聖なる幼女と異世界へ
「異世界って、ほんとにあるんだ……」
俺は、真っ白な雲の中みたいな空間で、間抜けな感想を言っていた。
『あるのよ。だから、いろいろややこしくてね』
目の前には女神様。
刺激的なコスチュームの美女だ。
正面に立たれると目のやり場に困る。
『異世界の神から、どうしてもと頼まれて、あっちで聖女として活躍できる人間を探したら、この子だったのよ』
俺は、さっきから手をつなぎっぱなしの幼女を見下ろす。
可愛い顔でキョトンとしていた。
五歳くらいの女の子って、どれくらい話を理解できるんだろう?
「事情はなんとなくわかりましたけど、なんで俺も一緒なんですか?」
『小さい子だから通訳兼お世話係が必要なの』
「なんで男の俺に……」
場合によっては変質者に疑われかねない案件である。
『一瞬で移動させないと、辻褄合わせが難しくなるから、やむを得ずあなたに来てもらったの。
悪いけど、やってもらえない?』
まあ、姉が帰省した時に子供の世話を押し付けられるので、それなりに慣れてはいるけれども。
「確認しますけど、ちゃんと元の世界に戻してもらえるんですね?」
『もちろんよ! あくまで、別の世界に私の世界の人間を一時派遣するだけなの。
この世界の女神である私が、責任もって戻します』
「時間のズレは?」
『大丈夫、あなたが変質者にも誘拐犯にも間違われないよう、こっちの世界ではほぼ、何も起こらなかったように調整するから』
女神様は必死だ。
神様にもいろいろ事情があるのかもしれない。
だが、聖女の仕事をさせられる幼女にも訊いてみないと。
「あのね、ナナちゃん。
この女神様がね、ナナちゃんにお願いがあるんだって」
「おねがい?」
「うん、困っている人たちがいて、ナナちゃんに助けてほしいんだ」
「女神様とは、もうお話ししたよ」
「え?」
『そうそう、言い忘れていたわね。
彼女とは聖なる力を介して、直接交信……テレパシーと言うのかしら?
そんな感じで意思疎通が出来るのよ。
聖女の仕事をすることの同意はもらっているわ』
「なるほど……じゃあ通訳というのは?」
「現地の人とナナの仲介ね」
ああ、そういうことか。
「おにいちゃん、よろしくおねがいです!」
ナナちゃん、もうじき五歳はニッコリ笑顔で力強く言った。
事の始まりは、ついさっき。
地元スーパーでアルバイトをしている俺は、店の裏で品出し後のダンボールを片付けていた。
そこへ、別の棚を担当していた陽子さんがカートにダンボールを積んで戻って来る。
「陽子さん、ついでなんで俺ダンボールやっときますから」
「いいの? 助かります、ありがとう」
「いえいえ」
陽子さんは店長の娘さんだ。
可愛い系美人で朗らか。よく動き回って働く、感じのいい人だ。
最近、離婚して出戻って来たらしいが詳しいことは知らない。
パートのおばちゃんに聞けば教えてくれるけれど、対価に俺の情報も根掘り葉掘り聞かれるので無理。
今のところ、素敵なお姉さんが職場の仲間になって嬉しい、くらいな間柄である。
とりあえず、今日はいい感じに話せたので、彼女のいない俺はご機嫌だった。
そう、ちょっと年上の彼女は実にタイプなのである。
畳んでまとめたダンボールを集積場に置き、店内に戻ろうとしたとき、近くに車の停まる気配がした。
しばらくすると、保育園児が一人、こっちに向かって走って来た。
「こら、ナナちゃん、走らないのよ」
すぐ後ろから保育士さんが追いかける。
保育園の送迎バスが来る時間帯だったらしい。
「お帰り、ナナちゃん」
「おにいちゃん、ただいま~」
「あ、こんにちは」
店のお客さんでもある保育士さんは、顔見知りだ。
「ご苦労様です。あとは俺が引き受けますから」
「はい、よろしくお願いします」
保育園バスの停車場所はすぐそこなので、ナナちゃんの母である陽子さんが待っていないときは、保育士さんが連れてきてくれることがある。
活発な子なので、じっとさせておくより、その方が安全だろう。
ナナちゃんが手を差し出すので素直につなぎ、店の中に入りかけたところで視界が真っ白になった。
気が付けば雲の中、というのが現在の状況だ。
『じゃあ、よろしく頼むわね!』
女神様の声と共に、俺とナナちゃんは雲から落っこちた。
危ないと思って彼女を抱き上げたが、意外にもふわりと軟着陸。
「おお! 異世界から聖女様がいらしてくださった!」
丘の上に建てられた石積みの祭壇の上に、俺たちは降り立っていた。
周囲には老若あれど女性ばかりが集まっている。
さっき声を上げた老婆が、よっこらせと祭壇の上まで上がって来た。
「聖女様! 降臨いただき、感謝申し上げます。
儂は、この聖なる丘を預かる長老の婆じゃ。
……ん? お主は何者じゃ?」
婆様の声がとがる。
もしかして、この丘は男子禁制とか?
