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僕は軽トラックでしか死なない体にされたらしい

作者: 三浦潤
掲載日:2014/02/28

 朝、学校へ登校している最中に、なにもないところでこけた。

 「危ない!」という声がどこからともなく聞こえたので、驚いて急に立ち止まろうとし、足がもつれたのだ。こける前と比べてちょうど三歩分ほど進んでいた。それで、僕から見て右から突っ込んできた白い軽トラックを避けられた。

 運がいいなあ。

 昔から僕は自分の運のよさにだけは自信がある。今回の出来事もきっとこの運が僕に味方してくれたのだろう。

 とりあえず事故が起きたのだし電話をしなくてはいけない。そう思って鞄の中から、本来学校への持ち込みは禁止されているはずの携帯電話を取り出し、電源を入れた。このくらいのこと、いまどきの高校生はみんなやっている。

 軽トラックは壁にぶつかって完全に停止しているのだろう、まったく音は出ていなかった。ミンチになった人を見るのが嫌だったので、目は向けなかった。

 さっさと警察へ連絡しよう。僕もなにか説明しなくちゃいけないのだろうか。まあだれがどう見ても僕に落ち度はないのだから、なるようになるか。学校へも報告とかしないとな。それからいつもの高校生活へと戻るのだ。

 携帯電話の電源が入るまでの短い時間で、そんなことを思っていた。

 それが僕にとって最後の日常だった。

 エンジンの音が鳴る。近くからだ。周りを見ても軽トラック以外に車はいない。

 ということは。

 僕はかすかに振動している軽トラックの運転席を見る。人が乗っていなかった。

 なのに、エンジンがかかっていて、あろうことか動き出した。というかそもそも壁と正面衝突したはずなのに車体に傷が見当たらない。


「これはおかしいぞ」


 夢でも見ているのかと、呟いてから自分の頬をつねってみる。夢じゃなかった。

 バックで車道に戻った軽トラックは、次にまた前へ進み――。

 僕を狙うかのように迫っていた。完全に僕を轢き殺そうとしていた。


「ちょっと待て!」


 慌てて走ったものだから、荷物はすべて落としてしまった。高校三年生になって新しく買い換えたばかりの最新機種の携帯電話があっけなく踏み潰された。ああ、せっかくの新品が! どうせ家族以外の番号は入ってなかったけど。

 そんなことよりこれはちょっとした事件だ。無人の軽トラックが自分めがけて突っ込んでくるなんて経験、めったにない。

 朝の登校時間だから小さい子供でも出てきたら大事件になる。

 と、前に小学生の集団が見えた。曲がるところはない。このまま走り続けるしかなかった。止まったら確実に殺される。そんなのはごめんだ。キミ達、どうか僕を恨まないで……。

 もうじき悲鳴が聞こえてくるはずだった。僕はなんて罪を犯してしまったのだろう。一人死ねば五人助かり、五人助ければ一人死ぬ。さああなたはどちらを選ぶかという質問が思い浮かぶ。その一人が自分だったら、僕は迷いなく五人を犠牲にするのだ。結局、哲学とか倫理なんてそんなものさ。よくわからないけど。

 向こうから別な車がやってきた。きっと大騒ぎになっていることだろうと後ろを振り向いてみると、小学生達は元気に歩き続けている。軽トラックはその後方で止まっていた。その横を、先ほど向こうから来た車が駆け抜けると、再び軽トラックは動き出す。子供達のことはしっかり避けていた。どうやら狙いはあくまで僕らしかった。


「ついてないなあ」


 自分の運が悪いなどと思ったのはいったい何年ぶりだろうか。

 学校トイレの個室に入ったらトイレットペーパーがなくなっていて、しかたがないので隣の個室に入ったとき以来か。あれはたしか五年くらい前だったっけ。一回便器に腰を下ろしてから隣に移るというのはちょっと気分が悪かった。

 とりあえず学校にでも行こうか、と思って走る。なんだか体が軽くてまったく疲れが溜まらなかった。

 軽トラックのほうは、相変わらず僕を追っている。僕以外の人間に危害を加えるつもりはないらしく、また制限速度と信号も守っていた。と言っても車と車の間を縫うように反対車線も平気で走っていて、鳴り響くクラクションがうっとうしい。この音が消えたら安心できるってことだ。

