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セイクリッド・カース  作者: 気高虚郎
第5章:作戦準備
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第63話:ひどい寝起き

※ ※ ※ ??? ※ ※ ※




「アビー!」


草原を1人の少年が走っていた。

最愛の人の名を叫びながら。


「一体どこに…、あれは?」


奇跡のような光景が見えた。霧に映る、虹の輪に囲まれた大きな人影。

あれはアビーとの想い出だ。少年は確信した。あそこに目的の人がいることに。

少年は霧の中へ走っていった。





「綺麗な場所だ。」


霧を抜けると楽園があった。なんて美しい花畑だろう。

澄んだ空気、色とりどりの咲き乱れる花、抜けるような青空、心地よい陽気。

天国が存在するならきっとこんな場所かもしれない。


「いた!」


求める人の姿が見えた。

彼女はまるで女神のように小鳥たちと戯れている。

少年は一目散に駆け寄った。


「こんなところにいたんだね!探してたんだよ!」


声をかけても少女は沈黙のままだ。

その表情は暗く、俯いている。


「何かあったのかい?」


「師匠に言われたの。私が探している方は天使様じゃないかもしれないって。」


ようやく少女は口を開いてくれた。

その悩みはとても深刻なものだった。人生を捧げようとしている夢を最も尊敬する人に否定されたのだ。


「もう分からないの…。お母さんもお父さんも師匠もみんな、みんな私の夢を…。」


「そんなことないさ!天使様は必ずいる!僕は、僕だけは君の味方だ!必ず一緒に天使様に会おう!」


少年はアビーを強く抱きしめた。

彼の真っ暗だった世界を光で満たしてくれた少女を力いっぱい。


「2人で天使様にお願いしよう。僕は母上にもう一度会う事、父上が優しくなってほしいってお願いするんだ。」


「うん…。」


か細い声だが応じてくれた。

少年の精一杯の励ましが通じたようだ。

今は無力な子供でも、将来はアリアンナ家当主になるのだ。

自分は世界で一番の味方になってあげられる。


「ありがとう、ティモシー。でも…、もう待てないわ。」


「え?何を言って…。」


強く抱きしめているアビーの体が離れていく。

ついに少年の腕力では敵わずに彼女の体を放してしまった。


「今から天使様に会いに行くわ。ごめんね。」


アビーが浮いていた。

その高度は徐々に増している。天に吸い寄せられているかのようだ。


「行かないで!」


少年は腕を限界まで伸ばした、何度も何度も跳びはねた。

しかし最愛の人にその手は届くことはなく、アビーの姿は見上げる程の高さにまで登ってしまった。


「僕を独りにしないで!アビー!」


もっと強く抱きしめれば良かったのだろうか。

もっと高く跳べれば良かったのだろうか。

もっと励ませば良かったのだろうか。

少年は無力な自分を嘆きながら叫び続けた。


「アビー、アビー、アビーーーー!うわあああああ!」




※ ※  ※ アリアンナ邸 庭園 ※ ※ ※




月と星が照らすアリアンナ邸の庭園。

そこに描かれた大きな魔法陣で月夜の静寂は破られた。

1人の男が悪夢と長き眠りから覚め、大きな呼吸音をたてながら肺に空気を取り込んでいた。


「はあっ、はあっ、はあっ!」


息を吸って吐く。まずはそれからだ。

酸素なしでは何もできない。動くことも、考えることも。

不足していた酸素をとにかく吸い続けた。


「旦那様、旦那様!」


数十秒間は呼吸に専念してからようやく彼は今の状況の把握、そして誰かに呼ばれていることに気づけた。

まず自分は仰向けで寝ている。星空が見えるからここは屋外で、時間は夜だ。そして自分を呼んでいるのは老人だ。まだ視界がぼやけているが、その声は間違いなく彼だ。


「フィリップ…?」


心優しい眼、穏やかな所作。

一挙一動が彼であることを証明していた。

だが今の彼は血相を変えた必死な表情だ。


「良かった!お嬢様、この方は間違いなく旦那様です!」


フィリップもまた確信した。

自分の事を執事ではなく、名前で呼んでくれた。

ここ最近、感じていた違和感はもうない。幼き頃より見守ってきた主の目だ。


「お父様!」


もう待機する必要は無いと分かり、少女は駆け付けた。

今ここにいるのは魔王ではなく父なのだから。


「アビー!?会いたかったよ!」


たった今、視界に入った1人の少女を抱きしめようとティモシーは腕を伸ばそうとした。

しかし体が全く動かせない。自由に出来るのは首から上だけだ。

だが見る事しか出来ないからこそ彼女の違和感に気づいた。


「その瞳…、君はアビーじゃない?誰なんだ?」


何度も覗き込んだ最愛の人、その瞳の色を間違えるはずがない。

アビーの瞳はサファイアのような美しい青色だ。だが目前にいる少女の瞳は赤い。まるで自分たちアリアンナの一族のように。


「お父様…!」


ロレインは悲嘆に暮れた。

