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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「品川心中【上・下】」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2026/01/08


落語声劇「品川心中(しながわしんじゅう)【上・下】」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:品川心中・上:約30分

     品川心中・上・下通し:約50分


必要演者数:最低4名

      (0:0:4)

      (4:0:0)

      (3:1:0)【性別準拠人数比率】

      (2:2:0)

      (1:3:0)

      (0:4:0)


※当台本を「下」の部分だけ上演するのはおやめください。

あくまで、「上」のみ、もしくは「上」「下」通しで上演するかのどちら

かで願います。



※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


お染(そめ):江戸四宿(えどししゅく)のひとつ、品川宿(しながわしゅく)で長年トップである「板頭(いたがしら)」を

   張ってきたが、年齢とともに客がつかなくなる。それでいてプライ

   ドが高いから周りから笑われるのに耐えられず、手ごろな相手とし

   て金蔵(きんぞう)を選んで共に心中(しんじゅう)しようとするが…。


金蔵(きんぞう):貸本屋(かしほんや)。お染(そめ)には、人間はおっちょこちょいで、

   大飯(おおめし)喰(ぐ)らいでスケベで、身寄(みよ)りも無くて一人もんで、人間はボーっ

   としてて無駄だから死んだって誰も困らない、いちばん障(さわ)りがない

   などとまあひどい言われようである。


親分(おやぶん):金蔵(きんぞう)が日ごろ世話(せわ)になっている親分(おやぶん)。

   遊女(ゆうじょ)のお染(そめ)に手ひどい目にあったと聞かされ、仕返しの計画を練(ね)る

   。


若い衆(しゅ):品川宿(しながわしゅく)の従業員。

    どんなに年配(ねんぱい)であっても、こういう所では若い衆(しゅ)と呼ばれる。


留公(とめこう):親方(おやかた)のところに世話(せわ)になっている男。

   親方(おやかた)の立てた復讐(ふくしゅう)の筋書(すじが)きで金蔵(きんぞう)の弟という触(ふ)れ込みで品川宿(しながわしゅく)へ。


辰公(たつこう):親分(おやぶん)の家に集まって世間様(せけんさま)に顔向けできないような事…博打(ばくち)をして

   いた連中の一人。

   金蔵(きんぞう)の来訪をお上(かみ)の手が入ったと勘違いし、親分(おやぶん)の身体を使って

   梁(はり)の上へ一気に逃げ上(のぼ)った猿みたいな男。ふんどしはきちんと

   締(し)めとけ。


熊公(くまこう):親分(おやぶん)の家に集まって世間様(せけんさま)に顔向けできないような事…博打(ばくち)をして

   いた連中の一人。お上(かみ)(金蔵)の来訪に慌(あわ)てて、ぬかみそ桶(おけ)に突っ

   込んだ。


源兵衛(げんべえ):親分(おやぶん)の家に集まって世間様(せけんさま)に顔向けできないような事…博打(ばくち)をして

    いた連中の一人。お上(かみ)(金蔵)の来訪に慌(あわ)てて、ネズミ要(い)らずに

    突っ込んだら、鼻先に佃煮(つくだに)があったので食べたあげく、親分(おやぶん)に

    茶を要求する図々しい男。


弥太郎(やたろう):侍(さむらい)。博打(ばくち)の場に居合(いあ)わせる。割(わり)と臆病者(おくびょうもの)。

    フルネームは本間弥太郎(ほんまやたろう)。


遊女:お染(そめ)と同じ品川宿(しながわしゅく)で客を取っている後輩遊女。


男1:品川宿(しながわしゅく)に来たお客その1。


男2:品川宿(しながわしゅく)に来たお客その2。


語り:雰囲気を大事に。



●配役例


お染・遊女1:

金蔵・男1・熊公・弥太郎:

親方・男2・若い衆:

留公・辰公・源兵衛・語り:



※枕は誰かが適宜(てきぎ)兼(か)ねてください。



枕:江戸で廓(くるわ)と言いますと、これは基本的に吉原(よしわら)を指します。

  それ以外にも、現代で申します所の風俗的なお店はあちこちにあった

  んですが、それらは岡場所(おかばしょ)と言われておりました。

  その中で特に非公認ながらも目(め)こぼしされていた所というのが、

  奥州(おうしゅう)・日光(にっこう)・中山(なかやま)・甲州(こうしゅう)・東海(とうかい)の五街道(ごかいどう)の起点(きてん)となる、日本橋から見

  て入口にあたる宿場(しゅくば)にあった、通称・江戸四宿(えどししゅく)と呼ばれる千住(せんじゅ)・板橋(いたばし)

  ・内藤(ないとう)・品川(しながわ)の宿場町(しゅくばまち)に、飯盛女(めしもりおんな)という名前で活動する遊女(ゆうじょ)がいまし

  た。


語り:吉原(よしわら)の一番の遊女・花魁(おいらん)を指して「お職(しょく)」と言いますが、江戸四宿(えどししゅく)

   では名前を板に描いて稼(かせ)ぎの良い順に並べて掛けた事から、板頭(いたがしら)

   と呼びます。

   品川宿(しながわしゅく)の妓楼(ぎろう)、白木屋(しらきや)の遊女、お染(そめ)。

   長年にわたって板頭(いたがしら)を張ってきた彼女だったが、人間誰しもそうであ

   るように、寄る年波(としは)には勝てない。

   稼(かせ)ぎが年々減り、ついにはこないだまで新造(しんぞ)だった娘にも抜かれ、

   衣替(ころもが)えである紋日(もんび)に着物も用意できない。

   他の娘たちはみんな移り替(か)えができているというのに、自分だけいつ

   までも同じ格好(かっこう)をしていると冷やかしに来たお客にもすぐに分かって

   しまうわけで。


男1:おう見ねえ、ええ?

   板頭(いたがしら)だのなんだのと言ったって、いまだに移り替(か)えが出来(でき)てやしね

   えよ。


男2:ああ、女ってのは年を取るってえと、どうにもしょうがねえなあ。


語り:なんてんで聞こえよがしに言われてしまう。

   おまけに今まで鼻であしらっていた後輩の遊女や若い衆(しゅ)、彼らにも

   ひそひそ陰で言われる始末(しまつ)。


遊女:なんだい、事あるごとに姐(あね)さん風(かぜ)を吹かしてたってのにさ。

   まだ移り替(か)えもできてないってのかい?


若い衆:馴染(なじ)みという馴染(なじ)みに手紙出してるみたいだけど、なしのつぶて

    らしいよ。


遊女:はん、気位(きぐらい)ばっかり一丁前(いっちょうまえ)で、あたしらを邪険(じゃけん)にした報(むく)いが

   来たのさ。


若い衆:ほんとだな。

    ざまあみやがれってんだね。


お染:【つぶやく】……ッッ…!

   …こんな…こんな口惜(くや)しい思いをするくらいなら、いっその事…!


語り:ご婦人のしっぺ返しほどキツイものはございません。

   口惜(くや)しくて口惜(くや)しくてしょうがないお染(そめ)。

   口惜(くや)しい思いをするくらいなら死んじまおう、だけどただ死んだら

   、あの女は移り替(か)えが出来ないから死んだ、なんて言われて馬鹿に

   されるだろうから、体裁(ていさい)が悪くって耐えられない。

   …死んだら体裁(ていさい)もへったくれも無いと思うんですが。

   誰かいい相手を見つけて一緒に心中(しんじゅう)してもらおう、そう思い立って

   馴染(なじ)み帳(ちょう)を片手に心中(しんじゅう)相手の選定(せんてい)に入ります。


お染:だれがいいかしらねえ、なかなかいないよね…。

   神田(かんだ)のタケさんは…女房に子供二人もいるんじゃ気の毒だね…。

   徳さんは…跡取(あとと)りの一人息子じゃ親が嘆(なげ)くだろうし…しゃあない

   ね…。誰かいないかしら…本人たちはたいそう無駄なのにさ。

   誰か無駄な人…あ!いた。

   貸本屋(かしほんや)の金造(きんぞう)、金(きん)さん。この人いいね。

   人間はおっちょこちょいで、大飯(おおめし)喰(ぐ)らいでスケベで、身寄(みよ)りも無く

   て一人もんで、ボーっとしちゃってる無駄な人間なんだしさ。

   死んだって誰も困らないんだから、いちばん障(さわ)りがないよ。

   これに決めた!


語り:決められた奴はいいツラの皮です。

   一身上(いっしんじょう)の相談があるからぜひ来てもらいたいという手紙を受け取っ

   て、金蔵(きんぞう)は舞い上がって急いで金を工面(くめん)し、宙を飛ぶようにして

   すっ飛んできた。


金蔵:へへへ、惚(ほ)れた女からの手紙…とくりゃあ、何が何でも来なきゃな

   んねえってもんだ。

   にしても隣はうるせえな…。

   …そこをそうやっちゃ嫌だァ…!?

   ううぅ冗談じゃねえよ、静かにしろィ…!

   !…お、上がってくる音がするよ…来たんだねぇ。

   へへへ…悪く言っちゃあいけねえや。

   嫌な客を無理矢理回されて、それ済まして来たって事だろうしよ。

   おう、待ってた、よ…?


お染:金(きん)さん、来てくれたんだね…。


金蔵:おいおいどうしたんだよ?

   畳(たたみ)のケバむしって、浮かない顔しちゃってさ。

   相談があるって言うから来たんだよ?

