落語声劇「品川心中【上・下】」
落語声劇「品川心中【上・下】」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:品川心中・上:約30分
品川心中・上・下通し:約50分
必要演者数:最低4名
(0:0:4)
(4:0:0)
(3:1:0)【性別準拠人数比率】
(2:2:0)
(1:3:0)
(0:4:0)
※当台本を「下」の部分だけ上演するのはおやめください。
あくまで、「上」のみ、もしくは「上」「下」通しで上演するかのどちら
かで願います。
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
お染:江戸四宿のひとつ、品川宿で長年トップである「板頭」を
張ってきたが、年齢とともに客がつかなくなる。それでいてプライ
ドが高いから周りから笑われるのに耐えられず、手ごろな相手とし
て金蔵を選んで共に心中しようとするが…。
金蔵:貸本屋。お染には、人間はおっちょこちょいで、
大飯喰らいでスケベで、身寄りも無くて一人もんで、人間はボーっ
としてて無駄だから死んだって誰も困らない、いちばん障りがない
などとまあひどい言われようである。
親分:金蔵が日ごろ世話になっている親分。
遊女のお染に手ひどい目にあったと聞かされ、仕返しの計画を練る
。
若い衆:品川宿の従業員。
どんなに年配であっても、こういう所では若い衆と呼ばれる。
留公:親方のところに世話になっている男。
親方の立てた復讐の筋書きで金蔵の弟という触れ込みで品川宿へ。
辰公:親分の家に集まって世間様に顔向けできないような事…博打をして
いた連中の一人。
金蔵の来訪をお上の手が入ったと勘違いし、親分の身体を使って
梁の上へ一気に逃げ上った猿みたいな男。ふんどしはきちんと
締めとけ。
熊公:親分の家に集まって世間様に顔向けできないような事…博打をして
いた連中の一人。お上(金蔵)の来訪に慌てて、ぬかみそ桶に突っ
込んだ。
源兵衛:親分の家に集まって世間様に顔向けできないような事…博打をして
いた連中の一人。お上(金蔵)の来訪に慌てて、ネズミ要らずに
突っ込んだら、鼻先に佃煮があったので食べたあげく、親分に
茶を要求する図々しい男。
弥太郎:侍。博打の場に居合わせる。割と臆病者。
フルネームは本間弥太郎。
遊女:お染と同じ品川宿で客を取っている後輩遊女。
男1:品川宿に来たお客その1。
男2:品川宿に来たお客その2。
語り:雰囲気を大事に。
●配役例
お染・遊女1:
金蔵・男1・熊公・弥太郎:
親方・男2・若い衆:
留公・辰公・源兵衛・語り:
※枕は誰かが適宜兼ねてください。
枕:江戸で廓と言いますと、これは基本的に吉原を指します。
それ以外にも、現代で申します所の風俗的なお店はあちこちにあった
んですが、それらは岡場所と言われておりました。
その中で特に非公認ながらも目こぼしされていた所というのが、
奥州・日光・中山・甲州・東海の五街道の起点となる、日本橋から見
て入口にあたる宿場にあった、通称・江戸四宿と呼ばれる千住・板橋
・内藤・品川の宿場町に、飯盛女という名前で活動する遊女がいまし
た。
語り:吉原の一番の遊女・花魁を指して「お職」と言いますが、江戸四宿
では名前を板に描いて稼ぎの良い順に並べて掛けた事から、板頭
と呼びます。
品川宿の妓楼、白木屋の遊女、お染。
長年にわたって板頭を張ってきた彼女だったが、人間誰しもそうであ
るように、寄る年波には勝てない。
稼ぎが年々減り、ついにはこないだまで新造だった娘にも抜かれ、
衣替えである紋日に着物も用意できない。
他の娘たちはみんな移り替えができているというのに、自分だけいつ
までも同じ格好をしていると冷やかしに来たお客にもすぐに分かって
しまうわけで。
男1:おう見ねえ、ええ?
板頭だのなんだのと言ったって、いまだに移り替えが出来てやしね
えよ。
男2:ああ、女ってのは年を取るってえと、どうにもしょうがねえなあ。
語り:なんてんで聞こえよがしに言われてしまう。
おまけに今まで鼻であしらっていた後輩の遊女や若い衆、彼らにも
ひそひそ陰で言われる始末。
遊女:なんだい、事あるごとに姐さん風を吹かしてたってのにさ。
まだ移り替えもできてないってのかい?
若い衆:馴染みという馴染みに手紙出してるみたいだけど、なしのつぶて
らしいよ。
遊女:はん、気位ばっかり一丁前で、あたしらを邪険にした報いが
来たのさ。
若い衆:ほんとだな。
ざまあみやがれってんだね。
お染:【つぶやく】……ッッ…!
…こんな…こんな口惜しい思いをするくらいなら、いっその事…!
語り:ご婦人のしっぺ返しほどキツイものはございません。
口惜しくて口惜しくてしょうがないお染。
口惜しい思いをするくらいなら死んじまおう、だけどただ死んだら
、あの女は移り替えが出来ないから死んだ、なんて言われて馬鹿に
されるだろうから、体裁が悪くって耐えられない。
…死んだら体裁もへったくれも無いと思うんですが。
誰かいい相手を見つけて一緒に心中してもらおう、そう思い立って
馴染み帳を片手に心中相手の選定に入ります。
お染:だれがいいかしらねえ、なかなかいないよね…。
神田のタケさんは…女房に子供二人もいるんじゃ気の毒だね…。
徳さんは…跡取りの一人息子じゃ親が嘆くだろうし…しゃあない
ね…。誰かいないかしら…本人たちはたいそう無駄なのにさ。
誰か無駄な人…あ!いた。
貸本屋の金造、金さん。この人いいね。
人間はおっちょこちょいで、大飯喰らいでスケベで、身寄りも無く
て一人もんで、ボーっとしちゃってる無駄な人間なんだしさ。
死んだって誰も困らないんだから、いちばん障りがないよ。
これに決めた!
語り:決められた奴はいいツラの皮です。
一身上の相談があるからぜひ来てもらいたいという手紙を受け取っ
て、金蔵は舞い上がって急いで金を工面し、宙を飛ぶようにして
すっ飛んできた。
金蔵:へへへ、惚れた女からの手紙…とくりゃあ、何が何でも来なきゃな
んねえってもんだ。
にしても隣はうるせえな…。
…そこをそうやっちゃ嫌だァ…!?
ううぅ冗談じゃねえよ、静かにしろィ…!
!…お、上がってくる音がするよ…来たんだねぇ。
へへへ…悪く言っちゃあいけねえや。
嫌な客を無理矢理回されて、それ済まして来たって事だろうしよ。
おう、待ってた、よ…?
お染:金さん、来てくれたんだね…。
金蔵:おいおいどうしたんだよ?
畳のケバむしって、浮かない顔しちゃってさ。
相談があるって言うから来たんだよ?
なのにそうやって顎を懐に埋めて、ぼんやりしちゃって口もきかね
ぇ、そういうのは相談とは言わねえだろ。
お染:そりゃね、あたしだって相談しようと思って金さんに来てもらった
んだけどね、お前さんの顔を見た途端にあ、この相談はダメだな、
ってそう諦めちゃったんだよ…。
金蔵:なんだいそりゃ、え?話もしねえうちに諦めるなよ。
言ってみなよ。どんな相談なんだよ?
お染:だってさ……お金がいるんだもの。
金蔵:銭なら銭って言ったらいいじゃねえか。
金さん、これこれこういうわけでもって百文いるとか、二百文とか
三百文いるとか、はっきり言ってみねえな。
お染:四十両いるんだけどね。
金蔵:ぇ、そらァダメだよ…。
四十両なんてそんな大金、俺ァできねえや。
お染:それごらんなさい。
だからあたし諦めちゃったんだよ。
四十両ないとあたしね、移り替えができないんだよ。
だったらいっその事、死んじまおうと思ってさ。
金蔵:えっし、死ぬ…!?
