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第7話 オアの大陸の勇者と魔王①

 

 時間は遡る(ミヨクの魔法ではない)。


 ──3ヶ月前、オアの大陸。


 その日、世界が希望を託した勇者一行は、魔王という名の絶対的な絶望の前に、惨めな敗北を喫した。


 辛うじて彼らが全滅を免れたのは、仲間の女魔道士ユナが、その若き命の輝きをすべて魔法回路の燃料として燃やし尽くし、禁忌の転移魔法、スーパーエスケープ、を起動させたからに他ならない。その代償は、彼女の存在の完全消失であった。


「なにがスーパーエスケープだよ、バカやろーが……! いつの間に覚えたんだよ、そんなふざけた魔法!」


「魔王からは、逃げられない。だからこその……命懸けの代償だったんだ……」


「だからって、死ぬ時は皆で一緒だって言っただろうが!」


「……挑むのが早すぎた、俺のミスだ。ユナ……ごめん、本当に……」


 彼らにとって、死よりも重い生存。尊い犠牲によって繋がれた命は、全滅よりも遥かに鋭い棘となって彼らの心を抉り続けた。


 打ち沈む勇者一行は、その冒険を一時中断した。それは、限りなく終了という名の終止符に近い、無期限の休業であった。


 ──が、その一ヶ月後。


 傷心の癒えぬ彼らは、立ち寄った寂れた町の酒場で、奇跡のような噂話を耳にする。


 時の魔法使い。


 その魔法使いが具体的にどのような奇跡を成すのか、ただの与田話なのかは誰も正確には知らない。けれど「時」を冠するその名に、勇者たちは勝手な、しかし切実な期待を寄せた。「時を操れるのなら、失ったあの瞬間を、死の運命を、無慈悲に過ぎ去った過去を書き換えることができるのではないか」と。


「ああ、あの人なら、今ちょうど町の雑貨屋に買い出しに来てるよ」


 酒場の店主は、まるで今日の天気でも話すかのように、あっさりとそう言った。


「──いや、だから今その噂話をしていたんだから。2ヶ月ぶりくらいかな? まあ、割とよく来るよ」


 正に晴天の霹靂のような話に、勇者一行は弾かれたように駆け出した。脳裏に焼き付いたユナの最期の笑顔を、縋るような希望に変えて。


「えっ? あっ、お代は? えっ、えっ、勇者だからって食い逃げはダメだよ! おーい!」


 背後で店主が叫ぶ。勇者は慌てて引き返し、震える手で財布から金を取り出した。


「釣りはいりません。情報提供の謝礼だと思って取っておいてください。本当にありがとう!」


 深々と礼を告げ、再び砂埃を上げて去っていく勇者の背中を見送り、店主は手のひらの端金を数えて鼻を鳴らした。


「……うん。ぴったりだな。釣りなんて一銭もねーよ」



 ◇◇◇



 勇者一行は、その姿を視界に捉えた瞬間、確信した。そこに立っているのが間違いなく異質の権身であると。


 ──何故なら男の抱えた買い物袋の数が異常だったから。そして、周囲の客たちが向ける眼差しも、畏怖よりはむしろいつもの珍客を眺める親愛の情に満ちていたからだ。


「あら、時の魔法使い。今回も凄い荷物ねぇ」


「あっ、時の魔法使いだ!」


「ゼンちゃんとマイちゃんだ! かわいいーね!」


 無邪気な子供の歓声に、青年の足元でせっせと荷物を抱えていた体長八十センチほどの人型のぬいぐるみが反応した。


 先ず、ツバ付き帽子を反対に被ったゼンちゃんが、不機嫌そうに顔を歪めて、「可愛くねーよ。男は可愛いなんて言われても一ミリも嬉しくねーんだよ。……まあ、でも、ありがとよ」と結局最後はまんざらでもなさそうにした。


 一方、おかっぱ頭に赤いリボンを乗せたマイちゃんは、「えへへ、嬉しい、嬉しい。ありがとう!」と、愛らしく手を振ってみせた。


 ──魔法使いが存在するこの世界で、魔法で物を動かす事は珍しい事ではなかったが、これほどまでに表情も豊かに自己主張をしっかりとして、しかも平和的で、更には可愛らしい人形は、世界広しといえど稀であった。


 時の魔法と、それを操る時の魔法使い。


 ──その風貌は、威厳など一切感じさせないただの町民のようであった。


 ひどい寝癖だった。黒髪があちらこちらへぴょんぴょんと跳ね、顔立ちは髭の剃り跡さえない事から20代と予想ができ、服装もラフにチェック模様のパーカーに、白いスウェット、真っ赤なハイネックのスニーカー。魔法使いという割には三角帽子もローブも杖もなく、全くらしさが足りなかった。