覚醒したティモシーがどのような状況になっているかわからないと覚悟していたとはいえ、実際に立ち会うと心が砕けそうだ。

長い休眠状態と幻覚で、記憶が混濁しているのだ。


「私はロレイン・アリアンナ…。あなたの娘よ。」


「娘!?君が僕の娘だっていうのかい!?」


まだ混乱状態にあるようだ。もっと強烈な言葉で記憶を揺り動かさねば。

言うしかない。ずっと自分の口から出なかった。口に出すことがはばかれた言葉を父に向って言わねば。


「お父様、よく聞いて…。お母さまはもういないの!あなたの妻、アビゲイル・アリアンナは死んだのよ!」


「アビーが死んだ…?そんな馬鹿な!」


アビーに似た少女が口にしたショッキングな言葉、酸素が戻りつつある脳。

これらの条件が揃い、ティモシーの記憶が断片的に蘇ってくる。


「あ、ああぁ…!」


頭に激痛が走り、記憶が脳を駆け巡る。

今の自分の年齢、これまでに歩んできた人生、目の前の少女は自分の娘であること、そして最愛の妻がどうなったか。ある記憶は瞬間的に、ある記憶は徐々に想い出されてくる。


「そうだ、そうだった…。我が娘よ、すまなかった…。」


「お父様…、会いたかったわ!」


なんと愚かな父だろう。

自分の娘の事を忘れていたとは。

だがこの汚名を返上出来るほどの物が今の自分にはある。

サプライズに取っておきたかったが伝えよう。


「喜べ、ロレイン。アビーは生き返る。魔術師狩りで死んだ大魔導士の霊と契約したんだ。あと少しで…。」


「知ってるわ。そのために捕えた犯罪者、その中でも更生の余地はない者を生贄に捧げていたんでしょ。」


「な、何だって…?」


生贄にするためにわざわざ騎士団を訓練して犯罪者を生け捕りにした。

しかし気づいてしまった、罪を犯してきた彼らもまた血の通った人間であることに。

だがアビーに会いたいという想いと自身の倫理観とのせめぎ合いの結果、彼らに更生の機会を与えて無駄にした者だけを生贄にするという決断に辿り着いた。

誰も知るはずのない秘密を娘が知っているとは。


「よく聞いて。その儀式は…、お母さまを生き返らせるためのものではなかったの…。」


「何を言ってるんだ?彼は約束してくれたんだ。まだ霊体で私にしか見えないが、儀式を重ねればやがて肉体も蘇ると…。」


「旦那様。あなたが契約したのは大魔導士の霊などではなく、恐ろしい悪魔だったのです。奥様の幻で旦那様を騙し、肉体を乗っ取る算段なのです。」


これ以上をロレインに喋らせるのは酷だろう。

フィリップは衝撃の事実を伝える役目を買って出た。


「そんなはずはない!私はアビーと喋り、踊ったんだ!」


「今から旦那様の右腕をお見せします。どうか心してご覧ください。」


運命の瞬間が来た。

ここを乗り切れるかが問題だ。

今のティモシーは自分では動けない。ゆえにフィリップはティモシーの右腕を持ち上げ、彼の視界に入れた。


「な、な!これは!」


映ったのは獣のように鋭い爪、赤黒くてゴツゴツした皮膚、浮き出る血管。

禍々しい異形の腕がそこにあった。


「己の依り代として相応しくなるように旦那様の肉体を魔物に変える。それが儀式の真の目的だったのです。」


ティモシーは首を動かして、何度も確かめた。

この目で見ているのだから間違いない。これは自分の腕だ。


「そんな!じゃあ、なぜ私はあんなにたくさんの人間を殺したんだ!?なんのために!私は、私は!あああああああ!」


アビーに会うためだからこそ耐えられた。

押しつぶされそうな罪悪感にも、殺した者たちが浮かぶ悪夢にも。

だがその苦しみは無意味だった。

自分が魔物に変えられていた事に加え、あらゆる絶望が一気に弾けた。

動くことすらままならないティモシーは叫び続けることでしか気持ちを表現出来なかった。


「しっかりして、お父様!駄目、駄目!」


「便利屋様、こちらへ!」


このままではティモシーの精神は壊れてしまう。

最後の手段に出るしかない。

彼は急いで、伯爵の視界へと躍り出た。


「俺の事を憶えているか?伯爵殿。」


忘れるはずがない。

心を光で遍く照らすほどに美しく、同時に闇で埋め尽くさんばかりに憎々しいその姿。


「貴様ああああああああ!」


怒りは絶望に勝る。

ティモシーは娘と執事を押しのけてゆっくりとだが立ち上がり、便利屋を睨んだ。

彼の姿によってティモシーはようやく全ての記憶を蘇らせた。

この賊が儀式の最中に現れ、魔法陣も想い出の部屋も爆破した。その後に息苦しくなって気絶し、長く幸せな夢を見て今に至る事に。


「どうにか乗り越えてくれたか。」


チンピラ達の話を聞くに魔王は肉体の主導権を奪う際に心停止を起こした。心停止が主導権を切り替える条件ならば、あえて起こして奪い返せばいい。

儀式中に無防備になった魔王の経絡を突いて心停止状態にする。

フィリップに心肺蘇生をしてもらいつつ、ロレインに呼びかけさせてティモシーの意識を呼び起こす。

覚醒したティモシーに状況を把握してもらう。

ここまでは順調だ。


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