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今にも消えてしまいそうな空の下で

作者: 空箱零士

 埃だらけの路地に倒れる俺の視界に広がるのは、今にも消えてしまいそうな空だった。

 ただ存在するだけで嫌悪の感情を想起させそうな程に汚らしい裏路地。俺はそこに、血まみれになって倒れていた。

 ――……ひゅう…ひゅう…………。

 鼓膜に響く呼吸音は、自分でも情けなくなってくる程に弱々しい。

 ――…ひゅう………ひゅう…。

 完全に、哀れな敗残兵の漏らすような、瀕死の吐息だった。

 クシャクシャに潰された古新聞のような有様で横たわる俺の下に、一人の人間がやってくる。目一杯に青空で埋め尽くされていた俺の視界を、奴――普通にしてれば、女の十人や二十人が放っておかなそうな若くて良い男だ――の身体が覆いつくした。奴は俺のことを、ただ無言で見下ろしていた。

 この若い男の瞳には、感情らしい感情は一切映し出されていない。深海のように途方もない闇を連想させるその眼は、形容し難い胸糞の悪さを俺に抱かせた。

 言うまでもないことなのだろうが、この気持ちの悪い眼をした男こそが、俺をこのような有様にした張本人だ。

 今この瞬間ももちろんそうなのだが、つい先ほどまで、常人では到底計り知れないような化物じみた戦闘を繰り広げていた時ですら、一秒たりとも一切の感情を表出させなかった。

 俺の圧倒的な暴力と奴の圧倒的な武力をぶつけ合っていたその時。

 普通なら身体の欠片も残らないはずの俺の必殺の攻撃をくらい、それでもなお立ち上がったその時。

 そして、その時に俺が見せた隙を突き、決着の一撃を放った――その瞬間まで。

 奴は終始、吐き気を催すほどに絶対的な「虚無」をその瞳に宿らせていた。

 正義は奴で、悪は俺。

 恐らく世間は、この闘いに対してそのような構図を与えるのだろう。何故なら、俺は市井の間で〈組織ファミリー〉と呼ばれ畏怖されている悪の組織で、奴はその「組織」の家族ファミリーたちを、使い走りから幹部級まで、片っ端から穴だらけにしていく正義の殺し屋だからだ。

 しかし、果たして正義の味方というものは、俺のような悪に対してこれ程までに悪趣味な戦闘機械を送り込んでくる物なのだろうか? こんな得体の知れないイカれた眼をするくらいなら、いっそ全世界から憎悪されるような怪物でいた方がまだマシだとすら思えてくる。

 ――まあ、俺だって人のことを言えた義理じゃないんだけどな……。

 化物が化物を化物呼ばわりしているその滑稽に、俺は思わず淡い笑みを浮かべる。反撃に出るとでも思ったのだろうか、奴はそんな俺を見てすぐさま拳銃を抜くと発砲した。鋭い銃声と共に、俺の身体に鉛弾がぶち込まれる。焼けるような鈍痛とこみ上げてくる吐血。普通だったらこの時点であの世行きなのだろうが、残念ながら俺は正真正銘、列記とした化物だ。今も十分致命的な傷を負っている俺でも、この程度ではまだ死なない――まだ死ねない。

 俺が所属する〈組織〉の〈親衛軍〉四番隊隊長として〈破壊〉の能力を授けられた俺は、言ってみれば筋力による暴力の化物だ。

 俺の一撃は全てを滅し、

 敵の一撃は全てを滅する。

 数多の能力者が存在する組織の中で、最も単純でありながら最も戦闘的な能力。持ち前の「暴力」と、それを際限なく底上げした「能力」。その二つを手にした俺は、次から次へと現れる〈組織〉の敵を片っ端から跡形もなく消し飛ばし、やがてこの血塗られた手は今の地位を掴むに至ったのである。

 しかし。目の前の奴は、それをさらに上回る武力で制圧、打ち崩したのである。


 奴は俺の粗暴に洗礼された暴力を紙一重でかわしつつ、俺の急所に根気強く弾丸(奴の使用する真っ白い拳銃は組織で〈シリアルキラー〉と呼ばれており、13mmの徹甲弾を使用しているオーダーメイドの怪物拳銃だ。そして、奴はそれを50AE弾(12.7mm。世界最強の市販拳銃弾)のデザートイーグルと二丁拳銃で使っている。化物を倒す人間も、十二分に化物の世界に肩までどっぷり浸かっていることの証明だ)を当てて来た。