   なのにそうやって顎(あご)を懐(ふところ)に埋めて、ぼんやりしちゃって口もきかね

   ぇ、そういうのは相談とは言わねえだろ。


お染:そりゃね、あたしだって相談しようと思って金さんに来てもらった

   んだけどね、お前さんの顔を見た途端(とたん)にあ、この相談はダメだな、

   ってそう諦(あきら)めちゃったんだよ…。


金蔵:なんだいそりゃ、え?話もしねえうちに諦(あきら)めるなよ。

   言ってみなよ。どんな相談なんだよ?


お染:だってさ……お金がいるんだもの。


金蔵:銭(ぜに)なら銭(ぜに)って言ったらいいじゃねえか。

   金(きん)さん、これこれこういうわけでもって百文(ひゃくもん)いるとか、二百文(にひゃくもん)とか

   三百文(さんびゃくもん)いるとか、はっきり言ってみねえな。


お染:四十両(しじゅうりょう)いるんだけどね。


金蔵:ぇ、そらァダメだよ…。

   四十両(しじゅうりょう)なんてそんな大金、俺ァできねえや。


お染:それごらんなさい。

   だからあたし諦(あきら)めちゃったんだよ。

   四十両(しじゅうりょう)ないとあたしね、移り替(か)えができないんだよ。

   だったらいっその事、死んじまおうと思ってさ。


金蔵:えっし、死ぬ…!?


お染:【後半から最後らへんは演技泣き】

   なにも死ぬのに人に言うことは無いんだけどもね、けどお前さんと

   年(ねん)が明けたら一緒になろうと、口には出さなかったけれど、あたし

   は勝手(かって)に腹の中でそう思ってたからね。

   せめてお前さんだけにはこの事を打ち明けて、それで死のうと思っ

   てわざわざ来てもらったんだけどさ…本当に長いこと、お世話(せわ)にな

   りました。

   それでね、あたしがあの世に逝(い)った後も、あぁあの女も不憫(ふびん)

   だったなと時々でいいから思い出して、お線香(せんこう)の一本でもあげて

   ほしいんだよ。

   本当に今までありがとうね…。


金蔵:お、おぉいおい止(よ)しねえ。

   死ぬなんてこと考えちゃいけねえ。

   死んだってつまんねえじゃねえか。

   いいじゃねえか、移り替(か)えなんぞ出来なくたって。


お染:そうはいかないんだよ。

   若いのに鼻で笑われて馬鹿にされてさ、こんな口惜(くや)しい思いをする

   ならいっその事、本当に死んじまおうと思ってるんだ。

   だからどうしても死ぬんだよ。

   本当に、今までお世話になりました…。


金蔵:いや待てよおい!止(よ)しなよ、死ぬなんて。


お染:嫌だよ、もうあたし耐えられないんだよ!


金蔵:う、うぅう…弱っちゃったなァ…ええ…止(よ)しなって…。


   ~~しょうがねえな…どうしても死ぬのかい?


お染:そうだよ、もう生きてる甲斐(かい)がないんだ。

   だから、お世話(せわ)になりました。


金蔵:だから待てって!~~弱ったね……じゃあこうしよう!

   俺も一緒に死のうじゃねえか。


お染:えっ!?お前さん一緒に死んでくれるのかい?


金蔵:ああ、何の役にも立たねえと思われてる自覚はあるからよ。

   銭(ぜに)の事はどうにもならねえから、死ぬんだったら一緒に死んでやる

   よ。


お染:まあお前さん……ほんとかい?


金蔵:ほんとだよ!


お染:嬉しいじゃないか…嘘じゃない?


金蔵:嘘じゃないよ!ほんとにほんとだよ!


お染:それじゃ…今夜死んでくれる?


金蔵:こ、今夜?

   これァまた話は急だね…。

   けど俺だってね、また色々と用が残ってるんだよ。

   あの世行っちゃうと戻って来られないからね。

   だからこうしよう。

   今夜はここに泊まってね、明日早くに家へ帰るんだ。

   で、色々と後始末(あとしまつ)を済ましちゃっておいて晩にここへ来て、それか

   ら死んだって遅くはねえだろ。  


お染:まあお前さん、そんなこと言ってさ…嘘じゃないのかい?


金蔵:嘘じゃないよ!おめえまた嫌に疑(うたぐ)るね。


お染:まあ、やっぱりあたしの見込んだ金(きん)さんだけあるよ。

   この世では寄り添(そ)えなかったけど、あの世で所帯(しょたい)を持とうよ。   


金蔵:おおよ、この世なんざしょうがねえもんだ。

   あの世行ったらよ、蓮(はす)の葉っぱの上で所帯(しょたい)を持とうじゃねえか。


語り:まるでアマガエルみたいですな。

   さあお染(そめ)、せっかく見つけた心中(しんじゅう)の相手、後で心変わりされちゃ

   大変だってんで、普段なら袖(そで)にしていたこの金蔵(きんぞう)、それはそれは

   もうお大尽(だいじん)でも扱(あつか)うみたいに優しく、丁寧に、大事に大事にもて

   なしちゃったもんですから、あの世に行く前に極楽浄土に来たよう

   な心持(こころも)ち。

   カラスカアで夜が明けて表(おもて)に出ると、お天道(てんと)様の色が黄色に見える

   。


お染:じゃ、お前さん、今晩待ってるからね。


金蔵:わ、分かってるよ…へへへ…。


   俺ァ、あの女の為なら命はいらねえやァ…。


語り:フラフラになりながら、まるで女郎買(じょろうか)いの決死隊みたいなのが

   できあがってしまった。家(うち)へ帰ると道具屋を呼んで、所帯道具(しょたいどうぐ)を

   二束三文(にそくさんもん)で売り飛ばし、わずかばかりの銭(ぜに)を懐(ふところ)に入れますとほうぼ

   うへ暇乞(いとまごい)いに出かけます。

   安い匕首(あいくち)と、二人の死に装束(しょうぞく)ってんで白無垢(しろむく)を用意したのはいいが

   、お染(そめのぶんは用意できたんですが、金蔵(きんぞう)の分はというと銭(ぜに)が足り

   なかったもんだから、腰から下がない。

   まあまあこれでもなんとかなるだろうてんで、いちばん終(しま)いにやっ

   て参りましたのは、普段から世話(せわ)になっている土地の親分(おやぶん)のところ

   。


金蔵:うぅん…親分(おやぶん)のところに暇乞(いとまご)いに来たのはいいけど、どうも表(おもて)から

   じゃ入りづれぇ…裏に回るか…。


   【声が裏返る】

   こんちわァ!

   こんちはァ!


親分:誰だァ?カラスみてえな声出しやがって。

   こっちへ入ってこいよ!


   おぉ?なんでェ、金蔵(きんぞう)じゃねえか。


金蔵:はいぃ金蔵(きんぞう)でございます!

   あっしは金蔵(きんぞう)でございますゥ!

   …台所にあるのは雑巾(ぞうきん)で。


親分:何を言ってやんでェ。

   相変わらず呑気(のんき)な野郎だよ。こっちへ上がんな。

   来る時はうるせえくらいよく来るけど、来ねえ時はパタッと鼻の頭

   も見せねえんだからよ。

   で、どうしたんだ?


金蔵:へ、へい、実は…あの、暇乞(いとまご)いに上がったんでござんす。


親分:なに、暇乞(いとまご)いだァ?

   あんまりいい事じゃねえな、え?

   どっか旅にでも行くのか?


金蔵:へ、へい、そうなんでござんす。


親分:止(よ)しなよおい。

   何があったか知らねえけどな、旅なんぞに行ったって不自由で

   しょうがねえよ?

   独(ひと)り者(もん)なんだ。なんかあった時に困るぞ。


金蔵:いえ、どうしても行かなくちゃならないんで。


親分:何があったか知らねえが、俺んとこにいな。

   若(わけ)え者(もん)ならいくらでもいるんだから、なに一つ心配することはねえ

   んだ。止(よ)しねえ、旅なんぞいくのは。


金蔵:い、いえ、本当に、どうしても行かなくちゃならないんで。


親分:ふーむ…そんなに言うんならしょうがねえが…

   だいいちおめえ、どこへ行くんだ?

   行先(いきさき)だけでも言っていきな。


金蔵:え、あ、その、なんていうか…なんですかね…あれ…あの、西方(さいほう)な

   んて言いますから、ずっと西のほうなんで…。


親分:西のほう?

   上方(かみがた)か?


金蔵:いえ、そんな所じゃねえんです。

   もっと、ずっと先で…十万億土(じゅうまんおくど)というか…。


親分:なに言ってんだおめえは。

   そんな遠くへ行っちゃしょうがねえじゃねえか。

   で、いつごろ帰ってくるんだ?


金蔵:え、あ、その…お盆の十三日には…。


親分:?妙なこと言ってやんな。

   そういやこないだ、ちょいと脇(わき)で聞いたんだが、おめえ品川(しながわ)のお染(そめ)

   って女に首ったけだそうじゃねえか。

   止(よ)しなよ。あれァ大変な女だ。おめえなんて何とも思われてねえん

   だ。もしやその事でなんか大変な間違(まちが)いでも起こしたんじゃねえの

   か?


