小豆洗い
もう歳かもしれない。
目はかすむし関節は痛む。体力の衰えも年々露骨になっていく。
特に深刻なのは目だ。
うすぼんやりと見えるだけで小さいものなどろくに輪郭も見えやしない。最近は体に力が入らなくなることも増え、商売(?)道具の小豆とそれを洗う升も取り落としてしまう始末。友人の小豆計りには笑われたし、マドンナの小豆婆には呆れられた。
さすがに、これではいけないと思いはじめた。
息子思いの目玉に聞いたのだが、人間は一昔前に視力矯正の道具を作り上げたのだとか。
自分の視力低下の主因がなにかわからないし、そもそも人間のそれが妖怪変化たる自分に通用するかもわからない。それでも、試してみて悪いことにはならないだろう。
思い立ったが吉日と、小豆洗いはその日のうちに件の店、眼鏡屋を訪れた。入ってみると中は多くの光源で煌々と照らされ、その光がケースは展示の眼鏡に反射して慣れない小豆洗いはそれこそ目が眩んでしまいそうだ。
いらっしゃいませ。小豆洗いの風貌に怯むこともなくすかさず店員が声をかけた。注文ですか、受け取りですか。
なにもかもが不慣れで、人間と話すことなど殆ど初めてである小豆洗いは、声は小さく説明はたどたどしく、微笑みながら辛抱強く聞いてくれる店員に申し訳なくなり、もう帰ろうかとすら思ってしまう。
しかしそこは店員の優秀さか。すかさずイスをすすめ今度は店員の質問攻めで、押しの弱い小豆洗いは帰るに帰れなくなってしまった。
結局はそれがよかったのだろう。店員の聞き出し方がよかったのかもしれない。小豆洗いは見事に用を成し、いくつかの検査を終え住み慣れた山中に帰ってきた。人間界の通貨など持ってはいないが、なに、化け狸に頼めばどうとでもなろう。
近頃の不調と今日の気疲れでもうクタクタだ。本職の小豆を洗うのもそこそこに、小豆洗いは床についた。
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今小豆洗いの手には丸みをおびた長方形の物体がある。表面は深い藍色ので光沢があるが、触れてみても見た目のような冷たさはない。
眼鏡ケースである。
小豆洗いの一大冒険の末の戦利品にして目的のブツである。
なんとなく、無意味に緊張しながらケースを開ける。どこから開けるのかわかるまでに戸惑い、小さなツメがよく見えずにまた戸惑った。
ケースを開けるとそこには当然眼鏡があった。
琥珀色で濃淡のついた大きな縁の、分厚いレンズの大きな眼鏡だ。一般で言う老眼鏡なのだが、小豆洗いにその判別は難しいだろう。
ともかく眼鏡に手を伸ばす。ツルを耳にかけパットを鼻に乗せる。なんとなく閉じていた目を、ゆっくり開く。
そして目を見張った。
今まではっきり見えなかったものが実にくっきり見える。そうだそういえば自分はこんな手足をしていた。こんな所に住んでいた。
視力の悪化が急なものではなかったせいで気付かなかったが、自分はこんなにも目が悪くなっていたのか。
などと変に感心している場合ではない。
せっかく視界がクリアになったのだから、と小豆洗いはいそいそと升を用意した。やはり、小豆を洗ってこその小豆洗いだ。
小豆を入れていたお櫃を開けて、そこで小豆洗いは愕然とした。震える手を差し入れ豆を掬い上げる。がくがくと震える声で呟いた。
大豆だ。
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