お染:【後半から最後らへんは演技泣き】
なにも死ぬのに人に言うことは無いんだけどもね、けどお前さんと
年が明けたら一緒になろうと、口には出さなかったけれど、あたし
は勝手に腹の中でそう思ってたからね。
せめてお前さんだけにはこの事を打ち明けて、それで死のうと思っ
てわざわざ来てもらったんだけどさ…本当に長いこと、お世話にな
りました。
それでね、あたしがあの世に逝った後も、あぁあの女も不憫
だったなと時々でいいから思い出して、お線香の一本でもあげて
ほしいんだよ。
本当に今までありがとうね…。
金蔵:お、おぉいおい止しねえ。
死ぬなんてこと考えちゃいけねえ。
死んだってつまんねえじゃねえか。
いいじゃねえか、移り替えなんぞ出来なくたって。
お染:そうはいかないんだよ。
若いのに鼻で笑われて馬鹿にされてさ、こんな口惜しい思いをする
ならいっその事、本当に死んじまおうと思ってるんだ。
だからどうしても死ぬんだよ。
本当に、今までお世話になりました…。
金蔵:いや待てよおい!止しなよ、死ぬなんて。
お染:嫌だよ、もうあたし耐えられないんだよ!
金蔵:う、うぅう…弱っちゃったなァ…ええ…止しなって…。
~~しょうがねえな…どうしても死ぬのかい?
お染:そうだよ、もう生きてる甲斐がないんだ。
だから、お世話になりました。
金蔵:だから待てって!~~弱ったね……じゃあこうしよう!
俺も一緒に死のうじゃねえか。
お染:えっ!?お前さん一緒に死んでくれるのかい?
金蔵:ああ、何の役にも立たねえと思われてる自覚はあるからよ。
銭の事はどうにもならねえから、死ぬんだったら一緒に死んでやる
よ。
お染:まあお前さん……ほんとかい?
金蔵:ほんとだよ!
お染:嬉しいじゃないか…嘘じゃない?
金蔵:嘘じゃないよ!ほんとにほんとだよ!
お染:それじゃ…今夜死んでくれる?
金蔵:こ、今夜?
これァまた話は急だね…。
けど俺だってね、また色々と用が残ってるんだよ。
あの世行っちゃうと戻って来られないからね。
だからこうしよう。
今夜はここに泊まってね、明日早くに家へ帰るんだ。
で、色々と後始末を済ましちゃっておいて晩にここへ来て、それか
ら死んだって遅くはねえだろ。
お染:まあお前さん、そんなこと言ってさ…嘘じゃないのかい?
金蔵:嘘じゃないよ!おめえまた嫌に疑るね。
お染:まあ、やっぱりあたしの見込んだ金さんだけあるよ。
この世では寄り添えなかったけど、あの世で所帯を持とうよ。
金蔵:おおよ、この世なんざしょうがねえもんだ。
あの世行ったらよ、蓮の葉っぱの上で所帯を持とうじゃねえか。
語り:まるでアマガエルみたいですな。
さあお染、せっかく見つけた心中の相手、後で心変わりされちゃ
大変だってんで、普段なら袖にしていたこの金蔵、それはそれは
もうお大尽でも扱うみたいに優しく、丁寧に、大事に大事にもて
なしちゃったもんですから、あの世に行く前に極楽浄土に来たよう
な心持ち。
カラスカアで夜が明けて表に出ると、お天道様の色が黄色に見える
。
お染:じゃ、お前さん、今晩待ってるからね。
金蔵:わ、分かってるよ…へへへ…。
俺ァ、あの女の為なら命はいらねえやァ…。
語り:フラフラになりながら、まるで女郎買いの決死隊みたいなのが
できあがってしまった。家へ帰ると道具屋を呼んで、所帯道具を
二束三文で売り飛ばし、わずかばかりの銭を懐に入れますとほうぼ
うへ暇乞いに出かけます。
安い匕首と、二人の死に装束ってんで白無垢を用意したのはいいが
、お染(そめのぶんは用意できたんですが、金蔵の分はというと銭が足り
なかったもんだから、腰から下がない。
まあまあこれでもなんとかなるだろうてんで、いちばん終いにやっ
て参りましたのは、普段から世話になっている土地の親分のところ
。
金蔵:うぅん…親分のところに暇乞いに来たのはいいけど、どうも表から
じゃ入りづれぇ…裏に回るか…。
【声が裏返る】
こんちわァ!
こんちはァ!
親分:誰だァ?カラスみてえな声出しやがって。
こっちへ入ってこいよ!
おぉ?なんでェ、金蔵じゃねえか。
金蔵:はいぃ金蔵でございます!
あっしは金蔵でございますゥ!
…台所にあるのは雑巾で。
親分:何を言ってやんでェ。
相変わらず呑気な野郎だよ。こっちへ上がんな。
来る時はうるせえくらいよく来るけど、来ねえ時はパタッと鼻の頭
も見せねえんだからよ。
で、どうしたんだ?
金蔵:へ、へい、実は…あの、暇乞いに上がったんでござんす。
親分:なに、暇乞いだァ?
あんまりいい事じゃねえな、え?
どっか旅にでも行くのか?
金蔵:へ、へい、そうなんでござんす。
親分:止しなよおい。
何があったか知らねえけどな、旅なんぞに行ったって不自由で
しょうがねえよ?
独り者なんだ。なんかあった時に困るぞ。
金蔵:いえ、どうしても行かなくちゃならないんで。
親分:何があったか知らねえが、俺んとこにいな。
若え者ならいくらでもいるんだから、なに一つ心配することはねえ
んだ。止しねえ、旅なんぞいくのは。
金蔵:い、いえ、本当に、どうしても行かなくちゃならないんで。
親分:ふーむ…そんなに言うんならしょうがねえが…
だいいちおめえ、どこへ行くんだ?
行先だけでも言っていきな。
金蔵:え、あ、その、なんていうか…なんですかね…あれ…あの、西方な
んて言いますから、ずっと西のほうなんで…。
親分:西のほう?
上方か?
金蔵:いえ、そんな所じゃねえんです。
もっと、ずっと先で…十万億土というか…。
親分:なに言ってんだおめえは。
そんな遠くへ行っちゃしょうがねえじゃねえか。
で、いつごろ帰ってくるんだ?
金蔵:え、あ、その…お盆の十三日には…。
親分:?妙なこと言ってやんな。
そういやこないだ、ちょいと脇で聞いたんだが、おめえ品川のお染
って女に首ったけだそうじゃねえか。
止しなよ。あれァ大変な女だ。おめえなんて何とも思われてねえん
だ。もしやその事でなんか大変な間違いでも起こしたんじゃねえの
か?
金蔵:!い、いぃえ、そうじゃねえんです。
と、とにかく色々お世話になりまして、どうもありがとうございま
した。
親分:【↑の語尾に食い気味に】
おぉいおいちょっと待ちねェ。まだ話はすんでねえから。
待ちな、待ちなって!
おい、誰かいねえか!?金蔵の様子がおかしいから捕まえろ!
留公:親分、水甕の上にこんなもんがありやした。
親分:なに、こりゃ匕首じゃねえか。
さてはあの野郎、ケンカかなんかしやがったな。
留公:どうしやす?追っかけてって渡しましょうか?
親分:あぁいいんだいいんだ、そんなもんうっちゃっちまいな!
