第31話 ギンロシの大陸の仙人⑤
天上の頂きには、1メートル程の新雪が静謐な沈黙を守るように降り積もっていた。その中心にまるで山が一つだけ呼吸を許したかのように、ぽっかりと湯気を上げる露天風呂が鎮座していた。
そしてその温泉には、1人の男とそれを囲うように複数人の水着姿の女たちが居た。
人によっては羨ましくも思えるこの状況のその1人の男というのが、何を隠そうこの地の主にして気聖の生みの親である仙人であった。水着姿の女たちに囲まれながら、優雅にゆったりと温泉に浸かっているこの男こそが、仙人であった。
──正式な名前は、ロシ。
その風貌を語らせていただくと、髪は律儀に七三に分けており、四角い眼鏡を掛けている。体格は意外にも細身で、背広を着せてしまえば一昔前のサラリーマンのように見えなくもなく、ただ眉毛と顎髭も含めた全ての毛の色は白く、瞳の色もまた白(ただし強膜よりは黒ずんでいて区別がつく)かった。
色々な意味で異様な風貌の仙人は、何故だか急に独り言を語りだす。
「……誰でも構わないんですよ別に。儂の気聖……まあ、実際のところは気聖と名付けたのは儂ではないのですが、その恩恵で誰が強くなっても構わないのです。それが悪人でも魔獣でも。努力の結果ですからね。気聖は使い手を選びません。ただ、あの魔獣アフロベアは人を食べましてね。樹海に居る気聖使いの多くと、山に居る気聖使いたちも数人……それがね……。しかも食べると気聖をそのまま丸ごと吸収できるようでして、それは儂も初めて知りましたが、故にあの強さだった訳なのですよ」
そこで眼鏡をクイッとする仙人。周りを囲う水着姿の女たちは、まるで精巧なからくりのように、一定の角度を保ったまま陶酔したような笑顔を崩さかった。
「──魔獣アフロベアに死罰を与えたのは儂です。あの女子高生のような風貌をした女性は、儂が気聖で作った、実は物体ではないものでして。つまりは気体ですね。いや、人には見えますよ。限りなくそういう風に見えるように、100年以上もの努力を重ねて作りましたからね。服を着ているようにも、髪が揺れているようにも見えます。必死に努力を重ねましたからね」
そこで仙人は満足気に「──ホッホッ」と笑い、七三の髪形を手でなぞり、顎髭をジョリジョリと触った。
「──では、儂がどうやってアフロベアを退治したかって? その前に予備知識として頭に入れておいて欲しいのですが、気聖には上限があるんですよ。人それぞれ上限が。もちろんその上限はこの気聖の地にいる限り増やす事が可能です。ですがそれは徐々に増やすが原則でして、一気に爆発的には不可能なのですよ。それは例えるならば満腹状態の腹にさらに食べ物を詰め込むような行為でして、正直、気聖の場合はそれをやってしまうと高確率で死んでしまうのです。端的に身体が溢れる気聖に耐えられずに破裂してしまうからです。……と、だったら空気と風船で例えた方が分かりやすかったですね。では、空気と風船に例えを変えてもういっか──」
と急に大きな声で割って入ってきたのミヨクであった。ミヨクが雪の中からガバっと顔を出し、そしてそのまま身体の全てを使って高さ1メートルの雪を強引にかきながら出てきた。その後ろからはゼンちゃんとマイちゃんも」
「やはり居ましたかミヨク。それに小さなお友達も。ホッホッ」
「マイちゃんだよ! オラはマイちゃんだよ、ワッ! 仙人。こんにちは」
「オイラはゼンちゃんだ。よろしくな仙人」
2人の元気な挨拶に仙人はまた「ホッホッ」と愉快そうに笑った。
「くそう。やっぱり気付いていたのか?」
ミヨクだけは不服そうに唇を尖らせていた。
「──お前に気付かれないように、世界の時間を止めて山頂に辿り着いて、それですぐにお前を発見して、俺は世界の時間を止めていると新雪の上を普通に歩けるから少し離れた所で世界の時間を動かして、そうしたら新雪はふわふわだから予想通りに雪に埋まったからそのまま隠れていたのに……マイちゃんなんていつ、ワッ! て飛び出すのなんて言って凄くワクワクしていたんだぞ。だからさっきの、ワッ! はそのワッだからな」
……どうやらミヨクは世界の時間を止めてそんな事をしていたらしかった。
「ホッホッ。久しぶりですねミヨク。もちろん普通に儂には分かりますよ。この山は儂の気聖で覆われているんですから誰がどこで何をしているかなんて儂には丸見えですよ。特にミヨクのような特異中の特異な存在なんて樹海に一歩踏み込んだだけですぐに気付いていましたよ」