まさか、いきなり殺されたりはしないよな?
女神様、俺が何か失敗してもフォローしてくれるかな。
「……俺は、聖女様の従者です。
この通り、聖女様はまだ幼いので、お一人では言葉を理解されるのも難しいだろうという、神様のご配慮なのです」
「おお、神様の! そうか、ご配慮くださったのか。
ありがたいことじゃ」
良かった、男子禁制でいきなりバッサリは無さそうだ。
「それで、聖女様はここで何を成せばいいのか、教えていただけますか?」
「この国は瘴気に侵されておる。
見ての通り、男手は全て魔物狩りにとられてしもうた。
今のところ、なんとか前線は維持していると聞くが、余裕が全くないのじゃ。
このままでは遠からず……」
なるほど、婆様の説明はわかりやすい。
「聖女様にはここで祈りを捧げていただきたい。
ここで祈れば、国の中にある他のポイントに力が広がっていき、国全体を浄化することが出来るはず」
「どのくらい時間がかかるか、わかりますか?」
「いや、それは……
大昔の記録によれば、当時、異世界より来てくださった聖女様が浄化に成功したとあるが、細かいことは……」
ふーむ。ここまで来たら変に考えて立ち止まっても仕方ない。
ナナちゃんが祈れば、何が起こるのかやってみるしかないだろう。
俺の脚にピタッとくっついたままのナナちゃんは、自分の水筒で水分補給をしていた。賢い。
「ナナちゃん、大丈夫? お腹空いてない?」
「保育園でおやつ食べたから、へいき」
「そっか。今からここで、ちょっとお祈りしてみてくれる?」
女神様は、お祈りの仕方も直接教えてあると言っていた。
「お空も風も、はい色だね」
ナナちゃんは周囲を見回して言った。
どうやら、彼女の目には空気の色が見えているらしい。
俺には、空の雲が厚過ぎて空気が重苦しいことぐらいしか感じられない。
ナナちゃんは祭壇の真ん中までトコトコ歩くと、両腕を上げ空に向かって祈った。
「お空はあおく、雲はしろ。
風はとうめい、草はみどり、お花は色とりどり。
ウサギさんは元気にはねまわれ!」
すると、ナナちゃんの背中の通園リュックについていたマスコットのウサギが、ぴょーんと空高く跳ね上がった。
そして六匹に分裂し、六つの方向へ飛んで行く。
「六方向……副祭壇のあるポイントに散らばったのじゃな」
婆様がつぶやく。
しばらくして、ウサギたちが一斉に戻ってきた。
ところが元は白ウサギだったはずが、帰ってみれば真っ黒ウサギ。
黒ウサギは一匹ずつ、ナナちゃんの手のひらに乗る。
彼女がふーっと息を吹きかけると、あっという間に真っ白に戻って、また六方向へ散って行った。
それを繰り返すこと五回。
戻ってくるウサギは少しずつ色が薄くなっていった。
黒から濃い灰色、やがて薄い灰色に。
そして、ほとんど白いままで帰ってきたあと、六方向から狼煙が上がる。
「おお、浄化が済んだ合図の狼煙が上がった!