金蔵:!い、いぃえ、そうじゃねえんです。

   と、とにかく色々お世話になりまして、どうもありがとうございま

   した。


親分:【↑の語尾に食い気味に】

   おぉいおいちょっと待ちねェ。まだ話はすんでねえから。

   待ちな、待ちなって!

   おい、誰かいねえか!?金蔵(きんぞう)の様子(ようす)がおかしいから捕まえろ!


留公:親分、水甕(みずがめ)の上にこんなもんがありやした。


親分:なに、こりゃ匕首(あいくち)じゃねえか。

   さてはあの野郎、ケンカかなんかしやがったな。


留公:どうしやす?追っかけてって渡しましょうか?


親分:あぁいいんだいいんだ、そんなもんうっちゃっちまいな!


語り:いっぽう、捕まっちゃ大変だってんで急いで逃げだした金蔵(きんぞう)、

   あちこち歩いて日が暮れるのを待って、品川(しながわ)へやってきた。


お染:ああ金(きん)さん、良かった…お前さんが来なかったらどうしようと思っ

   て、あたし朝から心配してたんだよ。よく来てくれたね。

   さささ、こっちへ入っておくれ。


金蔵:大丈夫だよ、こう見えたって俺ァ男なんだからな。いったんこうと

   決めたら、何が何でも約束を守るんだからな。本当だよ?こう見え

   立って俺ァ男だ。俺は男なんだ。


お染:分かってるよ、もう、何度も言わなくたっていいんだよ。

   でもよかった。本当に来てくれて嬉しいよ。

   ねえお前さん、どうせ今夜はこの世の別れなんだからね、ひとつ

   派手(はで)にやってもらいたいんだよ。

   お前さんいっつもくるたんびに空豆(そらまめ)で呑(の)んでばかりいるだろ?

   だからたまには一つ、派手(はで)にやって欲しいんだ。

   なんか取っておくれよ。


金蔵:おうおぅ、いいよ、何でも好きなもの頼みな。

   酒だって何だってかまわねえから、じゃんじゃん頼めばいいんだ。


お染:まぁお前さん、急に頼もしくなっちゃったじゃないか。

   お足(あし)ができたのかい?


金蔵:いぃや、銭(ぜに)なんかできないよ。


お染:じゃあダメじゃないか。


金蔵:いいんだよ。どうせあの世に行っちゃうんだから。

   あの世まで勘定(かんじょう)を取りに来れやしねえんだ、大丈夫だよ。


お染:それもそうだね、じゃ、そうしようかしら。


語り:なんてんで呑気(のんき)な連中があるもので、二人は色んなものを次々注文

   、金蔵(きんぞう)は呑(の)み納め食い納(おさ)めだと思うから呑(の)んじゃあ食い、呑(の)んじゃ

   あ食い。

   普段しみったれな男が大台(おおだい)なんか頼んだりしたもんだから、

   詰(つ)め込み過ぎて動く事が出来ない。人間の了見(りょうけん)てのは、

   こういう所で分かるものです。

   しょうがないから金蔵(きんぞう)をいったん寝かしつけて、お染(そめ)は他のお客様

   を何人か回しております。というのは、これは時が経(た)つのを待って

   いるというわけでして、大引(おおび)け過(す)ぎ、今で言うところのちょうど

   午前二時になります。この頃になるとさすがにどこも大戸(おおど)を閉めて

   明かりを落としてしまいます。寂(さび)しくなって人足(ひとあし)が途絶(とだ)えてくる。

   品川(しながわ)だからざーーっと海からの音が聞こえてくるだけになるわけで

   。

   お染(そめ)は素足(すあし)になると自分の座敷(ざしき)へ戻って参ります。


金蔵:【高いびきをかいて寝こけている】


お染:【ちょっと嫌そうな顔してのぞき込んでいる】

   まあこの人は…鼻から提灯(ちょうちん)出したり引っ込めたりして、よく寝てる

   じゃないか。あたしなんてゆうべはまんじりともしなかったっての

   に…とても寝られるもんじゃないよ。 

   それに今夜この人のよく呑(の)んだこと食べたこと…。

   よっぽど人間が呑気(のんき)にできてんだね。

   馬鹿馬鹿しいけど他にいないから死んでやるんだ。ありがたいと

   思ってほしいもんだよ。

   さ、ぐずぐずしてちゃいけないね。人が来るといけないから早いと

   こ…

   【声を落として】

   ちょっと、ちょっと金(きん)さん、起きとくれよ。

   ちょっと金(きん)さん、金(きん)さん…!


金蔵:うっ、うぅん、うぅ、も、もう食えねえ…!


お染:まだ食べる気でいるよこの人は。

   食べるんじゃないよ、起きとくれよ。

   もうだいぶ遅くなってるんだから、早くしないといけないよ。

   人が来たら大変なんだから。


金蔵:ぅ、わ、わ、分かってるよ…。

   おめえはいつもそうなんだからな…、

   金(きん)さん、もう遅いよ。お天道(てんと)さんは真上(まうえ)に来ちゃってるから、

   早く帰らなくちゃダメだよってんで慌てて表(おもて)に飛び出すと、

   お空がまだ真っ暗で星が出てるんだ。

   しょうがねえからって家に帰ろうとすると、途中で犬に吠(ほ)えられて

   ひどい目にあったりしてんだから、たまにはゆっくり寝かしてくれ

   。それから帰るんだからよ。


お染:帰る…!?

   お前さん何かい?帰るってのかい!?


金蔵:帰る気かいったってしょうがねえじゃねえか。

   銭(ぜに)がねえんだから居続(いつづ)けなんぞできやしねえだろ。


お染:~~何を言ってるんだい…!

   帰られてたまるかい!

   お前さん、死ぬんだろ!


金蔵:えぇ!?俺が!?どうして!?


お染:どうしてじゃないよ!

   あたしと一緒に死ぬんだろ!


金蔵:…!あぁ、そうだ!そうだった…!

   そうだったよ…!俺、忘れちまってた…!


お染:忘れちまったらいけないじゃないか!

   ほら、人が来ないうちに早く死ななくちゃダメだよ!


金蔵:っそ、そうだ、死のう!早く死のう!


お染:うん、そうしよう!


金蔵:さあ、早く殺せ!


お染:なに言ってんだよ、お前さん一人で死んだってしょうがないじゃな

   いか!一緒に死ぬんだから、何か死ぬ物を持って来たかい?


金蔵:おう、抜かりはねえよ。

   まずその風呂敷(ふろしき)から白無垢(しろむく)出してくれ。


お染:まあお前さん、そんな趣向(しゅこう)を用意してくれてたんだね。

   嬉しいねえ…って、【噴きだす】

   お前さんのこれ、なんだい?腰から下がないじゃないか。


金蔵:いいんだよ、都合(つごう)につきお取り払いてやつだ。

   人間どっから腐るか分かったもんじゃねえ。

   このほうがサバサバしてていいやな。


お染:それで、死ぬ物はどこにあるんだい?


金蔵:?風呂敷(ふろしき)の中に匕首(あいくち)が入ってるはずだ。それ出してくれ。


お染:匕首(あいくち)?…そんなもの入ってないよ。


金蔵:えっない…?嘘(うそ)言うなよ。


お染:ほんとにないんだよ。


金蔵:おかしいな……?

   !あっ、いけねえ…!

   親分(おやぶん)のとこに暇乞(いとまご)いに行った時に、バレちゃいけねえと思って

   水甕(みずがめ)のとこに置いたまんま忘れてきたんだ…!


お染:何やってんだい、しょうがないね。

   まあ、お前さんが持って来るとは言っていたけど、あたしの方でも

   二丁(にちょう)研(と)いで用意しておいたから、金(きん)ちゃん、これ。


金蔵:え?なんだい?


お染:剃刀(かみそり)だよ。

   さ、お前さん一丁(いっちょう)持っとくれ。あたしも一丁(いっちょう)持って、ひのふのみで

   お互いにスッと喉(のど)を斬るんだ。


金蔵:!?ぁ危ない危ないッ!

   止(よ)しなよ止(よ)しな!ダメだダメだ!

   危ねえよ!


お染:何がダメなんだい?

   死ぬんだからしょうがないじゃないか。


金蔵:俺ァ剃刀(かみそり)負けするんだ。

   それに刃(は)の薄いもので切ると、後で医者が治療(ちりょう)しにくい。


お染:…それじゃあお前さん、ハナっから死ぬ気じゃなかったんだね?

   あたしを騙(だま)したんだね!?

   いいよ、あたしが先に死ぬ代わりに、お前さんだって三日と経(た)たない

   うちに取り殺してやるんだからね…!


金蔵:っちょっおっあっ危ないっ危ねえじゃねえか!

   ッ!【剃刀を取り上げる】

   冗談じゃねえやな、こんなものを振り回さなくたって、針一本だっ

   てやりようで死ねるんだよ。お部屋行って、もめん針を十本借りて

   来いよ。


お染:針なんか借りてどうするんだい?


金蔵:二人で足を結(ゆ)わえといて、脈(みゃく)どころを針でちょいちょい突っつくん

   だ。夜が明けるまでにどっちか片(かた)が付く。


お染:バカなこと言ってるんじゃないよ。

   霜焼(しもや)けの血を取るんじゃないんだからさ。

   いいから剃刀(かみそり)持ってーー


金蔵:っだ、だからよ、そういうのは怖いよ?