「……そうか。そうだとは思っていたけど、やっぱりそうか。ただ、お前の話しは全く分からなかったけどな。なんだよ魔獣アフロベアって? それと女子高生って言っていたのか? 俺の聞き間違いじゃなければお前は女子高生の話をしていたのか? なんだよ女子高生って? 何の話だよ? お前、本当になんの話をしていたんだ? 満腹ってなんだよ? 怖すぎて、寒さも吹き飛ぶくらいに怖すぎて、俺はお前がちょっとおかしくなったんじゃないかって心配までしたんだぞ。ほらお前もだいぶ高齢だから。800才を超えた高齢だから」
確かにミヨクはアフロベアと女子高生の件は全く知らなかった。なので仙人は「……では順を追って説明をしましょう」と言ってきたので、ミヨクは「……さすがにそれは面倒くさいからいいや。たぶん知らなくても問題なさそうだし」と普通に断った。
「……」
「……」
「ところでミヨク、オイラずっと気になっていたんだけど、なんでオイラたちは気聖の地で普通にしていられるんだ? 気聖って体調が悪くなったりするんじゃないのか?」
ゼンちゃんが不意にそう割って入った。
「ん? あれ、言ってなかったっけ? いや、そうだね、言ってなかったね。それはねゼンちゃん、仙人の気聖はあくまでも力を持たない普通の人にだけ有害なんだ。だから力のある者、つまりは魔法使いにはそもそも通用しないんだ。そういえば樹海でも勘違いしてる人が居たけど、実は俺だけが特別ってわけじゃないんだ。魔法使いなら俺に限らず誰でもこの山や樹海を普通に歩けるんだ。ただし気聖使い達には気をつけないといけないけどね」
「なるほどそういう事か。だからオイラもマイも普通でいられるんだな。オイラたちはミヨクの魔法で出来ているからな。それと樹海に入る前にミヨクが魔法使いは気聖を得られないって言っていた理由もそれで合点がいったぜ」
とゼンちゃんは納得をしてくれたのだが、ミヨクはそもそも2人には具合が悪くなるなんて機能は備わっていないんだけどね。だってぬいぐるみだから……とは思っていたが、特には口に出さないようにした。
「……でもゼンちゃん、敵意を向けてきた気聖は別だからね。仙人が本気で敵意をぶつけてきたら、それは魔法使いであろうと誰だろうと普通じゃいられなくなっちゃうんだ。こう見えても(露天風呂で水着姿の女に囲まれている)仙人ってやっぱり超強いからね」
ミヨクはそう言い、仙人は「ホッホッ」と笑い、マイちゃんはピクリと耳(?)を動かした。
「オラ、闘ってみたい。そんな超強い仙人と闘ってみたい! さっき樹海で気聖の人たちに稽古をつけてあげたから、オラ気聖の頂点の仙人と闘ってみたい」
マイちゃんが嬉しそうに楽しそうにそう言った。
なので仙人は「ホッホッ」とまた笑うと、マイちゃんとついでにゼンちゃんにも手のひらを向け、2人をたぶん気聖の力で宙に浮かせ、そしてそのまま目には見えない観覧車にでも乗せているかのようにぐるぐるとゆっくり回した。
「えっ、何これ? 楽しい、楽しいよミョクちゃん。身体がね、オラの身体が勝手に動いているよ。何これ? 楽しい、楽しいよ。ねえ、ゼンちゃん?」
「へん。何が楽しいんだマイ? 子供騙しだぜこんなの。オイラはこんな事で喜んだりしないぜ。お前と違って子供じゃないからな。ただ、気持ちがいいのは納得だ。だからもうちょっとこのままで居てやってもいいけどな」
「ホッホッ。儂は2人とは戦いたくないですよ。こうして遊んでいたいですよ。どうですか?」
「うん。オラも、オラも仙人とはこうして遊んでいたい。もっと回して、もっと回して。凄いね。楽しいね」
「もうちょっと早く回せるか仙人? それとついでにもっと縦横無尽にも出来るか? 出来るならやってもいいぜ」
「ホッホッ。出来ますよ。それじゃあ行きますよ、ゼンちゃん、マイちゃん。そーれ、そーれ、ホッホッ」
ぐるぐるぐる。ひゅんひゅんひゅん。そんな3人を見てミヨクは、ゼンちゃんとマイちゃんが楽しそうで良かった、と思う反面、仙人の気聖によって自在に動かされている時点で2人は仙人には勝てないみたいだね、と静かに悟っていた。俺の魔力で作ったものなのにさすがは仙人だね、と。
「ところでミヨクは寒くないですか? どうです一緒に温泉に浸かりませんか?」
仙人はゼンちゃんとマイちゃんを宙で縦横無尽に動かしながらついでミヨクにそう言った。
「……いや、いい。側にいるだけで割と温かくて平気だから大丈夫」