語り:いっぽう、捕まっちゃ大変だってんで急いで逃げだした金蔵、
あちこち歩いて日が暮れるのを待って、品川へやってきた。
お染:ああ金さん、良かった…お前さんが来なかったらどうしようと思っ
て、あたし朝から心配してたんだよ。よく来てくれたね。
さささ、こっちへ入っておくれ。
金蔵:大丈夫だよ、こう見えたって俺ァ男なんだからな。いったんこうと
決めたら、何が何でも約束を守るんだからな。本当だよ?こう見え
立って俺ァ男だ。俺は男なんだ。
お染:分かってるよ、もう、何度も言わなくたっていいんだよ。
でもよかった。本当に来てくれて嬉しいよ。
ねえお前さん、どうせ今夜はこの世の別れなんだからね、ひとつ
派手にやってもらいたいんだよ。
お前さんいっつもくるたんびに空豆で呑んでばかりいるだろ?
だからたまには一つ、派手にやって欲しいんだ。
なんか取っておくれよ。
金蔵:おうおぅ、いいよ、何でも好きなもの頼みな。
酒だって何だってかまわねえから、じゃんじゃん頼めばいいんだ。
お染:まぁお前さん、急に頼もしくなっちゃったじゃないか。
お足ができたのかい?
金蔵:いぃや、銭なんかできないよ。
お染:じゃあダメじゃないか。
金蔵:いいんだよ。どうせあの世に行っちゃうんだから。
あの世まで勘定を取りに来れやしねえんだ、大丈夫だよ。
お染:それもそうだね、じゃ、そうしようかしら。
語り:なんてんで呑気な連中があるもので、二人は色んなものを次々注文
、金蔵は呑み納め食い納めだと思うから呑んじゃあ食い、呑んじゃ
あ食い。
普段しみったれな男が大台なんか頼んだりしたもんだから、
詰め込み過ぎて動く事が出来ない。人間の了見てのは、
こういう所で分かるものです。
しょうがないから金蔵をいったん寝かしつけて、お染は他のお客様
を何人か回しております。というのは、これは時が経つのを待って
いるというわけでして、大引け過ぎ、今で言うところのちょうど
午前二時になります。この頃になるとさすがにどこも大戸を閉めて
明かりを落としてしまいます。寂しくなって人足が途絶えてくる。
品川だからざーーっと海からの音が聞こえてくるだけになるわけで
。
お染は素足になると自分の座敷へ戻って参ります。
金蔵:【高いびきをかいて寝こけている】
お染:【ちょっと嫌そうな顔してのぞき込んでいる】
まあこの人は…鼻から提灯出したり引っ込めたりして、よく寝てる
じゃないか。あたしなんてゆうべはまんじりともしなかったっての
に…とても寝られるもんじゃないよ。
それに今夜この人のよく呑んだこと食べたこと…。
よっぽど人間が呑気にできてんだね。
馬鹿馬鹿しいけど他にいないから死んでやるんだ。ありがたいと
思ってほしいもんだよ。
さ、ぐずぐずしてちゃいけないね。人が来るといけないから早いと
こ…
【声を落として】
ちょっと、ちょっと金さん、起きとくれよ。
ちょっと金さん、金さん…!
金蔵:うっ、うぅん、うぅ、も、もう食えねえ…!
お染:まだ食べる気でいるよこの人は。
食べるんじゃないよ、起きとくれよ。
もうだいぶ遅くなってるんだから、早くしないといけないよ。
人が来たら大変なんだから。
金蔵:ぅ、わ、わ、分かってるよ…。
おめえはいつもそうなんだからな…、
金さん、もう遅いよ。お天道さんは真上に来ちゃってるから、
早く帰らなくちゃダメだよってんで慌てて表に飛び出すと、
お空がまだ真っ暗で星が出てるんだ。
しょうがねえからって家に帰ろうとすると、途中で犬に吠えられて
ひどい目にあったりしてんだから、たまにはゆっくり寝かしてくれ
。それから帰るんだからよ。
お染:帰る…!?
お前さん何かい?帰るってのかい!?
金蔵:帰る気かいったってしょうがねえじゃねえか。
銭がねえんだから居続けなんぞできやしねえだろ。
お染:~~何を言ってるんだい…!
帰られてたまるかい!
お前さん、死ぬんだろ!
金蔵:えぇ!?俺が!?どうして!?
お染:どうしてじゃないよ!
あたしと一緒に死ぬんだろ!
金蔵:…!あぁ、そうだ!そうだった…!
そうだったよ…!俺、忘れちまってた…!
お染:忘れちまったらいけないじゃないか!
ほら、人が来ないうちに早く死ななくちゃダメだよ!
金蔵:っそ、そうだ、死のう!早く死のう!
お染:うん、そうしよう!
金蔵:さあ、早く殺せ!
お染:なに言ってんだよ、お前さん一人で死んだってしょうがないじゃな
いか!一緒に死ぬんだから、何か死ぬ物を持って来たかい?
金蔵:おう、抜かりはねえよ。
まずその風呂敷から白無垢出してくれ。
お染:まあお前さん、そんな趣向を用意してくれてたんだね。
嬉しいねえ…って、【噴きだす】
お前さんのこれ、なんだい?腰から下がないじゃないか。
金蔵:いいんだよ、都合につきお取り払いてやつだ。
人間どっから腐るか分かったもんじゃねえ。
このほうがサバサバしてていいやな。
お染:それで、死ぬ物はどこにあるんだい?
金蔵:?風呂敷の中に匕首が入ってるはずだ。それ出してくれ。
お染:匕首?…そんなもの入ってないよ。
金蔵:えっない…?嘘言うなよ。
お染:ほんとにないんだよ。
金蔵:おかしいな……?
!あっ、いけねえ…!
親分のとこに暇乞いに行った時に、バレちゃいけねえと思って
水甕のとこに置いたまんま忘れてきたんだ…!
お染:何やってんだい、しょうがないね。
まあ、お前さんが持って来るとは言っていたけど、あたしの方でも
二丁研いで用意しておいたから、金ちゃん、これ。
金蔵:え?なんだい?
お染:剃刀だよ。
さ、お前さん一丁持っとくれ。あたしも一丁持って、ひのふのみで
お互いにスッと喉を斬るんだ。
金蔵:!?ぁ危ない危ないッ!
止しなよ止しな!ダメだダメだ!
危ねえよ!
お染:何がダメなんだい?
死ぬんだからしょうがないじゃないか。
金蔵:俺ァ剃刀負けするんだ。
それに刃の薄いもので切ると、後で医者が治療しにくい。
お染:…それじゃあお前さん、ハナっから死ぬ気じゃなかったんだね?
あたしを騙したんだね!?
いいよ、あたしが先に死ぬ代わりに、お前さんだって三日と経たない
うちに取り殺してやるんだからね…!
金蔵:っちょっおっあっ危ないっ危ねえじゃねえか!
ッ!【剃刀を取り上げる】
冗談じゃねえやな、こんなものを振り回さなくたって、針一本だっ
てやりようで死ねるんだよ。お部屋行って、もめん針を十本借りて
来いよ。
お染:針なんか借りてどうするんだい?
金蔵:二人で足を結わえといて、脈どころを針でちょいちょい突っつくん
だ。夜が明けるまでにどっちか片が付く。
お染:バカなこと言ってるんじゃないよ。
霜焼けの血を取るんじゃないんだからさ。
いいから剃刀持ってーー
金蔵:っだ、だからよ、そういうのは怖いよ?
後で見つかったところで、首から血を出してこんなんなってたらさ
、さまが良くないよ。死にざまが良くない。
もっと見た目のいいやつにしようじゃねえか。
お染:っ~~それなら一緒に裏へおいで。
金蔵:裏?いやいやいや、裏ってと木かい?
首ィくくろうってのかい?
嫌だよォ、死にざまが良くねえよゥ。
鼻水二本たらしてだらーんとぶら下がっちゃうんだろ?
