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フィンセントとディアナが初めて間近に出会ったのは、ディアナが遠乗りに出掛けた王領の森であった。
湖の畔で馬と戯れるディアナを、泉の妖精ではないかとフィンセントは本気で思った。だから隠れていたのも忘れ、咄嗟にその手を掴んだのだ。
「……フィンセント殿下?」
名前を呼ばれて、彼女が以前式典で遠目に見掛けたスウォルツの王女だと気付いた。そもそもフィンセントは、スウォルツの式典と外交のために呼ばれて黄金宮に滞在していたのだ。王領の森は、退屈しのぎにフェビアンに勧められて来た。
フェビアンはこの邂逅を想定していたのだろうか。誤算だったのか、或いは仕組まれたのか。今はどうでもよかった。目の前の妖精を捕まえておくことが先決だ。
相手は他国の王女だ。そして自分は王太子。公に口説いたところで周りは喜びこそすれ咎められることはないだろう。しかし、外野にあれこれ言われるのも、ディアナに政略結婚だと思われるのも面白くない。フェビアンは、ディアナと二人きりで会ったことは誰にも言わないことにした。
その代わり、後日またこの湖の畔で会う約束を取り付けた。頬を染めて頷いてくれたので、かなりの好感触だと自分でも思った。
宮廷でのディアナは、王女然として畏まっていた。フィンセントが人目のある場所では話し掛けてこないのを察し、ディアナもまた他人行儀であった。だが二人きりになれば、会話は弾んだ。明るく物怖じしない、こちらが彼女の本質なのだろう。
それからも幾度か逢瀬を重ねた。その度に打ち解けてくれるようで、フィンセントは嬉しく思う。
ある時、ディアナが不思議な話をした。
「もしももう一人の自分がいるとしたら、何をしていると思う?」
どういう意味だろう、とフィンセントは思った。
「私のもう一人の私はね、平和な田舎町に住んでるの。毎日ご飯を作ったり森に行ったりして、政治も外交も関係無い世界で穏やかに過ごすの。」
「……ネーブルに来るのは嫌、ということか?」
ネーブルの政情が不安定なのは聞き及んでいるはずだ。凡庸な父王、実弟に殺意を抱く兄王子。
「そうじゃないわ。そんな暮らしもあるんだ、と思っただけ。昔は憧れてた。でも貴方に会えたんなら、王女に生まれたのも悪くなかったと思うの。ほら、私って王女には向いていないでしょう?」
「ディアナ、私は貴女が王女で良かったと思っている。貴女も同じなら嬉しいよ。」
心配なのは故郷の兄だ。ディアナを妻に迎えたいと言えば、スウォルツの後ろ楯を得るためだと考え、横槍を入れてくるだろう。ただ欲しいのだ、と言っても彼には理解できまい。兄は不審に凝り固まっているように、弟には見えた。
「馬が好きなのか?」
「ええ。世話するのも背中に乗って走るのも。馬ってとっても賢いのよ。人間の考えていることがわかるの。この子は私の幼い頃からの友達なんだけど、そろそろ年をとったから引退ね。余生はのんびり過ごさせてあげたいわ。」
「では新しい相棒を私から贈らせてくれないか。貴女とも、貴女の古い相棒とも仲良くなれるような奴を連れてくるよ。」
「それは素敵ね。砂漠の部族では、結婚の申し込みに馬を贈るそうだけど、もしかして貴方も?」
「そう取ってくれて構わない。その上で受け取ってくれればなお良い。貴女には花を贈るより喜ばれそうだな。」
「楽しみね。『古い相棒』のお眼鏡に叶う子じゃないと、お帰り頂くわよ。」
適齢期のディアナには婚約の申し込みが数多くきているとフェビアンが言っていた。そのどれをも断っているとも。
「どの人もしっくりこないわ、なんて言ってるんだよね~。無理矢理嫁がせてもろくなことにならないし。」
とはフェビアンの言である。
国に帰ったら、正式に婚約の申し込みをしよう。きっとディアナも受け入れてくれるはずだ。
「ディアナ。私のことはセントと呼んでほしい。」
という言葉に、顔を赤く染めて嬉しそうに頷いてくれたのだから。