 しかしこちらも、どうにか奴に必殺の一撃を与えることに成功したのだ。全身にたぎらせた暴力による〈破壊〉の力の全てを敵にぶつけるという、概要だけ言えば至って単純な攻撃。しかし直撃すれば、一撃で重戦車をも炎上する鉄くずへと一変させるその攻撃は、まさに絶対の自信を持つ「必殺」の一撃なのだ。

 しかし、その一撃をくらったはずの奴は、いとも容易く立ち上がって見せたのだ。

 今思えば、これも奴の策だったのだろう。最強の攻撃を耐え切られた動揺も相まって、俺はこの時になってやっと、自分自身の肉体が空っぽに消耗しきっていたことを自覚した。俺の能力の弱点が体力の消耗の早さにあることを、奴は既に見抜いていたのだ。そしてそんな状態で放たれた「必殺」の一撃は、最早「必殺」とは程遠いものに成り果てていたのだ。

 後はあっという間だった。奴はすぐさま俺の両脚を撃ち抜くと、体勢を崩した俺の背後に回りこみ、ゼロ距離から俺の背中に徹甲弾を叩き込んだのだった。能力が万全の状態で発動されていたら、ロケットランチャーによる攻撃すらモノともしない俺の身体も、完全に消耗しきってしまえば徹甲弾で十分だったようだ。

 そして俺は今、死にかけの敗残兵としてこの裏路地に倒れこんでいるのだった。


「お前は哀れだ」

 俺のことを見下ろす「正義の味方」は、「虚無」の瞳を俺に向けて淡々と言葉を発する。

「お前は哀れだしかし死ね。哀れに生まれ哀れに生きたお前はそのまま救われることなく無様に死ね」

「……何でも、いいから、お前見たいな野朗が、哀れって言葉を、使うんじゃねえ……捻り、潰すぞ……!」

「捻り潰す。一体誰が誰を」

 息も絶え絶えな俺のことを見据える虚無の双眸。そんな男が発する言葉なんてものは、虫唾が走るほどに気味が悪いに決まっている。こんな声を聞くくらいなら、ゾンビが聖歌を合唱しているのを聴いている方が、よっぽどキレイな感情を生みだすに違いない。

「かつて一つの家族があった」

 そして奴は世にも虚無的な声で、ゆっくりと語り始めた。

「ジャーナリストの父と専業主婦の母。学生をやっていた兄と妹。犬も一匹飼っていた。そんなどこにでもありそうな一つの幸せな家族がかつてあった」

 まるで小説に書かれている文字を、書かれているままに読み上げるような口調。

「いつまでも続くと思われていた日常。しかしある日兄が家に帰るとそこにはバラバラに切り裂かれた家族の遺体が横たわっていた。悪質で明白な殺人。復讐を誓った兄はやがてジャーナリストの父が“知りすぎた”一つの組織に辿り着く」

 バラバラに切り裂かれたではなく、BARABARANIKIRISAKARETA。

 復讐を誓ったではなく、HUKUSYUWOTIKATTA。

「その組織は一介の一般市民が立ち向かうにはアリに対する大海原のように途方もなく強大。それでも復讐を諦められなかった彼はそれに立ち向かえるだけの力を欲した。死への限りない肉薄を幾度もなく実感する程に濃密な鍛錬と実戦を数年。そして死に対する恐怖を実感として感じなくなった時。彼は組織に立ち向かえるだけの力を手に入れていた」

 そんな感情も感動もない機械仕掛けの声色で、奴は自分自身の復讐劇のシナリオを読み上げる。

 復讐を誓った悪霊が、虫も殺せないような善人にとりつき、復讐を代行させている様を連想させた。復讐を終えた悪霊はその善人から消え去り、彼に残されるものは、絶望的な大量殺人、欠片も残さずに破壊された彼の人生。