俺ァぶら下がったものが嫌いなんだよ。
だからおめえ、ひのふのみで息を止めちゃおうじゃねえか。
お染:苦しくなったらどうすんのさ?
金蔵:苦しくなったら少しずつ息したらいい。
お染:【間髪入れずに】
なに言ってんだい!
剃刀もダメ、首くくるのもダメってんなら、海に飛び込むんだよ。
金蔵:海?海ダメなんだよゥ、ここんところ俺ァ風邪気味だからさ。
お染:今から死ぬのに風邪なんか関係ないだろ!
ほら、早くおいでよ!
語り:こういう場合は女の方が達者な場合があるもので、嫌がる金蔵の手
を引っ張り、騙し騙し裏庭へ連れ出します。
空は雨模様でどんよりと大粒の雨が降って来ようという有様。
裏は海でございますから垣根がそびえ、木戸に錠前がおりている。
お染がこれに手ぬぐいを巻いてぐっと捩じりますと潮風の為に腐っ
ていたものと見え、ぱきっと鍵が取れた。
ばたーんと木戸が開くとばぁーっと潮風が吹きこんで参ります。
お染:さ、早く、早く!
金蔵:おぉいおい押すなよ、押すなって!
真っ暗で何が何だかよく分からねえよ、どうなってんだ、どうなっ
てんだよ?
お染:大丈夫だから、早く!
人が来るといけないから早く行きなさいよ!
金蔵:行きなったって押しちゃダメだよわかんねえんだから!
お染:大丈夫だよ!桟橋は長いんだからさ!
金蔵:さ、桟橋が長いったって、命は短えよ…!
お染:掛け合いしてるんじゃないんだよ!
早く早く、早く行っておくれ!
金蔵:ちょちょっと、押すなてんだよ!
…なんだよ、あそこに人魂がふわふわ飛んでるじゃねえか…!
お迎え火じゃねえのか…!?
お染:どこに…って人魂じゃないよあれは。
沖で海老をとる船の灯りだよ。
金蔵:な、何がなんだか、どうしていいんだかよくわからねえ
ーーっておい、水があるよ!
お染:水があるからいいんじゃないか!今から飛び込むんだから!
金蔵:ぉ俺泳げねえんだよ!
お染:なに言ってんだい!
死ぬのに泳げなくたっていいだろ!
金蔵:だ、だってよ…!
若い衆:ぇーお染さんーーー!ぇーーお染さんーーーー!
お染:!!いけない、気づかれたよ!
語り:いつまでもぐずぐずぐずぐず言う金蔵、度胸がないもんだから
つま先で立ってガタガタガタガタ震えてる。
これは自分から飛び込みそうにないと業を煮やしたお染、ついに
強硬手段に及びます。
お染:金さん、一足先に行っとくれ!ッッ!!
金蔵:あッーーーー!!
語り:腰をどんっと押されたもんだから堪らない。
金蔵ひょろひょろっとよろけると、もんどりをきってだばーんっと
水に落ちた。
お染:金さん、今あたしも行くからねーーッ!
若い衆:ッとっとっ!!おっ待ちな!待ちなってんだよ!!
バカな真似は止しねえ!
お染:あッ!?は、放しとくれ!放しとくれよ!ね、後生だから!
放しとくれよ!ね!?
若い衆:っじょ、冗談じゃねえよ!
ッ放すもんか!こうなったら放さねえ!
お染:頼むから!ねえ!死ななきゃならないわけがあるんだよ!
若い衆:分かってるよ!死ななきゃならねえわけってのはアレだろ!
移り替えができねえからってんだろ!?
だからってな、むやみやたらに死のうとするんじゃねえよ!
お染:するんじゃないよったってさ、これじゃあたしは死に損なってしま
うじゃないか…!
後生だから死なしておくれってのに、なぜ止めるんだい?
若い衆:なぜ止めるって、止めなきゃそのまま死んじまうだろうが!
あれだろ、金ができねえから死のうってんだろ?
その金ができたんだよ!
お染:!?えっ!?お金ができた!?
ど、どうして…!?
若い衆:山の御前が持ってきてくれたんだよ!
お前さん、四十両を無心したんだろ?
五十両持ってお見えになって、遅くなってすまない、当人に渡し
て喜ばしてやろうっておっしゃって、二階でお待ちになってるん
だよ!
それで部屋行ったら剃刀が放り出してあるから、てっきりこんな
事じゃねえかと思って飛んできたんだ!滅多な事するもんじゃね
え!
あぁ間に合って良かった。
お染:そ、そうなのかい…?
お金ができりゃ、あたしだって死にたくはないんだけどもね。
もう少し早く来てくれりゃよかったのに…一人やっちゃったんだよ
…。
若い衆:えっ、やっちゃった…!?…誰だい?
お染:貸本屋の金さん。
若い衆:金さん…ぁ~金蔵ですか。バカ金。
…金蔵なら、ようがす。
お染:けどあたしが突き飛ばして入れちゃったんだからね…長年の馴染み
なんだからうっちゃっとくわけにもいかないよ。
金さんあのね、死ななくてもいいようになったから、上がってきて
ちょうだい。
…ちょいと、金ちゃん、上がってきておくれよ。
世話焼かせないでさ。
若い衆:どこにも見えやしないよ。
やっこさん、もう流れちゃっていやしねえ。鮫かなんかに喰われ
ちまったんだ。
お染:いないかねえ…
身上も軽けりゃ身も軽いって…なんだか、おからか寒天
みたいな人だねえ…。
若い衆:金蔵の事なら黙っとくから、とりあえず急いでくれるかい。
御前が待ちくたびれちまうよ。
お染:分かってるよ。
でもこのままだとちょいと寝ざめが悪いから、手の一つでも合わせ
てから行くよ。
心配しなくてももう飛び込んだりしないから。
だからお前さんすまないけど先に行ってね、いまお染が支度して
参りますからって、お酒出して御前の相手しといてくれるかい。
若い衆:ようがす。
お染:ちょいと、ちょいと金さん、どうしたんだよお前さん。
やだねえ、いきなり飛び込んじゃうんだもの…あたし驚いちゃった
よ。
あのね、あたしね、死ぬつもりだったんだけども、いまお金ができ
たっていうんだよ。お金ができたってなると、まだまだしなきゃな
んない事がたくさんあるんだよ。
だからすまないけれど、一足先に逝っててくれるかい。
でも人間生身だからね、そのうちあたしも必ず逝くし、あの世で
いずれお目にかかりますから。
じゃ、あたしもう行くからね、色々とお世話になりました。
さよなら失礼。
語り:世の中にこんな失礼な事はありゃしません。
さて金蔵はというと、真っ暗な海に放り出されてしかも泳げないも
んだから、アップアップガブガブ水をずいぶん飲んでもうだいぶ
苦しい有様。
金蔵:【溺れかけてる】
うっがぼがぼっ、ぶくぶくがぼがぼっ、うっくく苦しいっ、
しっ死ぬっ、がぼぼっ、!な、なんかにさわったぞ、ッッ!
っぶはぁっ、はあっ、はあっ!
あ、あれ…?立てた…?
語り:桟橋の杭にさわった金蔵、こいつだけは離すまいとしっかり掴まっ
て足を伸ばすってと、ご案内の通り品川てのは遠浅ですから、
腰から下までしかない。
そんな浅いところで横になって溺れていたわけですからしょうが
ない。
立ち上がるってと元結は切れてザンバラ髪、額のところを貝殻で
切ったのか、そこから滴った血が白い着物にヘドロと一緒にへばり
ついてる。ほっぺたがムズムズするからつまんでみるとカニが歩い
てるし、おまけに鼻の頭には船虫が這っている。
何のことは無い、お台場の石垣みたいな顔になってる有様。
金蔵:へっくしょい!!
