第40話:祭りの日 夕方
※ ※ ※ 【過去】 都 中州 ※ ※ ※
「ほら、こっち来て!」
屋根の上の少女が誘う。
「行きたくないよ、そんなとこ!」
ベランダの少年が拒む。
パーティーをしている大人を尻目に、大豪邸のベランダで2人の子供が戦っていた。
「ここから見たら凄いわ!もうちょっとで終わっちゃうよ!」
「どこから見ても一緒だよ!」
少年にとってはどうでもよいことだ。
毎年、見ているのだから。
「もう!早くこっちに…、わあ!」
「危ない!わかったよ!」
少女が足を滑らせ、屋根から落ちかける。
根負けした少年はしぶしぶ、屋根に登る。その直後、川の方から凄まじい音が轟いて、人々の大歓声が沸いた。
「ああ…、終わっちゃった。」
急いで川の方を見ると少女はガックリと肩を落とした。
川が膨大な水飛沫と蒸気に覆われている。メインイベントが終わったのだ。
「もういいよ。それじゃ僕はパーティーに戻るから。」
「待って。もしかしたら天使様が見れるかも。」
屋根を降りようとする少年の腕を掴んで、少女を霧で覆われた川を指差した。
「天使様なんていないよ。ただの水飛沫じゃないか。」
もうこの少女に付き合うのはうんざりだ。
屋根に登らされたり、天使が見えると言ったり、振り回されてばかり。
「見えた、ほら!」
「もう、いい加減にしてよ!」
興奮する少女に促されるまま、少年は川を見た。
見えるのは夕陽に照らされた川、そして大きな水飛沫。
少年は言葉を失った。ただの水飛沫の中に現れた天使の姿に。
「君は誰なんだい?」
「私はバルマン教授の弟子なの。」
夕陽が大地の向こうに消えて、暗くなっても2人は屋根の上にいた。
共に天使を見た体験は2人の溝をあっという間に埋めてしまったようだ。
「歴史のバルマン先生?確かに僕と同じ年ごろの弟子がいるっておっしゃってた。この前は『混沌の時代』について教えてもらったんだよ。」
バルマン。
この子たちには共通の師がいるようだ。
「本当!?『混沌の時代』を教える時の教授、凄く面白いでしょ。」
「うん!最高の授業だった!」
バルマンについて話す2人は楽しそうだ。
どれだけ人気の人物かがわかる。
「でもね。これは教わってないでしょ。天使様の子孫のお話。」
「それはおかしいよ。天使様はみんな死んだはずだよ、魔王との戦いで。」
少年は一気に訝し気な顔へと変わった。
バルマンは歴史を夢いっぱいに語る先生だが、余りにも突飛すぎる。
「『混沌の時代』にある地の神様が死んじゃったの。すると人々の心はバラバラになって何百年も戦争ばっかりだった。だけどある夫婦が戦争を止めたの。そして夫婦の子供が預言者になって、人々を導いてその地は平和になったんだって。」
「それってもしかして『夜の羽根』のことかい?」
夜の羽根。
聖涙教と同じく唯一の神を信仰する宗教だ。
「そう。そして夫婦の奥さんは『慈愛のジブリール』と呼ばれた天使だったわ。預言者は天使様の子供で、今もその血筋は続いてるんだって。」
少女はバルマンから多くを教わっている。
そしてこれが彼が一番最初に教えてくれた話だった。
「じゃあ、天使様はまだ生きておられるんだ!僕、会いに行きたい!そしていっぱいお願いするんだ!」
少女は意外そうな顔だ。
自分の言葉を先取りされたからだ。
「ずるい!私も会ってお願いしたいこといっぱいあるのよ。」
「じゃあ、一緒に会いに行こう!約束だ!」
2人は指切りげんまんをした。
必ず天使に会うという約束だ。
「私はアビゲイル。あなたの名前は?」
「僕の名前は…。」
※ ※ ※ 【現在】アリアンナ邸 伯爵の私室 ※ ※ ※
「おっと、危ない。」
“彼”は自室の椅子で目を覚ました。
夢を見ていたようだ、この肉体の本当の持ち主の記憶に蝕まれながら。
「甘くて、かわいくて、そして愚かな想い出だ。」
こんなにも純粋で微笑ましい記憶を見てしまう事に罪悪感を感じてしまう。
人の宝箱をひっくり返しているような気分になるからだ。
「しぶとい魂だ。肉体の主導権を握るのが精一杯で、打開策を練る余裕すら…、ん?」
外が騒がしい。
カラスの鳴き声だ、それも大量の。
※ ※ ※ アリアンナ邸近くの街道 ※ ※ ※
「今日も収穫なしだ。これからどうする?」
「こんなに金かけて探して、情報がジジイとババアだけなんておかしいだろ。何かあるに違いねえよ。」
バズラ達捜索組が馬に乗って帰路につきながら、今後の捜索について相談中だ。
得られた情報と言えば、屋敷近くに住まう老夫婦からだけ。
老夫婦は情報代として大金を貰って大喜びだった。
「そもそも捜索を手伝うとか言った騎士団どもから連絡はあったのか?明日、連中に話を聞きに…。」