 最悪だ。

 これほどの最悪があるだろうか。

 感涙する大勢の民衆の前で聖書を出鱈目に読み上げる、したり顔の悪魔を目撃したがごとくだ。

「そして彼は今その組織に所属する哀れな幹部の一人を殺そうとしている。彼の家族を殺した組織に対する復讐の為に」

「……復讐、か」

 おかしくなった俺は思わず、ククッとくぐもった笑い声をあげる。今のこの状況に用いずに、一体いつ最早笑うしかないという表現を使うべきだろうか。

 復讐を「HUKUSYU」と読みあげるような奴が、心の底からそう考えて戦いに身を投じるわけがないのだ。

 しかし、そんな俺の姿を見たからといって、奴は決して怒りに感情を高ぶらせたりはしなかった。そんなことを想像する方がおかしい。だからといって、ここで俺が惨めたらしく命乞いをしたところで、奴が溜飲を下げるとは到底思えないのだが。

「よくもまあ、そんな面をぶらさげて、お涙頂戴な、話が、出来たもんだ」

「…………」

 恐らく奴は、俺が何を言わんとしているのかを分かっている。

 しかし、それでも奴は表情を変えない。図星を突かれて動揺するような感情など、奴に残されていないからだろう。

「お前はもう、とっくに復讐を、果たして、いるんだよ……」

「…………」

「お前の家族を、ぶち殺した〈八裂〉は、三年、前にお前が自分で、やっつけたんじゃ、ねえか……」

「…………」

 そう、かつて〈ボス〉の出生の秘密を偶然知ってしまった奴の父と、その場に居合わせた家族を残虐に始末した〈暗殺部隊〉・〈咲組〉の〈八裂〉は、他でもない奴自身が殺害したのだ。彼の遺体が、必要以上にボロボロにされていたのを確認した組織は、奴が奴の仇に辿り着いたことを悟ったのである。

 しかしそれでも奴は、この復讐劇に幕を閉じなかった。俺はその辺りの理由が良く分からなかったのだが、こうして奴と対峙してみてやっと理由が分かった。

「お前はもう……復讐なんて、どうでも良くなったんだよな……?」

「…………」

「てめえの存在意義は、俺たちの組織の人間を、片っ端から、殺して回ることだけに、なっちまったんだよな……?」

「…………」

 奴は何も答えない。

「おい、分かるかよカス野朗……哀れって言うのは……お、お前見たいな奴を指して、使う言葉なんだぜ……」

「…………」

「お前みたいな、人形野朗が使うとよ……つ、潰してやりたくなる、くらいに、苛立ってくる、言葉なんだよ……」

「…………」

 奴は何も答えない。

 答える必要性も感じていないのだろう。ただその場に佇んで、無表情のままに俺のことを見据えるだけであった。

 哀れという言葉を正しい感情の元で使えない奴は、確かに哀れと呼ぶに相応しい存在なのだろうと思う。復讐のために「ヒト」を捨てて「虚無」となり、そしてそれに飲み込まれたまま帰ってこれなくなった男。

 彼がそのような有様になった時に「復讐」は「HUKUSYUU」と成り果て、彼の闘争は本来の敵を討ち取ることに何の意味も見出せない程に空疎なものに成り果てたのだった。

 それでもなお、この闘争を止めることの出来ない戦闘機械。

 この闘争に反復と惰性によって身を投じることでしか、自分自身の存在を確立出来なくなってしまった虚無。

 それが、この男の肖像だった。

「…………」

 まさか感傷に浸っている訳ではないのだろう。

 しかしそうとしか思えないような挙動で、奴はシリアルキラーの銃口を下げ、見上げるように視線を空に向ける。

 その虚無の瞳に、この空はどう映っているのだろうか? そしてそれに対して、どのように感情を動かしているのだろうか。それともやはり動かないのだろうか。彼にとって空はSORAに過ぎないのだろうか。

 彼の瞳には、なに一つ変わることのない虚無が張り付くだけである。

「……なんのために生まれてきた?」

 そして、ポツリと呟かれた言葉。その言葉に主語はない。しかしそれは、しっかりと「なんのために生まれてきた?」と発せられていた。

 語られない主語は、俺のことか、奴のことか。あるいはその両方を差しているのか。それとも実は、少なくともこの場にはいない誰かの為のものなのか。まあ、そんなのはどれでもいい。恐らく、奴自身も良く分かっていないだろうからだ。きっと、俺にトドメを差した後は、自分がそんな言葉を呟いたことすら忘れてしまっているに違いない。