 何人かクラスメイトに会って、ピンチだから警察を呼ぶように頼んでみた。だれも信じてはくれない。そりゃそうだ。身に覚えがない軽トラックが轢き殺しにくるなんて、ちょっと現実味がなさすぎる。


「ちったあ真面目な話しなよ」

「後ろから軽トラ来てるでしょ。あれが僕を追っかけてんの。警察呼んで。まじに殺されるから!」

「はいはい、じょうだ――」

「くそ、来た!」


 クラスメイトを盾にするよう走り出すと、例の軽トラックが突っ込んでくる。もちろんクラスメイトの手前で止まったが、すぐに動き出した。


「まじで通報よろしくねーっ!」


 ふと、立ち止まってみたらどうなるんだろうという考えが頭をよぎる。するともうそれしか考えられなくなった。

 死ぬかもしれないな。止まるのはただの馬鹿だ。

 でも、うーん。

 男子高校生なんてみんな馬鹿だよな。

 急ブレーキをかけたみたいにぴたりと止まってみせる。

 軽トラックは、急な僕の動きに対応できずそのまま通り過ぎ、一時停止。僕を轢き殺せる速度へ加速できる距離までゆっくりバック。律儀な軽トラックだ。なんとなく、運転席と助手席が目に見えなくもない。すると左右のライトが頬か。たしかに明かりが点いたりする。その想像はちょっとおかしかった。

 僕の心を読んで怒ったのか、軽トラックはまっすぐにこちらへ向かってくる。僕は走り出した。

 今さらながら、だれも運転していないのにどうやって動いているんだろう。もしかして身長が低すぎてここからでは見えないのだろうか。

 高校の校門が見えてきた。


「みんなどいてくださーい!」


 登校中の生徒と校門前に立つ先生が僕を見て、それから時速四十キロで今にも僕を轢こうとしている軽トラックを見て、逃げ出した。

 学校の校庭に入る。周りになにもないここなら、小回りがきく人間は逃げられる可能性が高い。

 人間と車の鬼ごっこに全生徒と全教師の注目が集まっていた。一人でもいいから助けにくればいいのに。

 やがてパトカーが数台やってくる。

 みんな、自動で動く軽トラックに戸惑いと恐怖を抱いているようだった。鉄砲でタイヤを狙ってもまったく効果がないようだ。


「これ、どうすればいいんですか?」


 警察が相談し始めた。

 そろそろ僕の足も限界――というわけでもないな。どうしてこんなに走り続けられるんだろう。

 なんとなく校庭の景色にも飽きてきた。それに狭くて退屈だ。このままじゃ緊張感がなくなって隙ができてしまう。どうせ殺されるなら、こんなところでうろちょろしているより全力で逃げ回ってから死にたい。


「あのすみません。今日は早退します」

「待つんだ。そんな危険な車両を連れて走り回られるのは迷惑だよ」

「そうは言われましても。たぶん大丈夫ですよ、こいつ僕にしか興味がないみたいだし」

「あ、こら!」


 制止を振り切って高校から飛び出す。

 パンパンと発砲音が拍手のように鳴って僕を送り出した。応援の声も聞こえる。振り返ると、生徒が教室から身を乗り出して手を振って応援してくれていた。


「がんばれー!」

「負けるなー!」

「またここで会おうなー!」


 僕も手を振り返す。照れくさいな、なんか。そんな場合じゃないけど。

 何度も角を曲がったりほかの車を盾にしたりして、僕はひたすら逃げ回った。

 なぜだか体力があり余っていたから、わざわざ車に乗ったりはしなかった。走ったほうがいろんなところに逃げられる。細い道に入った。だがここにこもっていても軽トラックをどうこうできるわけじゃないし、一箇所に留まるのも軽トラックの操り主に負けているようで腹が立ったので、とにかく走った。


