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零式艦上戦闘機二一甲型(試製)

今回の零式艦上戦闘機の紹介です。

第一次攻撃隊には各母艦から一個中隊づづ計四個中隊の零式艦上戦闘機が参加していたが、

一航戦の二個中隊は制空隊として敵の迎撃機を排除し味方攻撃隊の前路掃討する任務が与えられていた。

今回彼らが搭乗しているのは通常の零式艦上戦闘機二一型ではなく二一甲型(試製)であった。

これは零式艦上戦闘機の主翼に装備されている99式一号20㎜機銃、機首に装備している97式7.7㎜機銃を廃止し主翼に12.7㎜機銃を4丁装備したものであった。

零式艦上戦闘機の試作機が戦場に登場して以来約一年半が経過し未だ生産数が少なく第一線部隊にも配備が間に合っていないが、装備部隊からは各種問題点が寄せられており日夜改修改良が続けられていた。

その中でも議論となっていたのが主翼の20㎜機銃と機首の7.7㎜の攻撃兵装である。

もともと零式艦上戦闘機の運用想定は艦上での迎撃戦と制空戦での汎用性が条件であり、

その結果が対爆撃機用20㎜と対戦闘機用7.7㎜の混載という武装になったのである。

20㎜機銃は大口径で弾頭に炸薬を装填でき命中時の破壊力は大型機でも4、5発で空中分解するといわれているほどの威力である。ただしその撃出初速・発射速度とも低く命中させるのが非常に難しい上、実携行弾数も一銃あたり55発と少ない。

実戦で高速回避運動する敵小型機に対しては奇襲時以外はもっぱら7.7㎜で対処しとどめに20㎜を使用する搭乗員が少なくなかったなどその扱いには相当の技量が必要であった。

一方の7.7㎜機銃は使い慣れた故障も少なく相応の発射速度と一銃あたり350発と

信頼性の高い武装であったが、防弾装甲された様な相手ではいくら撃ち込んでも効果なしという様な事態も現出しており、その意味では陸軍航空隊や米軍同様汎用性の高い12.7㎜装備を望む声にも一理あり研究課題としてあげられていた。

しかし実戦部隊としては切実な問題であっても遠く前戦から離れた硬直化した組織では一度制式化された兵器を変更することは、余程大きな損害や被害が発生しそれこそ職を賭した様な熱意を持った人物でも出てこない限りは難しかった。

一見すると非常に有意義な戦力強化となる提案なのだが、受けての膨大な仕事を抱える各部門では重荷でしかなく場合によっては当時の経緯や担当者の処分等を検討せねばならず、実際20mm機銃による戦果も報告されているなか例え試験装備といえども難しいと思われた。

実際正式な場での検討はされておらず、仕事が増えるのを嫌う実務担当者あたりからはそれならば20mm機銃を改良するのが筋だとの正論を持ち出しこの問題の先送りをして時間の経過とともにうやむやになりかけていたらしい。

ところが研究課題として今後検討しますが急遽試験装備に変更になったのは、宿敵帝国陸軍からの依頼がきっかけであった。

当時中国及び南方戦線において大口径機銃を装備していない現地陸軍戦闘機部隊は

敵爆撃機の迎撃に苦労しており20㎜機銃(零戦)を試したい旨、陸軍航空技術研究所 安田 武雄所長から

海軍航空本部 片桐 英吉本部長に非公式とはいえ異例の打診があった。

片桐自身も零式艦上戦闘機の機銃問題は認識しており折をみて関係部署に話をするのだが戦死者が出そうな位の仕事量を抱える部下や関係者からは本部長の思いつきになど構っていられないとなかなか進まない。

上に立てば立つほど実務から離れ時間が出来き、情報に触れる機会が増えその中から本当の事が見えてくる(見えた様な気になる)のだが部下達は死にそうな思いで、日々与えられた課題の設計や試作その実験、試験、報告書作成、会議にと向き合っていてるのだ。