な、なんだ?鼻からダボハゼが出て来やがったよ。
っちくしょうちくしょう、こんな事ってあるかい!
悔しいったらねえや。
戻って文句の一つでも言いてえけど、あんなに飲み食いしちまって
ちゃ、いざ勘定はと言われたら引っ込みがつかなくなっちまう。
恥の上塗りだよ…。
しょうがねえ、家に帰…れねえや。所帯たたんじまったんだった…
。弱ったなあ…。
…親分とこ行こ。
語り:途方に暮れた金蔵、よろよろと親分の家へ歩き出します。
途中で駕籠屋に「お化けだァーーーッ」と驚かれて逃げられたり、
あっちの野良犬こっちの野良犬にワンワンワンワン追っかけまわさ
れて、まるで犬の町内送りみたいな目にあいながらも、なんとか
たどり着いた。
ちょうど家の中では若い者が7、8人集まって博打、ガラッポンの
真っ最中。
親分:おう、おぅおぅお前ら、犬が鳴いてるぞ、静かにしろ。
俺たちゃいま、親孝行してるんじゃねえんだ。人に見られちゃ具合
の悪い事をしてんだ。
金蔵:【ダンダンダンダン戸を叩く】
留公:いけねえ、お上の手が入ったァ!
親分:【抑えて叫ぶ感じ】
バカっ静かにしろ!
ろうそく踏んづけるな!行燈蹴倒すんじゃねえ!
火事でも起こしたらどうするんだ!
人付き合いが三代できなくなるぞ!
静かにーーってえ!何しやがるんだいてえな!
膝から肩駆け上がって頭ァ踏んづけやがった!
落ち着けってんだよ!家主だ、大家だよ!
ってあッ、場代をかっさらってった野郎がいるぞ!達者な野郎だな!
大家さんじゃありませんか!?いま開けますんで!
静かにしろよ…!
【戸を開けながら】
いま開けますんで!へへ、別に悪さしてたわけじゃねえんで。
今日は少しばかり残りの勘定があったんでーー
金蔵:【↑の語尾に食い気味に】
こんばんわ、親分……。
親分:【幽霊みたいな外見にちょっとビビっている】
…っお、おいっ、誰かちょっと来いィ!
っなっなっ、何だてめェは!?
張っ倒されてえかこんちきしょう!
な、なにもんだ!
金蔵:き、金蔵でござんす…。
親分:なにをゥ!?
金蔵:金蔵でござんす…。
親分:金蔵ォ?ほんとに金蔵かァ!?
ちょっと足を見せろ足を…。
【生きた金蔵とわかって安心する】
ッちきしょッこの野郎!おどかすなィ!
てめぇな、昼間うちに来た時に匕首忘れてったろ!
女とでも一緒に死のうなんてしてるんじゃねえかって、心配してた
んだぞ!
金蔵:へい、端のうちはそのつもりだったんですが、
品川で心中しそこないました…。
親分:はぁ~あバカ野郎、
つまりなにか、女だけ殺しててめえばかり助かったってんだろ?
金蔵:そうじゃねえんです…。
助かったのは女だけで、こっちは殺されそうになりやした…。
親分:はあ?どういうこった?
金蔵:死にそうになったのはあっしだけで、女はまるっきり飛び込まねえ
んで。
親方:ったくしょうがねえ野郎だな。
とにかくそこピタっと閉めて、こっちへ入れ。
あとを閉めろ。…ったく、静かに叩きゃいいものを、場も何も壊れ
ちまっただろうが。
おうい、みんな出てきな。
留公:へっ、親分、大丈夫なんで?
親分:ああ、別にな、お上の手が入ったわけじゃねえ。
金蔵の野郎がな、女と馬鹿して帰って来たんだ。
留公:なあんだ、じゃあ別にどってこたァねえですね。
親分:おう、心配はいらねえよ。だからお前ら、出てこい。
?出てこいってんだよ。
しかしこのせめえ家にあれだけいたのが、よくまあどっかへ隠れち
まうもんだ。
見ろ金蔵、おめえが脅かしたもんだから、みんなどっかいなくなっ
ちまった…って待ちな待ちな!そんな格好で上がられてたまるか。
おぉい留公、すすぎを持ってこい!
?誰だそのネズミ要らずの中に首つっ込んでんのは。源さんじ
ゃねえか。
源兵衛:す、すまない親分。
慌てて中に突っ込んじゃったら、鼻先に佃煮があったんでいただ
いてます。あの、喉が渇いたんでお茶ください。
親分:お茶あ?張り倒すぞこの野郎。
…?なんだ?顔に何か当たってるな…ってふんどしか!?
梁にしがみついてんのは…辰公じゃねえか。
しかし汚ねえケツだな。ふんどしを固く締めろってんだよ。
けどどうやってそこまで上がったんだ…って、さてはおめえだな
?俺の膝から肩ァ駆け上がって頭ァ踏んづけやがったのは!
ほんとにしょうがねえな。早く降りてこいよ!
辰公:そ、それが、安心したら動けねえんで…。
親分:なに言ってやがる。誰かはしご持ってきてやれ!
誰だそっちで唸ってんのは?
おいおいおいおい、梅吉じゃねえか。
へっついの焚き口ン中に首突っ込んでやがる。
誰か出してやれ。
留公:へい。
そら梅公、引っ張るぞーー
親分:おぉぃおいダメだダメだ!ただ引っ張ったって出るわけねえだろ!
そいつの頭の鉢はな、肩幅より広いんだ。物のはずみでスポっと
入って中で膨らんだんだろ。
留公、上の釜どかしてな、上から出してやれ。
肩の方が狭いんだからな。
留公:っじゃあ、こうですかね…?
親分:っだから引っ張ったらダメだって言ってるじゃねえか!
へっついが壊れちまうだろうが!
そいつの頭は壊してもいいけど、へっついは壊すんじゃねえ!
梅公の頭でおまんまは焚けねえだろ!
【匂いを嗅いで】
?なんだ、さっきからやけに臭いぞ。
っおいおい熊公じゃねえか。どうしたんだ?
熊公:す、すまねえ親分、ぬかみそ桶の中に突っ込んじまった。
それに、落っこった時に「金」をぶつけて…取れちまった。
親分:なにィ?おいおい大丈夫なのか?
熊公:親分、俺ァもう長いことねえ…だからカミさんに俺の急所を形見に
渡してもらいてえんで…。
親分:バカなこと言ってんじゃねえ。で、その取れちまったのはどこだ。
熊公:こ、これなんで…。
親分:…おめえな、こりゃナスの古漬けじゃねえか!
熊公:あっ、ナス!?これナスかい!?
【自分のをまさぐって】
あぁッ、ははは…ありました!付いてました!
親分:何を言ってやがる!
ホントにバカだな。
【匂いを嗅いで】
なんか他にも臭え匂いがするぞ。
留公:親分、与太郎の奴がはばかりに落っこったんで!
親分:おいおい、しょうがねえな与太の奴は…粗忽にもほどがあるだろ。
留公、おめえ引き上げてやれ!
ったく、どいつもこいつも意気地がねえやな。
しかし、本間弥太郎さんなんざさすがに侍だ。
あすこにピタっと座って動かねえや。さすがに度胸があるね!
弥太郎:いや、実は拙者、腰が抜けております。
※【時間がない場合、「上」だけで終わる場合はここで切る】
語り:ご存知、品川心中の「上」でございました。
語り:ああでもないこうでもないとやっているうちに金蔵、どうも心持ち
が悪くなってきたというので、その日はそのまま寝かせた。
翌日になると多少は顔色がマシになりまして、親分の前へ出てきま
す。
親分:おう金蔵、具合はどうだ。
金蔵:はい、その、どうも親分、いろいろとありがとうございました。
親分:いや、ありがてえのはいいけどよ、起きて大丈夫なのか?