 しかしそれでも俺は、ふと考える。

 なんのために生まれてきたか。

 こうして死にかけてみると、全く分からなかった。

 しかし一つだけはっきりと言えるのは、俺は今までずっと、「力」だけを求めて生きてきたということだ。

 次から次へと俺の目の前に現れる気に食わない存在を、一人残らず血祭りにあげられるような「力」。

 俺はそんな、「力」そのものと言うべき存在になりたかった。そうすれば俺の精神に巣食う、醜い雄たけびを発するグロテスクでどす黒いモノから解放されるだろうと盲目に信仰していたからだ。

 そして〈組織〉に入った俺は、〈組織〉から授けられた力を使い、目の前に現れる敵を次から次に血祭りにあげてきた。幸か不幸か、目の前に現れる敵の大部分が気に食わない奴だったが故に、俺は憎悪交じりの歓喜をもって、死体に群がる虫けらのような敵どもを血祭りにあげてまわったのだ。

 しかし、どれだけの敵を血祭りにあげようとも、俺は「力」そのものになることは出来なかった。いくら「力」を信奉し、その為にこの身を捧げようとも、決して辿り着くことの出来ない偶像。

 「力」という偶像に少しでも近づこうと身も心も朽ち果てるほどに全力で駆け抜け、やっとその背中が見えたかと思えば蜃気楼のごとく姿をくらます。そして、再びその姿を現したかと思えば、その御身は遙か遠方にあり、俺は呆然と立ち尽くす。

 俺の「力」への信奉は、そんな無様な自分自身への苛立ちとなり、そしてその苛立ちは「力」を遮二無二追い求めるための破壊衝動とその有様を歪めた。

 生涯に渡り、そんな不毛な反復を続けた俺の最期に残されたもの――それは、まるで奴が宿すような虚無だった。

 何故、これほどまでに「力」を求めるようになったのか。それは、はっきりとは思い出せない。

 何故なら思い出そうとしても――



 ――ミ○クイ


 ――キモ△ワル□


 ――KYAハハHAハ


 ――


 ――  レテコナキャヨカッタノニ


 ――GえWしマ5


 ――ハャク◎ネ


 ――


 ――


 ――


 ――ソロソロ●●ソウカ(ID)4V@YをMZAA)


 ――ハヤク●●シチャオウヨ(:Q:Q0E,zS4をT:.FF)




☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★☆力★





♂やめろくるな。


♀くるなばけもの。




!!!!アアアア!!!!!!!!!!オオオ!!!!!GYEEEE!!!!!!!!ぎううう!!!!!!!!!!!!イイイイイ!!!!!!!!!!!!!ガアアアァァァアアア!!!!!!!!ジュアアアアアアアアア!!!!!!ぁaa…………………………




●……。


●……。





 思い出そうとする度に脳裏に浮かぶのは、俺に二升瓶を振り回す男と、ケタケタと笑いながら熱湯をかけてくる女。

 そして「ヒト」としての原型を留めずに、血溜まりの中で横たわるその二人。

 心のどこかででそれが両親だと分かる俺はそのこの世の終わりのような光景を思い起こす度にその声色を思い起こす度に正気を失い醜く暴れMAWARURURURURURURURURURURURURURURURURURU!!!!


「力」を求めて!


「力」を求めて!


「力」を求めて!


 今思えば、それはなにかに追われるかのような衝動だった。

 なにに追われているかすら分からない内に、俺は「力」そのものから程遠いグロテスクな存在となり、そして今まさに力尽きようとしている。

 いや、そもそもずっと前に気づいていたのだ。俺は、自らの追い求めた「力」そのものには決してなれないことを。

 しかし、それを認めたくなかった俺は、その観念が脳裏に浮かぶ度に、目の前の敵をひたすら血祭りにあげて続けてきた。

 しかし、その逃避行もここで終わりだ。今度は自分自身が血祭りになった俺に、「力」はゆっくりとした足取りで近づき、ニッコリとした笑顔で俺に囁いたのだ。

 ――良い夢は見れたか? この広大で不毛な荒地こそがお前の終着点だ。

 その瞬間、俺の「力」への信奉はあっさりと砕けて消えた。そして後に残されたのは――そんなものはどこを探しても見当たりはしなかった。

 もし普通の人間で在り続けていたとしたら、俺はここで涙を流していいのだろう。しかし、数多もの存在を血祭りにあげて来た化物にそんな資格はないのだろうということも分かっていた。