聖女様、ありがとうございます。
この国は浄化されました」
婆様が跪くと、周囲にいた女性たちも次々と従った。
何か言った方がいいのかな、と思っているうちに、上から光が下りてくる。
まるでUFOに吸い上げられてるみたいに上昇していく俺たち。
異世界の女性たちが頭を上げないうちに、俺とナナちゃんは空へと消えた。
俺は心底ほっとした。
滞在時間は三時間弱か。
頭の隅にあった余計な心配が消えた。
トイレとか食物アレルギーとか、いろいろ。
『ありがとう、ナナ!
やっぱり、あなたの力は凄かったわね』
俺たちは、さっきの雲の中に戻っていた。
役に立てたことが嬉しかったのか、ナナちゃんは女神様に笑顔を見せている。
『お礼をするわ。何か欲しいものとか、して欲しいこととかあるかしら?』
ナナちゃんは考えていた。
それから、ちらっと俺を見たが口は閉じたまま。
どうやらテレパシーでお願いを伝えたらしい。
『わかったわ。ナナのお願いをかなえましょう。
ところで、あなたも付き添いをしてくれてありがとう。
あなたへのお礼は何がいいかしら?』
女神様は俺に向かって微笑む。
お礼と言われても、特に危険もなかったし、ナナちゃんを見守っていただけだ。
途中からは婆様が気を利かせて敷物を持ってこさせたから、ウサギを待ってる間はそこで遊んでいただけだし。
しりとりとか、手遊びとか。
まさか、子守を押し付けてきた姉に感謝する日が来るとは。
うーん、ぱっと思いつくものはない。
今のところ特に欲しいものは無いし、悩み……は就職先について全然ピンとくるものが見つからないことか?
スーパーの仕事は案外やりがいを感じるが、今の店は正社員の募集はないしな。
大学出してもらって、地元スーパーのアルバイトというわけにもいかないしな~
『あなたも若いなりに、いろいろ悩んでいるのね。
あまり細かく介入するのは駄目だから……
そうねえ、あなたの幸運値を上げましょうか。
何かとお得よ。それでいいかしら?』
「幸運値?
もしかして、願いが叶いやすくなったりするやつですか?」
『ええ。そして、アクシデントで困るようなことが減るわ』
「ぜひ、それでお願いします」
『わかったわ。元の世界に戻ったら、そうなるようにしておくわね。
二人とも、今日は本当にありがとう』
そして、気が付けば店の裏。
陽子さんが出てくる。
「あら、今日はバス、少し早かった?
田中さん、ナナを引き受けてくれたのね。ありがとうございます」
「ああ、いいえ。たまたま、ここにいたので、ね?」
「ね!」
ナナちゃんに笑いかけると、彼女はウインクで返す。なかなかやりおる。
「あらまあ、そんなに仲良しだったの?」
「ママ、おにいちゃんとナナ、仲良しだからおたんじょうかい来てもらっていい?」
「ええ、もちろんよ。
あら、でも田中さんの都合が悪くなければですけど」
「いつですか? ……ああ、その日なら空いています。
お誕生会って、保育園のお友達とかを呼ぶような?」
「いいえ。
うちはスーパーですし、誰を呼んで誰を呼ばなかった、っていうのも良くないので、家族だけなんです」
「そんな席にお邪魔しても?」
「主役のナナが望むので、もし差し支えなければ」
「ぜひ、伺います」
二週間後に開かれたパーティーは、近くにある店長の家が会場だった。
孫かわいさプラス商店同士のお付き合いのため、特上握りやら洋風オードブルやらが並び、とても豪華。
ケーキはまさかの三段重ねである。
「このケーキ、特注ですか?」
「ああ、ケーキ屋の店主は同級生なんだ。
孫の誕生日だと言ったら、是非、三段重ねを作らせてくれと言われて」
どうやら、近々親戚の目出度い席で三段重ねを出してほしいと頼まれており、その練習をしたかったのだとか。
さすがにお値段は、最初注文する予定だった一段分だった。
俺からのプレゼントは、陽子さんに相談してウサギのぬいぐるみにした。
通園リュックにウサギをつけているところからして、ナナちゃんはやっぱりウサギ好き。
彼女が抱きしめるのにちょうどいいサイズのものを、おもちゃ屋さんやネットショップで探して見つけた。