金蔵:へい、さっき、お粥を炊いていただきまして、そいつを食ってなん
とか、少しは力が付きました。もう大丈夫でござんす。
親分:そうか。
いや、昨日はおめえは寝ちまうし、わけも聞かなかったんだが、
一体どうしたんだ?
金蔵:へい、実は品川宿のお染に心中を持ち掛けられて、あっしもその気
になってあと一歩のとこまでいったんです。
親分:はぁ~んなこったろうと思ったぜ。
だから俺があんなに意見をしてやったんだ。
間抜けな奴だよ。
で、そのお染は飛び込んだのか?
金蔵:それが飛び込まねえんで。
何しろ親分、桟橋に出た時なんてのはあたりは真っ暗、向こうに
人魂みてえなものがふわふわふわふわしてる。
それ見てなんだか心細くなりましてね、あれは人魂かって聞いたら
、そうじゃない、沖の方で海老を獲る灯りだって言うんです。
その時あっしはふと思ったんです。
親分:何を考えたんだ?
金蔵:…あの船で獲れた海老を天ぷらで揚げて食ったらうめえだろうな…
って。
親分:今から死のうとしてたってのに食い意地の張った野郎だなこいつは
。
金蔵:そのうちにお染がだしぬけに、腰をばーんっと後ろから突き飛ばし
やがった。
あっ、と思ったらもう海の中へ落ちてしまって、もうガバガバガバ
ガバ苦しいのなんのって。
もうたまらなくなって何とか立ったら…あすこは深さが腰から下ま
でしかねえんです。
親分:そりゃ品川は遠浅だからな。
金蔵:そのうちにお染のやつ、金ができたとかなんとかなって、
色々とお世話になりました、さよなら失礼て言ってさっさと上がっ
てっちまいやがったんです。
あっしはもう悔しいやら腹が立つやらでね、飛び上がってお染を
引っぱたいてやろうかと思ったんです。
親分:そうすりゃよかったじゃねえか。
金蔵:でもね、そんなこと言ったって、こっちは宵に遊んだ勘定が払えな
いんで。悔しいけど我慢して親分のとこへ来たんです。
親分:そうか。
しかしまぁ女郎てものは、昔から客を騙すのが商売だとは言うが、
そいつは少し悪ど過ぎるな。
おめぇ悔しいか。
金蔵:へい、悔しくってしょうがねえんで。
親分:そういやおめぇ、お染に起請をもらったとか言ってなかったか?
金蔵:えぇもうね、あっしァ肌身離さずね、これだけはもう命から二番目
だと思って大事に持ってたんで。
親分:けっ、命から二番目ったっておめぇ、そんな事になったんなら
しょうがねえじゃねえか。
金蔵:へえ、今じゃ百文の値打ちもありゃしねえんで。
【起請文を眺めて】
ちぇっ、バカにしやがって…こんなものいらねえや。
…親分にあげますよ。
親分:バカ野郎、俺がもらったってしょうがねえじゃねえか。
ふーむ……【何か思いつく】
そうだ、おい、その起請文こっちへよこしな。
俺が預かっといてやる。
それでおめえ、悔しいだろうから俺が仕返ししてやろう。
金蔵:えっ、親分が仕返しして下さるんで?
こりゃあありがてえ。
親分がいりゃ百人力だよ。
さっそく品川にーー
親分:おぉいおい、ちょいと待ちな!
俺に考えがあるんだ。
そうだな、大引けちょっと前あたりがいいだろう。
おめえ、まだ色が青ざめて何となく影が薄いから、そのまんまで
行ってな、お染はいるかいと聞くんだ。
いつもみてえにはしゃいだりなんかしちゃいけねえ。
なるべくこう、陰気に持ちかけるんだ。
金蔵:なるほど、陰気に。
親分:で、いるって言うに違いないから、さっさと二階へ上がっちまうん
だ。もしお染が出てきたら、必ずわけを聞かれるだろうから、
「実は俺はいっぺん死んだんだが、また生き返った。おめえの事が
心配でしょうがねえから訪ねてきたんだが、おめえは変わりなかっ
たか?」となるべく情があるように言うんだ。
金蔵:毒づいたりとかしたらいけねえんで?
親分:そりゃまだあとの話だ。
お染もきまりが悪いだろうから、今夜はゆっくり遊んでおいでとか
言って酒とか出されるかもしれねえ。けどそいつを吞んで陽気になっちまっ
ちゃいけねえぞ。
「どうも心持ちが悪いから、寝かしてくれ。」てな、お引けになっ
たら…そうだな、俺一人じゃいけねえな。
おぅい留公!ちょいと来な!
留公:へい、なんでござんすか親分。
親分:おう、そこに座りな。
おめえも今までの話は聞いてたろ。
それでな、おめえは金蔵の弟ってことにして向こうへ行くんだ。
留公:あっしが金公の弟ってことにするんですか。
わかりやした。
親分:ああ、あまり口数をきいちゃいけねえぞ。
いいか、「兄貴に死なれてまことに物悲しい。」とふさぎ込んでり
ゃいいんだ。
で、「実はおらァ昨日、夜網に行って、網を打ったら引っかかった
ものがある。たぐり寄せてみると土左衛門だったから、上げてみる
と兄貴の金蔵だからびっくりした。他のものは何にもねえが、
起請文だけがへそのところにぴったりくっついていた。
よほどおめえに気を残して死んだに違えねえ。」とこう言え。
留公:ふんふん、なるほど。
親分:で、今夜はお通夜だ。他のどんな者の回向よりもおめえが来て、
線香の一本も上げてやりゃ、当人がどんなに喜ぶか知れねえ。
だからたとえ一時でもいいから暇をもらって、金蔵のお通夜に
ちょいと顔出しをしてもらいてえ、と俺が言う。
向こうは笑うだろうよ。そんなこと言ったって金さんは今、うちに
遊びに来てる、とな。
そこで俺たちは、そんなことはねえ、俺たち二人はお通夜の途中で
抜け出してここに来てるんだと返してやる。
そこでお染が金蔵、おめえの寝てるとこに案内しようとするだろう
から、うまく姿を消すんだ。
金蔵:うまく、ってどこに隠れりゃいいんで?
親分:戸棚の中でも衝立の影でもいいから、とにかく見つからねえように
しとくんだ。
それでお染が布団をまくろうとするだろうから、その前に留公、
おめえに俺がさっきの位牌を出せと言うから、おめえが懐に手を
入れて、「おかしい、確かにここに持っていたんだが、位牌が無く
なった」と言うんだ。
金蔵、位牌はおめえに渡しとくから、隠れる前に布団の中に残して
おかなくちゃダメだぞ、いいな?
金蔵:わ、わかった、親分。
親分:で、いざ布団をまくったら中に、無くなったはずの位牌があるって
寸法だ。お染は肝をつぶすだろうから、今度は留公、おめえが
「無くなったはずの位牌がここにあるって事は、兄貴が先に会いに
来たに違えねえ。いったいどういうわけで死んだのか、そのわけを
話してくれ」と言うんだ。
留公:わかりやした。けどお染が素直に話しますかね?
親分:さすがにこの期に及んで嘘は言わねえだろうよ。
それ聞いたら俺が、そりゃいけねえ、そんな事しておめえだけのめのめ
めここで商売してるんじゃ、金蔵が恨むのも無理はねえ、
おめえは遠からず取り殺されるに違えねえ、とでも言ってやりゃあ
さすがに怖くなって、どうしたら勘弁して浮かんでくれるか聞いて
くるはずだ。
そこで、おめえの緑の黒髪を根元からぶつりと切って、いくらでも
いいから回向料出して、お坊さんにありがたいお経でも上げてもら
ったら、ことによると浮かばれるかもしれねえと言ってやる。
そうすりゃ必ずいう通りにするだろうから、受け取ったら俺が金蔵
、おめえを呼ぶからあとは三人で散々お染に毒づいてから引き上げ
てこようってわけだ。
金蔵:はぁぁこりゃなるほど!ようがすねえ!
