第20話 オアの大陸の勇者と魔王⑬
その頃、魔王は悩んでいた。
彼を悩ませているのは、国々の情勢でも勇者の動向でもない。自らの権能である『作成魔法』によって、次にどのようなモンスターを産み出すべきかという、極めて個人的で、かつ創造的な命題であった。
魔王にとって、モンスターを作るという行為は工業製品の生産に似ていた。
脳内の設計図の上で、数千、数万という魔力の術式を編み上げていく。あそこに攻撃特化の触手を取り付ければ、その反動を相殺するために重心を下げる必要があり、そうすると移動速度が犠牲になる。機動力を補うためにコストをかければ、今度は魔力の循環効率が悪化し、継戦能力に支障をきたす。
「だったら、どうするべきか……」
独り言が漏れる。それは、究極のパズルを前にした学者のようでもあり、最高の作品を追求する芸術家のようでもあった。
脳に重い疲労が蓄積されてきた。魔王は一旦、思考を切り替えるためにティータイムに入ることにした。指をパチンと鳴らす。すると、室内にある重厚なテーブル、彫刻の施された椅子、そして繊細な磁器のティーセットが、まるで生きているかのようにうごめき出した。これら全てが、彼が利便性のために作成した家具型モンスターたちであった。
ふうっと熱い紅茶を啜り、息を吐く。魔王は傍らに置いた魔法書──正式名称『ヨミの書』をパラパラとめくった。
「429頁まで埋まったか」
その呟きには、僅かな達成感と、それ以上の郷愁が混じっていた。
初期の頁に載っているモンスターたちは、今見返せば作成魔法の初心者らしい、稚拙で酷いものばかりだった。
例えば、最弱の代名詞であるスライム。当時の魔王は、それを限りなく純粋な液状にしたかった。物理攻撃を全て透過させる究極の回避体を目指したのだ。しかし、当時の知識と技量では魔力の固定が甘く、結果としてゼリー状の塊になってしまった。おかげで打撃も斬撃も容易に命中し、勇者たちのレベル上げに最適な叩ける雑魚という不名誉な地位に甘んじることになったのだ。
「四天王もな……その後で作った、四天王の右腕的な立ち位置のモンスターの方が実は強いんだよな。後で作ったからその分だけ技術が向上してしまって……。もちろんパワーバランスを保つために今は出力調整をして弱く設定してはいるけれど……」
魔王は、自らの技術向上がもたらす弊害に頭を抱えた。
「──いっそのこと、四天王の上に五大天(仮)でも作るか。いや、そうすると勇者たちの絶望感が一気に増すから、良くないよな」
絶望感が増すから、良くない。
その言葉には、魔王という立場にそぐわない奇妙な矛盾が含まれていた。
しかし、その矛盾こそが、この男が魔王として存在し続けている理由でもあった。
最終的には、勇者によって倒されたい。
それが、94年という長い年月を生き、この大陸を見守ってきた彼の、偽らざる望みであった。
魔王は、この大陸の国々の平和を心から願っていた。
かつて、この地は混乱に満ちていた。魔王はその混乱を収束させるために立ち上がった一人の魔法使いであったのだ。そんな彼が選んだ選択は、毒を持って毒を制する、であった。自らが絶対的な悪、絶対的な恐怖の象徴となることで、バラバラだった人類に共通の敵を与え、団結を促したのだ。
魔王という呼び名も、支配という恐怖政治の手段も、すべては大陸中に分かりやすい倒すべき悪を示すための演出に過ぎなかった。
恐怖(魔王)は、希望(勇者)によって滅ぼされなければならない。
希望とは、平和を祈るすべての人々の願いが集約された形なのだから。
だが、その構想を実現するまでに30年がかかった。それほどまでに、この大陸に染み付いた争いの血気は根深かった。
ようやく、現在の3代目勇者ユウシアの代になって、魔王の思い描いた理想の構図が完成しつつあった。
国々が魔王と勇者の対立を明確に認識し、今では勇者のために手に手を取り合って一致団結している。
これにて、魔王対勇者率いる連合国という平和への最後のピースが極まったのだ。
あとは、自分が勇者に美しく敗北すれば、大陸には永劫の平和が訪れるはずだった。
ところが。
「強くなりすぎた……」
魔王は、再び深く頭を抱えた。
魔王は、2つの大きなミスを犯していた。
1つ目は、勇者たちを鍛え上げるために、彼らのレベルに合わせたモンスターを絶え間なく作り、ぶつけ続けてきたこと。勇者たちの成長速度に合わせて丁度良い強さの敵を設計するのは想像を絶する難題だったのだ。故にその試行錯誤の過程で、魔王の知識と作成技術は高みへと登り詰めてしまったのだ。
