第35話 ギンロシの大陸の仙人⑨
ハムラは謎の女子高生の事で頭が一杯になっていたのだが、消えてしまったものは仕様がなく、故に割と冷静になると、自分の今の状況を再認識した。
生命を失い横たわっている魔獣アフロベアと自分と同じナカゴエのシルドナ。
その体内からは気聖の塊が外に飛び出しており、ハムラはその数の多さに驚いた。
2個ではなく、38個。
その数が何を意味するのか、ハムラは先程この魔獣アフロベアがシルドナを食そうとしていた事を思い出し、そして悟った。
「……お前……まさか気聖使いをそのまま食べていたのか……だから……いや、そうなのかは実例を俺は知らないから詳しくは分からないんだが、だからあんなに強かったのか……」
気聖は相手から奪う事ができる。が、その量は全てではなくその半分未満。奪う側にも体内に気聖を留めてゆおく事ができる上限があるからだ。そう、上限。けれどそれはあくまでも人に限った場合であり、恐らく魔獣であるアフロベアにはそのセオリーが通用しなかったのだ。
気聖使いを食べる事でアフロベアはその気聖を丸ごと得たのだろう。
「……だが、吸収は出来なかった。それは食ったからか魔獣だからかなのは原因は分からないが、腹には溜めておく事はできたが吸収までは出来なかった。だからこうして気聖の塊がこの場に2つ以上出てきちまっているってんじゃねーのか? 知らんけど」
魔獣に食された気聖使いたちの吸収されなかった迷える気聖たち。
そしてこれは仙人さえ知らない例外中の例外の出来事であり、故に更に例外な事態が起こるのだった。
──動いた。38個の内の36個の気聖が、まるで意思を持っているかのように一斉に動き出して、そして次々とハムラの体内へと入っていった。
「ぐっ!? ぐわあぁあぁああぁぁぁあーー!」
気聖の大量流入により、ハムラは大きな悲鳴と共に気を失い、そして夢を見た。
知らない顔……いや、もしかしたら見覚えのある顔があるかも知れないが今は思い出せず、兎にも角にも、そんな男たちがぐるりとハムラを囲っていた。そしてハムラはその数が36人である事を確認すると、ああ……この者たちは魔獣アフロベアに食べられた者たちだと理解した。
「あげるよ」
36人の内の誰かがそう言った。それからも、「受け取って」、「やるよ」、「ほら、遠慮しないで」、と譲渡の言葉が続けられ、それに対してハムラは、これは気聖の事を言っているのだと悟った。
例外中の例外の更に例外な事態。しかもこの例外はこれだけでは終わらなかった。
気聖の過剰摂取は、満腹状態の腹に更に食べ物を詰め込むのと等しい行為なのでつまりは不可能なのだが、ハムラはやがて一気に流れ込んできた36人分の気聖を体内に留めておく事に成功した。
この現象についてハムラは……いや、後に仙人も同じ見解を示すのだが、奪う、ではなく、譲る、だったからではないかと考えられた。
相手の気持ちの違い。取られる、ではなく、受け取って。その真意のほどは分からないのだが、今はこの奇跡のような状況をそうとしか判断がつかず、そしてハムラは更にシルドナの気聖も奪い(自分が倒したわけではないので気が引けたが、気聖はやがて消えてしまうものなので勿体無いと思い)、この日、遂に気聖使いの上位に当たる【聖上高気ナカゴエ】を超えた。
◇◇◇
仙人は気聖使いの上位者を聖上高気と定めただけで、それ以外には明確な基準を作らなかった。ナカマエとナカゴエというのは天上の山の人口密度の増加とそれに伴った強さの底上げにより聖上高気の者たちが勝手に作ったもので、これは原則としてこの大陸では気聖を使う者たちの人殺しが許されていなかった(仙人によって厳しく取り締まわれている)が故の格差であった。つまりは、ナカマエではナカゴエには勝てないので気をつけて。という意味であり、樹海の剛気や金剛気もそういった側面を持ち合わせていた。
だが、ここ20〜30年の間に、ナカゴエを遥かに超越した者たちが現れ始めた。
聖上高気たちは、新たなる段階に進んだ彼らを敬意と畏怖を込めて【新聖気】と呼んだ。
天上の山の5合目を境に、6号目からはこの新聖気たちの縄張りとなっていた。
ハムラは、憧れのその地に足を踏み入れた。
◇◇◇
──洗礼はすぐにやってきた。ハムラが昨日降った新雪に第一号の足跡を刻んだその直後のことだった。
空から、またしても人が降ってきたのだ。
謎の女子高生再びか、とハムラは淡い期待を抱いた。だが、それは流星のごとき速度で墜落し、大気が悲鳴を上げるほどの爆音を轟かせた。山を揺らし、視界を白一色に染め上げるほどの雪煙が舞い上がる。
ハムラは即座に身構えた。途端に背筋に走った悪寒が紛れもなくこれが敵だと認識したからだ。そしてそれと同時に彼は嬉しさで笑みを浮かべた。