「時の魔法使いか?」


 勇者はそう問いた。


ミヨクは重い買い物袋を下げたまま、視線を向けた。ただ眠たげで、何に対しても興味のなさそうな、細められた

ままの黒い瞳で。


「──頼みがある」


「えっ  嫌だよ」


 一秒の猶予もない拒絶。すると、すかさずゼンちゃんが

「はやっ!」と素っ頓狂な声を上げ、続いてマイちゃんも「……嫌なんだ。そんなにすぐに嫌って返事をすると思ってなかったから、オラ驚いたよ」と驚きに声を震わせた。


「……すまんな。先走りすぎだったようだな……先に自己紹介をすべきだったな」


 勇者は気圧されながらも、自らの肩書きを盾にするように声を張った。


「──俺は実は、勇者だ。そう、あの勇者だ! 魔王を倒すために旅をしている、選ばれし者だ。時の魔法使いよ、魔王を討伐するために、その力を貸してくれないか?」


 だが、ミヨクの返答は変わらなかった。


「うん。そうなんだね。でも嫌だよ」


「はやっ!」


「嫌なんだね。どうしても嫌なんだね。どうしても嫌なら仕方がないね。なので諦めて下さい」


 マイちゃんがぺこりと頭を下げるが、勇者は必死だった。


「……ご、語弊があったようだな。一緒に旅をしろと言っているわけじゃない。ただ、仲間が死んでしまってな……勇者の仲間が、だ」


「うん。それは悲しいね。でも嫌だよ」


「結局かいッ! でも一応は相手の話を最後まで聞いてから答えるのには好感が持てるぜ!」


「えっ! そうなの? 今のって好感もっていい所だったの? じゃあ、いいんだね。好感は大事だもんね。えへへ」


「……また語弊があったようだな……。いや、死んだ者を生き返らせて欲しいって言ってるわけじゃないんだ。そんなのは魔法使いじゃない俺だって分かってる。ただ、魔法を使って時間を戻して欲しいだけなんだ。得意なんだろ? 時の魔法使いというくらいなんだから」


 勇者は必死だった。だから確信など持っていなかったのだが、その名前に縋るしかなかった。


 だが、ミヨクはそんな勇者の悲壮な決意をよそに、大切そうに、ある砂時計を取り出してそれを見つめていた。まるで、外界の喧騒よりも、その落ちていく砂粒の規則正しさの方が重要であるかのように。


 そして──。


「嫌だよ」


 結局そう言った。眠そうな目で、けれど手元の砂時計には深い関心を寄せながら、ミヨクは三度目の拒絶を口にした。


 ──故に勇者は、ついにキレた。


「へー、へー、あーそうですか! 時の魔法使い様はお高くとまってらっしゃるか! だったら力ずくで命令してやろうじゃねーか!! 」


 勇者が剣を抜き放ち、仲間たちも獲物を構えた。


 ──その刹那だった。


「ダンロ・コガン・サマルーダ──《世界よ止まれ》」


 ミヨクがそう言葉を発した瞬間、世界が完全に窒息した。風も、雲も、あらゆる生命の鼓動も、空気の震えさえもがぴたりと静止した。ミヨクと、2体のぬいぐるみを除いては。


「オイラたちは世界に許されているからな」


 そんな得意げなゼンちゃんに、マイちゃんがすかさずツッコミを入れる。


「ゼンちゃん、ちょっと違うよ。許されているのは時の魔法使いのミョクちゃんだけだよ。オラたちはミョクちゃんの魔力で出来ているから大丈夫なだけだよ」


「うるせーな、細かいんだよマイは!」


 ゼンちゃんの蹴りがマイちゃんに入り、マイちゃんは「ぐおーん、ぐおーん」と泣き出した。


「こら、ケンカすんな。魔力吸い取っちゃうぞ。それとマイちゃん、俺の名前はミヨクだよ」


 ミヨクは欠伸を漏らしながら、砂時計を見つめていた。


「──それより、そろそろ帰ろうか。まだ眠いんだ。分かってると思うけど、道中で人にぶつかったらダメだよ。今の皆は、凄く脆くなっているから。ちょっと当たっただけでも、死んでしまうかもしれないからね」


「あっ、でも、でも、ミョクちゃんって呼んだ方が可愛いから、オラはそこだけは直したくないです……ダメかな?」


「ん? ああ、そうなんだ。なるほどね。じゃあ、マイちゃんはそれでいいよ。ゼンちゃんもそんな感じ?」


「おいおい、愚問だろ。男はちゃんなんて呼ばないんだよ」


「そう。ゼンちゃんとマイちゃんって本当に性格が違うよね。性別を変えただけでそんなに変わるのには、俺もびっくりだよ」


「あっ、でもでもミョクちゃん。この人たち凄く困ってるみたいだったよ。本当に助けてあげなくていいの?」


「マイちゃん、それは勇者と魔王の争いに俺が関与するって事になるんだよ。俺はどっちも善とも悪とも思ってないから、どちらかの手助けは出来ないよ。依怙贔屓になっちゃうからね」


「──それに、死んだ仲間の為に時間を戻して欲しいんだっけ? 戻したところで、現時点での記憶を持ったまま戻るわけじゃないから、同じ事を繰り返すだけだよ。勇者と魔王が戦った。その結果、勇者の仲間の一人が死んだ。その事実を繰り返すだけなんだよ」


「でも、でも、ミョクちゃんなら、現在の記憶を残したまま過去に行かせてあげる事も可能なんでしょ?」


「マイちゃん。さっきも言ったよね。依怙贔屓はしないよって。世界の争い事には、なるべく干渉しないんだ、俺は」


 歩みを止めないミヨク。マイちゃんはまだ何か言いたそうだったが、ゼンちゃんに「ほら、マイも早く行くぞ」とまた尻を蹴られ、「ぐおーん、ぐおーん」と泣きながらその後を追っていった。


 ──世界に時間の流れが戻ったのは、ミヨクたちが自宅に着いた時だった。賑やかな市場で、武器を構えた瞬間に標的を見失った勇者たちは、狐に摘まれたような顔で呆然と立ち尽くしていた。



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