   後で見つかったところで、首から血を出してこんなんなってたらさ

   、さまが良くないよ。死にざまが良くない。

   もっと見た目のいいやつにしようじゃねえか。


お染:っ~~それなら一緒に裏へおいで。


金蔵:裏?いやいやいや、裏ってと木かい?

   首ィくくろうってのかい?

   嫌だよォ、死にざまが良くねえよゥ。

   鼻水二本たらしてだらーんとぶら下がっちゃうんだろ?

   俺ァぶら下がったものが嫌いなんだよ。

   だからおめえ、ひのふのみで息を止めちゃおうじゃねえか。


お染:苦しくなったらどうすんのさ?


金蔵:苦しくなったら少しずつ息したらいい。


お染:【間髪入れずに】

   なに言ってんだい!

   剃刀(かみそり)もダメ、首くくるのもダメってんなら、海に飛び込むんだよ。


金蔵:海?海ダメなんだよゥ、ここんところ俺ァ風邪気味(かぜぎみ)だからさ。


お染:今から死ぬのに風邪(かぜ)なんか関係ないだろ!

   ほら、早くおいでよ!


語り:こういう場合は女の方が達者(たっしゃ)な場合があるもので、嫌がる金蔵(きんぞう)の手

   を引っ張り、騙(だま)し騙(だま)し裏庭へ連れ出します。

   空は雨模様(あまもよう)でどんよりと大粒(おおつぶ)の雨が降って来ようという有様(ありさま)。

   裏は海でございますから垣根(かきね)がそびえ、木戸(きど)に錠前(じょうまえ)がおりている。

   お染(そめ)がこれに手ぬぐいを巻いてぐっと捩(ね)じりますと潮風(しおかぜ)の為に腐っ

   ていたものと見え、ぱきっと鍵が取れた。

   ばたーんと木戸(きど)が開くとばぁーっと潮風(しおかぜ)が吹きこんで参ります。


お染:さ、早く、早く!


金蔵:おぉいおい押すなよ、押すなって!

   真っ暗で何が何だかよく分からねえよ、どうなってんだ、どうなっ

   てんだよ?


お染:大丈夫だから、早く!

   人が来るといけないから早く行きなさいよ!


金蔵:行きなったって押しちゃダメだよわかんねえんだから!


お染:大丈夫だよ!桟橋(さんばし)は長いんだからさ!


金蔵:さ、桟橋(さんばし)が長いったって、命は短(みじけ)えよ…!


お染:掛け合いしてるんじゃないんだよ!

   早く早く、早く行っておくれ!


金蔵:ちょちょっと、押すなてんだよ!

   …なんだよ、あそこに人魂(ひとだま)がふわふわ飛んでるじゃねえか…!

   お迎(むか)え火(び)じゃねえのか…!?


お染:どこに…って人魂(ひとだま)じゃないよあれは。

   沖(おき)で海老(えび)をとる船の灯(あか)りだよ。


金蔵:な、何がなんだか、どうしていいんだかよくわからねえ

   ーーっておい、水があるよ!


お染:水があるからいいんじゃないか!今から飛び込むんだから!


金蔵:ぉ俺泳げねえんだよ!


お染:なに言ってんだい!

   死ぬのに泳げなくたっていいだろ!


金蔵:だ、だってよ…!


若い衆:ぇーお染(そめ)さんーーー!ぇーーお染(そめ)さんーーーー!


お染:!!いけない、気づかれたよ!


語り:いつまでもぐずぐずぐずぐず言う金蔵(きんぞう)、度胸(どきょう)がないもんだから

   つま先で立ってガタガタガタガタ震えてる。

   これは自分から飛び込みそうにないと業(ごう)を煮(に)やしたお染(そめ)、ついに

   強硬手段(きょうこうしゅだん)に及びます。


お染:金(きん)さん、一足先(ひとあしさき)に行っとくれ!ッッ!!


金蔵:あッーーーー!!


語り:腰をどんっと押されたもんだから堪(たま)らない。

   金蔵(きんぞう)ひょろひょろっとよろけると、もんどりをきってだばーんっと

   水に落ちた。


お染:金(きん)さん、今あたしも行くからねーーッ!


若い衆:ッとっとっ!!おっ待ちな!待ちなってんだよ!!

    バカな真似(まね)は止(よ)しねえ!


お染:あッ!?は、放しとくれ!放しとくれよ!ね、後生(ごしょう)だから!

   放しとくれよ!ね!?


若い衆:っじょ、冗談じゃねえよ!

    ッ放すもんか!こうなったら放さねえ!


お染:頼むから!ねえ!死ななきゃならないわけがあるんだよ!


若い衆:分かってるよ!死ななきゃならねえわけってのはアレだろ!

    移り替えができねえからってんだろ!?

    だからってな、むやみやたらに死のうとするんじゃねえよ!


お染:するんじゃないよったってさ、これじゃあたしは死に損(そこ)なってしま

   うじゃないか…!

   後生(ごしょう)だから死なしておくれってのに、なぜ止めるんだい?


若い衆:なぜ止めるって、止めなきゃそのまま死んじまうだろうが!

    あれだろ、金ができねえから死のうってんだろ?

    その金ができたんだよ!


お染:!?えっ!?お金ができた!?

   ど、どうして…!?


若い衆:山の御前(ごぜん)が持ってきてくれたんだよ!

    お前さん、四十両(しじゅうりょう)を無心(むしん)したんだろ?

    五十両(ごじゅうりょう)持ってお見えになって、遅くなってすまない、当人に渡し

    て喜ばしてやろうっておっしゃって、二階でお待ちになってるん

    だよ!

    それで部屋行ったら剃刀(かみそり)が放り出してあるから、てっきりこんな

    事じゃねえかと思って飛んできたんだ!滅多(めった)な事するもんじゃね

    え!

    あぁ間(ま)に合って良かった。


お染:そ、そうなのかい…?

   お金ができりゃ、あたしだって死にたくはないんだけどもね。

   もう少し早く来てくれりゃよかったのに…一人やっちゃったんだよ

   …。


若い衆:えっ、やっちゃった…!?…誰だい?


お染:貸本屋(かしほんや)の金(きん)さん。


若い衆:金(きん)さん…ぁ~金蔵(きんぞう)ですか。バカ金(きん)。

    …金蔵(きんぞう)なら、ようがす。


お染:けどあたしが突き飛ばして入れちゃったんだからね…長年の馴染(なじ)み

   なんだからうっちゃっとくわけにもいかないよ。


   金(きん)さんあのね、死ななくてもいいようになったから、上がってきて

   ちょうだい。

   …ちょいと、金(きん)ちゃん、上がってきておくれよ。

   世話(せわ)焼かせないでさ。


若い衆:どこにも見えやしないよ。

    やっこさん、もう流れちゃっていやしねえ。鮫(さめ)かなんかに喰われ

    ちまったんだ。


お染:いないかねえ…

   身上(しんしょう)も軽けりゃ身も軽いって…なんだか、おからか寒天(かんてん)

   みたいな人だねえ…。


若い衆:金蔵(きんぞう)の事なら黙っとくから、とりあえず急いでくれるかい。

    御前(ごぜん)が待ちくたびれちまうよ。 


お染:分かってるよ。

   でもこのままだとちょいと寝ざめが悪いから、手の一つでも合わせ

   てから行くよ。

   心配しなくてももう飛び込んだりしないから。

   だからお前さんすまないけど先に行ってね、いまお染(そめ)が支度(したく)して

   参りますからって、お酒出して御前(ごぜん)の相手しといてくれるかい。


若い衆:ようがす。


お染:ちょいと、ちょいと金(きん)さん、どうしたんだよお前さん。

   やだねえ、いきなり飛び込んじゃうんだもの…あたし驚いちゃった

   よ。

   あのね、あたしね、死ぬつもりだったんだけども、いまお金ができ

   たっていうんだよ。お金ができたってなると、まだまだしなきゃな

   んない事がたくさんあるんだよ。

   だからすまないけれど、一足先に逝(い)っててくれるかい。

   でも人間生身(にんげんなまみ)だからね、そのうちあたしも必ず逝(い)くし、あの世で

   いずれお目にかかりますから。

   じゃ、あたしもう行くからね、色々とお世話になりました。

   さよなら失礼。


語り:世の中にこんな失礼な事はありゃしません。

   さて金蔵(きんぞう)はというと、真っ暗な海に放り出されてしかも泳げないも

   んだから、アップアップガブガブ水をずいぶん飲んでもうだいぶ

   苦しい有様(ありさま)。


金蔵:【溺れかけてる】

   うっがぼがぼっ、ぶくぶくがぼがぼっ、うっくく苦しいっ、

   しっ死ぬっ、がぼぼっ、!な、なんかにさわったぞ、ッッ!


   っぶはぁっ、はあっ、はあっ!

   あ、あれ…?立てた…?


語り:桟橋(さんばし)の杭(くい)にさわった金蔵(きんぞう)、こいつだけは離すまいとしっかり掴(つか)まっ

   て足を伸ばすってと、ご案内の通り品川(しながわ)てのは遠浅(とおあさ)ですから、

   腰から下までしかない。

   そんな浅いところで横になって溺(おぼ)れていたわけですからしょうが

   ない。

   立ち上がるってと元結(もっとい)は切れてザンバラ髪(がみ)、額のところを貝殻(かいがら)で

   切ったのか、そこから滴(したた)った血が白い着物にヘドロと一緒にへばり

   ついてる。ほっぺたがムズムズするからつまんでみるとカニが歩い

   てるし、おまけに鼻の頭には船虫(ふなむし)が這(は)っている。

   何のことは無い、お台場(だいば)の石垣(いしがき)みたいな顔になってる有様(ありさま)。


金蔵:へっくしょい!!