バズラ達が愚痴りながら、アリアンナ邸の門を通った。
門を通って見えるのはアリアンナ邸自慢の広大な庭園と屋敷だ。
「へ?」
バズラは間抜けな顔で屋敷を見た、そして庭園を見回した。
フィリップも、ブレゴや飲んだくれ野郎といった留守番組も屋外に出ていた。
外にいる全員が冷や汗を流して、固まっていた。
そしてバズラ達も馬上で固まった。
「なんなんだ、これ…。」
彼らを固めていたのは視線だ。
おびただしい数の視線がフィリップやチンピラに注がれていた。
木に、柵に、地面に、屋敷の屋根にもカラスがいる。
鳥が止まれる場所全てをカラスが占拠していた。
もし行動を間違えてカラスに敵と判断されれば、無数の嘴と爪によって凄惨な死を迎えるだろう。
「おー、帰って来たのか。ご苦労。」
ただ一人だけが悠然とカラスの楽園を歩きながら、捜索組を迎えに来た。
彼を見ると、カラス達は一斉に嬉しそうに鳴き出した。
ティモシー・アリアンナ伯爵がまるでカラスの王のようだ。
「一つ提案があってな。お前たちの苦労を労おうと思うんだ。今日は都で娘が立ち上げたとかいう祭りがあるんだろ。全員で祭りを楽しんで来い。食って飲んで女を抱いて好きに騒げ。」
実に素晴らしい労いだ。チンピラ達は大はしゃぎだろう。
カラスの大群のど真ん中にさえいなければだが。
その素晴らしい労いを聞いても、彼らは不動のままだ。
「どうした、こいつらが気になるのか?私の使い魔だ。悪魔と契約して、魔術が使えるからな。驚いたか。」
この場にいる誰もが初めて聞かされる話だった。
同時に誰もが知っている事でもある。
「なんてな。」
伯爵が指を鳴らすと、カラスの大群はあっという間に風に吹かれた煙のように霧散して消え去った。そしていつも通りの屋敷と庭園の風景が現れるのだった。
「手品だよ。それじゃ行ってこい。」
手の込んだ手品を見せ終わった伯爵は屋敷内に戻っていった。
手品が余りに凄かったからか屋外にはチンピラ達が固まったままだ。
「で、では皆様。都に参りましょう…。」
最初に口を開いたのはフィリップだ。
そして彼の言葉をきっかけにチンピラ達は再び、動き出すのであった。
「都に行くぞ!今日も、昨日も明日も忘れるまで飲みまくるぞ!」
「おおおおおおおおお!」
兎にも角にもこれからお楽しみの時間だ。
屋敷に入った“彼”は満たされた表情で手に握っている物を眺めていた。
「よく戻って来た…。」
これを、このケースを再びこの手に握る時をどれだけ待っていた事か。
「はは、ははは…。」
“彼”は喜びの余り、そのケースを握りつぶした。
そしてケースの中身をその指に抓んだ。
邪気に塗れた欠片を。
「ははは、はははははは。」
“彼”が笑うとその体から使い魔が生まれた。カラスだけじゃない、コウモリや蛇が。
何十もの獣が次々と。
「はははははははははは!」
彼に笑い声に呼応するかのようにカラスやコウモリが屋敷内を飛び回る。
アリアンナ邸は獣たちの楽園へとなっていた。
※ ※ ※ 都 教会の病室 ※ ※ ※
人々が都を楽しんでいる中、マデリーンは職務に励んでいた。
先ほどまで危険な状態にあったバルマンを見守るという務めだ。
マデリーンは気を張りすぎず、緩めずにベッドの傍らで座っていた。
「起きたのですね。」
「マデリーン…。」
彼はようやく目を開けてくれた。
その目はまだ夢の中を漂っているかのようだ。
「憶えておるか…。AAと初めて出会ったときのことを。」
なんで橋にいたのか。何を川に捨てたのか。
彼に聞きたいことは山ほどある。しかし、今はまどろむ彼の質問に答えるとしよう。
「もちろん。私たちは悪霊祓いの帰りでした。山の中で深い霧に見舞われたんです。何もできずにじっとしてると女の子の声が聞こえたんです。声の方へ向かうとあの子が現れたんです。」
「開口一番に、天使様なのにおヒゲが生えてるのって言うておったな。不思議な子じゃった。」
アビゲイルは好奇心旺盛で、不思議な少女だった。
同年代の子供たちは彼女を避け、友達は居なかった。だが、ある少年だけは彼女を運命の人として愛した。
「あの時、わしは元気づけたくて“夜の羽根”の話をしてしまった。あの子は跳びはねて喜んでおった。」
「ええ。」
彼らに初めて出会った時、アビゲイルは絶望していた。
バルマンは彼女を救いたい想いで天使の話をすると彼女の心は生き返ったのだ。
だがそれには代償が伴った。
「天使という言葉を聞く度に後悔に苛まれるんじゃ。もう一度だけAAに会って、謝りたい…。」
「あの子はきっと赦してくれていますよ。」
マデリーンは泣きむせぶバルマンの背中を撫でた。
祭りに騒ぐ人々の声を聴きながら。