──ハムラは試したかったのだ。先程の奇跡のようなパワーアップで自分が今どれたけ強いのかを試したくて試したくて仕様がなかったのだ。
新聖気、発動。
「おっ、おっ、おおっ!」
と思わず声が漏れてしまうくらいに自分でも信じられないくらいの凄まじい力が漲った。例えるならば身体がどんどんと巨大化してかいくようなイメージ。力が漲り、漲り、そして漲る。膨らみ続ける風船。やがて限界値に辿り着くと身体全体を白く淡い光が覆った。その全身を巡るエネルギーは、かつての自分がゴミ屑に思えるほどの全能感を運んでくる。
「──はは。こんなにか。これなら今の俺は、さっきの魔獣 (アフロベア)よりも絶対に強いだろうな!」
ハムラが力に酔いしれていると、ようやく雪煙が晴れ、落下してきた何かの姿が露わになった。
やはり謎の女子高生ではなかった。寧ろ対照的な性別の男。全身を覆っている気聖はハムラとは異なった灰色で、彼の打ち下ろしている拳には地面との間にもう1人の男の顔があり、そっちの方の彼は白目を剥き手足がピクリとも動いていなかった。
「……この2人は上の方で闘っていたのか……今はその決着の後……」
ボソリ、ボソリと呟きながら情報を整理していくハムラ。灰色の気聖の男は立ち上がるとハムラに目を向けた。
大きな男だった。身長は2メートルを越えており、髪型は雄ライオンのようであり、体つきはまるでゴリラのような筋肉で武装されていた。
──ただ満身創痍ではあり、呼吸も絶え絶えだ。けれどそれでも、いや、だからこそ気迫が漲っているのか、ただ見られているだけなのにハムラは摂取される側とする側のような威圧を感じていた。
古くから居座る新聖気による格差の洗礼。
だが、ハムラは「おい、でかいの! 何を勘違いしてるんだ? 俺も新聖気だ。見れば分かるだろ? だからいちいち威嚇してくんじゃねーよ!」と寧ろ嘲笑気味に言い、そのまま攻撃をくわえてやろうと助走をつけて前方に跳躍した。が、急激にパワーアップをしたせいで目測を誤り飛び越えてしまった。その距離は実に20メートル以上であった。
「ははっ、今の俺はこんなに飛ぶのか。なんだこのパワーは? ははっ、だったら最強じゃねーか!」
最強。その甘美な響きにまた酔い、そして今度は地を駆けた。その速度はまたもや最強を再認識するほどに速く、距離を詰めるという意識すら必要く、一瞬、景色が流れたと思った時にはすでに相手の懐に入り込み、その腹に膝蹴りを突き刺していた。
──が、ライオンヘアーがその一撃で倒れる事も、弾かれる事も、身体がくの字に折れ曲がる事もなかった。だが、ハムラは冷静だった。その硬直を予期していたかのように、すぐさま追撃へ転じた。
──軽く跳躍。そして肩の高さが相手の顔面と重なった瞬間にガラ空きとなってるそこへハムラは渾身の拳を叩き込んだ。──自画自賛するわけではないか、完璧だった。これまで積み上げた格闘人生のすべてが、この一点に凝縮されたような完璧な一撃であった。あのシルドナですらこれだけで屠れるという確信。それでも尚ハムラは止まらなかった。追撃。渾身の拳もう一度。そして、更に地に足がつくまでのわずかな滞空時間に計12発の打撃で敵の肉体を蹂躙した。
しかし、
──それでも、ライオンヘアーが地に膝を突く事はなかった。
効いているか、いないか。そんな次元の話ではなかった。ハムラの放った全力の破壊エネルギーは、男の肉体に触れた瞬間に虚空へ消えた。それはもはや圧倒的な質の差という名の拒絶だった。
これが、コイツの気聖……。
ごくりと喉を鳴らしてハムラが一旦距離を取ろうとした、その刹那だった。
ライオンヘアーが動いた。ハムラを追いかけて駆けた。その速度は、ハムラが到達した物理限界を超えた移動すらも嘲笑う程にもっと残酷に速かった。
ハムラは即座に防御に転じた。これまでの人生でどんな猛攻も凌いで見せた鉄壁の構えだ。
だが、ライオンヘアーの巨漢が放った一撃の前では、防御という概念そのものが無意味だった。
ドゴォォオン!!
衝撃波だけで周囲の樹木がへし折れる。ハムラの両腕は骨が砕ける音さえ置き去りにして四散した。防ぎようのない質量がそのまま肋骨を粉砕し内臓を押し潰す。
「ガハッ!?」
更にニ撃目。それを必死にバックステップで逃れようとしたハムラだったが、男の速度がさらに一段階跳ね上がった。
回避という選択肢さえ許されない絶望的な格差。
ハムラは屈辱に顔を歪める暇もなく、顔面を掴み上げられると、そのままゴミのように放り投げられた。
36人の意志を継ぎ、奇跡の進化を遂げた男。
──そのハムラが、文字通り手も足も出ないまま、強制下山させられた。
天井の山──そこは、想像を絶する“上”が平然と呼吸をしている場所だった。