「操り主?」


 そういえばとうぜんいるんだよな、あれ動かしてるの。

 いったいどんな理由で僕を付け狙うのだろう。理由なく殺されるのは嫌だな。

 軽トラックが突っ込んでくるタイミングが、後ろを見なくてもわかるようになった。運に任せてここだと思うと、本当にそこなのだ。


「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」


 パトカーのサイレンが聞こえる。ようやく警察が追いついたらしい。


「止まるのは危険ですので走り続けてください」

「わかりましたー」

「死ねよまじで。え、なんで轢かれてくんないの」


 何時間くらい経ったんだろう。もう高校の授業は二時間目にはなってるはずだ。

 二時間目は体育だったか。まあこんな状況で普通に授業を送れているのかは心配だけど。あれ、普通僕が心配される側じゃないけ。細かいことはいいか。

 少し体が熱くなってきたので、ジャケットを脱いでネクタイを外して投げ捨てた。少し気分がよかった。

 これから進路だなんだと、いろんな不安要素が僕を周りから押さえつけていたのだ。それを自力ではがしてやったようなものだ。体がさらに軽やかになった。開放感というやつかもしれない。


「ところで、キミだれ?」


 開放的な気分ついでに、いつからか空中を浮かびながら僕と並走していたとても美人な女性に尋ねてみる。


「今さらかよー!」


 両手をまっすぐ上に伸ばしながらかわいらしく怒っていた。長い黒髪に大きい胸。背中には黒い翼が生えていた。悪魔だろうか。それにしては肌が白いし美しい人だけれど。僕は姉属性が好きだったので一目惚れした。

 ずっと飛んでいるようだったので、翼は本物らしかった。その割にはとくに動いていなかったようだが。


「その翼、意味あるんですか?」


 短い言葉で聞いてみる。失礼だったかな。

 女性は顔をそらし、なにやらぶつぶつ言っていた。触れてほしくはないようだ。


「できればあの軽トラック止めてほしいんですけど」

「それは無理な相談ね。あなたはあれに轢き殺される運命なのよ」

「やっぱりあなたの仕業なんですね」

「あっ……と、とにかくそういうことだから、おとなしく殺されなさい」

「物騒なこと言わないでくださいよ」

「そんな……」


 女は本当に困りだした。この困り顔はツンデレにはできない顔だ。僕にはわかる。

 どじな癒し系お姉さん、という感じ。十点満点中十点だ。女神様と呼ぶことにしよう。


「で、女神様」

「ええっ。私は女神じゃないんだけど。つかまじ死ねよ。殺すぞ」


 ときどき聞こえてくる暴言も耳に心地よい。声音が怖いことを言うのに向いていないのだ。


「どうして僕が殺されなくちゃならないんです?」

「くそう、キミはもっと前の段階で死んでるはずなのに。あの神め、厄介な人間を紹介しやがって」

「なんの話ですか」

「こっちの話よ!」

「僕ももうそっち側でしょう。巻き込まれたわけですし」

「なんでそんなに冷静なのよー」

「いや、五年ぶりくらいに運が悪いなあと思ってたんですけど、女神様に会ったらぜんぶ帳消しになりました」

「口説いてるんじゃないわよ!」


 女神は頭を抱えた。

 いつの間にか僕の住んでいた町からだいぶ離れていた。警察が僕に行く先を指示しているのが聞こえる。そういう命令を聞くのは、今の僕には我慢ならなかった。放っておいてほしいものだ。

 どうせなにも効かないだろう。女神がやっていることなのだから。

 どんな壁にぶつかっても、あの軽トラックは無傷だった。銃弾もタイヤには効かなかった。止めようがないはずだ。女神の話が本当なら、僕が死ぬ以外では。そのためだけにあれは動いているものなのだから。


「僕を殺すならもっといい方法があるんじゃないですか?」

「そういうわけにもいかないの。ここは私の世界じゃないからね」

「というと?」


 ほんと、なんで落ち着いていられるんだろう。


「私はこことは別の世界の神なわけ。で、ここの神に無理言って今回この世界に入らせてもらってる。あの軽トラック以外に私の力は使えないの。あれじゃなきゃキミを殺せないの!」