   な、なんだ?鼻からダボハゼが出て来やがったよ。

   っちくしょうちくしょう、こんな事ってあるかい!

   悔(くや)しいったらねえや。

   戻って文句(もんく)の一つでも言いてえけど、あんなに飲み食いしちまって

   ちゃ、いざ勘定(かんじょう)はと言われたら引っ込みがつかなくなっちまう。

   恥(はじ)の上塗(うわぬ)りだよ…。

   しょうがねえ、家(うち)に帰…れねえや。所帯(しょたい)たたんじまったんだった…

   。弱ったなあ…。

   …親分(おやぶん)とこ行こ。


語り:途方(とほう)に暮(く)れた金蔵(きんぞう)、よろよろと親分(おやぶん)の家(うち)へ歩き出します。

   途中で駕籠屋(かごや)に「お化けだァーーーッ」と驚かれて逃げられたり、

   あっちの野良犬(のらいぬ)こっちの野良犬(のらいぬ)にワンワンワンワン追っかけまわさ

   れて、まるで犬の町内送(ちょうないおく)りみたいな目にあいながらも、なんとか

   たどり着いた。

   ちょうど家(うち)の中では若い者が7、8人集まって博打(ばくち)、ガラッポンの

   真(ま)っ最中(さいちゅう)。


親分:おう、おぅおぅお前ら、犬が鳴いてるぞ、静かにしろ。

   俺たちゃいま、親孝行してるんじゃねえんだ。人に見られちゃ具合(ぐあい)

   の悪い事をしてんだ。


金蔵:【ダンダンダンダン戸を叩く】


留公:いけねえ、お上(かみ)の手が入ったァ!


親分:【抑えて叫ぶ感じ】

   バカっ静かにしろ!

   ろうそく踏(ふ)んづけるな!行燈(あんどん)蹴倒(けたお)すんじゃねえ!

   火事でも起こしたらどうするんだ!

   人付き合いが三代(さんだい)できなくなるぞ!

   静かにーーってえ!何しやがるんだいてえな!

   膝(ひざ)から肩(かた)駆(か)け上がって頭ァ踏(ふ)んづけやがった!

   落ち着けってんだよ!家主(いえぬし)だ、大家(おおや)だよ!

   ってあッ、場代(ばだい)をかっさらってった野郎がいるぞ!達者(たっしゃ)な野郎だな!


   大家(おおや)さんじゃありませんか!?いま開けますんで!

   静かにしろよ…!


   【戸を開けながら】

   いま開けますんで!へへ、別に悪さしてたわけじゃねえんで。

   今日は少しばかり残りの勘定(かんじょう)があったんでーー


金蔵:【↑の語尾に食い気味に】

   こんばんわ、親分(おやぶん)……。


親分:【幽霊みたいな外見にちょっとビビっている】

   …っお、おいっ、誰かちょっと来いィ!

   っなっなっ、何だてめェは!?

   張(は)っ倒(たお)されてえかこんちきしょう!

   な、なにもんだ!


金蔵:き、金蔵(きんぞう)でござんす…。


親分:なにをゥ!?


金蔵:金蔵(きんぞう)でござんす…。


親分:金蔵(きんぞう)ォ?ほんとに金蔵(きんぞう)かァ!?

   ちょっと足を見せろ足を…。

   【生きた金蔵とわかって安心する】

   ッちきしょッこの野郎!おどかすなィ!

   てめぇな、昼間うちに来た時に匕首(あいくち)忘れてったろ!

   女とでも一緒に死のうなんてしてるんじゃねえかって、心配してた

   んだぞ!


金蔵:へい、端(はな)のうちはそのつもりだったんですが、

   品川(しながわ)で心中(しんじゅう)しそこないました…。


親分:はぁ~あバカ野郎、

   つまりなにか、女だけ殺しててめえばかり助かったってんだろ?


金蔵:そうじゃねえんです…。

   助かったのは女だけで、こっちは殺されそうになりやした…。


親分:はあ?どういうこった?


金蔵:死にそうになったのはあっしだけで、女はまるっきり飛び込まねえ

   んで。


親方:ったくしょうがねえ野郎だな。

   とにかくそこピタっと閉めて、こっちへ入(へえ)れ。

   あとを閉めろ。…ったく、静かに叩きゃいいものを、場(ば)も何も壊れ

   ちまっただろうが。


   おうい、みんな出てきな。


留公:へっ、親分(おやぶん)、大丈夫なんで?


親分:ああ、別にな、お上(かみ)の手が入ったわけじゃねえ。

   金蔵(きんぞう)の野郎がな、女と馬鹿して帰(けえ)って来たんだ。


留公:なあんだ、じゃあ別にどってこたァねえですね。


親分:おう、心配はいらねえよ。だからお前ら、出てこい。

   ?出てこいってんだよ。


   しかしこのせめえ家(うち)にあれだけいたのが、よくまあどっかへ隠れち

   まうもんだ。

   見ろ金蔵(きんぞう)、おめえが脅(おど)かしたもんだから、みんなどっかいなくなっ

   ちまった…って待ちな待ちな!そんな格好(かっこう)で上がられてたまるか。

   おぉい留公(とめこう)、すすぎを持ってこい!


   ?誰だそのネズミ要(い)らずの中に首つっ込んでんのは。源(げん)さんじ

   ゃねえか。


源兵衛:す、すまない親分(おやぶん)。

    慌(あわ)てて中に突っ込んじゃったら、鼻先に佃煮(つくだに)があったんでいただ

    いてます。あの、喉(のど)が渇(かわ)いたんでお茶ください。


親分:お茶あ?張り倒すぞこの野郎。


   …?なんだ?顔に何か当たってるな…ってふんどしか!?

   梁(はり)にしがみついてんのは…辰公(たつこう)じゃねえか。

   しかし汚ねえケツだな。ふんどしを固く締(し)めろってんだよ。

   けどどうやってそこまで上がったんだ…って、さてはおめえだな

   ?俺の膝(ひざ)から肩(かた)ァ駆(か)け上がって頭ァ踏(ふ)んづけやがったのは!

   ほんとにしょうがねえな。早く降りてこいよ!


辰公:そ、それが、安心したら動けねえんで…。


親分:なに言ってやがる。誰かはしご持ってきてやれ!

   誰だそっちで唸(うな)ってんのは?

   おいおいおいおい、梅吉(うめきち)じゃねえか。

   へっついの焚(た)き口(ぐち)ン中(なか)に首突っ込んでやがる。

   誰か出してやれ。


留公:へい。

   そら梅公(うめこう)、引っ張るぞーー


親分:おぉぃおいダメだダメだ!ただ引っ張ったって出るわけねえだろ!

   そいつの頭の鉢(はち)はな、肩幅(かたはば)より広いんだ。物のはずみでスポっと

   入って中で膨(ふく)らんだんだろ。

   留公(とめこう)、上の釜(かま)どかしてな、上から出してやれ。

   肩の方が狭(せま)いんだからな。


留公:っじゃあ、こうですかね…?


親分:っだから引っ張ったらダメだって言ってるじゃねえか!

   へっついが壊れちまうだろうが!

   そいつの頭は壊してもいいけど、へっついは壊すんじゃねえ!

   梅公(うめこう)の頭でおまんまは焚(た)けねえだろ!

   【匂いを嗅いで】

   ?なんだ、さっきからやけに臭(くさ)いぞ。

   っおいおい熊公(くまこう)じゃねえか。どうしたんだ?


熊公:す、すまねえ親分(おやぶん)、ぬかみそ桶(おけ)の中に突っ込んじまった。

   それに、落っこった時に「金(きん)」をぶつけて…取れちまった。


親分:なにィ?おいおい大丈夫なのか?


熊公:親分(おやぶん)、俺ァもう長いことねえ…だからカミさんに俺の急所を形見(かたみ)に

   渡してもらいてえんで…。


親分:バカなこと言ってんじゃねえ。で、その取れちまったのはどこだ。


熊公:こ、これなんで…。


親分:…おめえな、こりゃナスの古漬(ふるづ)けじゃねえか!


熊公:あっ、ナス!?これナスかい!?

   【自分のをまさぐって】

   あぁッ、ははは…ありました!付いてました!


親分:何を言ってやがる!

   ホントにバカだな。

   【匂いを嗅いで】

   なんか他にも臭(くせ)え匂(にお)いがするぞ。


留公:親分(おやぶん)、与太郎(よたろう)の奴がはばかりに落っこったんで!


親分:おいおい、しょうがねえな与太(よた)の奴は…粗忽(そこつ)にもほどがあるだろ。

   留公(とめこう)、おめえ引き上げてやれ!

   ったく、どいつもこいつも意気地(いくじ)がねえやな。

   しかし、本間弥太郎(ほんまやたろう)さんなんざさすがに侍(さむらい)だ。

   あすこにピタっと座って動かねえや。さすがに度胸(どきょう)があるね!


