第27話 ギンロシの大陸の仙人①
ギンロシの大陸に降り立ったのは、それから7時間後のことだった。
ボートの自動運転にすっかり飽き果てていたミヨクは、陸地に足を下ろすなり、錆びついた関節を解きほぐすように大きく背伸びをした。
「ふぁーあ……。そして1時間くらい前から、うすうす気づいてはいたけど寒いね、ここ」
季節は秋の終わりと冬の始まりが、ちょうど境界線で押し合っている頃。木々は赤く錆びたような葉を雪の重みに譲り、空はミルクをこぼしたような厚い雲に覆われている。その隙間から、はらはらと、けれど執拗に、白い破片が舞い落ちていた。
「雪を見るだけなら、ちょうどいい時に来たね。ねえ、マイちゃん」
ミヨクはあらかじめ用意していたオレンジ色のダウンジャケットに腕を通した。フードを深く被り、頭のてっぺんまで冬に備える。
対照的に、マイちゃんとゼンちゃんは防寒などどこ吹く風だ。二人は空を仰ぎ、顔じゅうで雪を受け止めて、宝石でも見つけたかのように笑った。
「ミョクちゃん、雪だよ、雪! 白くて、ふわふわしてて、顔に当たると、じゅわっ、て消えちゃうよ。冷たくて、すっごく気持ちいいね!」
マイちゃんは興奮気味に叫ぶが、ミヨクの心境は複雑だった。何故なら、彼女たちの身体構造が基本的には綿と布だったからだ。あるんだ、冷感……と。ただ、そんなのは些な事で、マイちゃんが楽しそうならそれで文句はないのだが。
「マイ、口を開けてみろ。雪ってのはな、こうして空に向かって口を開けてると、勝手に口の中に飛び込んでくるんだ。ほら、あーん!」
「あーん! ……あ、ほんとだ。冷たくて美味しいね! あっ、でも目に当たった、痛い! でも面白いね、えへへ!」
……ちなみに彼女たちの、口や、喉や、胃袋も。さらには目も、全部がミヨクが描いた絵だった。ただそれもまた些細な事なのでミヨクは大して気にしなかったのだが。
「ところでミヨク、予知夢の続き……夢の魔法使いの気配はどうだ?」
ゼンちゃんがふと真面目な顔で尋ねる。ミヨクは目を閉じ、大陸全土を撫でるように魔力を広げた。
「……うん。感知したけど、残念ながらこの大陸には居ないみたいだね」
「えっ、居ないの? じゃあ、すぐまた海に出ちゃう感じ……?」
マイちゃんの声がみるみる沈んでいく。それを見たミヨクは、少しだけ確信犯的な嘘をつくことにした。
「いや、数日はここに居ようか。船旅も飽きたし、雪ももっと積もるかもしれないしね」
「わーい、やったぁ!」
跳ね回るマイちゃん。そして、背を向けながらも小さくガッツポーズをするゼンちゃん。
その様子に、ミヨクは「ふふふ」と笑みをこぼした。
◇◇◇
ギンロシの大陸の中央には、高さ1234メートルという奇妙に整った数字の平たい山が聳え立っている。その山の麓をぐるりと囲むように樹海が広がり、その樹海を境界線にして、その外側に町や村々が点在していた。
ミヨクたちが辿り着いたキースの町は、降り積もる雪のせいで静まり返っていた。石畳の通路を歩く影はまばらで、魚屋も八百屋の店主も、火の粉のような息を吐きながら掌を擦り合わせている。ミヨクはマイちゃんの好奇心旺盛な質問を「そうだね」「あとでね」と適当にいなし、震えながら宿を探した。
──トックスの宿屋、202号室。
「おー、生き返る……」
室内に入ると、ミヨクはまずそう言った。
中央のテーブルの上では、火の玉のようにゆらゆらと火の魔法【ホワホワ《燃えない熱》】が灯っていた。ミヨクはそのオレンジ色の光にかじりつくように暖をとりながら、「冬が厳しい大陸では、こういう火の魔法ってありがたいよね」としみじみと呟いた。
「ねえミョクちゃん、そこはそんなに温かいの? オラにはよく分かんないからずるいなぁ」
マイちゃんが頬を膨らませる。雪の冷たさは分かるのに、暖房の暖かいは分からないと言い出す矛盾に、ミヨクはもはやぬいぐるみの知覚を理解することを諦めた。
「いつか涼しいとぬるいの差が分かるようになろうな、マイ」
「うん、オラ、頑張る!」
ゼンちゃんの適当なアドバイスに、マイちゃんがやる気満々で答える。ミヨクはただ、熱いココアを一口啜って沈黙を守った。
翌朝。
外には20センチほどの見事な新雪が積もっていた。
ミヨクが二人に時間(魂の意)を与えると、彼らは文字通り庭を駆け回る犬と化した。
「雪だるま作ろう! ゼンちゃん、どデカいやつ!」
「おう、オイラが胴体、マイが頭だ。合体させて最強の雪だるまにするぞ!」
窓の外では、三メートルを超える巨大な雪だるまが完成した瞬間に二人が全力のタックルをかまして自ら破壊し、その残骸の上でボディプレスを決めて爆笑している。
──遊び方がバイオレンスすぎる。
ミヨクは少しだけ引きつつも、彼らが楽しそうならそれでいい、と自分に言い聞かせた。
昼過ぎ。そろそろ移動の準備をしようと窓を叩く。
「そろそろ行くよー」
「えっ、もう!? オラ、もっと雪で遊びたい……ダメかな……?」
マイちゃんの必殺技。潤んだ瞳での上目遣いだ。ミヨクの心が「きゅん」と軋む。
「ダメだマイ、我儘を言うな。ミヨクが行くって言ったら行くんだ……」
ゼンちゃんがたしなめようとするが、その声もどこか寂しげだ。二体のぬいぐるみが肩を落とし、雪の中に佇む姿。それを見たミヨクの決断力は、あっけなく霧散した。
「……あと一時間だけ。一時間だけだよ」
「やったぁぁ!」
結局、ミヨクもオレンジ色のダウンを着込み、自分でも引くくらいの熱量で雪合戦に混ざった。
2時間後。
約束の時間を大幅に過ぎて、ようやくミヨクは腰を上げた。
「さあ、今度こそ行くよ。ゼンちゃん、マイちゃん」
「分かった。約束だもんな。……で、ミヨク。具体的にどこに向かうんだ?」
ミヨクは、冷たい空気の中に凛と立つ大陸中央の山を指差した。
「あの山頂に行くよ。せっかくここまで来たんだ。一応、アイツに顔を見せに行かないとね」




