第30話 ギンロシの大陸の仙人④
樹海には他にも複数人の好戦的な気聖使いたちが存在していて、遭遇する度に戦いを挑まれたのだが、その実力は坊主頭の白い道着の連中と大差がなく、その全てを今度はゼンちゃんが倒し続け、ミヨクたちはようやく樹海を抜け山の麓まで辿り進んだ。
「樹海のヤツらって絶対に戦いを挑んでくるんだな」
「うん。まあ、ここは強くなるのが目的の場所だから、日常茶飯事なんだろうね」
「弱いくせにな」
「いや、それは違うよゼンちゃん。ゼンちゃんとマイちゃんが強すぎるだけで、この樹海にいる人たちは魔法使いで例えるなら、大魔道士レベルも居るんだよ。今戦ってきた人たちの中にいたかどうかは分からないけど」
「そうなのか? でもオイラは大魔道士と戦うのは苦手だぜ」
「それは相性の問題かな。単純にゼンちゃんとマイちゃんは近距離戦が得意だから」
──それに基本的にゼンちゃんとマイちゃんは綿で出来てるから特に火の魔法に弱いし……とは言いかけて止めておいた。
「山にはもっと強い気聖の使い手がいるのか?」
「いる。山頂にいる仙人に近づけば近づくほど気聖の濃度が高くなって、それに耐えられる人が限られる分、その強さも増していくんだ。だから気聖使いと戦うならここからが本番だよ」
「そうか、そりゃ楽しみだな」
ゼンちゃんが嬉しそうに口角を吊り上げた次の瞬間──ミヨクが世界の時間を止めた。
「ゼンちゃん、違うよ。山は世界の時間を止めて登っていくよ。別に目的が気聖使いとの戦いじゃないからね。樹海を抜ける時に使わなかったのは、単純に山登りに3時間以上かかるからなんだ」
「……ん? おっ、そ、そうか。まあ、別にオイラもここまで来るのに戦いが続いてアドレナリンが出まくって勘違いしていたけど、冷静に考えると戦闘狂じゃないんだよな」
「うん。そうだね……」
と返事をしながらもミヨクはゼンちゃんのアドレナリン発言に驚いていた。あるんだ、アドレナリン……と。
◇◇◇
仙人の住む山、通称、天井の山には樹海とは比べものにならない程の気聖使いの猛者たちが集っていた。もちろんその強さは上に上がれば上がるほど増すもので、今日も今日とて山のあちらこちらで実力者たちが相手の気聖を奪う為に熾烈な争いをしていた。
──その内の1人、5合目付近では、【六十八上高気】を習得しているハムラが同じ【七十二上高気】のシルドナともう4時間以上の激闘を繰り広げていた。
ドォオーンッ! ドォオーンッ! ドォオーンッ! と拳と拳がぶつかり合う度に大気が激しく揺れ、足裏で強く踏んだだけで地は抉れ、吹き飛ばされた身体が山のどこかにぶつかっただけでその麓の樹海の木々までもがざわついた。
気聖使いの上位である、【聖上高気、五十以上高気】同士による、激しい戦い。そこに水を差すように一体の邪魔ものがヌウっと現れた。
それは、体長2.5メートルの熊型の魔獣でアフロヘアーが特徴的なアフロベアであった。
本来ならばこの世界において魔獣とは大して恐ろしい存在ではなく、いうならば人間の方がずっと恐ろしいのだが、ここが気聖の地である以上はその解釈は異なった。
「しかも、ここは天井の山だぜ……魔獣ごときが気聖の地で、しかも濃度の高いここまで登って来るなんて今まで聞いた事もないぜ」
ハムラが驚きに声を震わせ、それを可能にしているのがアフロべアの体内に宿る気聖だと察知し、シルドナもゴクリと生唾を飲み込んだ。
まさかの気聖使い熊。しかもその巨躯からはハムラやシルドナと同じように白い蒸気が幾つも立ち昇っている。それはアフロべアの気聖もまた彼らと同等であることを意味した。
──白く立ち昇る蒸気は気聖使いの上位に当たる聖上高気の証なのだから。
「──しかもコイツの白(い蒸気)の本数、俺たちよりも多くないか……」
ハムラの身体から立ち昇る蒸気の数は68本、シルドナからは72本とほぼ同じであるのに対し、アフロベアはそれを超える92本であった。それは簡易的な強さを表す目安でもあり、剥き出しの殺意と共に噴き出す白煙の密度は、明らかに人間二人のそれを圧していた。
「──……あるのかそんな事……。魔獣が気聖使いで、しかも上位にまで達していて、しかも俺とシルドナを超えているなんて事が……」
現実を受け止められないハムラに対してシルドナは、「そんな事ある筈がねえだろ! 俺とお前がこの気聖の地でどれだけ死に物狂いで闘ってきたと思っているんだ! ただの何かの見間違いだ! 魔獣だから人とは異なった成果になっているだけだ! あり得ないだろが、たかが魔獣が俺たちより強くなるなんてな! 魔獣は所詮はたかが魔獣なんだからよ!!」と、語勢をどんどん強めていくと、そのまま高く飛び上がり、怒りもプラスされた拳をアフロベアの顔面に叩き込んだ。
ドゴオーンッッ!!