 俺はその事実に涙が出そうだったが、とうの昔に涙は枯れていた。

 内側から発せられる声に従い、「力」を追い求めるようになった、あの日から。

「…………」

 奴は一旦俺から距離を取り、先ほど俺に撃った際に切れていたシリアルキラーの弾丸を装填し直す。その行動はすなわち――奴の身体に覆われていた視界が、再び空を映し出すことを意味していた。

 そしてそれによって、先ほどまで奴の身体が塞いでいて見えなかった青空が、俺の視界に広がったのだった。

 今にも消えてしまいそうな空。

 最初はそれ以上の意味を持たなかったそれ。しかし、「力」への信奉という幻想が破壊された今、それは俺にとって素晴らしい意味を持って俺の眼前に広がっていた。


 今にも消えてしまいそうな、


 しかしそれ故に、


 この両腕で優しく抱きしめたくなるほどに繊細で美しい青色の空。


 俺はこんな空を、今までに見たことがなかった。思えば、俺は生まれてこの方、ずっと空なんて見上げてこなかった。

 ――……ああ。

 俺は思わずため息をついた。淡いようで、色濃い歓喜を多量に含んだ吐息。

 それは素晴らしい歓喜だった。俺はこんな歓喜を、今までに一度も感じたことはなかった。俺が今まで信奉し続けてきた「力」は、何一つとしてこんな歓喜をもたらしはしなかったのだ。

 俺がこうして生まれてきた意味。

 俺はこの瞬間に悟ったのだ。

 ゆっくりと装填を終えた奴は、俺に向かって歩みを進めようとした。

 ああいけない、と俺は思う。これじゃさっきみたいに、視界をこんな気分の悪い目をした奴によって塞がれてしまう。

「おい、お前……」

「…………」

 奴は立ち止まり、俺の目を見据えてくる。相変わらず虚無しか映し出されていない眼。

「俺にとどめを刺す時は、そこから、撃ち殺してくれないか……?」

「…………」

 俺の言葉の意図を測りかねたのか、奴は首を横に傾ける。

「さっき、みたいに……俺のすぐ、そばまでお前が、来ると……空が、見えなく、なるだろうが……」

「…………」

 ますます意味が分からなくなったのか、奴は石像にでもなったかのように、首を傾けたまま身動きを取らない。

「言ったな、お前……なんのために、生まれてきたかって……」

「…………」

「答えて、やるよ……」

 そう言いながら俺は、最期の力を振り絞り、

「俺は……あの空に、帰る為に生まれて、きたんだよ……」

 俺は自分の両腕を空にかざした。

 壊れてしまわないように。

 俺の帰るべき青空が、壊れてしまわないように。

 しかし、こんな無骨な腕で抱いて、果たしてこの繊細な空が壊れてしまわないだろうかとも思う。しかし、それでも手を差し伸べたいと思った。そうすればきっと俺は、この美しい空を壊れてしまわないで済むことだろう。

 何かを壊すことを理由にせずになにかに向けて手を出すのは、果たしていつ以来のことだっただろうか。「力」に寄らずに、何かに触れたいと思ったのは一体何時以来のことだろうか。

 ああ、なんて馬鹿だったんだろう。

 そもそも「力」なんてものがなくても、世の中にはこんなにも美しいものがあったというのに。きっと奴だって、奴の中から虚無とHUKUSYUが取り払われてしまえば、世界のあらゆる全てが美しく見えるに違いないのだ。