そして2つ目は、モンスターを作るという行為そのものが、楽しくて楽しくて仕方がなくなってしまったこと。特に、より複雑で、より強大な生命をデザインする快感に彼は抗えなかった。
「勇者一行が5人で戦っても苦戦する四天王の一角のゴクノヤミキシを、俺の魔力が尽きるまで出現させる事が出来たらダメだよな……」
理屈ではそう分かっていた。だが、魔王の探究心はもはや境地に立っていた。
もっと、もっと強いものを。もっと完璧な設計をしたモンスターを作りたい。
欲望が、平和への願いという本来の目的を食い潰し始めていた。
「四天王や五大天(仮)の連中は、この魔法書に載せた時に、丸々1ページを贅沢に使って記述される。それは単純にそのモンスターが持つ情報の密度、すなわち端的な強さを表している。……だったら」
魔王の瞳に、危うい熱が灯る。
「──見開きはどうなる? 右の頁と左の頁を魔法的に連結させ、今の俺が持つ全ての知識、全ての演算、そして全魔力を注ぎ込んだら……一体、何が産まれるんだ? 正直……見たい。作りたい」
一度芽生えた好奇心は、もはや制御が不可能であった。
魔王は周囲の状況も、自らの計画も忘れ、ただひたすらに魔法書と向き合った。
そして、食事も睡眠も惜しみ、一週間の時間を費やして、ついに彼はその禁忌を形にした。
見開きモンスター:デビルキング(通称デビキン)の誕生であった。ヨミの書の左右両ページをまたいで生み出されたその姿は、異様の一言に尽きた。
全長は5メートル。一つの太い首の上に、四つの顔が前後左右を向いて鎮座している。それぞれの顔には菱形の紋様が4つずつ並んでおり、それらは全てが「目」としての役割を果たしていた。身体は漆黒のローブのような不気味な物質で覆われており、さしずめ巨大な、黒いてるてる坊主、のような佇まいだった。
だが、見た目以上に異常だったのは、その魔力の波動だった。
デビキンがそこに顕現しているだけで、空間そのものが耐えきれずにビリビリと悲鳴を上げ、大地は恐れおののくように絶え間なく揺れ続けた。
「……不味いな……。魔力が、俺本体を超えている……」
魔王の呟きは、感嘆を通り越し、恐怖に震えていた。
それは作成魔法における最大のタブーである創造主越えだった。
この魔法によって生み出されたモンスターは、まず主である魔王自身が力でねじ伏せ、屈服させなければ配下に置くことができないという絶対のルールがあるのだ。それができなければ、作成されたモンスターとは主従の契約を結ぶことが出来ず、本能の赴くままに破壊を撒き散らす自由な厄災となってしまうのだった。
「……倒せるのか、俺に……?」
やるしかなかった。放置すれば、勇者が来る前にこの大陸が地図から消えてしまうのだから。
魔王は震える手で魔法書を開いた。
「来い、ゴクノヤミキシ!!」
四天王の一角が出現する。だがそれと同時にデビキンが四つの顔のうちの一つ──その菱形の目の一つを僅かに発光させた。
刹那、黒い、細い光線が、迸った。
直撃したゴクノヤミキシは、防御する間もなく、いとも簡単に消滅した。そして光線はそのまま、幾重もの魔法障壁で補強されていた頑丈な城の床を豆腐のように容易く貫通し、深淵まで到達した。
「嘘だろ……」
魔王は死に物狂いで魔法を乱発した。
ゴクノヤミキシ、他の四天王、そして構想段階だった五大天(仮)までもを、自らの魔力が許す限り、各10体ずつ合計90体以上の最精鋭を同時に出現させ、魔王軍の全戦力をもって、デビキン一体を包囲した。
死闘は1時間に及んだ。
その余波だけで、難攻不落を誇った魔王城の半分が瓦礫の山と化し、海は狂ったように荒れ狂った。
その結末は──
──無慈悲なものだった。
90体を超えた精鋭たちは全滅し、魔王の体内からは最後の一滴まで魔力が尽きた。
「不味いな……。間違いなく、大陸が滅ぶ……」
魔王は、自らの知的好奇心が招いた終焉を前に、力なく前のめりに倒れた。
それにより自由を手に入れたデビルキングは、四つの顔をゆっくりと、そして不気味に回し始めた。そして、その十六個の菱形の目が蹂躙すべき次の対象を定めた、その時。
──世界から、音が消えた。
崩れ落ちる瓦礫の轟音も、逆巻く海の荒波の音も。デビキンが周囲を威圧するために放っていた、あの重苦しい魔力の波動さえも。
あらゆる事象が、まるで最初からそうであったかのように、静止した。




