7.
あっという間に出発の日になってしまった。
ネーブル行きの馬車の中、ルナはずっと難しい顔をしている。先行き不安なのだろうが、俺が何を言えるでもない。
『いざとなったら切り捨てる事を忘れるな。』
殿下のお言葉が耳を離れない。中途半端な自分が嫌になる。
因みに馭者は毎度お馴染みのマルセルである。
「なんだか馬とすごく仲良くなった。俺、これ天職かもしれない。転職しようかな。」
何を言っているんだろうか。意味がわからない。
今日の宿泊先は、ゴルト卿の領主館だ。ゴルト卿は毒にも薬にもならなそうな顔をして、実はかなりの遣り手だ。情報戦を得意とする侮れない男。同時に国が乱れるのを嫌う、陛下の忠臣でもある。この領主館は、安全性がかなり高いと判断されて、宿泊先に選ばれたのだ。
彼はルナの素性やディアナ様の所在を知っている可能性がある。そういう意味では油断ができなかった。
ゴルト卿に蛍狩りを勧められたルナは俄然乗り気になったようだ。蚕といい馬といい、彼女は生き物が好きらしい。動物はともかく、女性は虫が嫌いだと思い込んでいたのでかなりの驚きだ。まぁ蚕が好きなら大抵の虫は大丈夫だろう。紅糸紬村は皆こんな感じなんだろうか。
警備の名目で、二人で夜の庭を散歩する。まるで星空の中を歩いているようだ。前を歩くルナは、夜空にひときわ輝く月の女神を思わせた。美しく、儚い。
「ルナは月という意味ですね。」
今の彼女にぴったりだ。だが次の彼女の言葉に俺は固まった。
「ディアナは月の女神の事でしょう。貴方は女神に憧れていたの?」
彼女は俺とディアナ様の噂を聞いたのか?だがディアナ様は駆け落ちしたと説明されていたはず。今真実を彼女に告げる事はできない。
だが次の彼女の言葉は更に衝撃だった。
「用済みになった私はどうなるの?知りすぎたからって殺されるの?」
まさかそこまで考えていたとは。今まで命の不安を感じながらもずっと気丈に振る舞っていたのか?
何が暢気なものか。俺は今まで彼女の何を見ていたんだ。
ルナに安心してほしい。生きていてほしい。
俺の口からは自然に言葉が出ていた。
「俺が守ります。今の俺は貴女の騎士だ。」
「答えは出たのかい?」
館に戻り、自分に宛がわれた部屋に向かう途中ゴルト卿に呼び止められた。そして卿の部屋に連れていかれ、言われた言葉がこれだ。
驚く俺に、卿は言葉を重ねた。
「私はデュナン公爵とは仲が良くてね。大体知っていると思ってくれていいよ。それで君、守る物を決めたんだろう。」
そうだ、確かに俺の主はディディエ殿下だ。だがルナを守る。その命も自由も。殺させも飼い殺しにもしないと決めたんだ。
「若いっていいね。フェビアン殿下も、お姫様を守ってあげてほしいってさ。弟に身内を殺させたくないらしいよ。よくお姫様の部屋に牽制に来てたんでしょ?ヨハンナから聞いたよ。」
確かにフェビアン殿下はよくルナの部屋に来ていた。てっきり息抜きかと思っていたが、失礼だったな。
「まぁフェビアン殿下は若くてかわいい女の子が好きだからね。」
前言撤回。フェビアン殿下……。
「ちなみにヨハンナは親戚なんだよ。彼女の事も道中よろしくね。」
再度庭に出る。池の畔で待っていると、黒い影が動いた。
現れると思っていた。特長の無い男。デュナン公爵家の護衛だ。彼に宣言することは、彼の主デュナン公爵に宣言することを意味する。
「俺は、貴公方の姫君を守ると決めました。彼女の命も、自由も俺が守ります。」
護衛の男は頷いた。
「我々は、隣国の宮殿の中でまでは守れない。君が決断してくれなければ、君を殺して成り代わるつもりだったが。」
首の皮一枚だった……
「だが!姫との仲を認めたわけではないからな。何事も順序が大事だ。手を出すなど言語道断だからな!」




