第6話 序幕 時の魔法使い
ラグンの封印から、800年と数年後。
その歳月は、世界の大陸を六つに引き裂き、増えすぎた人間たちを往時の倍以上に膨れ上がらせた。
だが、変わらないものもあった。ラグン・ラグロクトという存在がいようがいまいが、世界のどこかで必ず争いの火の手が上がっていること。そして──ミヨクの不死は、相変わらず無慈悲に継続していることだった。
ミヨクは、作りたての墓の前に立ち尽くしていた。
つい先刻まで、そこには800年の執念を燃やし尽くし、枯れ木のようになったソクゴがいた。彼が息を引き取ったその場所を掘り、ミヨクは自らの手で友を土に帰した。立てたばかりの粗末な墓標は、まだ新しく土の匂いがしている。
ミヨクは、その新しい土に向かって、そっと手を合わせた。
「羨ましいな……」
開口一番に漏れたのは、祈りではなく、心底からの羨望だった。
「──死は必要だよ……」
その言葉は、冷たくなった友への、何よりの献辞だった。
「──長く生きていたって、つまらないものだよ……」
生命の永遠は、結局のところ底なしの退屈へと行き着く。特に、ミヨクのように世界の理を容易く捻じ曲げられる強大な魔力の持ち主にとっては。
彼はあまりに強すぎた。故にどれだけ世界が争いを繰り返そうと、どれだけ多くの人々が困窮していようとも、彼にはどうすることもできなかった。なにせ、指一つで世界の時間を止め、何もかもを自らの采配一つで決めてしまえる絶対的な権力をその身に宿しているのだから。支配か、あるいは世界の滅亡か。そのどちらも望まないミヨクは、この八百年の大半をただの傍観者として生きる事しかできなかった。正に、退屈という名の牢獄そのものだった。
「……まあ、愚痴だよね。ソクゴの前だから、こんな弱音が吐ける……。俺、友達いないから。不死がほぼ確定してるってことは理解しているし、もう諦めてはいるんだけど……でも、いつかは完成させてみせるゃ。俺が俺を殺すための、究極の魔法を。絶対に。だからそれまで待っていてくれよ、ソクゴ。俺もいつか、そっちへ行くから」
ミヨクは深く頭を下げ、冷たくなった土の下にいる唯一の理解者に、最後の別れを告げた。
「ソクゴ、人生お疲れ様。今まで、アイツを管理しててくれて……ありがとう」
◇◇◇
ぐうー……。
重苦しい沈黙を、腹の虫が容赦なく踏みにじった。
ミヨクの不死は、死の直前に時間が強制的に巻き戻るという特異なものだが、それまでの肉体はあまりに人間臭いいもので、彼の腹は普通に栄養が欲しがった。
ミヨクは、この前にたまたま発見した、この土地の南に位置する大陸の湖畔に成ってる宝石のように輝く赤い果実を取りに行くことにした。
奇しくもこの日、世界は喧騒の極致にあった。
遥か遠くのカネアの大陸では国と国が総力を挙げて殺し合いをしており、魔法使いが建物を破壊する音や人々の悲鳴が空に響き渡っていた。
リドミの大陸では、内戦の混乱に乗じた他国の侵攻が吹き荒れていた。
ある国では大雨と雷鳴の中で畑の権利という些細な理由で男たちが殴り合い、また別の町では隣家同士がささいな口論の末に喧嘩を始めていた。
そしてミヨクの目的地である南の大陸の湖畔もまた、例外ではなかった。宝石のように輝く赤い実が成る木の前で、大勢の人間たちが血飛沫を上げて殺し合っていた。
「……はぁ」
ミヨクは、深い、深い溜息を吐いた。
そして、すかさず世界の時間を止めた。
その瞬間、カネアの大陸で放たれた魔法の火球が宙で凍りついた。リドミの大陸でも振り上げられた刃が静止をし、中空に投げ飛ばされた兵士もそのまま彫像となった。
世界中のどこかで降っていた雨も、雷も、雪も、風の音も
隣同士の家の住人が交わしていた取るに足らない怒声の欠片さえも、全てがその気配を失った。
世界中のありとあらゆる営みが、ぴたりと。
制限皆無の、時の魔法。
ミヨクは無音の世界を一人歩いた。南の大陸の戦場に立つ固まった人間たちの間を上手に避けながら、目当ての赤い果実を一つ摘み取った。そして再び人と人の間を縫って、戦場を見下ろす高台へと戻っていった。
魔法を解いたのはその場所。
刹那、世界に地獄の音が戻った。爆音、悲鳴、雨音、怒号。
ミヨクはその喧騒を背中で聞きながら、赤い果実をシャリ、と噛んだ。
「──ああ……今日のは前ほど美味しくないな……」
滴る果汁は甘いはずなのに、舌の上で転がる味は酷く味気ない。
「──人が大勢死ぬのを、見ちゃったからだね……」
喧騒が戻った戦場を恨めしそうに見つめながら、ミヨクはただ、果実を噛み締めていた。