 森に入った。

 軽トラックは木々をなぎ倒しながらついてくる。速度はけっこう落ちていた。

 神にもいろいろあって大変なんだなあと、そんなことをぼんやりと考える。少しお腹が空いてきた。もうお昼の時間なのかな。母さんの弁当、ぜんぶ置きっぱなしだ。僕がどうなっているのかは家族に伝わっているのだろうか。

 上空からヘリコプターの音が聞こえてくる。あれで撮影とかされてるのかな。


「まさかこんな大事になるとは……。ちょっとキミを過小評価しすぎてたみたいね」

「そうなんですか? ていうか気になってたんですけど、なぜ僕なんでしょう」

「はあ……。まあいいわ。キミが殺されるまでの時間に、話してあげる」


 森を突き抜ける直前に、段差につまづいて転んだ。その上を軽トラックが勢いよくジャンプしていった。

 立ち上がって足を動かす。


「そう、それよ」

「は?」

「キミは特別運がいいの。それはね、ステータスから言ってもそう」

「女神様には見えるんですか」

「その女神様ってのやめてほしいんだけど。まあそういうこと。私のとこの世界が悪い魔物の王に荒らされているから、そいつをやっつける戦士がほしかったのよ。だからキミを殺してこっちの世界に転生させたいの」

「ずいぶんと勝手ですね」

「神なんてどこもそういうもんでしょ。キミのとこのだって、ずいぶんひどいことしてるよ。たとえばキミのステータス、運以外は低めに設定されてるの。で、振り分けられるポイントがぎっしり溜まってるのよ」

「へえ」

「そのあり余ったポイントも、転生するときには私が自由に振り分けられるの。だからそれを使って最強の戦士になってもらって悪いやつを倒してほしいのよ。キミじゃないとだめ。お願い、殺されて」

「そう言われましてもなあ」

「私の世界の人間が今も死んでいるのよ。助けてあげたいとか思わないの!?」


 こっちの世界だって、この瞬間にもたくさんの人々が死んでいる。戦争であったり病気であったり事故であったり。

 別に助けたいとは思わないなあ。僕はあんまり他人には興味がないし。助けられもしないのに助けたい助けようなんて思い込んでむちゃくちゃなことをするよりは、こっちのほうがいくらかマシなように思える。もし本当に僕に助けられる力があったとしてもだ。

 それはそんなにひどいことだろうか?

 どうでもいいや。走っていると、本当にどうでもよくなる。難しいことは考えたくない。僕にとって僕以外のだれかのことはぜんぶ難しいことだ。まして他人の生死に関わることとなれば、善も悪も関係なくただ全力で避けるのみ。

 空が赤くなり始めた。僕はまだ走り続けていられる。もしかするとこれも神の力というやつなのかもしれない。そういえば空腹感も消えたし、眠気も襲ってこない。


「お願いだから死んでよう」


 女神はほとんど泣きそうな声で追いかけてきている。

 僕はなんだか生まれ変われた気がした。頭を空っぽにして全力疾走し続けて。このまま簡単に殺されるわけにはいかない。

 そう思っていると、いつの間にか崖にたどり着いていた。止まることができずに突っ込んでしまう。高さ十メートルはありそうな崖から海へ落っこちた。泳げもしないし、最悪だ。でも十分にがんばったほうじゃないか? 自分を褒めたくなる。

 ここまで全力でなにかを成し遂げたことなんて、十七年間の人生ではじめてのことだった。あと一ヶ月で十八年間になるところだったが、まあ、それは――。


「くぉおおらああああ勝手に死ぬんじゃないわよー!」


 ばしゃんと腹から海に叩きつけられた。激痛が走る。でも生きている。ちょっと血は吐いたが、体はぐちゃぐちゃになっていない。不思議だったが、上から軽トラックが落ちてくる気配を感じて必死に崖を登り始めた。