 俺は少しばかり地を這いすぎたのだ。

「力」への信奉の赴くままに敵を壊し潰し倒し続けた末に、俺の全身は敵の血に塗れ、俺の魂はどこにあるかも分からない「力」にしか向かなくなってしまっていたのだ。

 しかし、「力」という名の呪縛から解放された今の俺は、あの空に昇れるほどには魂がそそがれているに違いない。

「なあ、お前は、一体どこに、向かうんだろうなあ?」

「…………」

「俺は、これからあの空に、向かう」

「…………」

「あの美しい空に、向かい、多分、俺はそこで救われる……」

「…………」

「それを、思うと…………今まで、生きてきて良かったと、心の底から、そう思えるんだよ……」

「…………」

「なあ、お前は、一体、どうなるんだ……? 幕が閉じることの、ない復讐劇は、お前を一体、どこに向かわせるん……」

「もういい」

 奴は俺に銃口を向けた。

 シリアルキラー。

 純粋な殺人を象徴する怪物の拳銃。

「お前の言葉は、良く分からない」

「はっ……それでもお前の眼は気持ち悪いままかよ……」

「…………」

 奴自身の瞳のように真っ暗な銃口。

 終焉を象徴する深淵の闇。

 復讐によって生み出された虚無が、火薬と弾丸と悪意にすら至らない空洞の意志が、新たなる虚無を産み出す。

 ――ああちきしょう、悲しいなあ……。

 陳腐な感傷だということは分かっている。しかし分かってはいても、どうしてもそれを悲しいとは思わずにはいられなかった。こんな感傷に浸るのは、生まれて始めてだった。

「なあ、お前は、どこに向かい、どこに、行き着くんだろうなあ……? そこで、お前は、救われるん、だろうか……?」

「…………」

 俺は奴に、救われて欲しいと思っているのだろうか? 俺の前に組織の敵として――俺の敵として表れ、そして今にも俺を殺そうとしている奴に、奴の囚われている虚無から解放されて欲しいと思っているのだろうか。

 答えは出ている。

 どうか救われて欲しいと思っている。

 それと同じくらいに救われなくても仕方がないかと思っている。

 だけどそれでも――どうかこの男にも、この空のような救いがもたらされて欲しいと、心の底からそう思っている。

 そして出来ることなら、この空の美しさを共有したいと思っている。それは、この男とだけではなく、言ってしまえばこの世に存在する全人類とである。全人類と手を取り合い、この美しい青空の前にして、心からの笑みを浮かべるのだ。それはきっと、さぞかし最高に違いない。

 なんなのだろうか。さっきから、俺は一体どうしたというのだろうか。俺は思わず苦い笑みを浮かべる。これではまるで、甘ったれた平和主義を振りかざす、青臭いガキのようではないか。

 しかし――そう思うことは決して悪くはなかった。むしろ格別に心地の良い感情だった。

 初めてだった。

 こんな感情は、生まれて初めてだった。

 かつて、「力」を追い求める為だけに生きてきたこの俺が、それ以外のことで安らぎを覚え得るだなんて、一体どうして想像が出来ただろうか。

 まるで、天にも昇る気持ちだった。

「……お前は、一体、なんのために、生まれてきた? そんなの、多分、今のお前には、分からないよな……」

「…………」

「それでも、お前は、歩み続けるしかない……かつての、俺が、ありもしない、「力」そのものを追い求め続けるしか、なかったように……お前は、死ぬまで、「HUKUSYU」をし続けるしか、出来は、しないんだ……」

「…………」

「哀れだよ……お前は、本当に、哀れな奴だ……」

「…………」

 奴は無言で俺を見据える。シリアルキラーを右手に構えたまま、彼は途方に暮れたようにその場に立ち尽くしている。

 しかし、それでも奴は、シリアルキラーの引き金に人差し指をかけた。

「そうだ、それでいいんだ……」

 呟きながら、俺は思う。

 結局今のお前は、HUKUSYUに身を投じるしか術はないのだ。お前が救われるのは、俺のように今際の際で十分なのだ。その時に救いがもたらされても、決して遅くはない。

「だから、お前は、生き続けろ……!」

 気がつけば俺は、あらん限りの声で奴に叫んでいた。

「例え、これから先に、〈組織〉の、連中を、何十と、何百と、手にかける、ことになろう、とも……!」

 鉄の味が広がる口内。

 叫ぶ度に激痛の走る喉。

 永遠に失われようと白く霞む意識。

 しかしそれでも俺は、目の前に立つ虚無のために叫び続ける。

「救いの、ために……!」

 救われて欲しいと願うから。

「お前に、もたらされる、救いの、ために……!」

 固く縛り付ける虚無とHUKUSYUから解放された奴と共に、この美しい空を眺めたいと願うから。

 ああ、それにしてもあの空は美しい。

 繊細で、透明で、心地よさそうで。

 この日のために生まれてきたのだと思うと、俺は世界の全てを許せた。

「分からないものはいらない」

 虚無の一声と共に、奴は再び引き金を引く。

「だから救いはいらない」

 そして、銃声。

 それが、数発。


 そして俺は、空に昇った。

 哀れな虚無を、地上に残して。


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