その中でも自分が興味を持ったり納得できる仕事に向き合えている人間はまだ良いが、大抵の場合疑問を感じたり理解出来ない事(その命じた上司も理解していない)に取り組まされる事の方が多いのだ。

でもその中でも自分の評価を上げる為に自分が今している事に理由をつけ正当化して頑張っているのだ、

それを突然の思いつきで現状の取り組みの評価もされず「それはもう良いからこちらをやれ!」と言われる様なことが続けば気合いを入れて真剣に取り組もうという姿勢も薄れるというものだ。

上の人間の意見(思いつき)をいちいち聞いていたら何も出来なくなる「三回同じこと言われたら検討します。五回言われて初めて考えてみよう」「その前にきちんと検討申請書を会議であげて下さい。」

それが部下の本音だ。

しかし上司も結果を出さなくては生き残れない、片桐本部長もこの零戦の20mm機銃問題はあとあと再燃すると考え、きっかけがある今が一番取り上げ易い課題と考え思い切った行動にでた。

この機会を上手く利用出来ないかと対英米避戦派で以前より親交のあった山本五十六連合艦隊司令長官に相談した結果、「それぐらいの事は本部長の裁量でどうにでできるだろう、自分が良いと思ったことはどんどんやりなさい」との後押しを受け安田所長との交渉の結果、当時の陸海軍の関係からは非常に稀有な例であったが双方器材を提供する運びとなり海軍は機銃を譲り受け、陸軍は零式艦上戦闘機を一二機貸与される事になった。

ここまで話が進めば隼戦闘機に使用している機銃を零式艦上戦闘機に取り付けるなど後の廃機した機体から新しい機体を作りあげてしまう様な現地改修の実例からすると雑作もない作業の様に思えるが戦争初期のことであり役所同然の申請と許可の繰り返しが待ち受けていた。

しかも海軍と陸軍の共同作業としてある程度関心も高く扱われ試作とはいえ正式な改修作業とされその審査に向け膨大な量の図面を作成しなくてはならない事となった。

それを察した三菱からは早々と二号零戦の最終試験中で余力がないことを理由に改修延期(辞退)の申し入れがあり計画は暗礁に乗り上げるかにみえた。

しかし片桐本部長、安田所長等一部の関係者の努力により時間的な観点から前年末から零戦のライセンス生産が始まっていた中島飛行機小泉製作所で行われることになった。

(三菱はまさか中島飛行機にこの話が流れるとは思っておらず、その決定を聞きだいぶ噛みついた様だが逆に今出来ないというから先方にお願いしたまでと覆ることはなかった。)

この中島飛行機小泉製作所での改修作業は優先業務として海軍航空本部と三菱重工業からも技師が派遣され設計・部品試作をわずか二ヶ月間で済ませ一部並行して三月から五月の二一型生産ライン上から改修に適した行程にある二五機を選定して行われた。

当時としては異例の早さであったが、これは中島飛行機社内で完結した事が大きな要因であった。

当初ライセンス先の中島飛行機が勝手に図面を修正をする事に三菱は猛反対していたが

当時はライセンス生産品といえども部品等の調達先から製作機械、工程も違い部品の規格などかなりの相違点があり中島飛行機は三菱オリジナルとは別の中島製用の図面を有しておりこれを基に改修図面を作成するとして海軍航空本部と三菱重工業からも渋々了承を取り付けた。(実際には三菱はライセンス契約違反として中島に違約金を請求し全額ではないが中島もそれを了承し支払い、それを研究費として海軍に請求し話をまとめたのだった。戦争よりも会社のプライドと利益は優先されなければならないのは当然の話であり、その間に入った軍関係者はこの非常時になにを言っているんだと憤慨する者と結局はお金が全て解決してくれると割り切る者とで分かれていた。)