あっしはよっぽど殴ってやりてえと思ったんだが、そんな事するよ
りよほど身に染みて堪えるってもんだ。
じゃあ親分、ひとつよろしくお願いします!
親分:おう、だけどな、あんまりそう威勢が良くなっちまっちゃいけねえ
ぞ。顔色の青い、今のまんまの方がいいんだ。
なるたけしょんぼりして行けよ。
語り:三人はすっかり手はずを整えてその晩、金蔵は大引け前にやってき
ました。店の若い衆はもうじきにお引けだってんで、生あくびを
かみ殺して眠気をこらえている。
若い衆:ふあぁ~~っ、なにしろ夜が更けてくるてえと…う、うわッ!?
び、びっくりした…えッ!?金蔵さんじゃねえかい?
金蔵:…お染は、いるかい…?
若い衆:えっ?ええ…いますよ、お染さん。
金蔵:…じゃ、上がるよ…。
若い衆:…な、なんだかふわふわふわふわして二階へ行っちまった…。
え、あれ、本当に金蔵だよな…?
っとにかく、お染さん呼ばねえと…。
ぇお染さーん!ぇお染さん-ーん!
お染:はーい、ここだよ。
若い衆:あ、お染さん!あの、ちょっと……来ました。
お染:え?
若い衆:来たんですよ!金蔵が…。
お染:!!えッ!?
やだよもう、脅かすんじゃないよ。
若い衆:脅かしゃしませんよ。本当にいま来たんです。
お染:え、き、来たって…どんな感じだい?
若い衆:どんなったって…なんだか青い顔でね、
どことなく瘦せがれた感じで、「お染はいるかい」って言うから
、いるって言ったら上がるよって、二階へスーッと。
お染:ぇ……嫌だね…足はあった?
若い衆:ぁ~…そいつはよく見ませんでした。
お染:ぃ、嫌だねもう…気味が悪いよ。
若い衆:そんなこと言ったって向こうにいるんですから、
行って下さいよ。
お染:行って下さいったって、私一人じゃ心持ちが悪いよ…。
お前さん一緒に来ておくれ。…どこなんだい?
若い衆:っと…あ、ここですここ。
ぇ~ごめん下さいまし!
開けますよ。
お染:…!!ぁらっ、金さん!?
金蔵:……お染かい…?
…こっちへお入り…。
お染:【声を落として】
金さん、無事だったのかい…!?
まぁ~よかったねえ…私はどんなに気をもんでいたかしれないんだ
よ?
お前さん、助かったんだねえ…。
金蔵:…俺ァいっぺん死んだんだ。
けど真っ暗な道をとぼとぼとぼとぼ歩いていくと、向こうから来た
お坊さんが、おめえはこっちへ来るんじゃねえ、あとへ帰れ、あと
へ帰れ、って言うんだ。
どっかで見たような顔だなあと思ってじっと見ると、お地蔵様らし
いんだ。
言われた通りにあとへ帰ってくると、耳のそばでガーガーガーガー
言われるんで、ひょいと目を開いたら…俺ァ生き返ったんだ。
しかしおめえがどうなったかと思って、俺は気になってしょうがな
かった…。
おめえ…無事だったのかい…?
お染:【きまり悪そうに】
…無事だったのかと言われるとさ…いえね、私だってすぐ後に
続いて飛び込もうとしたんだけど、若い衆に止められたんだよ。
死ぬにも死ねなかったんだ。
確かにお金はなんとかできたんだけどもね、お前さんには本当に
申し訳が無いと思っていたんだよ。
とにかくこうしてお前さんも助かって縁起がいいから、今夜は
芸者でもあげて一つ、陽気に騒ごうじゃないか。
あ、今夜の勘定は心配しなくていいよ、私が出すからさ。
金蔵:…俺ァ、陽気に騒ぐのは嫌なんだよ…。
お染:だってお前さん、いつも騒ぐのが好きじゃないか。
じゃあお酒を先に飲むかい?
金蔵:酒は…呑まない。
お染:えっ、お酒も呑まないのかい?
金蔵:それより、水が飲みたい…こう、清い水がいい。
お染:水なんか飲んだってしょうがないじゃないか。
それじゃ、何か食べたいものはないのかい?
金蔵:…団子なら食いたい。
お染:変なものを食べたがるんだね…じゃお団子を取ってあげるけども、
蜜がいいかい?それとも焼いたの?餡かい?
金蔵:…白いお団子がいいな。
お染:白いお団子なんて食べたって美味しくないじゃないか。
他に食べたいのはないかい?何でも好きなのを取ってあげるよ。
金蔵:いや…もういいよ…。
俺ァなんか心持ちが悪くてしょうがねえから、寝かしてくれねえか
?
お染:そうかい?疲れてるんだね。
それじゃ今すぐお引けを入れさせるから。
ちょいと待ってておくれ。
若い衆:ぇお染さんー、ぇお染さんーー。
お染:はーい、何?
若い衆:いま、お二人連れの方があなたに急いでお目にかかりたい、
お話があるてんで、あちらでお待ちになっております。
お染:あらそう。
じゃ金さん、ちょいと待ってておくれ。
すぐに帰って来るから。
それで、どこに?
若い衆:へい、こちらで。
お染:あら、いらっしゃいまし。
親分:お染さんてのはお前さんかい?
まま、こっちへ入ってくれ。
貸本屋の金蔵てのが、お前さんの馴染みだね?
お染:ええ、そうですけど。
親分:それについて話があるんだ。
こっちは金蔵の弟の留公てんだ。
留公:夕べ俺ァ、品川へ夜網に来たんだ。
ところがどうしたものか、幾ら網を打っても雑魚一匹かからねえ。
忌々しいな、もう帰ろうか、いや、それじゃこっちも業腹だから、
もう一網だけ打とうと思ってサッと打つと、今度はずっしり手応え
があった。
しめたと思って引き上げてみたら、土左衛門が掛かった。
縁起でもねえ、こんなものが掛かりやがってと、竿で向こうへ押し
やった。
それで二、三町河岸を変えて網を打ったらまた引っかかったものが
ある。引き上げるとさっきの仏だ。一度ならず二度までも俺の網に
掛かるんだ、これァ何かの因縁のある仏に違いねえ。
弔ってやろうと思って船へ上げて、ひょいと顔を見てびっくりした
。それが兄貴の金蔵だったんだ。
お染:えっ…。
親分:こいつもがっかりしやがってな。
それで、俺のとこにも話が来て急いで通夜となったんだが…、
俺ァはじめ、金蔵のなりを見た時にゾッとした。
一糸まとわねえ姿だったんだが、へその辺りに紙のようなものが
くっついてたんだ。
…これなんだが…お染さん、こりゃああんたが金蔵にやった起請文
じゃねえのかい?
お染:!!ったしかに、私の書いたものだね…。
親分:お前さんの事をよほど思い詰めて死んだに違えねえ。
他の者が何べんもお経をあげるよりも、お前さんが線香の一本でも
上げてやりゃ、どんなに仏が喜ぶか知れねえ。
だから親方に話をして、一刻でも二刻でも暇をもらってな、
ちょいと通夜に顔出しをしてもらいてぇんだ。
実はその事を頼みにこうして来たんだ。
お染:…ぷっ、くすくす…っそ、そうですか…。
親分:ッなんでェ、そうですかっておめえ、笑う事はねえじゃねえか。
お染:っだっ、だって…あんまりおかしくて…。
そんな事を言って脅かしたってダメですよ。
だって金さんここに来ていますもの。
親分:えっ!?金公が来ている!?