激しい衝撃音と共に大気が激しく揺れ、アフロベアの顔面は真後ろに弾け飛んでいった。
「──ほら、所詮は知能の低いたかが魔獣だ。直撃しやがった。避ける事も防ぐ事もできやしねえ。おかげで渾身の一撃が叩き込めた。そのままクタバレたかが魔獣」
シルドナは勝利を確信してほくそ笑むのだったのが、弾け飛んでいたのはあくまでも顔面だけであり、アフロベアの巨躯は地に根を張っているかの如く、1歩も、1ミリも動いていない事をハムラは冷静に見ていた。
反撃はすぐにやってきた。アフロベアは怪我の状態を確認する事もなく、また上方に向いたままの顔の位置を戻す事もなく、その人の胴体ほどもある巨大な右手を、重戦車の如き勢いで大きく振り回した。
ブオオォンン!!
──シルドナの防御は間に合った。先程まで同じ聖上高気のハムラの拳を防ぎ続けてきた気聖を漲らせた盾のような左腕での防御が。ただ迫ってくるその威力は風圧から考えても恐らくは倍以上である事は想像に難しくはなく、おまけにアフロベアの右手にはまるで一本一本が洗礼された刃物のような鋭い爪があり、致命傷は避けられそうになかった。故にシルドナは左腕を捨てる覚悟をし、更には身体の力を抜く事でアフロベアに吹き飛ばしていただこうと考えた。威力を殺させて横に飛び、それから左腕のダメージ具合を確認してから体勢を立て直そう──という作戦わ1秒未満で考えた。
──が、ザシュンッ!
アフロベアの一撃はまるでそこには障害物や小賢しい策略など皆無であるかのように、シルドナの防御をいとも簡単に貫き、そのままその鋭い爪で左腕ごと脇腹までをも突き刺した。鍛え抜いた肉体も、鋼より硬い気聖の守りも、ただの肉の塊として無慈悲に抉り取られた。
「ガハッッ……! う、嘘だろ? 俺は気聖の聖上高気のナカゴ──」
シルドナのその言葉は、その途中までで最期となった。ザシュンッ! とアフロベアの容赦のない2撃目が、まるで羽虫を叩き潰すような無造作な動きで彼の頭部を捉え、その顔面の半分以上を文字通り消し飛ばしたからであった。
ハムラはまるで糸の切れた人形のように地面に落下していくシルドナを見つめながら、アフロベアのその圧倒的な強さに対して自分はどうするかを瞬時に考えた。
──いや、考えるまでもなかった。選択肢など最初から一つしかないのだから。
逃げの一手。そう、それは気聖の地では当たり前すぎる常識。強い敵とは闘わない。闘う時はその強い敵と互角以上に闘えるようになってから。
故にハムラは……いや、次の瞬間ハムラの目に信じられない光景が飛び込んできて、その決心はすぐに揺らいだ。
なんとアフロベアが生命が空になったシルドナに覆い被さると、そのまま食そうとしたのだ。
獣の獣故の勝利者の特権。
「て……テンメー! ふざけんじゃねー!!」
怒りがハムラの気聖使いの上位としてのプライドを、いや人としてのプライドを奮い立たせた。
「──やってやる! やってやるよ! 俺がテメーを殺してやる。覚悟しろよ魔獣!!」
──だが、その時だった。暴力と死臭が支配する空から、何かが唐突に降ってきたのは。
物体だ。大きい。雪の塊か……。いや、違う。それは、あまりに場違いな色彩を纏った紛れもなく人であった。
──しかも、若い女。見た目の年齢は二十歳に満たないだろうか。だが、彼女が何者であるかよりも先に、ハムラの視界を焼いたのはその装いの異常性だった。
