開いた。

それでも来たのだから。


「違うんだ…!あれはボスじゃなくて、魔王バルベ…!」


「黙ってろ!天使だ、魔王だ、聖剣だ、いい加減にしろ!お前の知識なんて何の役にも立たねえんだよ!」


なんと歯がゆいことか。

魔王バルベリスであることに気づけたチンピラはブレゴだけだ。

なのに彼の言葉が仲間に届かないとは。


「お前からも言ってくれ…!あれはボスじゃねえって…!」


ブレゴはうずくまりながら、飲んだくれ野郎に助けを求めた。

彼だけは知識を共有している。


「そうか、魔王なのか。じゃあ逆らわねえ方がいいな。長い物に巻かれようぜ。」


「てめえ…!」


これが飲んだくれ野郎の処世術。生きる術なのだ。

ブレゴは怒りを込めて睨みつける事しか出来なかった。





「ふたつ。」


この大地に彼は復活した。

天敵たる天使も、ライバルたる他の魔王もいないこの時代に。


「みっつ。」


彼はバルベリス。

誰も敵いはしない復活を遂げた魔王。


「お嬢様の居場所を言う訳には…、いきません。」


だがフィリップは無敵の存在を前にしても己を貫いた。


「そうか。では焼け死ぬが…。」


異変は喉に現れた。

出ない声、吸えない息、喉や気道に感じる違和感、この感覚を魔王は憶えている。

貧弱な依り代に現れるその兆候。


「がはっ!」


咳。

喉や肺を患った際に行われる肉体の防御行為。

魔王は思わず口に当てた手を見るとそこには血が混じっていた。

咳によって起こった隙、血を吐いたことによる動揺。それに乗じてフィリップはあるものを懐から取り出して噴水の上へと投げ上げ、目と口にハンカチを当てた。


「お許しを。」


その投擲物は爆発を起こすと大量の煙をまき散らし、噴水を囲むチンピラ達を覆いつくした。


「がっ、がはっ、げふぅっ!」


チンピラ達も一斉に咳き込み、涙を流す。

喉と目を苛め、同時に視界を遮る。逃げるために作った特製の煙幕&催涙弾である。


「くだらん真似を!」


魔王は咳き込みながらも手を振り、一陣の風を巻き起こして煙を吹き飛ばした。

煙が晴れて見えるはうずくまって咳き込む部下のみ。

催涙物質によって行動不能のようだ。


「何が起こった…!?」


魔王の肉体に刺激物質など効くはずがない。

別のなにかが魔王の肺に異変を起こしたのだ。

周囲を見回した時、最も咳が激しくなる方向。


「噴水か…!?」


己が炎によって立ち上る噴水の蒸気。それが魔王に異変を起こしていたのだ。

ついには目にも痛みが走って視界が遮断された時だった。


「なに!?」


5分以上も呼吸をしていない人間にこれほど素早い動きが出来るとは。

便利屋は噴水から飛び出し、銀の針で魔王の喉を刺した。


「騙し合いでは負けたな。あんたは執事さんの演技を最後まで見抜けなかった。」


バルベリスは最後まで気づけなかった。

フィリップが密偵であること、そしてついさっきの芝居も。

フィリップの完全勝利と言える。


「見事だ…。まさか噴水に聖水を貯めているとは。」


枯れた声で便利屋たちの入念な準備を称賛したが、それは余裕の表れだ。

針は刺さる事なく、皮膚の上で止まっていた。


「だが復活を遂げた私にはこんな針など通じっ…!」


それは腹部に感じる異物の感触。これから起こるであろう激痛への予兆。

魔王は視線を落とすと驚愕した。便利屋がもう片方の腕で持った刃物が脇腹に刺さっていた。


「そのようだな。ではこちらの“切り札”はどうだ、魔王様。」


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