そんなわけはねえだろう。
だって俺たちは通夜を抜けて来てるんだぞ。
お染:そんなこと言ったって、来ているものはしょうがないですよ。
いま向こうで寝てますよ。
親分:おかしいな。
じゃあおい留公、さっきのアレを見せてやれ。
留公:へ、へい。
……あれ?
確かに懐の中に入れたんだが…?
親分:どうした?
留公:いや、懐に入れたはずの位牌がねえんです。
親分:なに、無い?
落としたのか?
お染:ダメですよ、そんなこと言って人を脅かそうったって。
ちゃんと向こうにいるんですから。嘘でも何でもありませんよ。
なんでしたら一緒に来て下さいな。
留公:おう、それじゃ会わしてもらおうじゃねえか。
お染:ちょいと金さん、起きとくれよ。
金さーーあ、あれ?どこへ行ったんだい?
…はばかりかしら…?おかしいわね。
親分:おいおい、こりゃあどういう事だい。
誰もいねえじゃねえか。
お染:そんな事はありませんよ。
確かにここに寝ていたんですもの――あッ!?
親分:!?ど、どうしたんだ?
お染:な、何だか変なものが布団の中に…!
親分:変なもの…?おい、こりゃ位牌じゃねえか!
留公、おめえ懐に入れてて無くなったてなぁ、これじゃねえか!?
留公:え…あぁっ!こ、これだ!これですよ親分!
「大食院好色信士」、確かにこの戒名は…兄貴の位牌で…!
【すすり泣く演技】
それじゃああっしの懐から飛び出して、位牌だけ先に会いに来たん
ですね…!
親分:はぁ~こいつァどうも恐ろしいこったな。
お染さん、これァ一体どうしたことでぇ?
こういう事が起きるってこたァ、ただの死に方じゃああるめえ。
なんかわけがあるんだろ?隠さずに言ってくんねぇ。
お染:じ、実は…移り替えができなくて後輩に馬鹿にされるのが耐えられ
なくて、心中相手を探してたんです。
それで金さんがいいなって事になって、それで一緒に死のうとした
んだけど、金さんを突き落としてすぐ後に飛び込もうとしたら、
若い衆に移り替えの費用を用立ててくれる人が来たから、死ぬのは
思いとどまれって止められて…。
親分:なるほどな、事の次第は分かったが…お染さんよ、それァいけねえ
な。
金蔵だけ海に突き落としといて、おめえはこうしてのめのめ商売
なんぞしていたんじゃ、そりゃあ恨まれてもしょうがねえよ。
無理もねえ話だ。
悪くするとこのままじゃ…おめえ、近いうちに取り殺されるぞ。
お染:えっ、ちょっ、ちょっと…脅かしちゃいけませんよ…。
親分:脅かしじゃねえよ、現にこういうことが起きてるんだ。
間違いなくそうなるだろうよ。
お染:そ、そんな…困ったわね…。
あの…どうしたら金さんが浮かんで…堪忍してくれるでしょうかね
…?
親分:どうしたら浮かぶったって、そんなこと聞かれても俺も困るが…、
じゃあこうしたらどうだ?
おめえの命の次に大事にしてるもの…その緑の黒髪がいいな。
そいつを根元からぶっつり切ってな、たとえ幾らでもいいから
回向料を付けて、ありがたいお坊さんにお経をあげてもらったら、
ことによると浮かぶかもしれねえ。
留公:さもなきゃお染さん、おめえさんの命が危ねえ。
さ、どうする?
お染:そ、そうだね、それじゃ、いま切りますから…。
語り:さすがのお染も、こうまで上手く話を持ってこられてはよほど怖か
ったと見え、すぐにハサミでもって髪の毛を根元からバッサリ切り
落とします。
お染:あの、これ、お金はたいしてありませんけど五両だけ…
これでお坊さんにお経をあげていただくようにお願いします。
親分:おう、確かに預かった。
これだけありゃ、きっと俺が浮かばしてやるからよ。
お染:浮かんで、くれますかね…?
親分:あぁ、心配しなくてもいい。すぐ浮かぶからよ。
おう金公!どこにいるんだ?早く出てこい!
金蔵:へへへ!
ちゃちゃ~らちゃちゃちゃ~♪
お染:あ、あらッ!?お、踊りながら出てきた…!?嫌だよまぁ!
金蔵:なにが嫌だよちきしょうめ!
へっ、人のこと海に突き落としやがって、「色々とお世話になりま
した。さよなら失礼。」なんてしゃあしゃあしてやがってよ!
てめえの頭の毛ぇ切っちまいやがって、当分商売もできやしねえだ
ろ!
ザマぁ見やがれってんだバカ!
お染:まあこの人は…!そういや変だと思ったよ。
いくら何でもスケベな幽霊だとは思ったけど…、
髪の毛まで切らしてしまうなんて酷すぎるじゃないか!
親分:ハハハ…お染さんよ、そんなに怒るもんじゃねえやな。
お前さんがあんまり客を釣るから、「魚籠に(比丘尼)」されたん
だ。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
三遊亭圓生(六代目)
古今亭志ん朝(三代目)
※用語解説
・四十両
今の金額にしておよそ320万円。
一両が現代換算で約八万円の為。
・十万億土
仏教用語でこの世から西方極楽浄土までの、果てしなく遠い無数の仏国土
(仏様の世界)を指し、阿弥陀仏のいる極楽浄土の広大さや到達の困難さ
を表す言葉。
・すすぎ
足とかを洗う、桶に入れて持ってくる水。
・へっつい
飯とかを炊くかまどの事。
・所帯道具
家財道具、家具のこと。
・匕首
鍔の無い短刀。ドス。
・白無垢
おめでたい方なら、花嫁衣裳、出産に、おめでたくない方なら
葬礼、経帷子、その他に武士が切腹する際に着た。
今回は後者。
・元結
日本髪の髷の根元を結い束ねるのに使う、丈夫な紙製の紐。
相撲力士の大銀杏や、歌舞伎、舞妓、時代劇などで使用され、
紙製でありながら切れにくく、強度としなやかさが特徴で、
公文書の綴り紐や茶口の紐など、多用途に使われてきた。
・ダボハゼ
マハゼ以外の小型ハゼ類(チチブ、ドロメ、アゴハゼなど)の総称で、
特に関東や東海地方でチチブを指す俗称。貪欲に餌に飛びつく様子や、
釣れやすく価値が低い雑魚を指す言葉としても使われる。
・お上の手が入る
今風に言うなら、警察の強制捜査、ガサ入れが入った、という所。
・はばかり
トイレ。
・心持ち
心の状態や気分、感じ方、または心の準備や心構えを指し、古くからある
言葉で「気持ち」に近い意味で使われる。
・起請文
神仏に誓約し、もし誓いを破れば神罰を受けると記した文書で、
平安時代後期から中世・戦国時代に契約や忠誠の証として武将などが広く
用いた。
・回向
仏教で、自分が積んだ善行(読経や念仏など)の功徳(ご利益)を、
自分のためだけでなく、故人の冥福や他の人々、すべての生きとし
生けるものの幸せのために振り向けること。
・業腹
すごく腹が立つこと。しゃくにさわること。
・土左衛門
水死体のこと。
・二、三町
面積(約9,917平方メートル、約1ヘクタール)と長さ(約109
メートル)の両方の単位として使われ、面積では10反、長さで
は60間に相当する。
・「魚籠に(比丘尼)」される
魚籠とは、釣りなどで捕獲した魚を入れておくための、竹や網などで
編まれた携帯用の籠のこと
比丘は男性の坊主のこと。