弥太郎:いや、実は拙者(せっしゃ)、腰が抜けております。



※【時間がない場合、「上」だけで終わる場合はここで切る】

語り:ご存知(ぞんじ)、品川心中(しながわしんじゅう)の「上(じょう)」でございました。




語り:ああでもないこうでもないとやっているうちに金蔵(きんぞう)、どうも心持(こころも)ち

   が悪くなってきたというので、その日はそのまま寝かせた。

   翌日になると多少は顔色がマシになりまして、親分(おやぶん)の前へ出てきま

   す。


親分:おう金蔵(きんぞう)、具合(ぐあい)はどうだ。


金蔵:はい、その、どうも親分(おやぶん)、いろいろとありがとうございました。


親分:いや、ありがてえのはいいけどよ、起きて大丈夫なのか?


金蔵:へい、さっき、お粥(かゆ)を炊(た)いていただきまして、そいつを食ってなん

   とか、少しは力が付きました。もう大丈夫でござんす。


親分:そうか。

   いや、昨日はおめえは寝ちまうし、わけも聞かなかったんだが、

   一体どうしたんだ?


金蔵:へい、実は品川宿(しながわしゅく)のお染(そめ)に心中(しんじゅう)を持ち掛けられて、あっしもその気

   になってあと一歩のとこまでいったんです。


親分:はぁ~んなこったろうと思ったぜ。

   だから俺があんなに意見をしてやったんだ。

   間抜(まぬ)けな奴だよ。

   で、そのお染(そめ)は飛び込んだのか?


金蔵:それが飛び込まねえんで。

   何しろ親分(おやぶん)、桟橋(さんばし)に出た時なんてのはあたりは真っ暗(くら)、向こうに

   人魂(ひとだま)みてえなものがふわふわふわふわしてる。

   それ見てなんだか心細(こころぼそ)くなりましてね、あれは人魂(ひとだま)かって聞いたら

   、そうじゃない、沖(おき)の方で海老(えび)を獲(と)る灯(あか)りだって言うんです。

   その時あっしはふと思ったんです。


親分:何を考えたんだ?


金蔵:…あの船で獲(と)れた海老(えび)を天ぷらで揚(あ)げて食ったらうめえだろうな…

   って。


親分:今から死のうとしてたってのに食い意地(いじ)の張った野郎だなこいつは

   。


金蔵:そのうちにお染(そめ)がだしぬけに、腰をばーんっと後ろから突き飛ばし

   やがった。

   あっ、と思ったらもう海の中へ落ちてしまって、もうガバガバガバ

   ガバ苦しいのなんのって。

   もうたまらなくなって何とか立ったら…あすこは深さが腰から下ま

   でしかねえんです。

   

親分:そりゃ品川(しながわ)は遠浅(とおあさ)だからな。


金蔵:そのうちにお染(そめ)のやつ、金ができたとかなんとかなって、

   色々とお世話(せわ)になりました、さよなら失礼て言ってさっさと上がっ

   てっちまいやがったんです。

   あっしはもう悔(くや)しいやら腹が立つやらでね、飛び上がってお染(そめ)を

   引っぱたいてやろうかと思ったんです。


親分:そうすりゃよかったじゃねえか。


金蔵:でもね、そんなこと言ったって、こっちは宵(よい)に遊んだ勘定(かんじょう)が払えな

   いんで。悔(くや)しいけど我慢して親分(おやぶん)のとこへ来たんです。


親分:そうか。

   しかしまぁ女郎(じょろう)てものは、昔から客を騙(だま)すのが商売だとは言うが、

   そいつは少し悪(あく)ど過ぎるな。

   おめぇ悔(くや)しいか。


金蔵:へい、悔(くや)しくってしょうがねえんで。


親分:そういやおめぇ、お染(そめ)に起請(きしょう)をもらったとか言ってなかったか?


金蔵:えぇもうね、あっしァ肌身離(はだみはな)さずね、これだけはもう命から二番目

   だと思って大事に持ってたんで。


親分:けっ、命から二番目ったっておめぇ、そんな事になったんなら

   しょうがねえじゃねえか。


金蔵:へえ、今じゃ百文(ひゃくもん)の値打(ねう)ちもありゃしねえんで。

   【起請文を眺めて】

   ちぇっ、バカにしやがって…こんなものいらねえや。

   …親分(おやぶん)にあげますよ。


親分:バカ野郎、俺がもらったってしょうがねえじゃねえか。

   ふーむ……【何か思いつく】

   そうだ、おい、その起請文(きしょうもん)こっちへよこしな。

   俺が預かっといてやる。

   それでおめえ、悔(くや)しいだろうから俺が仕返(しかえ)ししてやろう。


金蔵:えっ、親分(おやぶん)が仕返(しかえ)しして下さるんで?

   こりゃあありがてえ。

   親分(おやぶん)がいりゃ百人力(ひゃくにんりき)だよ。

   さっそく品川(しながわ)にーー


親分:おぉいおい、ちょいと待ちな!

   俺に考えがあるんだ。

   そうだな、大引(おおび)けちょっと前あたりがいいだろう。

   おめえ、まだ色が青ざめて何となく影が薄いから、そのまんまで

   行ってな、お染(そめ)はいるかいと聞くんだ。

   いつもみてえにはしゃいだりなんかしちゃいけねえ。

   なるべくこう、陰気(いんき)に持ちかけるんだ。

   

金蔵:なるほど、陰気(いんき)に。


親分:で、いるって言うに違いないから、さっさと二階へ上がっちまうん

   だ。もしお染(そめ)が出てきたら、必ずわけを聞かれるだろうから、

   「実は俺はいっぺん死んだんだが、また生き返った。おめえの事が

   心配でしょうがねえから訪(たず)ねてきたんだが、おめえは変わりなかっ

   たか?」となるべく情(じょう)があるように言うんだ。


金蔵:毒づいたりとかしたらいけねえんで?


親分:そりゃまだあとの話だ。

   お染(そめ)もきまりが悪いだろうから、今夜はゆっくり遊んでおいでとか

   言って酒とか出されるかもしれねえ。けどそいつを吞(の)んで陽気(ようき)になっちまっ

   ちゃいけねえぞ。

   「どうも心持(こころも)ちが悪いから、寝かしてくれ。」てな、お引(ひ)けになっ

   たら…そうだな、俺一人じゃいけねえな。

   おぅい留公(とめこう)!ちょいと来な!


留公:へい、なんでござんすか親分(おやぶん)。


親分:おう、そこに座りな。

   おめえも今までの話は聞いてたろ。

   それでな、おめえは金蔵(きんぞう)の弟ってことにして向こうへ行くんだ。


留公:あっしが金公(きんこう)の弟ってことにするんですか。

   わかりやした。


親分:ああ、あまり口数(くちかず)をきいちゃいけねえぞ。

   いいか、「兄貴に死なれてまことに物悲(ものがな)しい。」とふさぎ込んでり

   ゃいいんだ。

   で、「実はおらァ昨日、夜網(よあみ)に行って、網を打ったら引っかかった

   ものがある。たぐり寄せてみると土左衛門(どざえもん)だったから、上げてみる

   と兄貴の金蔵(きんぞう)だからびっくりした。他のものは何にもねえが、

   起請文(きしょうもん)だけがへそのところにぴったりくっついていた。

   よほどおめえに気を残して死んだに違(ちげ)えねえ。」とこう言え。


留公:ふんふん、なるほど。


親分:で、今夜はお通夜(つや)だ。他のどんな者の回向(えこう)よりもおめえが来て、

   線香の一本も上げてやりゃ、当人がどんなに喜ぶか知れねえ。

   だからたとえ一時(いっとき)でもいいから暇(ひま)をもらって、金蔵(きんぞう)のお通夜(つや)に

   ちょいと顔出しをしてもらいてえ、と俺が言う。

   向こうは笑うだろうよ。そんなこと言ったって金(きん)さんは今、うちに

   遊びに来てる、とな。

   そこで俺たちは、そんなことはねえ、俺たち二人はお通夜(つや)の途中で

   抜け出してここに来てるんだと返してやる。

   そこでお染(そめ)が金蔵(きんぞう)、おめえの寝てるとこに案内しようとするだろう

   から、うまく姿を消すんだ。


金蔵:うまく、ってどこに隠れりゃいいんで?


親分:戸棚(とだな)の中でも衝立(ついたて)の影でもいいから、とにかく見つからねえように

   しとくんだ。

   それでお染(そめ)が布団(ふとん)をまくろうとするだろうから、その前に留公(とめこう)、

   おめえに俺がさっきの位牌(いはい)を出せと言うから、おめえが懐(ふところ)に手を

   入れて、「おかしい、確かにここに持っていたんだが、位牌(いはい)が無く

   なった」と言うんだ。

   金蔵(きんぞう)、位牌(いはい)はおめえに渡しとくから、隠れる前に布団(ふとん)の中に残して

   おかなくちゃダメだぞ、いいな?


金蔵:わ、わかった、親分(おやぶん)。


親分:で、いざ布団(ふとん)をまくったら中に、無くなったはずの位牌(いはい)があるって

   寸法(すんぽう)だ。お染(そめ)は肝(きも)をつぶすだろうから、今度は留公(とめこう)、おめえが

   「無くなったはずの位牌(いはい)がここにあるって事は、兄貴が先に会いに

   来たに違(ちげ)えねえ。いったいどういうわけで死んだのか、そのわけを

   話してくれ」と言うんだ。


留公:わかりやした。けどお染(そめ)が素直(すなお)に話しますかね?