食事を終えたナナちゃんは、そいつをぎゅっと抱きしめていたので気に入ってくれたようだ。
「ちょっと、いいか?」
「はい」
パーティーがお開きになって、片付けを手伝おうかとしていたら、店長に声をかけられた。
「田中さん、お客様に片付けは頼めないわ。
座ってコーヒーでも飲んでてくださいな」
と、陽子さんにも追い払われてしまっている。
リビングの立派なソファに落ち着くと、店長が切り出してくる。
「就職先は決まったか?」
「いえ、まだです」
「もしよかったら、うちの店の正社員、考えてみないか?」
「え? 正社員の募集するんですか?」
「予定にはなかったんだが、ここらで家族以外にしっかり相談し合える人間を入れるのもいいかと思ってな。
お前は、どの仕事を頼んでも真面目にやってくれるし、俺の目から見て、この仕事が向いてるというか、好きでやっているようにみえるんだ」
「はい、好きですね」
正直、大手スーパーの正社員なら、特別なりたいとは思わない。
たぶん俺は、地元のこのスーパーの仕事だから好きなのだ。
住み慣れた場所にあって、見知った人たちが行き来して。
ここだからこそ、働きたいと思う。
「じゃあ、そういうことで、いいか?」
「よろしくお願いします」
正社員内定で家族を安心させた俺は、その後、バイトを続けながら資格の勉強も始めた。
陽子さんは商業高校を出ているので、相談に乗ってもらっている。
もちろん、表には出さないが下心はある。
出来れば少しでもお近づきになりたい。誓って健全な下心だ。
だが、しばらくは忙しくてそれどころではない。
やがて無事、大学を卒業。
するとファミレスでちょっとお祝いしましょう、と陽子さんから誘われた。
「実はね、ナナがどうしてもお祝いしたいって言うのよ」
「それは嬉しいなあ。ありがとうございます」
聖女ナナちゃんは何を考えているのだろう?
もちろん、俺は素直に嬉しかった。
当日、陽子さんがドリンクバーに行ってる間に、ナナちゃんに直接聞いてみた。
「ナナちゃん、お祝いしてくれてありがとう。
でも、なんでそんなに気にかけてくれるの?」
「あのね、女神様に『聖女のお仕事、次もしてくれる?』ってきかれたから、おにいちゃんといっしょならいいよって、おへんじした」
「え?」
「そうしたら女神様が、おにいちゃんはママのこと好きみたいだから、おうえんしてあげたらって。
でも、ママを泣かすパパならいらないよ」
「ああ、うん?」
ちょっと待って。
女神様が俺の心の中を把握しているのは仕方ないとしても、なんでナナちゃんにリークしてんの?
それに、こんな若造に一足飛びにパパってどうよ?
結果的に陽子さんに近づけているのかもしれないが、突っ込みどころ満載な感じか?
いや、俺の覚悟の問題か?
そんなふうに心中で葛藤していると、急に景色が変わった。
真っ白な雲の中だ。
『お久しぶり~! 元気だったかしら? 元気そうだわね。
ナナ、悪いけどまた聖女のお仕事してもらえる?』
「いいよ。フーコもがんばる」
フーコとは、俺が誕生日に贈ったウサギのぬいぐるみだ。
ナナちゃんのリュックに入っていたはずだが、いつの間にか彼女が広げた手の上に乗って、イッチニッサンシと準備運動をしている。
『おにいちゃんも元気そうで何より。
あなたへのお礼は、さらに幸運値を上げておくから、よろしくね!』
「女神様……俺の同意は必要ないんですね」
『聖女が一番だから、ごめんなさいねぇ』
大人しく従っていれば幸運値は上がり、陽子さんと恋人になれる可能性も高まるのだが、これでいいのだろうか?
いや、悩んでいてもしょうがないな。
たぶん、俺には選択肢はなく、ただただ前に進むのみ。
「行くよ! おにいちゃん」
「うん。あ、ちょっとナナちゃん、いきなり走り出したら危ないってば!」
ここまで関わったら、しょうがない。
一人で行かせるわけにいかないし、出来ることをやるだけだ。
『よろしくね~!』
女神様の朗らかな声を少しだけ恨めしく思いながら、俺たちは今回も雲から落っこちていくのであった。