凍てつく極寒の地に、薄手のグレーのブレザー。襟元には、この世の終わりのような吹雪の中でも鮮やかに映える可愛らしいピンク色のリボン。そして、あろうことかその足元は膝上の素肌を惜しげもなく晒した短いチェックのスカートであった。
それは異様で、異常で、この大陸の理に対する冒涜的なまでの場違いさであった。だってそれではまるで、どこかの学舎に通う女子高生そのものにしか見えないのだから。
しかもずっと笑っている。アフロベアとハムラとで三角形を作るように降り立ったその女子高生らしき女は、いつまでも表情が笑顔だった。まるで感情のない人形のように。
──この時点である程度の普通の人間であればこの存在に違和感を抱くのだが、なにせこの時のハムラは頭に上った血が一気に引いたが故の障害なのか、もっと他の事に気を取られていた。それは……それにしても美しいな、と。端的に女子高生の容姿に見惚れていた。とても容姿の美しい女だな、と。気聖を得る為にこの地に来る前に付き合っていた彼女に似て(たぶん美化)とても美しいな、と。過去の恋愛まで思い出して物凄く見惚れていた。
だがもちろん人ではない魔獣であるアフロベアにはそんな違和感も容姿の魅力もまるで関係がなく、食事の邪魔者を嫌悪の眼差しで見つめながら立ち上がると、獰猛な雄叫びを轟かせ、それには怯まなかった女子高生に向かって四足走行で勢いよく迫ると、そのまま右手を大きく振り回した。
ザシュンッ……という音は響かなかった。ハムラから見て女子高生が避けた様子はなかったのだが、アフロベアの攻撃は何故か空を切っていた。そしてそれはその後も同じで、アフロベアが女子高生に幾ら攻撃を仕掛けてもただ空気を裂く音が虚しく鳴るだけであった。
女子高生は相変わらず笑っていた。そして何かを思い出したように急に歩き始めると、そのままアフロベアにぎゅうっと抱きついた。まるで子供が大きな熊のぬいぐるみに抱きつくように無邪気に楽しそうに。
「あっ! この……くそッ!」
と咄嗟にハムラがどの感情でそう憤ったのかはさておき、女子高生がアフロベアの巨躯を包み込んだその瞬間、彼女の身体がまるで溶けていくかのようにアフロベアの体内へと消えていった。
──アフロベアが激しい呻き声を上げながらのたうち回ったのは、すぐの事であった。溶け込んだ彼女が内側からその巨躯を蹂躙しているのか、アフロベアの鋼のような筋肉は波打ち、全身の毛穴からは、気聖の白い蒸気ではなく、どす黒い粘液が噴き出した。獣の咆哮は、やがて肺を潰されたような湿った喘ぎへと変わり、雪を真っ赤に染めながら狂ったようにのたうち回る。
それは凄惨な捕食を凌駕する、正体不明の崩壊だった。その地獄のような光景は1分ほど続き、やがてアフロベアは天を仰ぐ格好で泡を吹き、2度とピクリとも動かなくなった。
ハムラは、女子高生が空から降ってきた辺りから何がなんだかよく分からなくなっていたが、取り敢えずアフロベアの死を確認して、それからこう告げるのであった。
「……なんかよく分からないが、いい死に方だったんじゃないか魔獣。俺もどうせ死ぬならお前のようにあんな美人に抱きつかれて死にたいもんだぜ」
……ハムラはたぶんもうシルドナのこともアフロベアの脅威のことも忘れて、頭の中が女子高生のことでいっぱいになっていた……。