親分:さすがにこの期(ご)に及んで嘘は言わねえだろうよ。

   それ聞いたら俺が、そりゃいけねえ、そんな事しておめえだけのめのめ

   めここで商売してるんじゃ、金蔵(きんぞう)が恨(うら)むのも無理(むり)はねえ、

   おめえは遠からず取り殺されるに違(ちげ)えねえ、とでも言ってやりゃあ

   さすがに怖くなって、どうしたら勘弁(かんべん)して浮かんでくれるか聞いて

   くるはずだ。

   そこで、おめえの緑の黒髪(くろかみ)を根元(ねもと)からぶつりと切って、いくらでも

   いいから回向料(えこうりょう)出して、お坊さんにありがたいお経(きょう)でも上げてもら

   ったら、ことによると浮かばれるかもしれねえと言ってやる。 

   そうすりゃ必ずいう通りにするだろうから、受け取ったら俺が金蔵(きんぞう)

   、おめえを呼ぶからあとは三人で散々お染に毒(どく)づいてから引き上げ

   てこようってわけだ。

   

金蔵:はぁぁこりゃなるほど!ようがすねえ!

   あっしはよっぽど殴ってやりてえと思ったんだが、そんな事するよ

   りよほど身に染(し)みて堪(こた)えるってもんだ。

   じゃあ親分(おやぶん)、ひとつよろしくお願いします!


親分:おう、だけどな、あんまりそう威勢(いせい)が良くなっちまっちゃいけねえ

   ぞ。顔色の青い、今のまんまの方がいいんだ。

   なるたけしょんぼりして行けよ。


語り:三人はすっかり手はずを整えてその晩、金蔵(きんぞう)は大引(おおび)け前にやってき

   ました。店の若い衆(しゅ)はもうじきにお引(ひ)けだってんで、生あくびを

   かみ殺して眠気をこらえている。


若い衆:ふあぁ~~っ、なにしろ夜が更(ふ)けてくるてえと…う、うわッ!?

    び、びっくりした…えッ!?金蔵(きんぞう)さんじゃねえかい?


金蔵:…お染(おそめ)は、いるかい…?


若い衆:えっ?ええ…いますよ、お染(そめ)さん。


金蔵:…じゃ、上がるよ…。


若い衆:…な、なんだかふわふわふわふわして二階へ行っちまった…。

    え、あれ、本当に金蔵(きんぞう)だよな…?

    っとにかく、お染(そめ)さん呼ばねえと…。


    ぇお染(そめ)さーん!ぇお染(そめ)さん-ーん!


お染:はーい、ここだよ。


若い衆:あ、お染(そめ)さん!あの、ちょっと……来ました。


お染:え?


若い衆:来たんですよ!金蔵(きんぞう)が…。


お染:!!えッ!?

   やだよもう、脅(おど)かすんじゃないよ。


若い衆:脅(おど)かしゃしませんよ。本当にいま来たんです。


お染:え、き、来たって…どんな感じだい?


若い衆:どんなったって…なんだか青い顔でね、

    どことなく瘦(や)せがれた感じで、「お染(そめ)はいるかい」って言うから

    、いるって言ったら上がるよって、二階へスーッと。


お染:ぇ……嫌だね…足はあった?


若い衆:ぁ~…そいつはよく見ませんでした。


お染:ぃ、嫌だねもう…気味(きみ)が悪いよ。


若い衆:そんなこと言ったって向こうにいるんですから、

    行って下さいよ。


お染:行って下さいったって、私一人じゃ心持(こころも)ちが悪いよ…。

   お前さん一緒に来ておくれ。…どこなんだい?


若い衆:っと…あ、ここですここ。


    ぇ~ごめん下さいまし!

    開けますよ。


お染:…!!ぁらっ、金(きん)さん!?


金蔵:……お染(そめ)かい…?

   …こっちへお入り…。


お染:【声を落として】

   金(きん)さん、無事だったのかい…!?

   まぁ~よかったねえ…私はどんなに気をもんでいたかしれないんだ

   よ?

   お前さん、助かったんだねえ…。


金蔵:…俺ァいっぺん死んだんだ。

   けど真っ暗な道をとぼとぼとぼとぼ歩いていくと、向こうから来た

   お坊さんが、おめえはこっちへ来るんじゃねえ、あとへ帰れ、あと

   へ帰れ、って言うんだ。

   どっかで見たような顔だなあと思ってじっと見ると、お地蔵様らし

   いんだ。

   言われた通りにあとへ帰(けえ)ってくると、耳のそばでガーガーガーガー

   言われるんで、ひょいと目を開いたら…俺ァ生き返ったんだ。

   しかしおめえがどうなったかと思って、俺は気になってしょうがな

   かった…。

   おめえ…無事だったのかい…?


お染:【きまり悪そうに】

   …無事だったのかと言われるとさ…いえね、私だってすぐ後に

   続いて飛び込もうとしたんだけど、若い衆(しゅ)に止められたんだよ。

   死ぬにも死ねなかったんだ。

   確かにお金はなんとかできたんだけどもね、お前さんには本当に

   申し訳(わけ)が無いと思っていたんだよ。

   とにかくこうしてお前さんも助かって縁起(えんぎ)がいいから、今夜は

   芸者でもあげて一つ、陽気に騒(さわ)ごうじゃないか。

   あ、今夜の勘定(かんじょう)は心配しなくていいよ、私が出すからさ。


金蔵:…俺ァ、陽気に騒(さわ)ぐのは嫌なんだよ…。


お染:だってお前さん、いつも騒ぐのが好きじゃないか。

   じゃあお酒を先に飲むかい?


金蔵:酒は…呑(の)まない。


お染:えっ、お酒も呑(の)まないのかい?


金蔵:それより、水が飲みたい…こう、清(きよ)い水がいい。


お染:水なんか飲んだってしょうがないじゃないか。

   それじゃ、何か食べたいものはないのかい?


金蔵:…団子(だんご)なら食いたい。


お染:変なものを食べたがるんだね…じゃお団子(だんご)を取ってあげるけども、

   蜜(みつ)がいいかい?それとも焼いたの?餡(あん)かい?


金蔵:…白いお団子(だんご)がいいな。


お染:白いお団子(だんご)なんて食べたって美味(おい)しくないじゃないか。

   他に食べたいのはないかい?何でも好きなのを取ってあげるよ。


金蔵:いや…もういいよ…。

   俺ァなんか心持(こころも)ちが悪くてしょうがねえから、寝かしてくれねえか

   ?


お染:そうかい?疲れてるんだね。

   それじゃ今すぐお引(ひ)けを入れさせるから。

   ちょいと待ってておくれ。


若い衆:ぇお染(そめ)さんー、ぇお染(そめ)さんーー。


お染:はーい、何?


若い衆:いま、お二人連れの方があなたに急いでお目にかかりたい、

    お話があるてんで、あちらでお待ちになっております。


お染:あらそう。

   じゃ金(きん)さん、ちょいと待ってておくれ。

   すぐに帰って来るから。


   それで、どこに?


若い衆:へい、こちらで。


お染:あら、いらっしゃいまし。


親分:お染(そめ)さんてのはお前さんかい?

   まま、こっちへ入ってくれ。


   貸本屋(かしほんや)の金蔵(きんぞう)てのが、お前さんの馴染(なじ)みだね?


お染:ええ、そうですけど。


親分:それについて話があるんだ。

   こっちは金蔵(きんぞう)の弟の留公(とめこう)てんだ。


留公:夕(ゆう)べ俺ァ、品川(しながわ)へ夜網(よあみ)に来たんだ。

   ところがどうしたものか、幾(いく)ら網(あみ)を打っても雑魚(ざこ)一匹かからねえ。

   忌々しいな、もう帰ろうか、いや、それじゃこっちも業腹(ごうはら)だから、

   もう一網(ひとあみ)だけ打とうと思ってサッと打つと、今度はずっしり手応(てごた)え

   があった。

   しめたと思って引き上げてみたら、土左衛門(どざえもん)が掛かった。

   縁起(えんぎ)でもねえ、こんなものが掛かりやがってと、竿(さお)で向こうへ押し

   やった。

   それで二、三町(さんちょう)河岸(かし)を変えて網(あみ)を打ったらまた引っかかったものが

   ある。引き上げるとさっきの仏だ。一度ならず二度までも俺の網(あみ)に

   掛かるんだ、これァ何かの因縁(いんねん)のある仏に違いねえ。

   弔(とむら)ってやろうと思って船へ上げて、ひょいと顔を見てびっくりした

   。それが兄貴の金蔵(きんぞう)だったんだ。


お染:えっ…。


親分:こいつもがっかりしやがってな。

   それで、俺のとこにも話が来て急いで通夜(つや)となったんだが…、

   俺ァはじめ、金蔵(きんぞう)のなりを見た時にゾッとした。

   一糸(いっし)まとわねえ姿だったんだが、へその辺(あた)りに紙のようなものが

   くっついてたんだ。

   …これなんだが…お染(そめ)さん、こりゃああんたが金蔵(きんぞう)にやった起請文(きしょうもん)

   じゃねえのかい?