 無心で登り切る。下を見ると、軽トラックは崖を走っていた。おいおい。

 女神は顔を真っ赤にして僕を睨みつけている。


「キミがこの世界の力で死んだら私の世界へは連れてこれないの。私が殺さなきゃ。私の力がこもったこの軽トラックで」


 屈辱に耐えられないといった雰囲気だ。

 もしかして助けてくれたのか? などと言ったら面白い反応をしてくれそうだ。

 だけど、その前に軽トラックが崖を登り切って僕へ突進してくる。頭より先に体が動いた。


「キミはちょっと運がよすぎる! ああもう、やってしまった。いい、キミはもう普通じゃ死ねない体になったわ。この世界のあらゆる力が効かないのよ。この軽トラックと一緒。もう死ねないんだからね、キミは。この軽トラックに轢き殺されない限り! こっちも覚悟は決めたわ。キミを殺すまで絶対の絶対に追い続ける! 死にたくなったらどうぞ轢かれなさい!!」


 軽トラックを振り返ると、運転席に女神が座っていた。きっちりとシートベルトは締めていて、胸の形がくっきりとしていた。あまり意味のなさそうな翼は窮屈そうに畳まれている。

 熱いものがこみ上げてきて、思わず叫んでしまった。

 最高の感覚だった。

 こういうのがしたかったんだ、僕は。

 つまらない日常なんか投げ捨てて、少しでも体を軽くして全力で走りたかった。


「やあぁああってみるぉぉおぉおお!」

「いいぃっつぁわぬぇぇえぇえええ!」


 女神がアクセルを思い切り踏み込んだのか、軽トラックの音は高鳴った。

 どこまでも逃げ続けてやる。それが自分にはできるという確信があった。

 できなくても、途中で死んでもそれでいい。本気でやった結果なのだったら。どこかで手抜くことだけはしたくなかった。なにごとも成し遂げた記憶のない僕だが、今回だけは絶対だ。


「その翼ってちゃんと動くんですねー!」

「く、このー!」


 どうやら僕は軽トラックじゃなきゃ死なない体にされたらしい。最高の気分だ。




 今日は僕が女神に追いかけられてからちょうど百年目になるのだと、この世界の神から聞いた。

 そういえばそもそもなんで追いかけられているんだっけと聞くと、僕を殺すためだと言われた。あまり実感はわかなかった。死ぬって、なんだ? いや僕以外の人間が死んでいるのはわかるけど。僕って死ぬのか? ああ、だからこうして真っ白な軽トラックで追われているのか。

 いつからか僕らの鬼ごっこは全世界へ中継されることになって、あらゆる場所を走り回る僕と軽トラックとは世界的に有名になった。いろんな観光地がぜひ我々のところを走ってくださいなんてお願いしてきたりもした。僕の足跡なんて、同じ場所を走ってみようツアーみたいなものができたくらいだ。

 僕は走り始めて一年で水の上を走る術を身につけた。右足が沈む前に左足で海面を踏むことが可能だったのだ。死なないのだから水中を走ることもできたのだけれど、水上を走ったほうが視聴者の受けはよかった。

 世界を何週も回って、ときどき自宅に一時間ほど帰れて、ちゃんと親や兄弟の死に目にも会うことができた。そこのあたりは女神も気を使ってくれた。

 今では都会で地上を走る車といえば僕を追い回す軽トラックしかない。みんな空を飛んでいる。僕らが暴れ回るものだから、空を飛ぶ車の開発が急がれたのだ。おかげで障害物がなくなって軽トラックは悠々と走れるようになった。これまで何度も轢かれそうになったが、僕はこうしてピンピン走ってる。

 だけど、もうそろそろ死んでもいいかな、なんて思い始めてもいた。

 僕の最後の兄弟が死んだからだ。彼にも子供はいたけれど、僕は直接会ったことがない。この世界に思い残すことはもうなかった。地球の景色にも飽きてきたところだった。


「女神さん」

「なあに」

「もう、終わらせない?」

「なんでよ!」

「だってもう十分だよ。さっき神様に聞いたんだけど、今日がちょうど百年目らしいよ」

「……私にとっては一瞬よ」

「僕にとっては長い百年だった。女神さんとも仲良くなれたしさ。そろそろそっちの世界もなんとかしないとだめなんじゃない?」

「なんで、そんなこと言うの」


 前を向いて走る僕に、女神は後ろから抱き着いてくる。こういう感触を楽しめるようになるのには、百年もあれば十分だ。

 ずっと走り続けて百年。そろそろ人類は宇宙へ行くころだった。そうなれば僕は地球に取り残されることとなる。もちろん、宇宙へ行けない人もたくさんいるだろうけれど、僕にとってキリのいい頃合だった。