とミヨクは何故か渋った。
「おや、遠慮ですか? 前に一緒に入った事があるから照れる関係じゃないですよね?」
「いや、遠慮じゃないんだ仙人。お前を相手に遠慮なんてしないし、照れる事なんてもっとあり得ないんだ。ただ──」
ミヨクはそう言うと、ふと温泉に浸かっている仙人以外の複数人の水着女性たちを見回した。
「えっ? ああ、そうなんですか? そっちですかミヨク?」
と仙人は何かを悟ったようにニンマリ顔をした。
「──つまりはムッツリと。けれど、ミヨクがムッツリなのは理解しましたが、先程も言ったようにコレは実体のない気聖ですよ。だから照れなくとも良いですよ。ミヨクがムッツリなのは理解しましたが」
仙人は、ミヨクがムッツリであると敢えて3回言った。故にミヨクはキレた。
「分かってなーい! 全然違う! 全然違うぞ仙人! 確かに今の俺は20代でそういうのにとても興味のある年頃で、そういう感情は何回生き返りを繰り返しても、なかなか抗えないものなんだけど……」
と、ミヨクはなんか恥ずかしい事をすらすらと述べたが、途中で自分は何を語っているのだろうと冷静に思ったようで、「─いや、そういう事じゃなくてだな……」と一旦は声のトーンを落として、それから再びキレた。
「──ファファルなんだよ! その名前を使うのも汚らわしから言いたくなかったんだけど、お前のその周りの女性たちの顔は全員ファファルなんだよ! 誰がそんな気持ち悪い温泉に入るかよ!」
空間の魔法使いにしてミヨクの天敵のファファル。急に、不意にその名前が出てきたかと思えば、そういえば確かにファファルに酷似していた。髪型や水着の形や色は違えど皆が同じ仮面を取った時のファファルの顔をしていた。
「──その特徴的な黒と銀の瞳の色も丸パクリじゃないか! ファファルなんだよ、もう完璧にファファルなんだよ! 気持ち悪いんだよ!」
それに対して仙人は、「……えっ、えっ? ち、違いますよ……ファ、ファファル様? な、何を言っているんですか? ど、どこもファファル様に似てないじゃないですか……お、おかしな事を言わないでくださいよ……ファファル様だなんて……本当、何を言っているんですかミヨクは……」ともの凄く動揺をして、動揺しすぎたからうっかりとゼンちゃんとマイちゃんを温泉の中に落としてしまった。
ゼンちゃんとマイちゃんは湯には沈まなかった。それが何故だから分からないし、ミヨクも今はそれどころではなく故に真相は定かではないのだが、兎にも角にもゼンちゃんとマイちゃんは仰向けになってぷかぷかと漂い、やがてマイちゃんが水着女性の真ん前で静止をし、見上げると、それからやや暫く見上げていると、「あっ、本当だ。ファファルだね。皆ファファルと同じ顔をしているね。ファファルがいっぱいだね」と言った。
「ほら。やっぱりファファルだ。ちなみにマイちゃんは一度記憶した人の名前は決して忘れない(実は嘘)んだ。そういう魔法を施してある(鎌をかけようとしている)んだ。だから観念しろ仙人。ここいるのは全員がファファルをモチーフにして作られているんだろ? お前はそのくらい気持ち悪い奴なんだろ?」
ミヨクにそう詰めよられて、仙人は項垂れると、ついでにそこで湯気が眼鏡に直撃して曇り、それからこう話を始めた。
「……そうですか……やはり似てしまいますか……ファファル様に……でも、それは仕方がない事なんですよミヨク……」
そこで仙人は曇った眼鏡を外し、そして一呼吸すると、急にカッと目を見開いた。
「──だって儂、ファファル様以外の女性とほとんど接した事がないから!!」
その悲痛の叫びのような大きな声は、彼の気聖で覆われた天上の山を微かに揺らし、温泉には波ができ、故にマイちゃんとゼンちゃん(はバレないように)はとても楽しんだ。
──その数秒後、温泉の波が静かになった頃にマイちゃんが仙人を見上げながらこう尋ねた。
「でも、どういう事? なんで仙人はファファル以外と接した事がないの? 前にミョクちゃんが言っていたけど、人間は星の数ほどいるんだよ」
ミヨクは過去にそんなセンチメンタルな事を言っていたようだった。
──そんなセンチメンタルなミヨクが少し顔を赤らめながらマイちゃんの質問にこう答えるのだった。
「マイちゃん……そういうのはタイミングが大事だから今は言わないで……でも、うん。気を取り直してマイちゃんの質問に答えるけど、仙人はね──」
回想へ続く。