お染:!!ったしかに、私の書いたものだね…。


親分:お前さんの事をよほど思い詰(つ)めて死んだに違(ちげ)えねえ。

   他の者が何べんもお経(きょう)をあげるよりも、お前さんが線香(せんこう)の一本でも

   上げてやりゃ、どんなに仏が喜ぶか知れねえ。

   だから親方(おやかた)に話をして、一刻(いっとき)でも二刻(ふたとき)でも暇(ひま)をもらってな、

   ちょいと通夜(つや)に顔出しをしてもらいてぇんだ。

   実はその事を頼みにこうして来たんだ。


お染:…ぷっ、くすくす…っそ、そうですか…。


親分:ッなんでェ、そうですかっておめえ、笑う事はねえじゃねえか。


お染:っだっ、だって…あんまりおかしくて…。

   そんな事を言って脅(おど)かしたってダメですよ。

   だって金(きん)さんここに来ていますもの。


親分:えっ!?金公(きんこう)が来ている!?

   そんなわけはねえだろう。

   だって俺たちは通夜(つや)を抜けて来てるんだぞ。


お染:そんなこと言ったって、来ているものはしょうがないですよ。

   いま向こうで寝てますよ。


親分:おかしいな。

   じゃあおい留公(とめこう)、さっきのアレを見せてやれ。


留公:へ、へい。

   ……あれ?

   確かに懐(ふところ)の中に入れたんだが…?


親分:どうした?


留公:いや、懐(ふところ)に入れたはずの位牌(いはい)がねえんです。


親分:なに、無い?

   落としたのか?


お染:ダメですよ、そんなこと言って人を脅(おど)かそうったって。

   ちゃんと向こうにいるんですから。嘘(うそ)でも何でもありませんよ。

   なんでしたら一緒に来て下さいな。


留公:おう、それじゃ会わしてもらおうじゃねえか。


お染:ちょいと金(きん)さん、起きとくれよ。

   金(きん)さーーあ、あれ?どこへ行ったんだい?

   …はばかりかしら…?おかしいわね。


親分:おいおい、こりゃあどういう事だい。

   誰もいねえじゃねえか。


お染:そんな事はありませんよ。

   確かにここに寝ていたんですもの――あッ!?


親分:!?ど、どうしたんだ?


お染:な、何だか変なものが布団(ふとん)の中に…!


親分:変なもの…?おい、こりゃ位牌(いはい)じゃねえか!

   留公(とめこう)、おめえ懐(ふところ)に入れてて無くなったてなぁ、これじゃねえか!?


留公:え…あぁっ!こ、これだ!これですよ親分(おやぶん)!

   「大食院好色信士(たいしょくいんこうしょくしんし)」、確かにこの戒名(かいみょう)は…兄貴の位牌(いはい)で…!

   【すすり泣く演技】

   それじゃああっしの懐(ふところ)から飛び出して、位牌(いはい)だけ先に会いに来たん

   ですね…!


親分:はぁ~こいつァどうも恐ろしいこったな。

   お染(そめ)さん、これァ一体(いったい)どうしたことでぇ?

   こういう事が起きるってこたァ、ただの死に方じゃああるめえ。

   なんかわけがあるんだろ?隠さずに言ってくんねぇ。


お染:じ、実は…移り替えができなくて後輩に馬鹿にされるのが耐えられ

   なくて、心中(しんじゅう)相手を探してたんです。

   それで金(きん)さんがいいなって事になって、それで一緒に死のうとした

   んだけど、金(きん)さんを突き落としてすぐ後に飛び込もうとしたら、

   若い衆(しゅ)に移り替えの費用を用立(ようだ)ててくれる人が来たから、死ぬのは

   思いとどまれって止められて…。


親分:なるほどな、事の次第(しだい)は分かったが…お染(そめ)さんよ、それァいけねえ

   な。

   金蔵(きんぞう)だけ海に突き落としといて、おめえはこうしてのめのめ商売

   なんぞしていたんじゃ、そりゃあ恨まれてもしょうがねえよ。

   無理もねえ話だ。

   悪くするとこのままじゃ…おめえ、近いうちに取り殺されるぞ。


お染:えっ、ちょっ、ちょっと…脅(おど)かしちゃいけませんよ…。


親分:脅(おど)かしじゃねえよ、現(げん)にこういうことが起きてるんだ。

   間違(まちが)いなくそうなるだろうよ。


お染:そ、そんな…困ったわね…。

   あの…どうしたら金(きん)さんが浮かんで…堪忍(かんにん)してくれるでしょうかね

   …?


親分:どうしたら浮かぶったって、そんなこと聞かれても俺も困るが…、

   じゃあこうしたらどうだ?

   おめえの命の次に大事にしてるもの…その緑の黒髪がいいな。

   そいつを根元からぶっつり切ってな、たとえ幾(いく)らでもいいから

   回向料(えこうりょう)を付けて、ありがたいお坊さんにお経(きょう)をあげてもらったら、

   ことによると浮かぶかもしれねえ。


留公:さもなきゃお染(そめ)さん、おめえさんの命が危ねえ。

   さ、どうする?


お染:そ、そうだね、それじゃ、いま切りますから…。


語り:さすがのお染(そめ)も、こうまで上手(うま)く話を持ってこられてはよほど怖か

   ったと見え、すぐにハサミでもって髪の毛を根元からバッサリ切り

   落とします。


お染:あの、これ、お金はたいしてありませんけど五両(ごりょう)だけ…

   これでお坊さんにお経(きょう)をあげていただくようにお願いします。


親分:おう、確かに預(あず)かった。

   これだけありゃ、きっと俺が浮かばしてやるからよ。


お染:浮かんで、くれますかね…?


親分:あぁ、心配しなくてもいい。すぐ浮かぶからよ。

   おう金公(きんこう)!どこにいるんだ?早く出てこい!


金蔵:へへへ!

   ちゃちゃ~らちゃちゃちゃ~♪


お染:あ、あらッ!?お、踊りながら出てきた…!?嫌だよまぁ!


金蔵:なにが嫌だよちきしょうめ!

   へっ、人のこと海に突き落としやがって、「色々とお世話になりま

   した。さよなら失礼。」なんてしゃあしゃあしてやがってよ!

   てめえの頭の毛ぇ切っちまいやがって、当分商売もできやしねえだ

   ろ!

   ザマぁ見やがれってんだバカ!


お染:まあこの人は…!そういや変だと思ったよ。

   いくら何でもスケベな幽霊だとは思ったけど…、

   髪(かみ)の毛まで切らしてしまうなんて酷(ひど)すぎるじゃないか!


親分:ハハハ…お染(そめ)さんよ、そんなに怒るもんじゃねえやな。


   お前さんがあんまり客を釣(つ)るから、「魚籠(びく)に(比丘尼(びくに))」されたん

   だ。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


三遊亭圓生(六代目)

古今亭志ん朝(三代目)



※用語解説


・四十両(しじゅうりょう)

今の金額にしておよそ320万円。

一両が現代換算で約八万円の為。


・十万億土(じゅうまんおくど)

仏教用語でこの世から西方極楽浄土までの、果てしなく遠い無数の仏国土

(仏様の世界)を指し、阿弥陀仏のいる極楽浄土の広大さや到達の困難さ

を表す言葉。


・すすぎ

足とかを洗う、桶に入れて持ってくる水。


・へっつい

飯とかを炊くかまどの事。


・所帯道具(しょたいどうぐ)

家財道具、家具のこと。


・匕首(あいくち)

鍔の無い短刀。ドス。


・白無垢(しろむく)

おめでたい方なら、花嫁衣裳、出産に、おめでたくない方なら

葬礼、経帷子、その他に武士が切腹する際に着た。

今回は後者。


・元結(もっとい)

日本髪の髷(まげ)の根元を結い束ねるのに使う、丈夫な紙製の紐。

相撲力士の大銀杏(おおいちょう)や、歌舞伎、舞妓、時代劇などで使用され、

紙製でありながら切れにくく、強度としなやかさが特徴で、

公文書の綴り紐や茶口(ちゃぐち)の紐など、多用途に使われてきた。


・ダボハゼ

マハゼ以外の小型ハゼ類(チチブ、ドロメ、アゴハゼなど)の総称で、

特に関東や東海地方でチチブを指す俗称。貪欲に餌に飛びつく様子や、

釣れやすく価値が低い雑魚を指す言葉としても使われる。


・お上(かみ)の手が入る

今風に言うなら、警察の強制捜査、ガサ入れが入った、という所。


・はばかり

トイレ。


・心持(こころも)ち

心の状態や気分、感じ方、または心の準備や心構えを指し、古くからある

言葉で「気持ち」に近い意味で使われる。


・起請文(きしょうもん)

神仏に誓約し、もし誓いを破れば神罰を受けると記した文書で、

平安時代後期から中世・戦国時代に契約や忠誠の証として武将などが広く

用いた。


・回向(えこう)

仏教で、自分が積んだ善行(読経や念仏など)の功徳(ご利益)を、

自分のためだけでなく、故人の冥福や他の人々、すべての生きとし

生けるものの幸せのために振り向けること。


・業腹(ごうはら)

すごく腹が立つこと。しゃくにさわること。


・土左衛門(どざえもん)

水死体のこと。


・二(に)、三町(さんちょう)

面積(約9,917平方メートル、約1ヘクタール)と長さ(約109

メートル)の両方の単位として使われ、面積では10反、長さで

は60間(けん)に相当する。


・「魚籠(びく)に(比丘尼(びくに))」される

魚籠とは、釣りなどで捕獲した魚を入れておくための、竹や網などで

編まれた携帯用の籠(かご)のこと

比丘は男性の坊主のこと。



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