「やだ。キミを殺したくない」

「なにを今さら。そのために女神さんはこっちに来たんだろ」

「やだやだやだ! あのおじいちゃんと担当する世界交換してもらう!」


 こっちの世界の神が現れた。老人の姿だ。


「そうは言ってもわし、お前の世界好きくないもん。忙しそうだし。わし、そういうの嫌い」

「どうしたの本当に。私にできることならなんでも言って。ぜんぶ叶えてあげるから、つき合って」


 女神は僕に抱きついたまま泣き出した。

 悪い気はしない。とんでもない美人に好かれたのだ。そりゃ僕だって嬉しい。嬉しいけど、嬉しいだけだ。そんなのではもう満足できない体になってしまっているのだ、僕は。


「じゃあ本気で僕を殺しに来い。最近のキミはぜんぜん本気じゃないよね。だからもうつまらないんだ」

「だって、それで本当に死んじゃったら」

「僕はそれでいいんだよ。もっともあんな百年前の軽トラックになんて轢かれてやる気はないけど」


 走りながらがんばって手を後ろへやって頭を撫でる。けっこう体勢的にきつい。


「早く自分の世界へ帰るのだ、女神よ。お前の世界はお前がいないことによって大変なことになっている。そやつを殺すか、諦めるか。決断は早いほうがよい」

「でも」

「女神さん、聞いてください」


 女神を僕の前に引っ張り、だっこする。それから目をしっかりと見つめて、諭すように優しく言った。もちろん走りながら。


「僕はあなたが好きだ。殺されたいくらい。そっちは?」

「殺したいくらい、キミが好き。ぜんぶ私のものにしたいの」

「ならやってみせろ」


 本気で想っているのなら殺してみせろ。そのくらいの気持ちでなくてはもう、僕は満足がいかないのだ。

 それが軽トラックでしか死ねない体になった僕の、行き着いた先だった。

 女神を振り落とす。女神はなんとか空中でバランスを取って浮かんでいた。もう僕から顔を見るようなことはしなかった。ただ、全力で足を動かした。

 僕は彼女に殺されたいが、それは全力を出し切った上でのことだ。


「神様」

「なんじゃ」

「僕のお願い、聞いてくれますか」

「うむ。そろそろおぬしのように百年も変わらず生きている人間はどうにかせねばならなかった」

「ちょうどいい」

「だろうな」


 目の前の空間が裂けた。僕と軽トラックはそこへ突っ込む。

 ひたすら走った。あの世界から逃げ出すように、僕は走り続けた。嫌いだったのかもしれないな、あそこが。新しい場所へ行けることがとてつもなく嬉しいのだ。そこには未知が転がりまくっている。

 謎の空間から広い草原に出た。軽トラックが止まる。十二年前の、僕の兄弟の葬式以来かな。女神が運転席から出てきて、僕の横に立った。


「ここは、私の」

「そう、あなたの世界だ。広いな。ここなら思いっきり走り回れる。ビルなんかの障害物や壊しちゃいけない遺産とか木々を気にせずにね。女神さんも、そうだろ?」

「……いいのね」


 遠く離れた先に大きな城が建っていた。とりあえず、あれさえ取り除けばこのあたりは僕らの庭だ。

 そこまでの道のりには何百匹もの魔物が見えた。ということはあの城が魔物達の王の――。

 この世界には本来ないはずの音が聞こえる。軽トラックのエンジン音。僕は勢いよく走り出した。やっぱりこうでなくちゃ。アクセルべた踏みでぶっ飛ばして来い。それでこそ生きる価値があるというものだ。

 数匹の魔物が僕らに気づき、こちらへ向かってきた。

 お前らなんかに殺されてやるものか。

 久々に心が躍った。今度こそ殺されてしまうかもしれない。想像するだけで背筋がぞくぞくした。


「今日はついてるな」


 運の能力値が高いという僕が、口に出してまで喜ぶほど運のよさを実感できた日なんて、いったい何十年ぶりだろうか。

 見知らぬ大地の感触は、やけに爽快だった。

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