その様な会社の事情があったなか突貫工事で仕上げた図面は最低限のもので通常必要とされる半分位しか描かれず、しかもいくつも間違った部分があったが本家の零戦よりも強い物が出来るはず、とこの改修を任された中島飛行機の麻生技師の熱意で最後は熟練の工員が手作業で取り付け、後からそれを実測して図面を起こす様なことも行われた。

この様に自社内であれば笑って済ませられる話を他社にはおいそれとは言えないもので、自社の失敗を隠そうと適当な理由をつけて相手に渡して、受け手はその原因究明等に時間と労力を取られることは良くある話である。

もし今回ライセンス元の三菱で図面を修正して中島飛行機の工場で改修作業を行うようであれば、前述のようにお互いライバル会社同士難癖の付け合いから陸海軍の縄張り争いまで発展して倍以上の時間を要したか途中で改修計画自体が頓挫していた可能性が高かった。


この様な経緯で零式艦上戦闘機二一甲型に装備された機銃は、陸軍ではホ103と呼ばれ昭和15年から中央工業で生産が始まったki-43「隼」二型~装備されている米の12.7㎜AN/M2をデッドコピーしたものであった。

オリジナルより機銃本体、弾体重量を軽量化し弱装薬を使用したもので有効射程、貫徹力は多少劣るものの

発射速度800発/分、銃口初速780m/sの低伸する弾道と炸裂弾が使用可能な12.7㎜中口径機銃であった。


前述の二一甲型(試製)に搭乗し今回の実戦に参加した搭乗員の評価は概ね好評で、まっすぐ飛ぶ低伸性、20㎜機銃に比べ明らかに高い弾丸の初速、単位時間当たりの発射弾数の多さ(実際機首の7.7㎜もプロペラ同調装置仕様で600-700発/分であり翼内装備の12.7㎜の方が高い)が評価された。

また長時間の直援時などに弾切の不安が常につきまとう20㎜機銃に比べ格段に戦い易くなり

今回一航艦の零戦の半分が二一甲型であれば後述の空母の被害ももう少し防げたのではとの意見もあった。

また当初二一型に比べ約35kgの重量増加による飛行性能の低下が危惧されたが操縦士からはその様な意見はなく逆にさらに重量が増加しても各銃250発(今回各銃200発)は欲しいとの意見も見られた。

一方でB17やTBFなど頑丈な敵重爆撃機や艦上攻撃機などにはやはり20㎜機銃の威力は不可欠との意見も出された。

海軍航空本部ではこの実績を受け対戦闘機用に二一甲型を正式採用し一定数配備していく事になった。

量産機は試作機と仕様が異なり既存の二一型と同じ様に機首と両翼に二門づつ搭載されることになった。

これは機首装備の方が格段に命中精度が高いうえ翼内4門装備は翼の強度からくる射撃時の安定性、被弾時の危険性からも次点と評価された為である。

ただし97式7.7㎜機銃は全長1,054mm ホ103は全長1,267mmと約20センチ程長い為少し搭載位置を前にずらしたがそれでも7センチ程操縦席に突き出した形になった。

その後海軍も中口径機銃の開発に乗り出し陸軍同様に米の12.7㎜M2をデッドコピーしたものを製造した。ただし海軍は以前から艦艇用に使用していた九三式一三粍機銃(保式一三粍機銃)と同じ13.2mm×99mm弾 (ホッチキス規格) に互換性を持たせた為、ホ103の12.7x81mmSR弾より重い弾丸を使用することになり弾道の直進性(有効射程)と炸薬量(破壊力)では高性能をしめした。

その後海軍航空隊は当然ホ103をこの新13.2㎜機銃に換装していくことになったが全長が1,500mmもあり操縦席での圧迫感は半端なく操縦士には不評であった。



どんな時代でも、自分だけは楽したい損したくない自分の組織を勝たせたいと思うのが普通であり、時にそれは攻撃する相手が同じ敵にあたるはずの味方だたっりします。

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