1-1.
そのきらびやかな馬車は、お昼時にやって来た。
その時私は、湧き水に足を浸しながらサンドイッチを食べ終わり、デザートに篭から出した甘酸っぱいレッドカラントを噛み締めていた。食べすぎると家でジャムにする分がなくな ってしまう、と思いながらも、果実を口に運ぶ手は止められない。
馬車が現れたのは森の外れの一角であった。太陽の明るい健康的な光とは裏腹に、馬車は過多な装飾により人工的な輝きを放っている。それをぼんやりと眺めていると、中から1人の若い男が現れた。その容姿も服装も、馬車に負けず劣らず輝いている。緩くうねった豊かな金の髪に蒼い瞳。
男と目が合うと、何故か彼はこちらに近づいてきた。そうして私の目の前で立ち止まると、口を開いた。
「ディアナ、何故こんなところにいる。随分探したぞ。」
私の名前はディアナではない。ちなみに知り合いにもいない。人違いです、と思ったが、声は出なかった。
「ディアナではないのか?お前何者だ。名を名乗れ。まさか奴らの手の者か?
ノヴァ!この女を捕らえろ!尋問にかける。」
途端に背後から両手を捻り上げられた。手元にあった篭は倒れ、中から果実や赤楡の葉が散らばった。せっかく集めたのに!
振り向くと、そこには別の男がいた。……いつの間に!?
私の手を捻り上げた男は騎士のようだ。軍服に付いた階級章が、陽光を反射して光る。若く容姿は整っているが、無表情で私を引きずって行く様は恐ろしい。
「待って!待って下さい!いきなり何?人違いです!ディアナなんて人知りません。離して!」
必死に叫ぶが、騎士は無情にも、あの豪華な馬車に私を押し込めた。次いで騎士自身とあの輝く男が乗り込み、馬車の扉はバタンと閉められた。
「服を脱げ。」
男が告げた。私は硬直する。そんな命令聞ける訳がない。
「仕方がない。ノヴァ、やれ。」
騎士は私を捻り上げたまま、器用に片手で短剣を取り出し鞘を外すと、私のブラウスと中のシャツを半ばまで切り裂いた。上半身の下着が剥き出しになる。
「ひっ」
青ざめる私を余所に、男は私の上胸をしげしげと眺めると、呟いた。
「刻印が無い……」
男の雰囲気が少し和らいだ。口調も穏やかなものになる。
「手荒な真似してごめんね。怖かったでしょう。ノヴァ、何か着せてあげて。」
「しかし手を放すのは危険です。」
騎士が、初めて口を開いた。
「殿下の服を貸して差し上げては?」
騎士の提案で、私は大変豪奢な男物の上着を着用することになった。ずっしりと重い。
ところで騎士は先程、この男を殿下と呼ばなかっただろうか。
この騎士の軍服は白色だ。白は近衛師団の色だと子供でも知っている。近衛に命令できる、若い『殿下』など限られている。もし彼が本当に『殿下』ならば、彼が探していた『ディアナ』さんとやらにも思い当たる人物がいる。
ディアナ=エル=ユーヴェントス様。この王国スウォルツの、第一王女殿下。
「私が誰だかわかるかい?」
嫌な予感よ、外れてくれ。
「私の名前は、ディディエ=ジュマ=ユーヴェントス。スウォルツの第二王子だよ。
言う前に気付いてたよね、私が王子様だって。」
私が殿下の上着を着る際、騎士は手を捻り上げるのをやめていた。ただし、再び短剣を抜き、あろう事か私の喉元に構えていた。
「そこで君を脅しているのは私の側近でノヴァ。若いけどとっても優秀なんだ。
よかったら君の事も教えてくれる?さしあたって、君の名前と家の場所、それからご家族の事をさ。」
短剣を突き付けているのは騎士でも、実際に脅しているのは目の前の殿下だ。これは命令だ。私に拒否権など無い。そして私がそう理解していることも彼はわかっている。私は口を開いた。
「私の名前はルナ=エーデルです。家は村の南の集落に。森を出てすぐです。家族は両親と私の三人です。」
「他に親族は?」
「父方の祖父母と伯父一家が村に。母方の祖母は亡くなりました。祖父は知りません。母の産まれた時からいないそうです。」
「ちょっと失礼。」
そう言って王子様は馬車を降り、暫くして戻った。
恐らく馭者に行き先を伝えたのだろう。向かう先は我が家であってほしい。しかしこの派手な馬車が我が家に来た時の近所の騒ぎを思うと、いささか憂鬱である。
「亡くなったお祖母さんについて教えて。」
尋問は再開された。
「祖母は美しい人でした。老いてもその面影がありました。名前はルナマリアです。私の名前は祖母から貰ったんです。」
「お祖父さんについては?」
「本当に何も知りません。祖母に聞いても教えてくれませんでした。母も何も知らないと言っています。」
「お祖母さんからの言付けや、譲り受けた物はある?」
「……特には思い当たりません。」
祖母の言葉を思い出す。
『私やお前のお祖父さんのことを聞いてくる人には気を付けなさい。甘い言葉に騙されてはいけないよ。そいつはお前を利用しようとしているだけだからね。』
しばらくして馬車が止まった。目的地に着いたらしい。馬車の扉が開くと、目の前には我が家があった。
騎士が再び口を開いた。
「可笑しな真似をすれば殺す。家族もだ。お前は殿下の言葉に黙って頷いろ。」